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9話-A 場当たりな懺悔

 この世には不幸体質というものがある。


 曲解しているかもしれないが、僕はこの言葉を"不幸を他人に与える人間を呼び寄せてしまう体質"、と認識している。

 

 要するに、自分から不幸の池に浸かりにいくのではなく、その水をぶっかける誰かしらを呼び寄せやすい人間性を持っているのを不幸体質だと考えている。




 中学2年の春、僕は数人に屋上で囲まれていた。

 所謂いじめ、というヤツだ。


 明確に虐められる理由が何かあったという訳では無く、"1人に指を指して、共通の敵を作り安心感を得る"という名目によって虐めを受けていた。

 中学という精神面において不安が付き纏う時期に、僕は謂わば生贄の様な存在に選ばれたのだろう。



 この頃の僕が受けていた嫌がらせは、今の古井木の様な陰湿なものでは無く、どちらかというとボヤ程度の小さなものだった。

 モノが無くなる、空ばきに濡れ雑巾が押し込まれるなどなど、辛いというよりかは鬱陶しいが勝った。


 だが、その小さな火でも燃え盛る燃料さえ有れば、大火へと変わってゆく。


 毅然とした態度が気に食わなかったのか、2〜3週間も経てば、物を隠す嫌がらせは暴力に置き換わり、それは立派なイジメと言っても差し支えないものとなっていた。

 燃え広がっていくにつれ、"1人に指を指して共通の敵を作る"というのは過剰な正義を心に生み出して、"加減"という枷を徐々に壊していった。

 ある意味この中学での嫌がらせがあるからこそ、古井木から耐えられるメンタルがある…というのはそこまで過言でもないだろう。

 

 ただ僕はまだ虐めだけであれば、すんでの所で耐えられていた筈だったのだ。


 5月の頭、僕は反抗をした。それも、今の抵抗の意思すら思い余りかけている今とは別人なほど過激なやり方で。


 僕は虐めの主犯格のうち1人に思い切り顔面に拳をめり込ませた。その時の感触を今でも忘れて当たり余程の威力か衝撃だったのだろう。

 自己防衛という目的に少しの憎しみを乗せて殴っただけだったが、"徒党を組んで石を投げていた敵が反撃をしてきた"という事実は、恐怖心を見事に植え込んでくれた。

 いじめを止める抑止力としては十分過ぎる材料だったのだろう。


 

