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11話-A 誰の為の善意か

 結局、僕は路地裏で暫くの間玲奈を慰めた後、ネカフェへと戻る事にした。

「明らかに泣き顔のまま戻るのは恥ずかしいから嫌だ」という要求をされたので、涙が乾くまで待ったが、泣き腫らした顔がそうそう簡単き綺麗に消える筈も無く、街行く人の視線が突き刺さった。側から見れば僕が泣かせたと見られても弁解はできないだろう。

 入口の受付には今朝いた小太りの店員の姿は無く、代わりに小柄な女性が事務作業をしていた。部屋の方は24時間分で確保していたので、そのまま僕たちは各々が寝泊まりした場所に別れるつもりだった。だがどういうわけか、玲奈は自分の部屋には入らず僕の部屋に入り込み、そのまま荷物を下ろした。


「部屋、隣じゃなかったっけ?」

「…別にいいでしょ。減るものじゃないんだから」


 馬鹿でかい肩掛け鞄のおかげで狭苦しい、とは思った。だが人生を投げ出そうとしたのに邪魔されてしまった事への怒り、或いは喪失感か。様々な感情が織り混ざった様な淡い表情を浮かべる玲奈を見ていると、そんな溜飲は心の奥へとすぐ引き下がっていった。

 僕も部屋の隅に荷物を置き、玲奈から少し離れた場所に腰を下ろす。何かしら玲奈がリアクションをしてくれれば、この場の重苦しい空気が幾らかマシになるのだが、当然そんな事は無い。玲奈は自分のことなど相手にする事もなく、ぼんやりと下を向きながら座っているだけだった。


「何か頼もうか?ピザとか…」


 試しに食事を摂る提案をしてみる。朝のファミレスを食い途中のまま出てしまったので、玲奈は腹が空いているんじゃないだろうか。それに昨晩もまともな食事はドリンクバーの横に併設されたポテトフライくらいしか食べていないはず。


 だが玲奈は何も答えなかった。いや、応えないと言うべきだろう。

 まるで石化したかの如く身体は何も動かず、固まったままだった。


「玲奈?」


 再び声をかけてみるがやはり反応が無い。そもそも聞こえていないのだろう。

 なるべく音を立てずに近寄ってみると穏やかな呼吸音が僅かに聞こえ、垂れた長い前髪の隙間から見える瞳は閉じられていた。


 今朝から玲奈の精神には耐え難い負荷がのし掛かっている。それも目の前にいる人間が大半の原因を担っていることを分かっている筈だ。

 生き方を冒涜され、逃げ道を塞ぎ込まれ、見られたくない一面を見られた。これで疲労が溜まっていない方が可笑しな話だ。


 ブランケットを玲奈にかけて、再び眠っていることを確認する。まだ昼前ではあったが、昼食を買ってくることにした。

 もし玲奈が狸寝入りで帰ってきた時にいなくなっていたらどうしようか、一瞬考えたがすぐに思考を中断する。仮の事をあれこれ思索したところで、結局のところ意味が無いのは経験から学んでいる。

 今自分に必要なのは信用だ。


 どうか自分が玲奈の信用に値する人間であって欲しい、と願いながら静かに部屋を出た。



 ネカフェから出て、温かな日差しと少し肌寒い風に仰られ、生暖かさを感じながら近くのコンビニに向かう。依然、足取りは重い。

 当然ながらこの数時間で昨夜の事を忘れられるほど、都合良く現実逃避の術を僕が持っているわけがない。寧ろ今もまた後ろから声を掛けられそのまま逮捕、という最悪の想定で僕は行動をしている。

 そうする事でもしその"最悪な何か"がおきても驚くことはないという訳だ。

 …それを対処できればどれほど素晴らしかったことか。


 コンビニに入ると昼前の中途半端な時間という事もあってか、客は疎はで商品棚には朝の時間帯で売れ残ったものがちらほらと置かれていた。

 おにぎりを幾つか抱えてレジに向かい、手際良く店員がバーコードをスキャンしていく。


「会計580円です〜」


 肩掛け鞄からチャックを開けて、中にある封筒を出来る限り隠しながら1枚諭吉を出して渡す。

 程なくして数枚の札と小銭とレシートが渡されて、レジ下の紙入れにレシートを押し込み逃げる様に店を出た。特に後ろめたいことがある訳ではなかったが、何となく居心地が悪かった。

