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5話-A 和解と離別

10/16





 チャイムと共に授業が終わりを告げ、教室を出て食堂に向かおうとした時、廊下で古井木と遭遇した。


「いつもの場所」


 それ以外何も伝えずに、そのまま背を向けて去っていった。

 今日だ。今日で終わりにしよう。

 そう言い聞かせて、僕は古井木の後を追いかける。


 階段を降りて校舎を出た後、人目の目立たない駐車場へと僕らは向かう。


 過去、生徒の溜まり場と化していた駐車場は優也の事件以降、教師側が徹底的に統制をし、それ以降来る者は殆どいなくなっていた。

 だが、時折この場所で起きる暴力行為が忽略されているのを見かける辺り、"校内での揉め事が許されている暗黙の了解の場所"というのが生徒にも教師にも定着してしまっているのだろう。その証に、今僕はいつもの様にそのコロッセオに入場し、宿敵と呼べる人間と対峙している。


 古井木はフェンス近くに積まれたコンクリート片に手を組みながら腰を降ろすと息を吐き、こちらを目線を送る。


「あのさ、私鉉」


 西部劇の様な凍りついた空気は、古井木が口を開いた事により溶けていく。


「…なに?」

「いや、別にそんな警戒しなくてもいいって…んで、ちょっと今日さ、言いたい事があって呼んだんだよ」

「言いたいことって?」

「えっと…なんていうか…いや…いざ面と向かって言うってなると恥ずいな」


 小声で話をする古井木に違和感を覚える。

 らしくないのだ。いつもの様に言葉の節々に棘がある話し方とは、あまりにもかけ離れ過ぎている。


「…どうしたの?」


 僕の問いかけに、古井木は格好がつかなくなったのか、立ち上がると目の前にまで近づいてきた。


「すまん!」


 そして突然そう叫び頭を下げた。


「え、何…どうしたの?」

「ホント今まで悪かった!」


 困惑する僕を他所に、古井木は頭を降ろし続ける。

 今までこんな情けない姿を見た事が無かったのもあってか、あまりにも衝撃が大きい。


「いや、いいって…あの…」


 そう忠告をして、漸く古井木は上目遣いでこちらを伺う様に顔を上げた。

 こちらを見上げる姿ははいつもより遥かに見窄らしく怯えている様に見える。


「今までお前に散々金せびってホントごめん…どうか許して欲しい」


 まじまじと見つめながら詫言を言い続ける古井木を見ていると、突如として脳内に数多の思い出が蘇ってくる。

 駅前のCD屋、喫茶店の新メニュー、新作のゲーム。友達として共に過ごしたこれらの時間は、どれもこれも紛れもなく"楽しかった思い出だ。

 だが、古井木から受けた暴力によりそれらの思い出は苦痛によって上書きされていき、いつの間にか記憶の奥へと幽閉されていたのだ。

 まさに今、その封じられていた思い出は古井木の謝罪という鍵により開かれ、止め処もなく頭の中を満たしていく。


「一応聞くけど…何でそんな急に?」


 その問いで、古井木の目が泳ぐ。あからさまに何かを隠している様な様子だ。

 もしかすると、僕は古井木という人間の本性を勘違いをしていたのだろうか。


「古井木、もしかして何か悩み事とかあるの?」

「実はさ、オレの家借金があってさ…」

「借金?」

「ああ…結構多めで…それで金がどうしても必要だったんだ」

「そういう事…」


 やはりか。

 個人の判断で、ここまで何度も何度も金銭を要求してくるのは並大抵の事ではないと考えていたが、その予想は正しかったようだ。


「都合のいいのは分かってる…今まで騙し騙しやってたけど…でも俺これ以上耐えられないんだよ!」


 自棄っぱちになりながら古井木は感情を吐露した。


 僕は今、憐れんでいる。

 それも、自分を何度も何度も傷付けた人間を憐れんでいる。だが、それと共に優越感も得ている。まるで古井木より上になったかの様な感覚を。

 ならばもう、抵抗も復讐もする必要は無い。古井木には理由があった、それも本人の意思から背かなければならない程、困窮した理由が。


 それが分かっただけでも十分じゃないだろうか。


「もし…古井木がホントに金銭面で困ってるんだったら、何か協力するよ」


『優し過ぎるのは、ただのエゴだ』


 優也の言葉が念を押す様に僕を引き留める。

 こんな事はお人好しの域を当に超えている。

 自分はここで赦していいのだろうか?自分に散々暴力を振るっていた人間をそう簡単に許してしまった事を優也が知れば、本当に見放されてしまうかもしれない。


 それでも、目の前で困っている元友人だった人間を助ける原動力に成り代わるのには、十分な言葉じゃないだろうか?


「…ホントか?」


 僕は本当に赦していいのだろうか?