 その日家に帰ると同時に僕を出迎えたのは、 拳だった。

 まだ未成熟の13歳にとってはあまりにも重い一撃だったのをはっきりと覚えている。

 地に手足を付きながら視界の端が徐々にボヤけていき、涙を流そうとした瞬間に胸ぐらを掴まれ玄関のドアに押し付けられた。


「テメェ、ふざけんなよ」


 強盗かと思ったその目の前の影は父だった。



 学校から暴力行為に関しての通達が来たとの事で僕は散々の説教と暴力を家で喰らったのだと。


「お前みたいな鈍臭い人間は早く死んでくれ」


 その時の父の言葉を僕は忘れない。

忘れてしまいたいが、忘れられない。



 僕は何より助けてくれる、分かってくれる、味方だと思っていたはずの父が、何も手を貸してくれなかった事が1番悲しかった。

 そしてそんな父から「死ね」と言われたことに深く深く、絶望した。


 その時も僕は家出をするに至った。

 今の僕には自殺願望のガワを被った救難信号の受理を待っている訳だが、この時は明確に「死にたい」と朽伽駅で通過列車を待っていたのを覚えている。



 来ては去る列車をぼんやりと見続けながら、僕はいつ飛び込もうかを考えていたとき




 人のいない夜のホームに玲奈は現れた。






 結局僕と玲奈は、漫画喫茶から一時的に出て、近くのファミレスでまず朝食を摂ることにした。

 昨晩の夜から何も食べていないという事もあってか、鮮やかな料理が並ぶメニューを視界に入れるだけで腹の底が唸る。

 注文を決め、卓上のベルを押すと店員はすぐに来た。


「すいません、モーニングセットのBと大盛りポテトください。それと…」

「チョコレートパフェ1つ」

「…以上で」


 注文を携帯に入力し終えた店員は、一礼をしてキッチンへとキビキビとした動きで戻っていった。


「朝からデザート?」

「別にいいでしょ、奢るって言ったのは君なんだし」

「まぁそうだけど…」

「…それで?話ってなに?」


 忌々しい態度を全面に出しながら玲奈は目を合わせる。

 先程のネットカフェで、朝食を取り敢えず奢る代わりに少し話がしたいという取り決めの元、玲奈は着いてきてくれた。いや、殆どつんのめるように無理やり付き合わせたが。


「…いや、別に大切な話が何かある訳じゃないよ。ただ単に会話がしたかった」

「会話、ね。何も話すことないと思うけど」

「そうとも限らないよ。僕は玲奈に何度も救われたから」

「……そ」

「それで1つ聞きたいことがあるんだけど…いいかな?」

「好きにすれば」


 玲奈は声のトーンを2段階ほど下げて返事をした。


「なんでそんな、変わったの?」


 核心に踏み出す問いを初回から投げる。

 玲奈はほんの少しだけ動揺したかの様に身体を動かした。

 気怠げな顔から見える淀んだ瞳にかつての輝きは無い。


「…さぁ?」


 頬杖をつきながら玲奈は言った。


「さぁって…」

「君はさぁ、自分の手の爪が伸びてるところ見たことある?」

「いや…無いけど」

「それと同じこと。微々たる変化なんか他人はおろか、私にも分からない。だから分岐点が知りたいなら無駄だよ」


 何かによって急に豹変してしまった、という事ではない緩やかな遷移は、自覚すら出来ないのはというのは尤もだろう。


「じゃあせめて、その"微々たる変化"を聞かせてほしい」


 それでも朝食に値するくらいの情報は頂戴したい、というのが本音だ。

 金云々ではなく、せめてこれくらいの事を聞く権利を持っているほど、自分と玲奈はそれなりに深い関係だともう一度認識をしたかった。


「…分かったよ、分かった、分かりました。話せばいいんでしょ」


 放り出す様に玲奈は言い、再び溜め息をついた。


「でも言っとくけど、別に大した事じゃないからね?」

「それでもいいよ。玲奈に少しでも何があったかを知れるなら」

「人が良過ぎる、君」

「よく言われるよ」

「…皮肉」


 依然として不機嫌そうに玲奈は語り始めた。






「そもそも私は家で浮いてたから、いつか私達家族は空中分解するっていうのを薄々感じてた。色々悪いことが重なり始めたとき、3年くらい前にいよいよ母と父が離婚する事になって、私の親族権を巡って色々揉めたの」

「離婚か…玲奈はどっちについて行ったの?」

「ここでの揉めたっていうのは"引く"んじゃなくて"押し付ける"方。邪魔な私をどちらが育てるか、文字通りの貧乏くじ」


「まぁ、別に気にしないけど」と玲奈は付け足して続ける。


「それから折り合いが付かないから、結局私は叔父の家に行くことなった。そこからもうとんとん拍子。色々とどうでも良くなって学校も行かなくなった」


 玲奈の家に行っても返事が無かったのは、叔父の家に行ったからだったのか。

 荒み始めた彼女を支えるべき大切な時に、側にいる事が出来なかった後悔が心を締め付ける。


「行かなくても生きていける術を覚えてからは、家も居心地が悪いから徐々にいる時間も減っていった。それでも金は減るから私はサポをする事にしたの」

「…その、サポって?」

「ああ、SNSの募集。要は"援交"ってやつ」


 僕の不安を嘲笑うように玲奈はサラッと流す。


「適当にその辺ほっつき歩いて、金貰って、また会って、それの繰り返し。簡単だよ?」

「そういうの、危ないんじゃない?」

「危ないね。昨日みたいな"ハズレ"がいるから」

「ハズレ…」


 昨晩見たあの男は、てっきり玲奈の父親かと思ったが違ったようだ。取っ組みあっていたので、恐らくアレが"ハズレ"のパターンなのだろう。


「ホント、都合のいい奴だよね。こっちが弱者なのを分かってて、その上警察にも頼れないから力づくでやってきて…君がいてくれて助かったよ」

「え?」

「いや、だからありがとうって」

「あ、どういたしまして…」


 聞き間違いかと思い、感嘆が口から漏れてしまった。


「…それで、回数を重ねるにつれて、段々と自分の中で"ストッパー"が外れていくのが分かった。そうやって適当にどっかの誰かに会って適当に話せば金が手に入る。…楽な生き方だよね、ホント」



