11話-B 人身事件
夜の名古屋を俺は加瀬森に諭されるがまま、事故の現場へと車を走らせた。辺りは既に闇に包まれており、本来なら今頃家でビールの1つや2つ開けて晩酌をしていたのだろう。
「ところで、お前はなんでこれが"事件"だと思ったんだ?」
先行きを考えるだけで億劫な気分になる為、気を紛らわせるために尋ねてみる。相変わらず煙の香りが漂う車内の助手席にいる加瀬森は、熱心にスマホを見つめていた。恐らくは先程の人身事故の遅延の情報でも調べているのだろう。
「私電車通勤なので、名古屋駅についてから遅延が起きてることを知って、もしかしたら…って思ったんです。連絡先は三上さんに教えてもらったので、手当たり次第に電話をかけて人身事故の情報を教えてもらいました。今日は4人目で聞けたので幸運でしたよ」
「…あぁ、そう…」
よくもここまで執着できるものだ、コイツは。俺が真似をしようものなら、一発で番号がブロックされて誰からも取り合ってもらえなくなりそうだ。
「で…今回のその事故というか…事件なんだがな、ちょっと関係するかもしれないめぼしい奴が見つかったんだ」
「あぁ、炎上系ブログライターの田辺慎一郎ですね」
と、加瀬森は俺と増田が見つけたライターの名前を出した。
「…なんで知ってんだ?」
「彼、そこそこSNSで有名人だったんです。無論、悪い意味合いで。ブログは広告閲覧数を稼ぐ為に敢えて頓珍漢な内容で投稿し、Twitterでは有名人に片っ端から噛み付きまくる始末。界隈を沸かせる起爆剤の様なものだったので、目に留まりました……なんですか、そんな顔して」
「お前が何故左遷されたか、分かってた気になっていたがやっぱり分からんわ」
「はあ」
加瀬森はどこ不服そうな返事を口から溢した。
「実は増田がな、さっきその田辺と資料に書かれてた戸塚波の事件との関係を話してくれたんだ」
「戸塚波さんの事件って…あれはそもそも落下死の事故の筈じゃ…」
「俺もそう思っていたんだがな、あの事件はもしかしたら、いや個人的には他殺の可能性がかなり高い….というのが増田と俺の見解だ。被害者の背中には刃物に切られたような傷が残っていたんだ」
「傷…ですか。それだと確かに殺人の可能性はありますね」
「だろ?で、その田辺の事なんだがこっちは8月に自宅の浴槽死んだんだ」
「田辺さんがですか!?」
急に加瀬森が顔を寄せてきたことで、ハンドルが回り車体が反対側へと飛び出た。慌てて、ハンドルを切って戻ると、正面から来る巨大なトラックがクラクションを鳴らしながら牽制した。
「運転中に変なことすんな!死ぬとこだったじゃねぇか!」
「田辺さんも…ですか」
怒鳴り散らそうとしたが、加瀬森は完全に自分の理論の世界へと入ってしまっている。俺のゴールド免許がパーになる所だったのに、なんてマイペースな奴だ。
「……まぁ…田辺の件はちょっとなんとも言えないが、遺体には戸塚波と同じような傷が付いていたらしい」
「そういえば戸塚波さんは、一度警察の世話になったと聞いた事があります」
「ああ。改革派のデモ活動の時に、一般人と揉み合いになったらしい。『声がうるさい』だの言われて、激昂して掴み掛かったとか」
もっとも、その時の俺は隠居生活という名の署内ニート生活を謳歌していただろう。ソリティアだったかパチスロか、思い出すとそんな自堕落な生活がほんの少し恋しく思えてきた。
「つまり戸塚波さんは改革派の人間、と。そう考えるとこの2人には傷以外にも共通点がありますよ」
