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6話-B 秘匿捜査(1)

「不潔ですね」


 車に乗り込むなり加瀬森は難癖をつけてきた。オーディオ下の小物入れや、飲み物を置く所には大量の吸い殻が捩じ込まれており、底には灰が溜まっていた。衛生面は確かに悪い。


「嫌ならお留守番しててもいいんだぞ。どうせ意味も無い仕事なんて無限にあるんだから」


 少し苛つきながら荒々しく扉閉める。すると、突如車内にアラーム音の様な異音が鳴り響いた。明らかに通常出ていい音ではないのが、騒々しさから伝わってくる。


「安全面も不安です」

「…まぁそれは否定しない」


 年季の入った車内は至るところが色褪せていたり、禿げていたりとかなり古臭い印象を植え付けるのは無理もないだろう。


「じゃあ向かうぞ」

「はい」


 本部から車を出して、俺たちは現場へと向かった。







『本日のアセンションナビゲータースギッタが〜午後のかったるい眠気に効く、ミュージックチューンから抜粋の曲お届けしまーす!まずは一曲目、ロム・キャルバンより"Seeing is believi…』


 ガビガビの音質のラジオ曲がかかり始めた辺りで、加瀬森はチャンネルを変えた。


「なんだよ急に。せっかく聞いてたのに」

「情報収集の癖を付けておかないと、大切な所で逃すかもしれないですよ?」

「俺からしたらこういう曲も情報のひとつなんだけどな」


『…にて40代の男性が乗用車と接触し、軽傷を…』


 暫くチャンネルを切り替えた果てに、無難なニュースが念仏の様にスピーカーから垂れ流されることとなった。キャスターの声は耳に入り、そのまま反対側から透過していく程につまらなさそうな話し方だった。


「なぁ、せめてバラエティくらいしておかないか?」

「耄碌したつまらない芸能人の茶番劇よりかは、確実に役には立ちます」


 加瀬森は断固として変える気は無さそうだった。人の車だと言うのによくこんな図々しく出れるものだ。


「マスメディアの思想フィルター越しに見るニュースは役に立つのかねぇ」


 嫌味混じりに言葉を投げつけて、信号待ちから解放された俺たちは、颯爽とは程遠い詰まった公道で車走らせた。


『…で発見された改革派の後援者である九条氏が遺体で発見された事件を、県警は捜査本部を設置すると共に、八木沢氏と井鼓氏が殺害された事件との関連性を重視し、今後は警視庁との連携捜査を進めていくと…』


「最近このニュースよく聞きますね」

「改革派の連続殺人か。コイツらの単純でわかりやすい公約とパフォーマンスに食いつくジジババは皆んなテレビを見るからな。お前みたいに」

「私は私の中にブレない芯を持ってます。主観的にも客観的にも見れる視点だってありますから」


 馬鹿にしないで下さい、とでもいいだけな加瀬森の顔がドアガラス越しに映る。昨日同様に機械的で無愛想な顔つきは変わらないが、言葉に込められたら感情がより強く感じられた。

 信号が赤に変わり待っている中、小さな車内のモニターに釘付けになっている加瀬森と同様に、そのニュースに自分も意識を向ける。


『地方発展に尽力をし、日本全体の発展を。』


 数ある公約のうち、この公約を掲げる新たな政党である「国進党」通称"改革派"は、ここ数年で全国的に支持者が増えつつある今、隆盛している派閥だ。

 不祥事のドレスを着た老人が蔓延る保守派の派閥が多い中、改革派は比較的に若い議員で構成されているという事もあってかネットからの支持も多い。議員のアカウントがユーモアに溢れた返信で度々バズっているのを見かけた事がある。それもあってか若年層からの支持も手厚かった。


 だが、そんな波に乗っている改革派の資金援助をしていた人間が、ここ最近立て続けに殺される事件が起きている。


 1件目は4月、IT企業の社長である八木沢一を被害者とする殺人が名古屋の東区白壁の路地裏にて、2件目は今年の8月に、今度は大手ホテル会社の会長である井鼓藤次郎が、品川の自宅にて死体で発見された。