 命が危うくなる可能性すらあるのに、そう謂うのはもう自分の中にある尺度が狂ってしまっているからなのか。


 いずれにせよ片足どころでは無く、身体を彼女はその底が無い沼に浸かっていた。

僕が思っている地点よりも遥かに深い奈落の底に。

 ならその沈んだ玲奈を引き上げるだけだ。



「ねぇ」



 考えの最中、突然玲奈は話を止め、訊いた。



「何?」

「"聞かなきゃよかった"って、思ったでしょ」



 まじまじとこちらを見ながら玲奈は言う。

 色濃く残った黒い隈に一瞬惹かれたが、その濁った目ははっきりと自分を見ていた。


「別にそうは思わないよ。寧ろ、玲奈がこのまま訳もわからず無粋なままな方が引っかかるから。ここで聞けてよかった」


 受け入れられたかどうかは定かではないが、本音をそのまま言葉にした。

 その返答に返事は無く、玲奈はまた1つ溜息を付くと、背もたれに体を預けてスマホを弄り始めた。


「話は終わり。質疑応答は受け付けない」


 独り言の様なその言葉は、僕とのある懐かしさという皮を被った隔立をさらに広げた。



 玲奈はこの3年少しを、苦痛に満ちた日々と共に生きてきたのだ。長い歳月が齎した取り巻く環境は、玲奈の内面も外面も変えてしまったという訳だ。


「色々教えてくれてありがとう、玲奈」


 そんな彼女を今更どうこうしようというのは些か自分のエゴであり、優也が言ったようにただの優しくする事で悦に浸る自己満足なのは分かっている。


「何か出来ることがあるならする。何度も救われたからそれくらいの恩返しをさせて欲しい」


 それでも、僕は間違った信条と心中する覚悟で玲奈を救うつもりでいる。 自分の運命がそう自分を忙し立てるかのように、僕は彼女を元に戻したかった。


「少しずつでいいから、ズレた生き方の軸を元に戻していこう。長い時間はかかるだろうけどきっとうまくいく、だから」

「うるさい」


 比較的温かみのある話し方で玲奈は諭した。


「…ごめん」


 詫びると、再び彼女は下に顔を向けた。

 まるで頓着しない事を遠回しに伝えているかの様だ。


「でもどうか信じて欲しい…玲奈がもし金とかで困ってるならさっきのお金だって渡す」


 そんな、無関心な玲奈をどうにか振り向かせたい、という自分の無駄な意地など捨て去るべきなのに、僕は話を続けた。


 続けてしまった。

 何一つとして現状を理解しようとしていない自分を、誇示する事にしかならないのを僕は分かっていたのに。


「学業だって、まだ巻き返せる。分からないなら教えるし」



 次の瞬間

 頬が切り裂く様に痛んだ。

 程なくして、昨夜受けた懐かしい痛みが脳裏に垣間見える。


「…何がわかるんだよ!」


 玲奈は机に半ば乗り上げ、鬼のような形相をしながら僕を威圧した。



「好きでこんな道を選んだんじゃない!私だって…私だって家族から愛されたかった!誰かから好かれたかった!…なのに結局巡り巡って家族は私に見向きもせず、誰からも好かれず、1人になって…」



 滴り心の底で溜まった怒りを吐き出ながら彼女は捲し立てた。


「だから、私は1人で生きた!生きたんだよ、私は!君みたいにのうのうと生きてる様な人間に、全てを達観して知った様な顔されたくない!」


 僕は静観する以外に無かった。

 正しかったからだ。

 先程出した言葉は全てを知った様に玲奈の苦痛に同調した気になっていただけだ。



 そうする事で、僕は彼女を救えると考えていた。

 だがそれは、玲奈が抱え込んだ苦痛を踏み躙るのと同義だ。



「それで何?"それくらい"?"ズレた生き方"?"信じて欲しい"?私の悩みを君の中小さな視野で他人から得ただけの少ない情報を摘に定義して、必死に踠いてる生き様をズレた生き方と決めつけた挙句、信じろ?学業だって巻き返せる?こんな状況で?」