一連の話を聞いた加瀬森は何か閃いた様で、まじまじとした顔に刺さる様な視線をこちらに向けた。
「傷以外…何か分かったのか」
「私、田辺さんのTwitterを見たことがあるんですが、とにかく保守派に噛みついていた時期があったんです。丁度2件目の改革派連続殺人事件が起きたばかりの頃、片っ端から暴言を保守派議員たちに送っていまして」
「保守派たちにか…どれだけ敵を作ってんだよ」
増田が言っていたように田辺はただブログの広告インプレッションを稼ぎたいだけなのだろう。炎上商法が大した効力を持たなくなったのなら、今度は自身の悪名を知らない人間に対して、餌という名の世間の多数派の意見を振り撒けば、閲覧数を稼げる筈だ。
田辺は見せ物小屋の要領で、フォロワーは20万を裕に超えるほど。SNS上ではそれなりに影響力がある。
人間とは不思議なもので、普段奇天烈支離滅裂な事を言っている人間でも、"多数派"の意見を言えばオオカミ少年の様に嘲笑われるわけでもなく、「偶にはいい事言うじゃん」と寧ろ褒め称えられる。不良がゴミ拾いをすると立派に見えるのと同じ現象だ。
つまり田辺はあの2件目の連続殺人の直後だけは、扇動力を持った改革派のインフルエンサーなのだ。
「田辺はある程度の発言力を持った人間、戸塚波はデモ活動者のリーダー。前者は口封じに、後者は見せしめに保守派関連の人間に殺された、といったところじゃないか?」
「私もそう思います。もしこの人身事故が繋がっていれば万々歳なんですが…」
「あ、そういえば俺らはなんで朽伽に向かってるんだ?」
勢いに赴くがまま車を出したが、改めて考えると何故出向いているのだろうか。
「え?私たち警察ですよ?それに被害者が改革派って可能性も捨て切れないじゃないですか」
「いや……それ数うちゃ当たると思ってないか?」
「まぁそうとも取れますね」
「あぁ…」
どうせ総当たりでほんの少し事件にでも掠っている事案を見つけたら、俺を連れ出すつもりなんだろう…と考えていたが、案の定だった。
「反応薄いですがどうかしましたか?」
「この残業が無駄足になることに絶望してんだよ…まぁいいけどな、今回はちょっと引っかかることがあるから」
「引っかかること?教えてください気になります」
「あー分かったから今はとりあえず大人しくしてろ。さっきみたいにまた死にかけるから」
食い入る様に興味を露わにする加瀬森を宥めながら、俺たちは過剰な程に眩しく煌めく街を後にした。
要園線は俺が勤務している中区に比べると、最も列車が来る駅でも10分に一回ほどのペースでしか発着しない様な場所だ。その為3駅のうち1つは無人駅というなんとも田舎臭いと言いたい所なのだが、要園線が通るその街自体は野暮ったいという訳ではない。
小洒落た白と黒のタイルが敷き詰められた家々や、丁寧に舗装されたコンクリートの道、町役場に至っては市役所に匹敵する程の豪壮さを見せつけており、都会の雰囲気を漂わせていた。
だからこそ、無人駅である朽伽に無数のパトカーや救急やら人集りが出来ているのがマッチしていて、それがそこはかとなく不気味であった。
現場に着くなり、加瀬森は人混みを掻き分けて行き、俺も痛む腰を上げてその後を追った。
駅内はまさしくそこはカオスであり、どよめき、悲鳴、愚痴が入り混じる場所になっていた。例えるとしたら、食器棚をひっくり返してその散乱した皿1つ1つ全てが、バラバラに砕け散ったかの様な…いやもっと分かりやすく言うなら資料室にある紙が全て紙吹雪になって部屋中を舞い踊っている…といった感じだろうか?