 ここで赦してしまったら、過去の暴力行為に追及したとしても、僕自身の発言が免罪符になってしまい、今までしてきた古井木の悪行は全て葬られてしまう。


「友達だから」

「…お前、やっぱ優し過ぎるよ」

「そんな事ないよ、別に」


 折角勇気付けてくれたのに、こんな事では合わせる顔が無い。

 優也には申し訳ない事をしてしまったが、古井木はどんな理由であれ、再度仲を取り繕うとしてくれた大切な人間なのだ。

 僕に自発的に話しかけてくれた数少ない友人が、困っているのに目の前で見捨てるのは、優しさを切り捨てる事ではない。

 そんなのは、ただの薄情者だ。


 だから、許そう。

 今までの事は水に流し、仕切り直すことにしよう。


「困ってたらいつでも言ってよ、相談にでも乗るからさ」

「ホントありがとな…私鉉…」


 声を潤ませながら古井木は礼をした。


「大丈夫だよ、それくらい」

 僕と古井木にはきっとまだ見えない確執があるかもしれない。

だから少しずつ、お互いに友情を手繰り寄せていこうじゃないか。


「ああ…ホントによかった」

「困った時に助けるのが友達でしょ?いつでも相談してよ」


 そう言うと、古井木は顔を綻ばせながら安堵した。


「私鉉…やっぱりお前はさ…」



「カモだわ」


 弾けるような笑顔で古井木はそう言った。




 次の瞬間、僕の視界は突然暗転した。

 何が起きたのかを理解するよりも早く、頬に激痛を感じたいや、僕は分かっているのかもしれない。

だが、それを信じてしまってはあまりにも自分が報われないので、必死に脳裏で否定しているのだろう。

 頬の痛みを十分に吟味する間も無く、今度は脇腹に鈍い痛みが走る。


「う…がっ……」

「おいおい死んだカエルみたいな声あげんなよ、きっしょいなぁ」


 上から容赦の無い罵倒が降り注ぐ。顔を上げたいが、脇腹の痛みに悶絶しているせいで見上げる事すら出来ない。


「うらっ!」


 だが、そんな自分の状態とは裏腹に新たな痛みが身体を突き刺していく。

 耐えきれなくなり、コンクリートの地面に涎が糸を引きながら垂れる。


「うーわ、きったね」

「あ、古井木。今日いくらにする?」

「おーす。んー…じゃコレでいくか!前はあの問題児に絡まられて回収できなかったしな」

「うっしゃあ!」


 古井木とは違う声が聞こえる。恐らく昨日いた取り巻きだ。コレとは何の事だろうか。現状を把握することに全てのリソースを割いているせいで、何も分からない。

 近づいてくる足音が僕の目の前で止まると、後頭部に今までと違った激痛を感じる。脇腹よりストレートな痛みだ。


「おい」


 髪を掴まれ、無理やり目線を合わせられる。


「今日はこーれ。よろしく」


 古井木は笑顔で人差し指をピンと伸ばす。

 恐怖なのか錯乱しているからか言葉が出せない。口を動かしても過呼吸の様になってしまう。


「返事は?」


そう言いながら古井木は髪を更に引っ張った。


「……は…い……」


 絞り出す様に答える。脇腹の痛みが更に酷くなっていく中、震える腕でポケットから手探りに財布を取り出し、1枚の札を怖々と差し出す。

 だが、古井木は受け取るわけでもなく、その金を手ごと叩いた。飛ばされた千円札は、宙をヒラヒラと舞いながら、地面に落ちていった。


「それじゃねぇよ」


 取り巻きの1人がニヤつく。


「え…?」

「いちっていうのは一万円の事な?わかるだろ?い・ち・ま・ん・え・ん」


 要求されたのは万札だった。


