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8話-A 相田玲奈という人間

 中学2年の時、僕が今よりまだマシだと思える人生を送っていた時、自分には親友がいた。

 能瀬高校に入る前の話なので、この時はまだ梢もいなければ優也も、そして古井木もいない僕は、その親友である相田玲奈とよく出会っていた。


 いや、はっきり言ってしまうと僕らは付き合っていたのだろう。


 玲奈とは校区が違うという事もあってか中学は別々の進学だったが、帰り道などで出会ったとき、土日などには2人で出かけたりなどよくしていた。

 父が友人を家にあげる事を許さないという事もあるが、玲奈の家にも幾度も行った事もある。


 玲奈の性格は僕とは真反対の性格だった。


 春の陽光の様に輝く笑顔は、ネガティブな僕には眩しい存在であり、温かく優しい口調は苦悩に満ちていた僕の中学時代を何度も扶けてくれた。


 その性格に加え、玲奈は容姿も美しかった。

 長い美しい黒髪は光沢があり、細身の身体と光に満ちた瞳は老若男女に好かれる様な外見だった。

 現に彼女は何度も告白をされた、というのを玲奈本人から聞いた。


 僕はそんな優しくて綺麗な彼女といる時間が何よりの安らぎであり、幸せであった。




だからこそ、彼女が忽然といなくなってしまった事が長らく、今だに腑に落ちなかった。



 玲奈はある日を境に姿を消した。

 帰り道では一切出会わなくなり、彼女の家に行っても音沙汰が無かったり、と音信不通の状態となってしまった。

 1週間2週間とも経てばそれは不安から大きな喪失感に代わり、気が付けば心に深い穴が出来上がっていた。


 そしていなくなってから3ヶ月ほどが経ったある日、玲奈の家を久々に見に行くとそこにはもうかつての手入れされた家は無く、売家と成り代わっていた。



 結局僕はそのまま彼女に出会えない侘しさを胸に抱えて、高校へと進学した。



 そんなもう二度と出会えないと思っていた玲奈が今目の前で僕を見つめている。というか睨み付けている。


「えと…久しぶり。4年ぶり…だよね?」

「…だったら何?」

「いや…久しぶりに会ったんだからさ、せめて穏便に話くらい…」

「穏便?人を殺しておいて穏便?」


 玲奈が捲し立てた。

 口調からするに彼女もそれなりに焦りを感じているのだろう。


「いい?私たちは人を殺したの。それなのに今こんなところで呑気に思い出に耽りながら話をしてる暇があると思う?」

「……あ…」

「それとも君が全ての罪を背負ってくれるの?」

「いや…そんな急には…」

「なら今私たちがする事は、懐かしい気分に浸る前に今後どうするかを考えるべきじゃないの?」


 彼女は僕との仲を断絶し、隔てる様にそう言い放った。

 4年ぶりに再会した玲奈をよく見ると、性格はおろか、外見も大きく変わっていた。

 ツヤのある黒い髪は、所々にちぢれた毛があり、目元は黒い影に塗られ、かつて自信と優しさに見えた瞳は淀んだ様な雰囲気が流れ出ていた。


 それらは成長、の二文字で丸め込める域を遥かに超えている。


「私たちはまず今夜どこかで止まる場所を探さなきゃいけない。こんなクソ田舎にいた所で夜を過ごせる場所なんか精々橋の下くらいだから」

「…じゃどこで降り」

「この列車は今名古屋に向かってる。その近くでネカフェで一晩過ごす、分かった?」


 言い切る前に玲奈は食い気味に説明した。



「ネカフェって…でもずっとそうしてる訳にはいかないんじゃ…」

「じゃあ君がどっか探せば?そもそもアテがあるから私を連れ出したんでしょ?」

「…いや……」

「まさかそれほどの無計画で私を巻き添えにした訳じゃないよね?私鉉君?」


 敢えて名前を強調して嫌味ったらしく玲奈は言う。

 言うまでもなく、元々自死で旅を締め括ろうとする人間に定住先などない。



 何も考えず、僕は玲奈を救った。

 その無責任さに対しての代償を僕は今求められているのだ。



「…責任は取るよ。でも明日にでも捕まる可能性だってあるんだから、まず今日を凌がないと」


 搾り出すようにそれらしい言葉を並べて説得をすると、玲奈は濁った目で睨みながらまた自分の席に戻っていった。


 その険悪な振る舞いにかつての優しさなど微塵も感じない。

 別人だ。



 あの穏やかだった玲奈がここまで素っ気ない性格に変貌してしまったのはこの上なく心苦しい。

 彼女が言ったように、過去を偲ぶよりも先に僕らは今後を考える必要があった。



 それでも思い出話のひとつやふたつしてもいいじゃないか、と思うのは慢心なのだろうか?