とにかく目の前には滅茶苦茶な光景が広がっており、それを駅員やら消防隊員の様な格好をした人間やらが場をどうにか取り繕うとしている状況だ。
そして丁度今、新たな混沌分子がその滅茶苦茶な状況に加わった。加わってしまった。
群衆の海を抜けて駅のホームに繋がる階段ににたどり着くなり、加瀬森が駅員と何やら口論沙汰になっていた。
「ですから!私たちは警察です!警察が事故現場に入れないなんていうのは、何か疾しいことでもあるって事ですか!?」
「いや……その…自分もあんま状況が分かっていなくて……」
詰められるように捲し立てられた若手の駅員は、崩れた苦笑いを顔面に貼り付けながら右往左往している。特例の事案に続き、面倒な奴に絡まれているのが不幸極まりなく可哀想だ。
これで苦情が入れば、また木場やら誰やらから説教を言われそうだ。
「あ、先輩!聞いてくださいあの…」
「ちょっと駅員さん」
説明しようとする加瀬森をスルーして、殆ど泣き顔になりかけてた駅員に声をかけた。
「……えと…はい」
「ここを通して欲しいんだが」
「…いや、でも……一般人や指定の警察の方以外の人は絶対通すなって上の方から…」
「あー…なら安心してほしい。俺たちは刑事でも無ければ、一般人でもない」
駅員は疑り深い深妙な顔で、俺と加瀬森の風貌を見た。明らかに信用していない様子なのが見て取れる。
「ですが、あの…」
「分かった。じゃもし何か不都合ならここにかけてくれ」
これ以上は堂々巡りになりそうなので、会話を切り上げ、押し付ける様にメモ帳の切れ端を駅員に渡した。
「先輩…あの?」
「どうした。行かないのか」
「いえ……行きます!」
唖然とする駅員を他所に、俺たちは階段を降りてホームへと向かう。
背後の喧騒からいくつか怒号が聞こえた様な気がしたが、今は鼻先にある事故の方を優先することにした。
事故の現場であるホームに入るなり、鼻に薄らと腐敗臭と金属の匂いが混ざった様な、独特な香りがツンと鼻を刺した。
過去に何度か"そういう現場"に立ち入ったことはあったが、今回はトップクラスに惨い。外側からブルーシートを応急処置としてかけて、向かいのホームから見えない様にしてはいるが、こちらのホーム側からは"それ"がモロに見えている。
ぐちゃぐちゃになって染まった赤黒く人だった何か。なるべく頭に残らぬ様に視線を戻した。
「…う…ぇ」
隣からえずく様な声が聞こえてきた。見なくとも、何が起きてるか大体分かる。
「てっきりこういうとこには慣れてるかと思ったがな」
「…慣れた上で…これなんです…うっ…」
単語を繋げただけの途切れ途切れの異議を話した後、不意に加瀬森はビニール袋を取り出した。その直後、聞きたくもない吐瀉物がビニールに落ちる音が耳に入り込んでくる。
「すいません。ここ、一般人は立ち入り禁止なんです。今すぐに引き返してください」
恐らく被害者が落ちたであろう場所に近づくなり、先程の若手より幾らか老いた年配の駅員が遮った。
「写真撮影だよ、警察のな」
「なら帰って下さい。後から来ると連絡を受けているので」
「その後から来る連中の前に行くのが俺らの役目なんでね。ほら、どいてくれ」
そう急かすが、年配の駅員はそのまま立ちはだかる。仏頂面な上に仁王立ちといった組み合わせが大仏を彷彿とさせた。
「…後から来る、って言いましたよね。その人たちが1番初めに立ち入るように予定が組まれてるんです」
「そいつらより早く来るのが俺らの仕事だって俺も言ったぞ」
「仕事って何ですか?現場保存なら後からまとめてくれるんですって。」
「仕事は仕事だよ。この事故に関しての捜査に重要な仕事」
「そんな浮浪者みたいな見た目した人が仕事?早く出払って下さい邪魔なんで」
「邪魔なのはお前も同類だろ。オマエ今死体処理でもしてんのか?してないだろ?」
いつの間にか、口論を通り越してそれは罵倒のぶつけ合いに切り替わっていた。
「…チッ」
