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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第110話:孤島の老人



最初に感じたのは、温かさだった。


何かが顔に触れていた。

濡れていた。

柔らかかった。

リュウジィはゆっくりと目を開けた。


青い空だった。

白い雲が流れていた。

もう一度、顔に何かが触れた。

温かく、湿った感触だった。

リュウジィは首を動かした。

巨大な顔がそこにあった。


「——っ!」


反射的に飛び起きた。砂浜に手をついた。膝をついたまま、目の前のものを見た。

狼だった。


いや、狼に似た何かだった。

肩までの高さが人の腰ほどあった。毛並みがプラチナシルバーで、光の加減で白にも銀にも見えた。黄金色の目がリュウジィをじっと見ていた。


舐めていたのはこいつか。

リュウジィは息を整えながら周囲を見回した。

砂浜だった。

背後は鬱蒼とした森だった。

波の音が聞こえた。

見渡す限り、海だった。


身体を確認した。

濡れていなかった。

ファフニールの浄化効果が働いていた。衣服も肌も、海に落ちる前と変わらない状態だった。

船は見えなかった。

タツヨも見えなかった。


「起きたか」


声がした。

振り返ると、老人が立っていた。

痩せた体つきだった。背丈は普通だったが、どこか軽さがあった。木の枝を杖代わりに持っていたが、体重を預けている様子はなかった。


リュウジィは立ち上がった。


「あの、ここはどこですか」


「島だ」


老人は海を見ながら答えた。


「名前はない」


リュウジィは海を見た。どこまでも続く水平線だった。


「サウザンアイランドへ戻れますか」


「この海域は海流が複雑でな。2ヶ月から3ヶ月に一度、潮の流れが変わる時がある。その時でなければサウザンアイランドへは向かえん」


「そうですか……」


リュウジィは黙った。

タツヨの顔が浮かんだ。ミライの顔が浮かんだ。バッドの顔が、カエデの顔が、ハクの顔が浮かんだ。


2ヶ月か。


「船から落ちたのか」


老人が言った。


「はい。仲間を助けようとして」


老人はリュウジィをしばらく見た。それから小さく息を吐いた。


「ならここで待つしかないな」


リュウジィは黙って頷いた。


「飯くらいは出してやる」


リュウジィは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。助かります」


老人は小さく頷いた


銀色の獣がリュウジィの手の甲に鼻先を押し当ててきた。しばらくそうしていたかと思うと、静かに老人の足元へ戻っていった。その様子は野生のものではなかった。長い時間をともに過ごした者だけが持つ、静かな馴染み方だった。



翌朝。


特にする事もなく、リュウジィは浜辺に出て、三体式を始めた。足を肩幅より広めに開き、重心を落とし、両手を構えた。呼吸を整えた。内功が静かに巡り始めた。


「よく練れてるが、もう少し上半身の力を抜いたほうがいいのう」

声がした。


老人がそこにいた。いつからいたのかわからなかった。銀色の獣が老人の隣に座っていた。


「少しだけ体重が後ろ足に乗りすぎだ」


リュウジィは構えを崩さずに老人を見た。


「三体式をご存知なんですか」


「知ってるも何も専門家だからな。しかしこの世界で見れるとはな」


老人は鼻を鳴らした。


リュウジィは動きを止めた。


専門家。

その言葉が、頭の中で反響した。


「口で言ってもわからんじゃろう」


老人は杖を砂浜に置いた。


「ほれ!かかってこい」


リュウジィは老人を見た。

痩せた老人だった。

武器もなかった。

本気にはなれなかった。

様子を見るつもりで、軽く踏み込んだ。

その瞬間。


ドンッ!


腹を打たれて、後ろに飛ばされ砂浜に転がった。

何が起きたかわからなかった。

崩拳だった。


リュウジィは立ち上がった。

内功を高めた。


「もう一度、お願いします」


その瞬間あっと言う間懐に入られ。


ドンッ!


また崩拳を食らって、吹き飛ばされ、砂浜に転がった。

砂を口の中に感じながら、リュウジィは老人を見上げた。

老人は涼しい顔をしていた。

その顔を見た瞬間、何かが引っかかった。


見覚えがあった。

どこかで見たことがあるような気がした。

だが思い出せなかった。

老人は黙って立っていた。

銀色の獣が老人の足元に座り、リュウジィを見ていた。

リュウジィはゆっくりと立ち上がりながら、記憶の底を探った。


現世。


古い本。


黄ばんだページ。


白黒写真。

そこに添えられていた一文が、静かに浮かび上がってきた。


——半歩崩拳、あまねく天下を打つ。

リュウジィは老人を見た。


「……まさか」


老人はリュウジィの顔を見て、少し目を細めた。それだけだった。


形意拳史上、最強の名を欲しいままにした伝説の達人。現世で白黒写真の中にしか存在しなかった男。


郭竜深(かくりゅうしん)、その人だった。

驚くリュウジィに、老人柔らかな口調で言った。


「どうやら転生と言うのは、時間軸がずれるらしいの。わしはずいぶん前にここに来た。お主は中々の功夫じゃが、まだまだじゃのう。ここに居る間にわしが稽古をつけてやるわい」


そう言いながら、横の獣の頭を撫でながら、豪快に笑った。

リュウジィはすぐに立ち上がり、深く頭を下げた。


「宜しくお願いします。老師」


まさか、形意拳史上最強と謳われた伝説の人物に、この異世界で出会えるなんて。


しかも、その人から直接教えを乞うことができるのだ。

自分が遭難して、今の絶望的な状況など、リュウジィの頭からは完全に消え去っていた。ただただ、胸の奥から湧き上がる圧倒的な歓喜に、全身を震わせるばかりだった。


島には流木が豊富にあった。

サウザンアイランドへ戻るための(いかだ)を作らなければならなかった。


木を削りながら、郭竜深に形意拳を習う日々が始まった。






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