7話-A 再会
息を切らせながら列車に何とか乗り込み、昂った感情がある程度沈んだ所で僕は回想する。
あの男は、死んだのだろうか。
地に脚が付いているのかどうか分からない様な感覚に酩酊しながら考えた。
現実味が無いのだ。
あまりにも。
つい数分前、僕は男を線路に突き落として、殺した。
殺した。
殺人、殺害、人殺し、殺めた、殺生、賊害。
殺した殺した殺めて殺した殺した殺した殺した殺した殺めて殺した殺した殺した殺した殺して人を殺して殺して殺害して殺して殺してしまった。
ひとごろし?
え?じゃあ、捕まる?
逮捕されて、豚箱に行くのか?裁判?判決で懲役?
「………う……おぇ…」
ジワジワと胸の内から湧いてくる絶望感が身体を包み込む。
あまりにも気分が悪い。
あまりにも最悪な介抱だ。
だが、今はこの現実味の全く無いファンタジーな現実を受け入れなければならない。
どれだけ目を逸らした所で、それは逃避行にしかならない事を僕は古井木の件から学んでいる。
いや、今逃避行をしている最中なのか
兎にも角にもまずはポジティブに、そして前向きに物事を考えよう。
僕は放浪をするつもりだった。行くアテも無くプラプラと彷徨うだけの旅。
そんな旅路に今は目的が足された。
ただ、ひたすらに逃げる。自分が犯した罪から。
罪悪感は決して僕を逃がさず蝕み続けるだろう。
ならこの行動に何の意味があるんだろうか?
いつかバレるであろう自分の罪悪を墓場まで持っていく為の旅?
逮捕から逃げ続ける為の旅?
今から警察に駆け込んで「わざとじゃない」とでも言えば許されるだろうか?
人一人を突き落として?
その人間は人の形では無くなってしまったが。
「……ぐ……ぅ…おぇ……」
あまりにも、絶望することしか出来ない現実が今目の前にはあり、如何なる誤魔化しも効かずにただ悠然と立ちはだかる。
どうしようも出来ない。
ただ、逃げて吐いて戸惑って狂って葛藤して
どうする事も出来ない手詰まりの現実
「気持ち悪いんだけど、その声」
えずいている最中後ろから罵倒が聞こえた。
あぁ、そうだ。
僕はこの少女を連れて来たんだった。
咄嗟にまずは、僕らは逃げなければならないと思い、少女と共に逃亡をした。
即ち、僕は巻き込んだのだ、この少女を。
「………ごめん……連れて来て」
「まず座ったら?折角誰も乗ってないんだし」
少女は背を向けながらそう言い、二人様の座席にどかりと足を組みながら座った。正直な所かなりマナーが悪い。
僕も通路を挟んだ隣の席にすわる。無茶苦茶に走ったのもあって、疲労がドッと押し寄せる。
「で、ここからどうするつもりなの?きみ」
「どうするって…」
「だってさぁ、人を殺しちゃったんだよ?」
少女ははっきりと、そして顔に笑みを浮かべて鼻で笑いながら言った。
「どうしたらいいかは…分からない。逃げるのに精一杯だったから」
「逃げたってことは明確に殺意があって殺したって事になるじゃん。わざとじゃないなら警察にでも電話すればよかったんだから」
「…そうだけどさ…」
その通りだった。
少女は高圧的な言葉で僕の後悔を掘り起こす。
だが、言っていることは何一つ間違っていないので反論が全く出来ない。
した所で殺した事実が湾曲する訳でも無いのだが。
「まぁでもウダウダ考える前にまずは逃げなきゃね、私たち。警察に近いうちにバレるだろうからさ」
「あぁ…うん」
「ホントに分かってんの?捕まるんだよ君」
少女に言われ、現実が徐々に色がつき始め、彩度が上がっていく。明確に不安が形を成していくのが分かる。