明らかにその悪態は自然に出たものではなく、俺に聞かせているものだった。融通が効かない強情なジジイがする舌打ちというのはこうも不快なのか、と苛つきを募らせる自分の頭の中に感動を差し込んだ。
「おいテメェ、今舌打ちしただろ」
「いいからどいたどいた」
「…じゃせめて、被害者の名前くらいは教えろよ。それくらいはできるだろ?」
「誰かも分からんような人間に、教えなければならん道理は無い。早く帰ってくれホント、邪魔なんだよ」
怒りを抑えられる貯蔵庫は明らかに膨張したが、ここまでピンポイントに俺の嫌いな要素を詰め込んだ人間は中々珍しかった。
そんな言い訳をすれば、他人を殴っても許されるだろうか。
「な、なんだ!何するんだ!」
胸ぐらを掴まれて駅員は動揺した様な表情に変わった。これで漸く気持ち悪い薄ら笑いが垣間見える大仏顔を見ずに済む。
「…そんなに職業柄が気になるんだったら、気が済むまでこれでも見てろよ」
三上から渡された警察手帳を怨恨を交えて押し付け、先へと進む。加瀬森はその駅員に小さく頭を下げて、小走りで俺の後を追った。
「…よかったんですか?」
横で不安気に加瀬森がこちらを覗きながら尋ねた。若干やつれているのか、顔色が良くないのが見て取れる。
「名前くらい知れてればこの先の調査の主軸を決めれたんだがな。まぁやらかしても責任を被るのは三上だろ?」
「確かにそうですけど…」
「それに今更1つや2つ、小さな問題起こしても変わらんだろ」
「三上さんが気の毒ですよ」
「それをお前が言うかよ…」
そうこうしている間に、点字ブロックが赤黒く染まった場所の前へとやってきた。他の場所にも血は飛び散ってはいたが、この位置だけ血というよりかは血痕が顕著に残っている。
「生々しいな」
「生々しいですね」
ここまで酷いとなると、被害者は快速にでも飛び込んだのだろう。血痕の中には小さな肉塊の様な物も薄ら見えて、凄惨さを後押ししている。
「写真でも撮って明日ゆっくりと考えようかと思ったけどな…これだけひでぇとその気すら失せるな」
目を凝らして見てしまったのを悔いながら、なるべく焦点を絞らない様に見渡す。
「ここまで損傷が激しいとなると、本人の体からの手掛かりは諦めた方がいいな」
「そう…ですかね。まだ何かあるかもしれませんよ」
俺の嘆きを他所に、加瀬森は床に染み付いた血の影を這いつくばる様に観察し始めたので、ホーム下で作業をしてる人間にこのバラバラの身元の確認をする事にした。
「あ、今は一般の方々の立ち入りは…」
「じゃあここにかけてくれ。生憎一般じゃないもんでな」
1枚の切れ端を見ると、怪訝な顔が急に改まり、こちらを見つめた。
「えと…どうされましたか?こんなに早く来られても現場の検証は…」
「検証はまた後でやるからいい。それよりもこの事件の被害者を知りたいんだ。何か身元が分かる物とか無いか?」
そう作業をする駅員や救急隊の人間に尋ねるが、皆首を左右に振った。
「すみません、その…どういうわけだか、貴重品から金品の類が一切見つからなくて…」
「見つからない?どっかに吹っ飛ばされたってことか?」
「そういう可能性もあるという事しか、今は残念ながら伝えられません…」
申し訳ない、と言わんばかりの表情を作業員たちはこちらに向けた。
「いや…いいんだ。悪かった」
それなりに罪悪感を感じて、そそくさとその場を後にした。
近くのベンチに座り込んで、スマホを見ると増田からメールが届いていた。
見ると、言いそびれた2件の"事故死"についての続報だった。
『戸塚波の背中の切り傷ですが、複数あったみたいですが、どれも致命傷では無かったみたいです。田辺は……( ;∀;)』
『それと今からうちの一課の人たちが朽伽駅に向かうみたいですよー』
うちの一課が来る、という文面を見て背中に嫌な汗が流れる。