 帰り道を辿りながら、僕は再度封筒の中身を覗き込む。中には数十枚の札がぎっちりと詰まっており、つかぬ間の安堵感を与えた。

 だがそれよりも『これが自分の最後の軍資金になる』という突きつけられた現実が、あっという間に心に不快な焦燥を広げていった。

 旅の目的はどこかの果てで力尽きようか。

 そんな事を考えながら、チャックを閉めて顔を上げる。


 ふと、違和感を感じた。

 違和感を感じた、という文にではなく。

 コンビニに入る前から感じていていた背後に突き刺さるむず痒い『何か』。生憎自分は後ろ指を刺される事には慣れている上、逃げ足も早い…と思うのでいざとなれば逃げられる。古井木と対峙した時は怖気付いて脚を動かす事も叶わなかったが、今はどういう訳かそんな恐怖心が無い。

 ここで歩みを止めれば自分からその違和感に勘付いている、と周囲に対して主張するのも同然の行為だと思い、急いでポケットからスマホを取り出して耳に当てる。別に誰かと通話をする訳ではない。これで少なからず偽装は出来るはずだ。

 そして先程よりも1,2段階歩くテンポをあげて、玲奈が待っているであろうネカフェへと急ぐ。もしかしたらぎこちない歩き方になっているかもしれないが、今は戻る事が最優先だ。付け焼き刃の対処法に拘っている暇など無い。

 5分ほど勝手な憶測の中での均衡が続き、道中ドア部分がひどく錆びた軽トラックのボンネットに目を向ける。後ろをどうにかして振り向きたかった。反射したシャッター街が見える中、薄らとだったが金色のもやがその窓には映り込んでいるのを横目で目視する。

 それを見て僕は確信する。


 尾行されている。


 コンビニに入った後、僕と同タイミングで入店したヤツがいた。見た目はジャージ姿の金髪で手にはタトゥーの様なものが入っていたガラの悪そうな男だ。ソイツは僕と同タイミングで店に入ると、何をする訳でもなく入り口辺りに置かれた雑誌に目を通していた。

 そして結局何も買わないまま、やはり僕と同タイミングで店を後にしたのを自動ドアの入退点のセンサー音で確認している。

 尾行の人数は把握できないが、恐らくは1人や2人ではない。いや、この際人数はどうでもいい。仮に相手が2人でもう1人の位置を把握したとしても、向こうが堂々と出てきて包囲網を作ってしまえば詰みだ。だが、それをしないという事はまだ向こうにも手を出せない、即ち確信が持てないという段階だからだ。もしこの今の状況に至るまでに僕が後ろを振り向いたり、下手に警戒をしていれば、捕まえられる判断を簡単に下す事は出来ただろう。

 我ながら先程の行動は正しかったわけだ。


 そして、今どうするか。


 僕はスマホを耳から離して、買ったおにぎりやら手に持っていたものを鞄に全て詰め込み、しっかりと肩にかけた。


 そして勢いよく駆けた。本気で走った。


 相手に手を打たれればご臨終。

 だとすれば、こちらから先手を打つ以外にこの状況を打破する術は無い。

 いずれこうしなければならないというのは、尾けられている疑念がある段階で理解していた。相手の中で僕が「追いかける対象」と分かった瞬間と行動に移す瞬間の間が広がれば広がるほど、僕の逃げ道は消えていってしまう。

 ならば、相手が勘付くのと行動するのを同じタイミングにすればいい。そうすれば向こうに作戦を練る隙すら与えずに済む。

 尾行していた金髪男は僕の目的に一足遅れて勘付いたのか、慌てて走り出したのをカーブミラーで目視する。走るこちらに対して追いかけるという事は、やはり僕に何かしらの危害を加えるつもりなのだろう。

 あの見た目の人間が寧ろ「落とし物しましたよ」とか優しく声をかけてきたら、それはそれで不気味で逆に勘繰ってしまうだろうが。

 少しでも男を巻くために、なるべく曲がりくねった道を選びながら僕は走った。走りにだけは自信があったが、流石に荷物を背負いながらのアドバンテージは厳しく、背後から揃わない足音が聞こえてくる。