 バン、と両手を机の上に叩き半ば乗り上げる様に僕の胸ぐらを掴んだ。


「…ふざけないでよ!」



 そして、声を震わせながら玲奈は言葉を吐き出した。

 その顔を見て心が引き裂かれるように痛む。



 古井木から受けた暴力より

 父から受けた暴力より

 先程受けたビンタより


 遥かに痛かった。



「…お待たせいたしました、こちらチョコレートパフェとモーニングになります」


 いつの間にいた店員は気まずそうに、僕らが注文した料理を机の端に置いた。




 半日ぶりに食べた食事は僅かな血と、紙のような味がした。美味しいとは微塵も思わない。


 目の前の玲奈も甘い物を食べているにも関わらず、苦々しい顔でパフェを見ていた。たまに乗せられたホイップクリームを口に運ぶだけで、何も行動は無い。


 この重たく沈んだ空気を半分くらい梢にお裾分けしてやりたいくらいだ。

 恐らく、お釣りが返ってくるだろうが。


「…それ、溶けるよ」


 僕の指摘に気にも留めず、玲奈はホイップの所を黙々と食べた。液状になったソフトクリームは容器を伝い、下に白い水溜りを作る。


「…あのさ、玲奈。本当に…」

「結局君はさ、自分なんだよ」


 弁明をしようとしたが、それを許される程玲奈の怒りはささやかな物ではなかった。

 穏やかな口調で、そして諦めた様に話す玲奈はやつれていた。


「自分が救われたいだけなんだよ、君は。良いことを言って手を差し伸べて、救ったつもりになる」

 

 "悦に浸ってるだけ"

 玲奈は怨恨交えた言葉を言い、再びパフェを食べ進めた。


「…ちょっと手洗い行ってくる」


 謝意すら言葉に出せず、その重苦しい空間から逃げる様に僕は席を外した。

 自分の中にある行動の択全てが間違い、という事を自覚している事だけが、今は唯一の救いだろう。




 蛇口から流れる水を擦り込むように自分の顔に当てて濡らし、気分を少しでも和らげ様と試みる。

 長い前髪から流れる水滴は、顔に滴りながら服に吸われていき、玉模様を作り上げた。


 鏡には、明日死ぬんじゃないかと思えるほど白い肌の自分がこちらを見ている。なんならもう死んでる様な顔言っても誇張にはならないだろう。


 事実、社会的には死んでいるのだし。


 頭が冷えたところで、僕は今からどうするのかを今一度考えた。

 考えたところでどん底で困窮している今は恐らく改善しない上に、玲奈の事にしろ、殺人のことにしろ、僕は何処までも見通しが甘い。

 では何故態々抜け出してきてここに来たのか


「した気になっている」


 玲奈の言葉こそが答えになっていた。

 儀式的な行動で自分を慰め、他人を助けた気になっている。


 どうか本気で心を入れ替えるから許して欲しい。



 盲目だ。現実を省みる目が潰れている。

 潰したのは僕自身だが。



 現実がただ怖かった。

 僕は今玲奈がいるあの席に戻りたくない。

 失望した様な顔の玲奈を見たくない。

 そんな今からただ逃げている。



「…戻らなきゃ」


 言い聞かせる様に、自分を駆り立たせ僕は決心をし、頬を叩いて扉を開けた。

 強張りながら席に向かった。

 現実と向き合う為に。


 そんなのは、あまりにも遅い決心だ。

 いや、こんなのは決心ですらないのはもう知っている。

 知っていたのだ。




 ただ取り繕っただけのハリボテの勇気。

 使命感に狩られて嫌々行動しただけのエセ心機一転。

 結局は助けてくれる、と思い込んでいる。



 だからこうやって、唯一の救いにすら僕は見限られるのだ。


 手を差し出さないと助けてくれない事など、ずっと前から分かっていたのに。





 机には半分以上残ったパフェと伝票の裏に書かれたメモ書き、そして1枚の万札が残されていた。




『ご馳走様でした。』


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