三上と共に一課の面々と対面こそしたが、どいつもこいつも最初から仲良くする気など毛頭無いような、お互いを信用しているとは全く持って言い難い集団だった。いくら三上が肩を持ってくれるから1も10も今更変わらないとは言っても、2度目の再会の末に偏見と懲戒沙汰になるのは避けたいところだ。
だがついさっき駅員に喧嘩を売ってしまったのもあって、既に退路が塞がれている。恐らくは駅員の言っていた"警察"は一課のことだろう。
こんな事ならアンガーマネジメントの本の1つや2つ買っておけばよかった。
苦悩に掻き乱されているところに、丁度加瀬森が戻ってきた。
「喜べ加瀬森。今から一課がこの場所に来るらしい。撤収の準備だ」
「撤収って、早いですよ。まだまだ深堀りできるのに」
「そりゃ俺だってなるべく早く知りたい。身元確認ができればよかったんだがな、被害者の身につけてた貴重品やら何やらすら無いんだと…とんだ無駄骨だよ」
「そうなんですか。まぁある程度収穫はあったから、無駄骨ってほどじゃないですけど」
「…収穫があったのか?」
「はい。この事故の、いや恐らく事件の大切な捜査資料になり得るものです」
「ほーん…事故?突き落とされたのか?」
真顔のまま話す加瀬森に思わず深追いする。
「いいえ?やり方はもっと直截簡明で明快です」
「その意味分からない言い回しやめてくれ」
「殺人の可能性があるということです」
もう一課が来ようが来まいが、どうせ告げ口をされるのは分かりきっているのだ。なら焦る必要も無い。
偶には加瀬森が組み立てた推理を正面から聞いてやることにした。
「被害者が恐らく落ちたであろう場所なんですが、血痕がおかしなことになっていたんです」
「血痕…あぁ、あの血溜まりか」
「はい。例えばなんですが、人が列車に跳ね飛ばされるとするじゃないですか。そうすると血痕っていうのは地面と平行に近い角度で飛んでいくので長細くなるんですが…」
加瀬森はスマホを開き、写真をスライドしながら説明をする。
「この箇所の血を見てください。これだとまるで上から落ちたものです。」
「上から…死体の破片の血が落ちただけじゃないか?」
「いいえ。死体は向かい側ホームの方へと大部分が飛んでいきましたし、結局は吹っ飛ばされているので不自然です。それにこの丸い血痕は、大きさから推測するに一定の場所で留まり続けています」
「じゃあ、つまり…被害者は既に負傷した状態だったってことか。それで蹌踉めきながら…落下ってことか?」
「或いは負傷の果てに落とされた、とも考えられますね。証拠も隠滅出来ますから」
殺人か事故か曖昧な事案。それも連続殺人が起きた月に。
加瀬森の論理に増田の話が頭の中を駆け巡る。
もし、あの不可解な"事故死"の2件と繋がりを見つけれることができれば、間接的に連続殺人との因果関係も望めるかもしれない。無論推測の域ではあるが、予防線を張るのも悪くはない。
「取り敢えず明日資料室で状況整理をしよう。もしこれが殺人なら、田辺と戸塚波の事故との接点も見つけられるだろうし」
「明日、ですか?今からではなく?」
「俺だって出来る限り早く関連性を証明してぇよ。だけど、戻ったら10時過ぎになる上、バカ共が今からここに来るからな。それともお前がここに残って一課の奴等と仲良く捜査するのもいいぞ」
尤も、俺はどうなろうが責任など取るつもりは一切無いが。
「分かりました。では明日また」
「聞き分けが良くて助かる」
背に腹は変えられないといった表情で加瀬森と俺はホームから出ることにした。
「あ、そういえば先輩、あれ渡したままじゃないですか?」
「あれ?」
「ほら、あの黒色の…」
そう言いながら、加瀬森は四角のジェスチャーをする。
「黒…あぁ警察手帳か。そういえばあの駅員に渡しっぱなしだったな」
「あそこにあるやつじゃないですか?」
指差す方向には放置されて、というか明らかに踏み跡が残った俺の警察手帳が干からびた様に落ちていた。
「アイツ絶対…クソ野郎が」
悪態を吐きながら蹲み込んだその時、遠くの方で何かの切れ端が血に濡れながら、コンクリートの隙間に挟まっているのが見えた。
