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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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106話 幽霊船来たる



午後になると風が変わった。

さっきまで真横から吹いていた潮風が、いつの間にか前方から押し返すように変わっていた。波が少し高くなった。船体の揺れが大きくなり、甲板の上では踏ん張らないと立っていられない。


船員たちの動きが変わった。

笑い声が消えた。短く指示が飛び交い、マストの帆が調整される。船長が舵の近くに立って、じっと水平線を見ていた。


「ちょっと荒れて来たのかな?」


リュウジィが海を見ながら言った。

雲の色が変わっていた。昼間の鈍い灰色から、夕方に向かって暗みを帯びはじめている。水平線の向こうが、じわじわと黒くなっていた。


ジャスパーが船員の一人に何かを聞いた。戻ってきた顔が少し硬かった。


「この海域、夕方以降は時々荒れるそうです。嵐にはならないと思うが、と言ってましたけど」


「そうなんだ?思うがか」


「はい」


リュウジィは水平線を見た。

波の形が変わっていた。どこか遠くで何かが動いているような、そんな波だった。


アミリのサーチ当番が終わり、ハナに交代したのはちょうどその頃だった。


ハナはマストの根元に座り直し、目を閉じた。探知範囲が200メートルに広がった。それはリュウジィには見えないが、ハナの表情がすっと落ち着いたことでわかった。


波が高くなった。

甲板を歩くのが難しくなり始め、何人かが船室へ戻った。それでも各パーティーのリーダー格は甲板に残っていた。

風の音が大きくなった。

マストが軋む。帆が膨らみ、船が揺れる。

その時だった。


「何か来るよ!」


ハナの声が甲板に響いた。

普段の静かな声とは違った。鋭く、迷いがなかった。

一瞬で全員の動きが止まった。

次の瞬間、船員が鐘に向かって走った。


カンカンカンカンカンカン——


鋭い金属音が波の音を切り裂いた。シップス・ベル。船全体への警告だった。


甲板に残っていた全員が立ち上がり、武器に手をかけた。船員たちが怒鳴り合いながら走り回る。船室の扉が次々と開き、残っていたメンバーが甲板へ出てきた。


「どこだ」


イラブーがハナに向かって言った。

ハナは目を閉じたまま、船の左舷後方を指差した。


全員の視線がそちらへ向かった。


波が高い。視界が悪い。夕暮れと荒波で、水平線と空の境界が曖昧になっていた。


リュウジィは目を細めた。

何もない。

波だけだ。


だが——


ハナの指が、そこを指し続けていた。

波の向こう、暗くなりかけた水


平線の端に、何かがあった。


最初は波のうねりに見えた。


だが違った。


それは動いていた。波ではない


動き方で、こちらへ向かって、確実に近づいてきていた。


「あれは——」


ジャスパーが息を呑んだ。


それは船だった。

帆も、マストも、船体の形も、確かに船だった。

だが何かが根本的におかしかった。

船体が黒い。塗料の黒ではない。腐った木が長い年月をかけて変色したような、光を吸い込む種類の黒だった。三本のマストは折れかけたまま傾いており、帆はボロボロに裂けて風にたなびいている。裂けた布の端が、まるで手招きするように揺れていた。


波に乗っているのではなかった。


波を無視して進んでいた。

うねりの中を、あり得ない角度で傾きながら、それでも速度を落とさずにこちらへ向かってくる。波が船体に当たっても音がしなかった。普通なら水が跳ね上がるはずの場所で、波がすり抜けるように消えていく。


「魔族の幽霊船だ」


船長が低く言った。

震えてはいなかった。ただ、顔から血の気が引いていた。長年海に出ている人間の、それは本物の恐怖だった。


「この海域に出るのか」


クラウスが船長に向かって言った。

「滅多にない。だが出る時は決まって夕方だ。夜になる前に人間の船を見つけて——」


船長は言葉を切った。

続きは言わなかった。言わなくてもわかった。

距離が縮まっていた。

200メートル、150メートル、100メートル。

近づくにつれて、船体の詳細が見えてきた。

甲板の上に何かいた。

人の形をしていた。だが動き方が人ではなかった。四つ足で甲板を這い回るものがいた。マストの上に張り付いているものがいた。船首に立ち、こちらをただ見ているものがいた。

船首に立つそれは、人間の形をしていた。

ローブのようなものを纏い、両腕を広げ、顔だけがこちらを向いていた。顔に目がなかった。目があるべき場所に、ただ黒い穴が開いていた。

風の音が一瞬止んだ。

波の音も消えた。

そいつがこちらを見た瞬間、甲板にいた全員が同時に感じた。

温度が下がった。

身体の芯から冷える種類の寒さだった。恐怖ではない。もっと根源的な何かが、生きているものを拒絶するような感覚だった。

ハナが目を開けた。


「数は——」


声が少し掠れた。

「甲板だけで三十以上。船倉の中にもいる。全部で五十は超えてる」

誰も声を上げなかった。

50メートル。

腐った木材の匂いが風に乗ってきた。磯の匂いではない。もっと古い、地面の下から来るような匂いだった。

魔物船の船体が軋んだ。

初めて音がした。

金属が擦れるような、骨が折れるような、そんな音が混ざり合った不快な音だった。甲板を這い回っていたものたちが一斉に動きを止め、こちらを向いた。

マストの上のものが飛んだ。

翼はなかった。ただ跳んだ。30メートルの距離を、放物線ではなくまっすぐに、重力を無視した軌道でこちらの船に向かって飛んできた。



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