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6話-A 旅の始まり

 息を切らせながらコンビニに入り、口座から幾枚かの万札を引き出して、駅へと向かいすぐに列車に乗った。

振り返れば真後ろに父が迫っている様な気がしたので、とにかく今はどこか遠くの場所へと行きたかった。


 その後は、どこかで目的も無く彷徨い野垂れ死ぬでもなんでもすればいい。


 どのみち帰る場所はもう無いのだ。


死を選ぶ事で、今自分が背負っている全ての苦痛から解放されるなら、存外その選択は悪いことでもないだろう。


 暫くして朽伽駅に到着し、ホームに備え付けられたベンチに腰を降ろしながら乗り換えられる列車を待ちぼうける。


 辺りを一望すると、一時的に退勤ラッシュが終わった時間帯というのもあってか、ホームには殆ど人がいなかった。

 僕のいる1番線には腰を悪そうにする老婆に加え、中年男と女子学生の二人組以外には誰も見当たらず、それ以外のホームに至っては人影すら目視できない。


 突如、ポケットからスマホのバイブレーションの振動が響き、緊迫感が全身を支配する。

 スマホを開くと、優也から1枚の画像と共に、メッセージが添えられたメールが来ていた。


『お前の食ってたオムライス、めっちゃ美味かった!!!!!』


 文面を見て思わずクスッと笑いが漏れる。


『食べたの?』


その返信には数秒程で既読のマークがついた。


『チーズトッピングして食べた!想像してたツの10倍は美味かった』

『トッピングなんて知らなかったな 良いこと聞いた』

『俺結構そういうの知ってるから知りたかったら教えるぞ』

『ありがとう』


 優也の優しさに触れる程、自分が優也を裏切った事が古傷の様に心を苛む。

 古井木との事を知られれば、きっと幻滅されるだろう。


『今度優也が食べてたカツ定食食べてみたようかな』


 送信したその時、丁度列車が目の前を高速で通過していった。

 冷たい突風がベンチを覆い尽くして、寒気を与える。

 あれほどの速度のものに飛び込めば間違いなく身体はバラバラになる。痛みを感じるまも無く、自分を殺してくれる死への快速特急だ。

 

 死ねば、楽になるんだろうか。

 

 ふとそんな事を思う。

 ピコン、とまるでその思考を遮るかの様なタイミングで着信音が聞こえ、スマホに目を戻す。

 もう優也から返信が来ていた。


『めっちゃ美味かったから絶対食った方がいい!次俺が奢るから!』


 "次"