 この件があってか、保守派と改革派の関係に明確な歪みが生まれていき険悪な対立が続く最中、なんと先月の10日、3件目の殺人が起きた。


 被害者は改革派の九条康徳議員。今回は栄の高級マンションの自室リビングルームにて、冷たくなって亡くなっていたとの事だった。

 これが火蓋となったのか、以前から保守派の汚職体質に反発していた改革派の支持者の怒りが、デモや抗議という形で都心部に解き放たれ、ここ連日警察がその対処に追われる羽目になっている。

 議席に文鎮の如く居座り続ける老議員共への鬱憤を晴らすには、これ以上ない程に整った状勢が用意されている今、メディアの扇動を始め中立の立場でただずんでいた人間すらも改革派に傾きつつある。現に街中では、活動家ですらない一般人が抗議活動をしているのを、度々見かける事が明らかに増えている。警察内部でも三上が急に俺ら2人を異動させる辺り、本当にてんてこ舞いといった状況なのだろう。


 騒動の根幹を担っている一課には、是非とも早急な事件解決を目指して頑張ってもらいたい。

 そして早く俺を窓際部署へと戻してもらいたいものだ。








 現場の町のスーパーにつくと、駐車場に車を止めて辺りを一望する。様々な店が大通りにそって並んでおり、各建物の間には細い抜け道があった。


「この道ですね」


 加瀬森が示した場所は街頭もなければ、店から溢れる光すら無い様なまさに危ない場所だった。太陽が出ている今ですら、日陰になっていて暗く危ない場所だ。


「なんで谷原はこんなとこ通ったんだろうな」

「恐らく時短でしょうね。谷原さんの家はこの通りの向こう側なので、この通路を通った先にある地下道から抜けた方が早いのでしょう。まさに"急いで回れ"だったわけですね」

「…急がば回れじゃないか、それ?」

「手かがりを探すことにしましょう。無断調査をしている以上、時間は限られています」


 細道をある程度調べていると、スーパーの屋根に上部に監視カメラの様なものがつけられているのを見つけた。


「あのカメラなら映ってるんじゃないか?」

「あぁあれですか。確かにあの場所から事件の手蔓が見つかるかもしれませんね。私が行ってみるので先輩は─」

「待て」


 スーパーに意気込んで向かおうとする加瀬森を引っ掴む。


「…なんです?」

「"なんです?"じゃない。お前には前科があるから、それなりにこっちも不安なんだよ」

「前科があったらそもそも警察官になれないと思うのですが」

「そういうのじゃなくて…お前、また無神経な事をペラペラ言うだろ?」

「まぁ先輩から見たらそうなのかもしれませんね。私は至って普通に尋ねたつもりでしたが。」


 加瀬森は公然と言い退ける。言い訳の筈だがあまりにも流暢に話すので、昼間のアレはもしかすると最善の対処だったのではないかと錯覚してしまうほどだ。


「今回は2人でやろう加瀬森。そっちの方がお互いの弱点をカバーし合えるからな」

「カバーすべき弱点が私にあるんですか?」

「あるから退職寸前になってんだ。これが飲めないなら俺は降りる、いいか?」

「それは……分かりました…」

 渋々といった具合で加瀬森は承諾した。少し強引過ぎたかと思い、言葉を濁しながら訂正する。

「…まぁ、なんだ。その加減を考慮できるなら多少無茶しても大丈夫だから」

「ホントですかっ」

 

 先程の消沈した雰囲気が一瞬で消えた。


「あ…ああ、本当だ」

「なら精一杯頑張るので、志原先輩も助力お願いしますね」

「…努力はする」


 どちらのプランにせよ、これでクビが飛ぶかもしれないのだ。自分がついさっき説教をした人間に運命の手綱を握られるのはなんとも奇怪な話だが、今は自分の警察としての勘と加瀬森のやる気に賭けるしかない。


 加瀬森の主導のもと、早速現場にスーパーに聞き込みをすることが決まった。中に入り、付近にいた店員に事情を話すと「担当の者をお呼びする」と言い、裏方へと消えていった。暫くして、中年の大柄の男が現れた。見る限り180は裕に超えているんじゃないだろうか。


「あっいやはや!まさか警察の方でしたか!」

「すみません急に押し掛けてしまって…」

「いえいえ全然大丈夫です!私ここでの店長をやっとります新田と申します〜!」

「あっ志原です…」

「加瀬森彗菜と申します」

 