「何?払えないの?」

「…いや…高す……」


 言葉を言い終える間もなく、みぞおち辺りに古井木の膝蹴りが食い込み、痛みが加算される。


「う……ぐ…」

「うぇーい!クリーンヒット!」


 正面から無邪気な声が聞こえる。


「おいおーい、あんまやりすぎんなって。死んじゃうだろ?」

「マジやっば、おもろ過ぎだろコイツ」


 その隣からは制止を促す声など一切も聞こえない。

 今この場にあるのは、全て僕に苦痛を与えるものだけだ。


「ま、これまでのこと全部チャラって事になったからな。コイツのお墨付きだし。まぁ"それくらい"の事だから許すよなぁ?」

「おー太っ腹だな伊奈川!これからも宜しく頼むわ!」

「バカだなホント。生きてて楽しいのかよコイツ」


 ああ、苦しい。

 苦しくて、悲しい。


 どうしようもなく愚鈍で、間抜けで、馬鹿な自分が悔しい。






 「…ただいま」


 痛む身体を引き摺るように家に帰ると、珍しく父がソファに座りながらテレビを見ていた。

 四六時中仕事をしている父が家でこうして寛いでいるのを見るだけで、居心地の悪さを感じてしまうのは自分の感性が異常なのだろうか。

 冷蔵庫を開けて、中を開き今晩の夕食を探す。金こそ定期的に与えられる僕の家庭は、それ以外に何も得れる物が無い。

 16年と少し生きてきたが、父の笑顔も見たことは無いし、早々に離婚した母の顔に至ってはもう覚えてすらいない。

 故に僕は親の愛情を知らない。

 それを望むわけでもないが、時折笑顔で散歩をしている親子を見ると、家族愛というものにいつか触れてみたい、と羨ましく思う。

 一通り探したが大した収穫は無く、肩を落とし落胆をする。取り敢えず部屋へと戻り後で買い出しに行かなければ。


「おい」


 重い足取りで部屋を向かおうとした時、父が話しかけた。


「…なに?」

「お前、最近久津見の家に入り浸ってるだろ」


 テレビに目を向けたまま父が訊いた。どうしてこの事を知っているのだろう。


「入り浸ってるって程じゃないよ、別に」


 そう言い返すと父は立ち上がってこちらに一歩一歩近づいてきた。


「週どれくらいで行ってるんだ」


 目の前まで来ると、威圧感を全開にしながら疑問を投げる。

 睨み付ける様に僕の顔を見る様は、愛情の一片も感じない。


「1,2回くらいだよ」

「お前、今学期の中間考査の成績を忘れたのか?」

「…忘れてないって」

「なら何故家に帰って勉強をしない」


 父は淡々と、冷酷な雰囲気を漂わせながら質問を続けた。


「してるよ」

「いや、していない。していないからお前の頭はそんな脳カラなんだ。そろそろ自覚しろ」


 家に帰った所で安寧の場所がある訳でもない。寧ろ自分が1番嫌悪する人間と、血の繋がりがあるという事を思うだけでうんざりする。


「これからはもっと自分の行動を自重しろ。分かったか」

「もしこれからも会いに行くって言ったら?」


 ほんの少し、僅かな反抗意思を示しただけだったが、それは父の怒りの琴線に触れるのには十分な理由だった。

 パンッ

 上げられた腕が断頭台の如く顔に振り下ろされ、頬に電流の様な痛みが走る。

昼間の痛みと共鳴し、耐え難い苦痛を孕んだ。


「口に出す前に言葉は選べ」

「………っ」

「返事は?」


 僕は、どうしてこんな苦痛を噛み締めてまで、生きているのだろうか。


 自ら望んでこうなろうとした訳じゃないのに。


「…なんで」

「ん?」


 父は苛立ちながら聞き返す。


「なんで僕をいつも叱るんだ」