 






『まもなくー名古屋に到着します。お降りの際は…』

 うたた寝をしてるうちに、気が付けば窓の外からは田畑が消えて、すっかりビルの森が広がっていた。


 気が抜けたように欠伸をして隣の席を見ると、そこに玲奈の姿は無く、全く知らないサラリーマンが座っていた。

 慌てて辺りを見渡すと既に玲奈はドアの前で吊り革を掴みながら列車が止まるのを待機しているのを見つけた。

 少ない荷物を持って、僕も彼女の後ろでドアが開くのを待つ。

 スマホを見ると、既に8時を回っていた。

いつもなら家で古井木や父に痛めつけられた心の修復に時間を費やしている所だろう。

 

 そうか、自由なのか。


 もう父から小言を受ける必要も無ければ、古井木の徴収に身を震わせる必要も無い。

 本来なら負い目を感じることもなく、伸び伸びと旅が出来たのだろう。

 

「ボーっとしてないで。早く降りるよ」


 ドアが開くと共に、玲奈は構内に繋がる階段へと真っ直ぐに向かう。

 ホームは朽伽駅とはかけ離れた都会のオーラが目と耳の両方から伝わってくる。

 列車が過ぎ去る鳴動、夜にも関わらず煌々と輝きを放っている周囲のビル群、そして四方八方から聞こえる大勢の人の喧騒。

 昼間にこそ幾度か来たことがあった都会は、夜のヴェールを被った事によって全てが新鮮に見える。


「こっちだって」


 そんな真新しさに気を取られていると、玲奈の声が雑踏の合奏を掻き分けて聞こえてきた。

 気が付けば、目の前にいたはずの玲奈は完全にいなくなっていた。


「何してんのこっち!」


 見回していたとき、向いていた方向とは正反対からグイっと手首を掴まれて強引に引っ張られる。

 玲奈の冷ややかな手に導かれるがまま、僕は構内を進んでいく。


 ふと、目上を過ぎていく電光掲示板に目を向けると、ある1つの枠が赤色に強調されていた。




『現在、朽伽駅にて人身事故の影響により一部区間で運転を…』



 ああ、やっぱり。

 夢でも何でもなかったんだな。


 一輪の望みがたった今消え去るのを切に感じた。



 正面出入り口を足速で抜けて、正面出口から駅を出る。

 月が街を照らす中で僕らは駅近くの道を辿っていき、今夜寝る場所へと向かった。


「ねぇ、玲奈」

「なに急に?」


 相変わらず玲奈は無愛想に返事をした。


「ネットカフェに向かってるんだよね…?」

「付いてきたくないなら警察かどっか行けば?」

「そうじゃなくて…未成年だけど大丈夫なの?」

「未成年?あぁ…別にもし言われたら逃げればいいじゃん」

「…え」

「どっちみち君も私もその程度のこと鼻で笑えるくらいの事したんだし、今更でしょ」


 さらっと言い切ったが実際玲奈の言う通りだ。

 もう既に100の度合いの罪を犯した人間が今更1程度の罪に怯える必要は無い。


「ごめん、余計だったね」

「…別に。あともうすぐ着くから」


 存外、玲奈は怒っていないようだった。


 駅から出てから15分ほど、月光と建物の光の下を歩き続け、その建物の前に僕と玲奈は辿り着いた。



「…ここ?」

「そう。ぐずぐずしてないで、早く」



 そう言いながら玲奈はそのこじんまりとしたビルの中へと入っていった。


 見た目こそ周囲に聳え立つ高層ビルに圧迫されてショボく見えたそのネカフェは、中は意外にも綺麗な空間が広がっていた。

 もう少し小汚い場所かとひとりでに思い込でいたのもあり、個室があるだけでホクホクとした細やかな嬉しさが湧き上がってくるのを感じる。


「1部屋の24時間で」


 入り口の受付の如何にもやる気が欠けた店員に、玲奈はキーを受け取って店の奥へと進んでいった。


「自分も24時間で…」


 見様見真似で店員に金と引き換えに鍵を受け取り、書かれた番号の部屋を探す。


 いくつもの個室の扉が並ぶ中、僕の部屋は玲奈の隣だった。


「…何で隣いるの?」

「僕が聞きたいんだけど…」

「私レンタルシャワー借りて寝るから。夜中に起こさないでよ」

「それくらいの常識は弁えてるから安心していいよ」

「安心出来るだけの余裕があればよかったのにね」


 それだけ会話をして僕らはそれぞれの部屋に入った。


 中には長机とソファの他に、綺麗に畳まれたタオルブランケットやテレビ、そしてパソコン等が配置されていた。


 見窄らしいとも善美とも言う事も出来る空間と表現するのが適確だろう。


 ソファに座った途端、漸く今日を乗り越えた事による安堵と疲労がドッと押し寄せる。




 家にはいたくない。

 だが、楽に生きていたいという2つ相反する想いがぶつかり心に葛藤を生む。



 放浪だのなんだの言いながら、僕は自分を救ってくれる"何か"に期待をしているのだろう。

 その"何か"は梢か優也か、或いは父かは定かではない。


 ただ僕は、「何か奇跡的な事を起こす引き金が、この旅により引かれるんじゃないか」という逆転満塁本塁打を観客席から不動で待っているのだ。

 いまだに僕はもしかしたらこの事件の当事者では無く、数多にいる群像劇を見ている観客の1人なのではないか?と信じてしまう。


 一応その"何か"、奇跡的な事とやらは起きた。「幼馴染と久しぶりに再会」というシチュエーションは文面としての見栄えは良いだろうが、現状は最悪を極めている。

 その奇跡の内容の半分を占める幼馴染は、過去とは似てもつかないほど捻くれ者になってしまった上に、残りの半分は殺人犯になってしまった、という負の奇跡。


 救いようがない、とはこの事だろうか。


 溜め息を吐きながら、ブランケットを身体に被せて横になる。目を閉じると、本格的に絶望が牙を研ぐ音が聞こえた様な気がした。



「……う……う…」



 壁際に体を向けると急に啜り泣く声が聞こえ悪寒が走る。

 隣の部屋からだ。



「……ね…さん……」



 声の主に気付くのにそう時間は要らなかった。

 