 果たしてその『次』があるのだろうか。


 死ぬかどうか考えているのに、次を考える必要はあるのだろうか。


『ありがとう。楽しみにしてる』


 適当に取り繕った返信をして、スマホを閉じる。

 僕が死んだら、悲しんでくれる人間がいるのだろうか。

 誰からも思われず、苦痛から逃れられるなら今ここで死んでしまおうか

 度胸も勇気も無い人間がそんな事を思い付いた所で、何の意味も持たないただのSOSにしかなり得ない事は分かりきっていた。

 結局のところ、僕はきっと最後の最後まで、誰かが自分に救いの手を差し伸ばしてくれるのを待っているのだ。

 スマホをしまいながらそんな自己嫌悪に苛まれていると、



「…この………キが…!」



 近くから怒号が聞こえた。





 ホームを見渡すと、先ほどの中年の男と少女が取っ組み合いをしていた。

 男の方が図体で優越をつけていたが、その割には意外に均衡している。見たところ男の方は父親だろうか。だとすると公共の場で親子喧嘩とは中々の不和だ。


『まもなく、列車が通過します。黄色い線の内側に…』


 放送と共に遥か向こうから2つの光が眩い光を送る。だが、それよりも今は手前にいる2人の喧嘩に見入っていた。

 男は押し負けそうると思ったのか、少女の頭を乱暴に掴むとそのまま引き摺る様に線路へと押しやってゆく。

 叫びと悲鳴が入り混じった声を少女は出す。


 …止めるべきなのだろうか。


 知り合いでも顔見知りでもない人間を救う理由など一分も無い。ましてや仲裁に入ったとしても僕の身が危うくなる可能性すらある。


 だが、放っておけばあの少女はじきに線路へと落ちてゆき怪我を負うかもしれない。

 この駅には監視カメラも無ければ、駅員も今の時間帯はいない。まさかこんなところで田舎故の弊害を体感するとは思いもしなかった。


 数刻経つたびに、少女は徐々に線路側へと引っ張られていく。抵抗はしているが、力の差で追い詰められているのは明白だった。



 もう少し押されれば少女は下に落ちるという時、ある景色が自分の心中をかすめた。




 引き摺り落とさんとする男の姿が自分の父と姿が重なるのに、そう大した時間は掛からなかった。

 家を出た時の父の顔もいつもの様に無表情ではあったが、滲み出る殺気の様な雰囲気は思わず"殺される"、と思うほどであった。


 鼻先にいるあの男も今、父と同じ様に行動を抑制するタガが外れた様に見える。





 ベンチを立ちあがり、2人の元へ近づく。


 『助けなければ』という本能的な意志、そして僕は心に染み付いた憐憫を善行を得て拭い取れば、自分を蝕む自己嫌悪から少しでも解放されるかもしれない、という浅はかな憶測が突き動かすに至った。


 しかし、あと数歩前に出れば争いの輪に入る、というところで僕の脚は動かなくなった。


 身体からは唐突に嫌な汗がダラダラと垂れ始め、不快感が全身を抱擁する。




「テメ…この…!」


 止まっている間にも男は少女を綱引きの様に引っ張り続けている。見ているだけでも、痛々しく惨たらしい光景だ。

 取り成そうという意思こそ確かにある。だが、並行して度胸がついて来てくれるかはまた違う話なのだ。現に距離が縮まっていくほど僕の足の震えは大きくなる上、鼓動はとんでもなく早く煩くなっていく。


 ただ体裁を飾って自分を肯定したいが為に他人を助けるのに、僕はどうしようも無く目の前にいる男が怖いのだ。



 葛藤しながら男を背後から眺めているとき、不意に僕はその引き摺られている少女と眼が合った。

 地を這いながら必死に堪えているその少女の目は潤んでいた。


 今にも涙が決壊してしまいそうなその瞳は、固まった脚を溶かし、背中を押す。


 一歩ずつ、また一歩ずつ歩を進めていく。



 そして、僕は男の背中を掴む。




「…誰だ!…お前!」




 男は漸く気付き、僕を突き放そうと顔面を突く。




「離せ…!このっ…クソガキ…!」




 どうにかして服を掴んで喰らいつく。男は少女の髪を離すと、引き剥がそうと両手で僕の頭を押さえ付けた。

 ただでさえ、古井木から受けた箇所が痛む上、父から食らった張り手も蓄積していたので、針で何箇所も同時に突き刺される様な激痛が身体を襲う。


 それでも、僕が手を頑なに離さなかったのは、恐らくこの男に父を投影していたからなのだろう。


 辛抱強く男にしがみ付き続けているとき、途端に男は後ろへとよろめき始めた。点字ブロックに脚を取られたようだ。 

 千鳥足で線路側へと後退していく男から手が離れる際、僕は男を意図せず勢いよく押しその場で倒れ込んだ。

 顔面を強打しながら僕は、男が線路へと吸い込まれていくように落ちていく光景を捉えていたその瞬間だった。







 突如として、辺りは眩く、光に包まれる。


 世界がまるでコマ送りのようになったかのような感覚に陥った。






 遠くにいたはずの列車は男が線路へ落下していくと共に、速度を緩める事なく、ホームへと進入していく。




 汽笛の音



 唸る風



 男の悲鳴




 肉が×××××××××




 この世のものとは大凡思えない様な音を立て、瞬きをする間もなく僕の目の前を通り越していった。



 何が起きたのか、分からなかった。

 理解したくなかった。


 


「あ、ああ」




 治ったはずの痙攣がまた起き始める。手が震える。声も、脚も、心臓も。


 列車は遥か先で轟音を鳴らし続けている。

 僕の隣にいる少女はへたり込みながら虚な目で前を向いている。

 目の前には、先程まで自分を突き放そうとしていた片手と、肉塊のような何かが距離を空けて互いに血溜まりを作っていた。



 そして、もう考えなかった。

 何も、考えなかった。これ以上はダメだ。

 理性の限界だ。見てはいけない。見ていたらダメだ。

 僕は少女の手を掴むと、急いで構内へと走った。



 ああ、ああ、あああ、ダメだ、思い出すな。



 この場にいてはダメだ、と直感的に思った。

この場所にいるだけで気が狂いそうだ。この場にいるだけでどうにかなってしまいそうだ。

 


 吐くな、身体、ちぎれた腕、思い浮かべるな、ぐちゃぐちゃになった、あれは





 別のホームへ向かい、止まっていた列車に少女と共に駆け込む。

 

 列車は僕らが乗った直後に扉が閉まり、ゆっくりと動き始めた。

 






 



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