「…教えてやろうか?」


 そう言って僕の胸ぐらを掴むと、壁に押しつけた。


「子というのはな、親のために存在し、子は親の背中を見て育っていく。だからもし子が道を踏み外そうものなら、親はそれを矯正する必要があるんだ」


 僕を壁に押さえつけたまま、父は話を続ける。


「そして、ある程度まで子が成長をすると、後は勝手に道を進む権利が子にはある。だがな、それは"今までまともに育ってきた子"の話だ」


 そう言うと父は胸ぐらに力をグッと加えた。


「何故お前は俺の言う事を聞けない?何故お前は俺の言った事ができない?それは誰の責任でも無い、お前自身の能力の無さが原因だろう?」


「…僕は道具じゃない。自由に生きる意志も権利もある」

「仮にお前が"道具"ならとうの昔に廃棄してる。寧ろ、一度見限った人間をもう一度使ってやってるだけ感謝してもらいたいものだが?」


 狂ってる。


「出来損ないに衣食住があるだけありがたいと思え。お前に費やした時間と労力を別の事へと使えられればどれほど良かったことか…」


 コイツはやっぱり狂ってる。


「気が済んだならとっとと勉強でもしろ。そして俺の邪魔をするな」


 溜め息を付きながら父は手を離す。背中を壁に擦りながら崩れ落ちる様に僕は消沈した。


 反抗だ、これは。古井木はまだ僕に楽しい思い出をくれた。だから100歩、いや1000歩ほど譲って済まそう。


 だけどコイツは、昔から僕に苦痛しか与えて来なかった。怨嗟を言葉に詰め込んで飛ばし、劣等感や煩わしさを包み隠さずに突き刺し、僅かない癒しだった母親にすらも手を上げた。



 ああ、嫌いだ。嫌いなんだよ、お前が。

 死ぬ程、憎い。



 怒りの臨界点を超えた憎しみは行動へと変わり、僕はソファに戻る父の背中を後ろから、勢いよく突き倒した。

 

 父はバランスを崩すと、そのままテレビ前の小さなガラスの机に倒れ込んでいった。


 パシャンッ、とガラスが破砕する様な音が連続して続き、硝子部分は粉々に砕け、辺りに光に照らされて宝石の様に煌めくガラス片が散らばった。

 中央ガラス部分が無くなり枠組みだけが残った机は、自立していた。


 暫くの間、時が止まったかの様にお互いに動かなかった。

 僕は動けない、という理由だった。自分からしておいて自分がした事に驚き、完全にやり過ぎたと考えていたからだ。

 父が動かないのはやり返すタイミングを見計らっているからなのか。

 いずれにせよ、この間合いから一歩でも離れたい。


 数十秒ほど経ち、父が身体をゆっくりと起こして立ち上がった。肩に乗ったガラス片は滑り落ちていき、床に散らばっていく。

 父の手の甲からは血がポタポタと垂れて、腕の白シャツも段々と赤色へと染め上がっていった。


「お前、覚悟は出来てるんだろうな」


 低い声で父はそう言った。

 ゆっくりと僕との距離を縮めてくるその表情は、いつも通り何も思っていないような喜怒哀楽が欠けた顔だった。


 だからこそ、恐怖を感じる。



 "廃棄"



 その言葉が頭を掠める。


 ここから逃げないといけない。

 玄関に置いたバッグを手に取り、急いで玄関の扉を開けて家から出る。



「待て!!」


 後ろから聞こえる怒号により、身体は一時的に金縛りを受けたかの様に止まる。



 その呪いの様な言葉を身体から引き剥がし、一心不乱に闇夜の道を僕は駆けた。

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