「ま、私も捕まるだろうけどね。あのクソに脚かけて転ばしたし…」
「え、あ、君だったの?途中でなんか…あの人が転びそうになったのって…」
「そうだけど?何?悪い?」
「…いや、別に悪いってわけじゃなくてさ。ありがとう、助かったよ」
「そ」
窓の外を見ながら少女は呟く様に答えた。
「そう、いえば…取り敢えずその、協力しなきゃいけないからさ、名前とか教えるのは」
「なんで?」
食い気味に少女は問いを投げた。
「…"君"とかなんて、なんか不自然だし君も呼びづらいかなぁって」
「私は別にどうでもいいんだけど?」
仲をどうにか取り留めようとしたつもりだったが本人は不服だった様だ。
仕方ないので自分の名前だけでも伝えておこう。
"君"呼びはここから暫く行動を共にする上であまりにも不都合かつ周りからも怪しまれる原因にもなり得る。
「僕は伊奈川私鉉…よろしく」
「へぇ」
「……えと」
そもそも少女は続ける気が無いのだから当たり前ではあるが、会話が途切れた。
「…あのできたらでいいんだけど、名前は」
「そんなに私の名前知りたいわけ?下心から涎垂れててキモいんだけど」
心が抉られたように痛む。
偶に梢が遠回しに言う言葉を、少女はなんの躊躇いも無く吐き捨て僕にぶち当てた。
「…分かったよ、それなら別にいいよ。しつこく聞いてごめん」
こちらもそこまで言われて、"はいそうですか"と引き下がるのは癪だった。しかし少女が拒否する以上、追求した所で無駄なので諦めることにした。
揺れる列車の音がお互いの沈黙を誤魔化す様に響く。
ざわめき続けている僕の心には良い緩和剤として働いていた。
そんな喧しい鉄の波のリズムと共に、窓の外を見渡す。
夜の街はポツポツとした光の点が煌めきながら残光を窓に滲ませて左に流れていき、荒れた心に安穏を齎した。
こんな事を考えている暇が僕にはあるのかは分からない。
だが今は現実でくらい目を逸らしていたかった。
そしてあの記憶と景色を頭から消し去り、とにかく別の事で上書きをしてしまいたかった。
そうでもしないと、僕は耐えられないからだ。
「玲奈」
沈黙を貫き続けていた少女が不意に呟いた。
「玲奈?」
「私の名前。知りたかったんでしょ?」
「あ…あぁえっと、ありがとう…」
少女はそれだけ伝えて、窓の外に視線を戻した。
玲奈、か。
改めて僕は罪悪感に怺える。
人を殺してしまったという罪悪。
そして本来、被害者で終わる筈だった少女、玲奈を巻き込んでしまったという罪悪。
二重の罪の重みが僕の心を握りしめる様に痛めつけた。
そんな罪を噛み締める中、頭にある事過った。
『玲奈」という名前が僕の記憶のフィルターに引っかかり違和感を孕む。
そういえば"彼女"の名前もたしか玲奈だったな。
玲奈って
もしかして。いや、もしも、万が一だ。
「あのさ…君って…」
「君呼びやめるんじゃなかったの?」
「ごめん…えと、玲奈さんってさ…」
「…さん付けしなくていいってもう…気色悪いから」
玲奈は溜息をつきながらあれこれ指図する。
「…玲奈の苗字ってさ………その…相田?」
忘れる筈も無いその名前。
忘れた事など一度も無いその名前。
何故なら彼女は僕の命を繋いでくれたから。
僕の問いに返答は無かった。
少女は黙り込む。
「ねぇ…玲奈」
少女は答えない。
「あのさ…」
「しつこい!」
少女はものすごい剣幕で怒鳴ると席を立ち上がり、僕の目の前まで来た。
「相田玲奈!それが私の名前!これで満足した!?もううざいんだって!」
"彼女"は
僕の初恋の相手は
相田玲奈はそう叫んだ。