近づくと、そこには半分程が血で染まった名刺があった。状況からするに、恐らくは被害者のものだろう。
『国進党 矢矧 藤太』
名刺に書かれた名前を何度か読み返す。
どこかで見たことある…様な気がしたからだ。
「どうしたんですか?」
「いやコレ。どっかで見た気が……」
加瀬森に拾った名刺を見せると、すぐに誰か分かったようだった。
「ええ、知ってます。たしか国進党の東信久議員の秘書です。田辺とTwitterで口論をしていたのを見ました。まぁ一方的な田辺の罵りで議論が成り立ってませんでしたけど」
「国進党か…」
「はい、改革派の」
「改革派か、なるほど。…改革派?」
「はい。…ちょっと待ってください改革派?」
自分で言ったことを復唱してるが大丈夫かコイツ。
「改革派…ってことは、繋がったぞ。これで3件目だ。もしこの一件がオマエの言った様に他殺の可能性なら、連続殺人との繋がりを証明出来るかもしれない」
「大手支援者が殺されてるその裏で、同じ月に支持者が殺されている…これなら繋がる道筋を見つけられそうですね」
「だな。となるとひとまず戻って状況を整理しねぇとな」
「明日、のはずでは?」
そう提案すると、加瀬森はきょとんとした顔で異議を唱えた。
「馬鹿。漸く活路が見出せた時に日を改める奴がいるか」
「いえ、私は別に構わないんですが、先程先輩が早く帰りたいという旨のことを言っていたので…」
「さっき…あぁ」
そう言われて回顧すると、たしかにそんな事を言った気がする。いや、俺の怠惰に塗れた性格からするに間違いなく口に出したのだろう。
「先輩、ホントは仕事が好きなんじゃないんですか?」
「んな訳あるかよ。どこの世界に労働が好きな人間がいるんだよ」
「とは言いつつ?」
横の加瀬森がほくそ笑みながらこちらを見る。
「ない。…俺は別に金に執着がある訳でも無いから、食い扶持を繋げればそれでいいんだよ」
「それじゃあ志原さんはなんで刑事をやってるんです?別にこの職である必要なんてないじゃないですか」
「よく分かってるじゃないか、近いうちに俺は辞めるぞ。今後俺が窓際部署に戻れる見込みもない上、三上が上司の1.5課なんてふざけた場所で続けるなんて、溜まったもんじゃないしな」
アイツはこれからも俺を良いようにこき使い、何の意味もない仕事にやり甲斐という言葉で縛り上げ、雑用と無職の天秤を掛けさせるのだ。
そんな劣情と多忙が入り混じる場所に誰がいたいというのだろうか。
「辞める…って、折角三上さんの温情でこんな良い場所に移れたのに…」
こいつか。
「あーそうかそうか、ならお前一人でせいぜい頑張れ。俺は降りるぞ、あんな奴の奴隷みたいな仕事」
「奴隷みたいって…その割には先輩、三上さんの仕事を手伝ってますよね」
「…最後っていうのは便利な言葉なんだよ。『これで最後、だから頑張ろう』みたいな。自分の辛抱強さに磨きがかかるんだ。だからこんなブラック業務を俺は今こうしてこなせてる」
「…ですが志原先輩、仮にこの1.5課がブラックしても、左遷された私たちが謝絶する資格は無いと思いますよ?」
「俺みたいなのがいても向こう側は扱い難いだけだ。自分から辞めた方がお互いにとって楽だろ。本来はもっと早く辞めるつもりだったがな…きっとこの事件が丁度いい区切りになる」
4年間無精で横着な隠居生活を過ごしてきた自分の行いが1つの事件で清算出来るとは思っていない。
それでも「終わりよければすべてよし」という言葉がある様に、最後くらいはいい〆で終わりたかった。
「つまり、この事件が長引けば私は志原さんと調査を続けられるというわけですね」
俺の話を聞いて、加瀬森は嬉々として言った。
「そうなりたくないから俺は今から戻るんだよ」
「またまた。勤勉なんですよ、先輩は」
「側から見たらそう見えるだけで怠惰だ。というか、仕事を振られたかないから無能でいたいんだよ俺は」