 あぁ、そうだ。

 玲奈は観客なんだ。



 彼女はただ無責任なハリボテの正義感によって巻き添えを喰らって、今こうして涙を流しているのだ。

 元凶である僕が言う権利など微塵も無いのだが、これではあまりにも玲奈が救われない。



 どれだけ変わってしまっても玲奈は僕の恩人なのだ。

 元の生活へ戻れる帰路を探さなければ。




 そんな罪悪感から掘り起こした形だけの使命感を胸に、僕は眠りへと落ちてゆく。




 こんなにも狭苦しく窮地に立たされているというに、眠気はあっという間に全身に回っていった。







 10/17




 目が覚めてまずはじめに僕を出迎えたのは朝日の光でもなく、灰の香りだった。個室とは言えど、完全にプライベートな空間が確立されている訳でもない。

 本来、漫画やネットを嗜む場所で勝手に寝ているのだから、それに文句を言える立場では無いだろう。

 個室を出て、僕は眠気が掛かった視界を払い除ける様に目を擦り、店の外へと出た。


 どんよりとした機械的な暖かさは、外に出るとスッと手を引き、代わりに寒気が肌身を包む込んだ。


 ため息混じりに息を吐きながら、意味も無く周囲を見渡す。

 白息はまだ白く無いが、確実に毎日気温が下がっていくのを感じる。それと共に1つの四季が終わり、移り変わってゆくことへの感傷に浸る。


 何十階とあるビルの隙間から、陽の光は顔を出し始めて僕を包み込んでいる凍てついた空気をゆっくりと溶かしていく様に暖かさを恵む。

 空は黄色と霞んで青色が共に混じり合って幻想的な世界を作り出しているのがまた、朝陽の美しさに拍車をかけた。

 綺麗だ。


 僕は日々の苦痛から目を逸らすと共に、こんな綺麗な景色も背けていた。それほど、自分を押さえつけていた物への対処で気が滅入っていたのだろう。


「おはよう、人殺しくん」


 そんな佳景の鑑賞に水を刺すように声が聞こえた。


「…おはよう、玲那」

「覚えててくれたんだー嬉しいー。一晩経てば忘れてるかと思ったのに」


 そう嬉しくなさそうに店から出てきた玲那は言った。


「全てが夢だったらこれ以上無いほどに素晴らしい事なんだけどね。生憎そんな都合よくいかなかった」

「全てが夢でも"これ以上無いほど素晴らしい"とは微塵も思えないけどね」

「…そう?」

「ていうか君、いつまでその格好してんの?」


 玲那は生簀かない顔で僕を指刺した。


「….着替えが無かったんだよ」

「着替えも無いのによく泊まりの旅をしようと思ったね」

「準備する暇が無くてさ…その、ちょっと急ぎで駅に来たから」

「…そ」


 そう僕の弁解に玲那は納得はしてくれたが不服な様子だ。


「取り敢えずその格好やめた方がいいよ?無駄に目立つし」

「それは分かってるけど…」

「じゃあもうあとで私の部屋来て。そこで服貸すから」


 愛嬌の無い口調で玲那は言った。


「いいの?」

「いいも何もそんな格好で彷徨き回ったら目立つでしょ」

「そりゃ…そっか」

「じゃ日光浴済んだらさっさと来てよ。どうせここにはあと1日くらいしかいられないし」


「君みたいに時間があるわけじゃないから」と捨て台詞を残しながら、玲那は店の中へと戻っていった。



 その言葉を飲み込み、店に戻る前にもう一度空を見る。


 先程まで薄らと見えていた暁月は完全に消え失せ、夜の終わりを知らせた。






 玲那の部屋に入るなり視界は真っ暗になった。


「着て」


 彼女が投げた服を見ると、大きなコートやサラリーマンの服といった成人用の物だった。