 予想通り複数人で僕を尾行していたらしい。

 これで話して事情を聞くという最後の妥協案は崩れた。このままでは追い付かれて四面楚歌の尋問が始まるのも時間の問題だ。


 僅かな望みに託し僕は次の大通りへと繋がる曲がり角を曲がると、大勢の人が街路を歩いている道に差し掛かった。

 僕は人混みに逆らいながら小走りで狭い歩道を駆け抜けた。これなら単独でいる分僅かだが自由に動けるこちら側に分配が上がる。

 背後を向くと予想通り、男たちが狭い歩道をどうにかして抜けようと四苦八苦していたが、同じ隙間を選んだ者たちが互いにぶつかり合い手間取っていた。


 その隙に僕は気づかれない様にネカフェへと繋がる通りへと戻った。ついでに玲奈から渡された死人のコートも脱いだ。





 やっとの思いで僕はネカフェへと戻り、息をある程度整えて部屋に入る。玲奈は既に目覚めておりこちらを凝視していた。


「…ただいま」


 気迫に負けて口から声が溢れた。別に怒っている訳ではないのだろうが、不機嫌な表情だった。


「どこに行っていたの?」

「あぁ、いや…ご飯を買いに…ほら、これ」


 鞄中からレジ袋を取り出して渡すと、恐る恐る玲奈は覗き込んだ。


「昆布ばっかり」


 不満げに玲奈は呟く。


「まともなやつがそれしか残ってなかったんだ」

「潰れてるし」

「……それはごめん、ちょっと急ぎの様だったから」


 買ってきたおにぎりを物色する玲奈は終始不満げな表情だった。


「…そもそも私パン派だから。おにぎりはあんまり食べない」


 苦労して買ってきたというのにこの塩対応は悲しかったが、玲奈の好みを記憶違いで覚えていたこちらに問題がある。


「それじゃあここでピザとか注文しようか?それなら玲奈も──」

「いい。折角買ってきてくれた君に悪いし。…それに多分今は…」


 玲奈は何かを言いかけたが話し切る事もなく、おにぎりの包装を開けて頬張る。無愛想な顔に僅かながら温かな感情が現れたような気がした。


「…そういえば君、なんで急いでたの?帰ってきた時息も上がってたし」

「いや、えっと…おにぎりが出来たてだったからさ、乾いたら、ほら、不味いだろうし」

「目、泳いでるって」


 はぐらかそうとしたがどうにも言葉が繋がらない。『早く帰る事で玲奈がどこかへと消えてしまう事を未然に防ぐことが出来るかもしれない』などと口にすれば、折角の両者間に芽生えた信頼の芽を摘むってしまう事になる。

 もう一つ正当な理由を伝えることにした。


「その…コンビニに出た辺りでさ、誰かにつけられてるのに気付いたんだ」

「つけられてる?警察?」

「いや…柄が悪そうだったからそれは無いと思う。金髪だった上にタトゥーまで入れてたからさ」

「タトゥー……まさか」


 急に玲奈は少し神妙な顔付きになり、俯きながらおにぎりを口にした。僕の苦労をどうやら受け入れてくれたたようでほんの少しだけ安堵した。


「追加の情報としてタトゥーの金髪男以外にもいたよ。ロンゲの紫とか。全員柄が悪そうだったから警察とかそういう人間の線とは考えられないかな」

「手に入れてたタトゥーはどんな柄だったか覚えてる?」

「え…タトゥーの柄?」

「そう、タトゥーの。わかんない?」


 玲奈はやけに焦った様な口調で僕に問いただした。焦燥感が滲み出ているのが目を逸らしても分かる。


「遠目で見てたから分からないけど…龍だったかが絡まった感じのやつだったよ。それがなんか…花?と一緒に入ってた」

「………そう」


 今までの玲奈は強硬な態度を比較的貫いていたが、この説明に対して返答は実に覇気の無いものだった。



「確証が無いからなんとも言えないんだけど…君を追ってた連中は多分、"サーペント

"だよ。タトゥーも龍じゃなくて多分蛇」

「"サーペント"?」

「…詳しくはわからないけど、斡旋やら強盗やら色々やっててここら辺を縄張りにしてるグループらしいの。私も何度かそのメンバーに出会ったけど、全員どこかしらに蛇と薔薇のタトゥーが入ってた」

「要は不良って事?」

「まぁそうだけど…でもアイツの裏には大物が付いてるからって、加減の際限を知らない事で悪名高いの…そんなのに目をつけられるって、君何したの?」


 玲奈は溜め息を吐いて僕を見る。


「何したも何も…ただ僕はコンビニに行っただけで…」


 弁解しようとした時、ふと、少しだけ心当たりがある記憶が浮かび上がってきた。

 玲奈が襲われていた現場に着く前、確か男と一悶着あった。


 今にして思えばあの男の手にも確か──



「…いや、あるかも」

「…君もなんだ」


 玲奈は失笑しながら頭を項垂れた。


「もう別に今さら隠す気も無いから言うけど、さっきのアレは薬の売買。あれでもう終わりにしようって思ったけど……あのクソ野郎はサーペントのメンバーで、ソイツに犯されかけた上に私は失敗した」