 ハキハキと話しながら巨体を揺らすその男、金林に続いて俺と加瀬森も自己紹介をする。お互いに社員証と手帳を見せながら軽い会釈を交わして、本題に入った。


「この辺りで昨晩、窃盗事件が起きましてね。それで何か目撃とか、監視カメラの方の映像を拝見できないかと…」

「あーなるほどそういう事でしたか!承知しました!では、事務の方にモニター室があるのでそちらに移動しましょうか!」


 金林はぺこぺこと頭を下げながらあっさり承諾した。図体に似合わず謙虚な奴だ。


 店内の華やかな雰囲気とは正反対と言えるほど、薄汚れたタイルやダンボールがほったらかしにされた狭い路を通り抜け、事務室と案内表示の立札が掛けられた部屋に入る。


「すんません結構散らかってまして!ここでウチにあるカメラの管理してるって感じです!」


 その事務室のデスクには、4分割で違う映像を映し出すモニターが2つ置かれていた。右側は店内を、左側は店舗の外周を映している。多少の荒さは目立つものの確認に支障が出るほどでもない。充分証拠になり得るものだ。


「えーと、昨日でしたっけ刑事さん?」

「あっそうですね…加瀬森、谷原さんは何時頃って言ってたか…」

「昨晩の19時頃ですね。後ろから男にひったくられたと言ってました」


 訊き終える前に加瀬森は答えた。


「りょーかいです!ちょっと待ってくださいね〜」


 鼻歌を唄いながら、金林は手元のキーボードを打ち込んで映像を巻き戻していく。右側のモニター内で高速で動く人々と共に、左側外と出入り口付近のカメラのモニターは徐々に薄暗さを帯びていった。


「8つしか無いんですか?」


 操作中の金林に加瀬森が問いかけた。


「そーなんですよ!そもそもこの監視カメラ付けたの自体がここ最近なもんでして、私もちょっと不慣れなんですよ〜」

「最近っていつぐらいでしょうか?」

「ん〜と、ひと月ぐらいですかね」


 背中を向けたまま金林は答える。


「あのー付けた理由を聞いてもいいですかね?防犯ってのは分かるんですけども」

「万引きです、万引き!ふた月前からやられましてねーまぁ違算がエラい出るなと思ったら見事にやられとりました!あはは」

「それは…大変ですね」

「そうなんですよ!もー無駄に金はかかるわ、仕事は増えるわ、本部からお叱り受けるわ…散々です!あ、見つけた日には志原さん達にお願いしますよ?」

「あはは…任せてください…是非とも」


 苦笑しながら調子を合わせる。それまでに自分のクビが繋がっていればの話だが。


「金林さーん、ちょっとレジの方でさーまた小銭が足りないんだけどー」


 3人揃って巻き戻っている画面を見ていると、後ろから声が聞こえた。見ると、中年のエプロンを着た女性が立っている。


「あー失礼!私はそろそろ戻らないとどやされちゃうんでね。一応時刻は大まかに合わせれましたけど〜」

「あっすみません!ありがとうございます!」

「じゃ私はこの辺で売り場戻りますわ!あとはご自由に〜」

 

 金林は笑顔で手を振りながら出ていった。




「体型も合わさって福の神みたいな人でしたね。ダイコクみたいな感じの」


 部屋に2人だけになってから加瀬森は言った。


「福の神が経営する店に万引きとか何の冗談だよ。取り敢えず確認するか」


 昨晩の19時から少しずつ調整しながら録画を確認していく。人の出入りこそあるものの、谷原が盗難に遭う場面は中々見つからない。細かな時間を聞きそびれてしまったので、ここから微調整しなければならなかった。