「これ、君の?」

「な訳ないでしょ。こんなの触りたくもない」


 そう玲那が言った後に、少し匂いを嗅ぐ。タバコの匂いがほんのりとしたが、クリーニング後の様な洗剤特有の香りがそれを打ち消した。


「その服あのクソ野郎のやつ。在庫処分も兼ねて」

「あのクソ野郎って…君の父さんの?」

「は…?」


 特に口を滑らしたという訳でもなかったが、

 僕の疑問に怒りが混じった感嘆詞を豪速球で投げ返した。


「…あんなのが父親とか、冗談でもやめて」

「ごめん…」


 その気迫に僕の疑問は喉の奥へと押し返された。興味本位で聞いた程度だったが、虎の尾を踏んでしまった様だ。


 あの男の衣類ということもあって、袖口が若干余っていたが、それでも学生服をいつまでも着ているわけにはいかない。

 自分が殺した人間の服を見に纏うと、それなりの風貌にはなった。


「変かな?」

「あー似合ってる似合ってる」


 玲奈はこちらを見向きもせずにスマホをこねくり回しながは言った。微塵も興味は無いようだ。


「それで、玲奈はこれからどうするの?」

「別に?ていうか君さ、何も考えずに私はここに来たと思ってるの?」

「何も考えずにって、考える暇なんて無かったから。それに玲奈が名古屋に行くって言ったから…」

「うん。で、君はそもそも何で私についてくるの?別に私の事を無視してさ、別のとこで降りればよかったじゃん」

「それは…」


 そう言われ、言葉が詰まった。

 話すことが枯渇した訳では無かったが、玲奈とはなるべく穏便にいきたいが、皮肉屋になってしまった彼女を納得させる言い回しが分からない。


「どうすればいいか分からないんだよ、僕は逃げて来たから。だから玲奈に着いていけばどうにかなると思った」

「悪いけど、君に助力する気は無い。自力で解決しなよ」

「自力でって…ここまで一緒に来たのに」

「だって私は君の世話係じゃないし、君に構う義理もないし」

 


 それでも彼女は距離を取るばかりだ。


 話せば話すほど、昔との姿の乖離に落胆する。



「じゃあ何で僕に服を?義理が無いなら早く断ち切るべきじゃない?」

「"在庫処分"ってさっき言ったでしょ?別にもうあんな奴の荷物持ってても邪魔だし。それに、君があんな目立つ格好でいつまでもいたら一緒にいる私まで怪しまれる…ま、そもそも君と行動しなければそんなことに気を使う必要も無くなるしね」


 そんな回顧に対する信用など物ともせず、玲奈は冷たい論調を崩さない。話せば話すほど、大切なモノが自分のもとを離れていく喪失感が心に浸透していく。




 まるで目の前で自分の大切な宝物が壊されていくかの様に。

 それがとても、悲しかった。

 純粋に悲しい。





「そういうことだから。分かったらもう部屋から出てって。それで私たちの関係は終わりでしょ?金だって無限にあるわけじゃ…」



「あるよ」



「……なんて?」


 玲奈は怪訝な顔で聞き返した。


「金ならあるから、気にしなくていい」

「あるって…どうせそんな数万くらいの端金なんかじゃ…」


 玲奈の反論に対し、僕は机に重みのある茶色の封筒を投げ捨てる様に置いた。


「100万くらいなら」

 

 そう言うと、玲奈は愕然とした表情になった。



「…何で、そこまでして私なんかに着いてくるの?」



「………恩人だから」



 恩人なのだ。

 玲奈はこれ以上無いほどに。

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