 状況から推測するに、ここでの"失敗"は自らの手で自らを終わらせるという事だろう。玲奈はそれ程までに追い詰められていたのだ。


「玲奈は…そこで初めてサーペントのメンバーと出会ったの?」

「いや。1人で夜ほっつき歩いてて補導されかけそうになったとき助けてもらった。それがきっかけで、ソイツらとは援交とかでも紹介してもらったりして…今思えば馬鹿だよホント。安易にあんな奴らを信用して協力したのに、金も結局私の手元には殆ど持ち逃げされて、結局死ぬ事も出来なかったし…」


 玲奈の吐いた溜め息の中には、後悔や怨恨、苦悩など様々な負の感情が入り混ざっていた。




「あのさ、玲奈」


 これほどまでに荊の道を歩んできた玲奈に僕は手を差し伸べさせ、無理やり助けたことが正しいのかどうか、心の中で揺れ動くのが分かる。



 今朝にも感じたことのあるこの厭さ。

 この行為は誰の為にする事なのか。



 自分が助ける事は玲奈の為なのだろうか?

 自分は自分の為に玲奈の死地を利用しただけなのではないだろうか?


 そんな後ろめたさが、背後で手招きしている。


「…何?」

「身勝手な願いなのは分かってる。それを踏まえてどうか聞いてほしいんだ」


僕は玲奈に幾度となく救われてきた。そして崩れかけていた人生に指標を与え、光を与え、希望を与えてくれた。


「まだ、死なないでほしい」


 それだけは紛れもない玲奈の善意で、

 それだけは揺るぎない事実だ。

 だからこそ、自分の為の利己的な善意を僕は一度捨て去る必要があった。


「…君のために?」


 玲奈は嘲笑うかの様に言う。


「違うよ。玲奈の為に」

「私の?」


 もし先程の玲奈を放置していれば、きっとそのまま下り坂を降り続けてしまう。自分から堕ちようとすれば、辿り着く先は地獄、その先には絶望が広がるだけだ。


 そんな事は、玲奈自身が望んでいない。だが、1人だけでは変えられない事がある。


「生きてれば良いことに出会える。玲奈はきっとその良いことに出会える道が存在していることは分かってて、ただ道筋を知らないだけなんだよ。だから、ここで歩くのを止めれば永遠に良いことには落ち合えなくなる」


 だから、助ける。

 玲奈の行先を示す。


「その良いことに出会う為の道筋が分かれば私だって行きたい。でも…私にはその道の途中に霞がかかってて、続く道も崩れてる──」

「なら僕が転換するのを手助けする。霞があるなら、僕が払い除けるし、道が崩れてるなら他の道を模索する」


 幸せな人生を作ることは出来ない。

 ただ、導く事は出来る。



「だから、僕は玲奈に幸せになってほしい」



 そんな青臭い台詞が気が付けば口から出ていた。


 玲奈はくぐもった目で僕を見つめた。特に何か話すわけでもなくただ凝視しているのが、羞恥心をくすぐられる上に、今までの玲奈の態度の乖離の差もあって何とも歯痒い。



「……バカみたい」


 数刻の静寂の後、玲奈の放った言葉は相変わらず素っ気ないものだった。


「ごめん。都合がいい事は自覚してるよ。僕のする事なんて自己中心そのものなんだから」

「私の我儘で横暴な性格に不満を漏らすわけでもないのに"自己中心"、ね。私のこの後の人生を君が変えられたら、どれくらい良い事なんだろうね」


 そう話す玲奈の口元が僅かに揺らいだ様に見えた。それと共に表情から諦めや、既に今の境遇を受け入れた様にも見えてしまうのが心苦しい。


「変えるよ。幸せでいて欲しいから」

「幸せか…久しぶりに聞いたかも、その言葉。それもあんなに悲観的だった……私鉉から聞くなんて思いもしなかった」

「僕が君の中での信頼出来る人間なのかは分からないけど、最善を尽くしたいからさ。…まぁそれが君の恩返しと同等の価値には到底なり得ないだろうけども」


 この先に続くであろう苦痛を共に払い除けると宣言したのに、一応の保険を咄嗟にかけてしまう自分が実に情けない。


「期待しておいた方がいい?」

「…プレッシャーになるかも」

「じゃ楽しみにしてる」


 玲奈は意地悪そうに微笑みながら言った。


 ほんの少し、本当に僅かだとは思うが、玲奈との仲が取り繕えた気がした。

 

 昔の様に活気に満ちた様な表情という訳ではなかった。目元には隈ができているし、瞳も虚、髪には浮き毛もあり、少なからず健康的では無いのが見て取れる。


 ゆっくりでいい。これから長い年月の果て出来てしまった僕ら2人の溝を埋めていけばいい。




 仮に僕が幸せで無くても玲奈が幸せなら、それでいい。



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