「犯人はそもそもどうして盗んだのでしょうか」


 互いにモニターに釘付けになっている中で加瀬森がポツリと呟いた。


「金だろうな。」

「金ですか、結局は」

「ああ。人間が犯罪を犯す5割は金だと俺は考えてるんだ」

「ですがひったくりって凄い還元率悪いと思うんですよ。私だったら家とかで金目のものを盗みます」

「…警察がそんな物騒なことを言うんじゃない。そもそも強盗関連の犯罪そのものが無駄無意味なんだよ。ゆくゆく捕まるってのに」

「という事は他の犯罪行為であれば有意義という事ですか?」

「…まぁ、快楽殺人以外はそうなんじゃないか?殺人は犯した時点で目的が達成されるわけだしな」


 あれこれ思案しながら加瀬森と共にモニターを凝視する。先程から店舗周りのカメラを見ているが、まだ谷原らしき人物は現れない。


「すみません、先輩」


飽き飽きしかけている中、またしても加瀬森が沈黙を破った。


「…今度はどうした」

「店内モニターの右上カメラにずっと同じ人が映ってるんですよ」

「右上?…あぁコイツか」


 店内を映すカメラの1つには確かに黒いパーカーを着た男がいた。入り口周りを行ったり来たりして、不信感が見え透いている。


「確かに怪しいな。右往左往してばっかで店に入ろうとしねぇし」

「何かを待っているみたいですね…まるで」


 加瀬森の言うように、スーパーの中の入り口にいる男は一向に買い物をする気配が無く、何かを待っている様にも見える。だが、人を待つにしてもあまりにも挙動不審が過ぎている。

「検問って言った方がいいレベルだな。一人一人をまるで物色してるようで──」


「先輩左!」


 突然加瀬森が叫んだ事で反射的に顔が動いた。


左のモニターに目を向けると、1人の女性が丁度入店する様子を映していた。急いで早送りを取りやめて、その女性の入店に巻き戻す。

 低身長に加えて、本人が言っていた黒色の手提げカバン、髪型などの特徴からして谷原に間違いないだろう。


「…中に入っていきますね」

「見てみろ、さっきの奴」


 谷原が店の中に入るなり、入り口で屯っていた男は漸く後を追い始めた。そしてそのまま5〜6m程の間隔を保ちながら、2人はスーパー内を周りはじめた。


「なかなか2人の姿が見えませんね…」


 その有り様を映したカメラの録画で見る男は、カメラの視界を分かっているかの様に移動している。食品棚に上手く隠れていて姿が途切れ切れにしか見えない。

 

「まぁ、出口で見えるからな。辛抱するしかない」


 少し経ち谷原が会計の場所へ現れた。店員と談笑をして支払いを終えて外に出ていく。それと同時に、やはりあの男も尾行する様に小走りで後を追っていった。


「「あ」」


 そして事は起きた。

 スーパーを離れた谷原に男は急激に背後へ近づくと、鞄を強奪して勢いよく走り出した。その間はカメラ越しで本当に一瞬だった。

 谷原は後を追うことも無く、その場で放心といった具合で立ち尽くしており、男の方はそのままカメラの視界外に消えていった。


「…なるほどな」

「犯人が判りましたね」

「ああ、予想より断然早かったな」


 ひと段落終えて身体を伸ばし、リラックスをする。犯行の瞬間が映り込んでいるなら後は容易い。顔も割れているのだからあとは木場と愉快な仲間たちが対処してくれるだろう。


「追いましょうか」


 そんな僅かな安らぎの時間を台無しにする言葉が横から割り込んできた。


「何言ってんだ…後は三課の奴等に任せるだけだろ」

「犯人を追わなければダメです」

「分かった分かった。いいから帰るぞ」

「いえ先輩、ここでもし三課に仕事を引き継いでもらうと私達が勝手に行動した事がバレます。どちらにしても、時間がありません」


 加瀬森の言うように、たしかにこのままおめおめと本部に戻ってこの証拠を提出すれば、俺たちは恐らく命令違反としてまた面倒ごとになる。いや、もう既に面倒だが。


「まぁ…確かにそうだわな。だがここからの探索は時間がかかるぞ。あんまり資料室から長い時間離れる訳にもいかないし」

「それなら安心して下さい」

「ん?」


「犯人が何処にいるかは大体分かるので」


 加瀬森はいつもの様に無機質な声でそう言った。








 スーパーから出て加瀬森が歩みを進めた先は、すぐ隣にあるパチンコチェーン店だった。その敷地内には、入り口付近や駐車場など様々な箇所に監視カメラが取り付けられており、まさに万全の警備体制だ。