「でも志原さんみたいな人、必要だと思いますけどね、私は。代役なんていませんし」
「代役がいなくて寧ろ安心だよ。俺みたいな奴、お前を除いて誰も必要なんて思ってねぇよ」
そんな愚痴を溢しながら俺と加瀬森は構内の中央広間へと戻った。相変わらず人でごった返していたが、ここに来たばかりの時よりかは、徐々に事故の余波が鎮まりつつあった。
それでも、電光掲示板は真っ赤な文字列を無常に左から右から流すだけで、まだ混乱の渦中を抜けたわけではなさそうだ。
「ねぇちょっと」
車に向かおうとする途中、群衆の声に混じり声が聞こえた。
「ちょっと、そこの」
首を振ると腰を曲げた老婆が自分のすぐ脇に立っていた。
「あー…どうかしましたか?」
「これねぇ、電車いつ動くん?」
しゃがれた声で老婆は和紙のような肌を震わせて言った。
「えっと、電車の遅延なら…駅員に聞いてもらってもいいですかね」
「あ、駅員じゃなかったん?じゃ何なんよ?」
「一応刑事でして。ここで現場の方の調べをしてたんですよ」
「あー刑事さん。そら分からんか。ごめんねぇ」
と、老婆は驚いたように言った。声に抑揚は無く、目も焦点が定まってないので少し不気味だが、この年でもなれば耄碌せずに話せるだけでも十分なものだろう。
「では、すいません」
「そえばねぇ、私見たんよさっき」
去ろうとすると老婆は再び話し始めて引き留めた。
「見たいうのは…?どうかされましたか?」
「人がね、こう…ガッていって」
「人が…」
ジェスチャーと擬音が殆どの言葉で、何かを伝えようとしていた。
「だら、あの電車の足場でよ、こうね、ガッて」
「電車の足場って…この事故ですか?」
「おーそう!」
加瀬森の問いに老婆は活力を込めて肯定した。
「ちょ、ちょっとおかあさん、その時詳しく教えてもらってもいいですか?」
予想外の証言者との遭遇に辿々しい口調になってしまった。
「いやー…私そんな見とらんけどね、なんか制服着とった子がね、高めの男の人をね。こう…ドンッて」
「ドンっ、と突き落とす感じだったと」
「そそー、おねさん綺麗なー私と同じくらい」
そう言い、老婆は歯を剥き出しにしながら笑う。質問をする自分の声が少し震えているのに気付いた。
「すいませんおかあさん…その突き落とした子の外見はどんな感じでしたか?」
「んー…あんま覚えとらんかったけど、赤めだったなぁ。あ、そうそうズボンも履いとった…」
老婆の証言を聞き漏らさないように、メモへと書き留める。いつぶりだろうか、人の話にここまで傾倒したのは。
「そんでね、電車が行ったあと…なんか女の子連れて走って上の階段に逃げとったわ…こんくらいかなぁ、役に立ちそう?」
「とても良い情報でした。ありがとうございます」
「そんならよかったわ。私の証言さ、新聞に載せといてな?」
老婆はまた顔をシワシワにさせながら笑った。よく見ると、前歯が2箇所抜けていた。
「あのお母さんすみません、その…また後日改めて」
「おい!」
老婆の証言を引き続き聞こうとしたが、背後から怒号が聞こえてきた。振り返ると見覚えのある面々が、赤面しながらこちらに大股で近づいてくる。どうやらあの駅員が言っていた警察たちがついに到着したらしい。
「これ以上は無理だ。引き上げるぞ加瀬森」
「あっ…はい!」
やや口惜しいながらも、その場を去ることにした。
「これで証言が手に入りましたね。思わぬ収穫です」
車に戻り、加瀬森が高揚した口調で嬉々として話す。不十分といえど、これだけの貴重な証言が手に入れば当然だろう。
「あぁ、なんとかな」
「どうしたんですか?そんな浮かない顔をして」
「いや」
当然、俺も喜びたいのは山々だった。だが、自分の身体に染み付く形容し難い何かがそれを拒む。
「裏深いな」
裏深い、というよりはただ自分の古に葬り去った記憶と繋がりがある様に感じるから不快に思えたのだ。
でなければ、この俺が熱心に仕事をするわけがないだろう?
それに、これで最後なのだから。