 中に入るなり、加瀬森は受付カウンターで呆けている金髪の店員に向けて手帳を突きつけた。


「すみません、少々調べたい事があるのですが。店長の方を呼んでくれますか?」


 受付の店員は逃げる様に奥へ入っていった。


「おい、こっちのカメラでもあの犯人の先を追うのか?」

「まぁ犯人の行方を追うというのは正しいですね」


 加瀬森は俺を見向きもせずに答える。

 暫くして、後頭部が少し寂しくなっている店員が現れた。服装からしてこの店の支配人だろう。


「お待たせ致しました……どうされましたか?」

「昨晩2度入店した人で、尚且つ今日開店時からも入店した会員のお客様を知りたいのですが」

「2度…えと、会員…ですか?」


 加瀬森が淡々と言い退けた要求に、明らかに戸惑った様子を見せる店員。


「失礼ですがあの…身元の不明な方へとカードの使用履歴をお見せは…」

「犯罪に関与しているんです」

「え…犯罪ですか…」


 店員は目を見開いて加瀬森を見た。根負けしたのに

、承諾したのか、目元のパソコンをカタカタといじり始めた。


「えと、カードの使用状況から…今も店にいらっしゃいますが…」

「呼び出して下さい」

「はい?」


 店員は素っ頓狂な声を上げた。ついでに俺の頭はショートしかけていた。


「えと…お客様を…」

「はい、呼び出して下さい」

「……わ、分かりました」


 加瀬森の気迫に負ける様に、店員は放送をかけた。

 あまりにも唐突過ぎるせいで、区切りをつけるタイミングを完全に逃した。もう完全に手遅れだ。


「これで何も無かったら…お前…」

「どうか今は私を信じて下さい、先輩」


 呼び出しをする間、釘を指す様に警告をした俺に加瀬森ははっきりとした眼を向けた。その眼の奥にはどこか確信に満ちた様な余裕がうっすらと見えた気がした。

 数分もしない内に、館内放送で「真川」と言われたその人物はカウンター前に現れた。少し目つきが悪いことと猫背なことを除けば外観はただの青年のようだが、よく見ると手の甲辺りにタトゥーの様な黒い模様が入っていた。


「 なんすか」


 急に呼び出されたのもあってか、その青年は舌打ちをして苛々を全面に出していた。


「真川さん、で宜しかったでしょうか?」

「そうっすけど…誰すか?」

「警察です」


 加瀬森がそう言った刹那、

 真川は何の前触れも無く、出口へと猛ダッシュをした。後ろも全く振り返らない、全力疾走だ。


「え、は?」


 だが俺がその状況に順応するよりも早く、加瀬森も真川がその場から逃げ出した直後、ほぼ同じタイミングで駆け始めた。スーツとは思えない速さで後を追いかけるその後ろ姿は、最早恐怖すら感じる。

 俺と店員はいっぺんに事が起き過ぎたせいで、完全に混乱の中に取り残されてしまったようだ。

 逃げる真川はあと少しで出口へと辿り着くという所で、足を踏み間違えたのか唐突におぼつかない足取りとなった。


「うああぁ…!」


 そして情けない悲鳴を上げながら、扉横に積まれたドル箱に頭から勢いよく突っ込んでいった。

 後から俺と店員が着く頃には、辺りに散らばったドル箱の中心に、今にも暴れんとせん真川が後ろから押さえ付ける加瀬森の方を睨み付けていた。


「んだよっ!何すんだ…このっ…テメェ!」


 怒鳴り散らかしながら、真川は暴れて拘束を解こうとするが、背中からガッチリと抑えられているこの状況。

 さらに今の真川自身の大声により、近くで打っていた客はすっかり野次馬と化しており、そう簡単に逃げられる状態では無いことは本人が理解しているだろう。


「貴方ですね?昨晩谷原さんから鞄を強奪した犯人は」


 加瀬森の言葉によって、真川の顔から急激に生気が消えていった。


「…違う」

「違うならなんで逃げ出したんだよ」


 俺の質問に真川は口篭る。力任せに解こうとしていた様は徐々に落ち着いていき、ぐったりとしてしまった。

 加瀬森が離しても俯せのまま、起き上がる素振りすら見せなかった。


「…………っクソ」


 完全に詰みだ。

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