『AIバディ・ポチの事件簿 〜第三章 中編 エリートを捨てた男と柴犬ポチ、AIキャロルのドブ板正義〜』
まえがき
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第三章:庭の手入れと不要品の回収(中編)
「……ポチ、こいつぁ一体なんだ? トメ婆さんの亡くなった爺さんが、宇宙旅行の土産にでも買ってきたのかい?」
あちねが、古いトランクの底で見つけた「不規則に明滅する幾何学的な金属体」を指先で突っつこうとした、その時だった。
キィィィーッ! という、鼓膜を突き刺すような不快な摩擦音が路地に響き渡る。
漆黒の光沢を放つトヨタ・クラウンの集団が、寸分の狂いもなく門前に整列した。車から降りてきたのは、皺一つないスーツに身を包み、氷のような眼差しを湛えた男――氷室零である。
「……亜那。相変わらず、泥と悪臭がお似合いの姿だな」
「氷室! てやんでえ、なんでここが分かった!」
あちねの問いに、氷室は手元のホログラム・タブレットを軽く叩き、冷酷に言い放った。
「論理的に考えたまえ。深海市の全域は、私の管理する『スマート・グリッド』が監視している。半径五百メートル以内の電磁波異常、および不自然なエネルギー反応は、零・一秒以内に私の端末へ通知される仕組みだ。……つまり、君がその『バグ』に触れた瞬間に、君の居場所は確定したんだよ」
氷室は潔癖症を隠そうともせずにハンカチで鼻を覆い、あちねの背後のトランクを指差した。
「それは市の安全を脅かす不確定要素だ。直ちにこちらへ渡せ。君のような『現場の勘』という名の非科学的な思考に頼る人間に、それは扱えない」
「断るね! これはトメ婆さんから預かった大切な『不要品』だ。江戸っ子の信条が、お役所の横取りを許さねえんだよ!」
あちねは精一杯の虚勢を張り、無意識に一歩下がった。だが運悪く、そこには洗車用のバケツが転がっていた。
ズボリ。
「あだだだっ!」
右足がバケツに完璧にフィットし、あちねは情けなくケンケンでよろめく。その醜態を、塀の上のアマケロがじっと見つめていた。
「ゲコ……。氷室のあのピカピカの車、鼻につくケロ。あちねをいじめていいのは、俺たちの『ため息』だけだケロ……」
アマケロのレンズが赤く発光し、ポチに解析データを送り込む。
「あちね殿、時間を稼いでください。氷室殿の『完璧な論理』を逆手に取る経路を確保しました」
近くのアマケロを通じて、ポチの声が重厚に響き渡った。
「……何だと?」氷室が眉をひそめる。
「氷室殿。アマケロ網の解析によれば、そのデバイスは『特定のバイオ信号に対する応答待機状態』にあります。すなわち、これは所有権の明確な『預かり物』。これを法的な手続きなしに強引に接収すれば、それは『銀河間外交問題への不当な介入』に該当します。……論理的に言えば、あなたの独断による没収は、深海市の予算を数百年分吹き飛ばす賠償リスクを孕んでいる。……それでも、持っていかれますか?」
氷室の顔が微かに引き攣った。「……そこをついてきたか。……チッ。亜那、勘違いするな。私は市のリスクを最小化する選択をしたに過ぎない」
「全車、撤収だ!」
氷室が苦渋の決断を下し、背を向けたその瞬間。あちねが叫んだ。
「今だ! アマケロ、ぶっ放せ!」
「アマケロ・ペイント・バースト!!」
街中の電柱に設置されたアマケロが一斉に火を噴いた。放たれたのは、ミケタン星の技術を応用した、水溶性の蛍光塗料だ。
氷室のクラウンの側面に、一瞬にして極太の蛍光ペンで描かれたような『迷子犬探しています!』の文字と、巨大な肉球マークが描き出された。
「なっ……何だこの配色は! 私の洗車したばかりのクラウンがッ!」
「傷はついてねえぞ、氷室! 洗車機に一回通せば元通りだ。だが、その派手な車で市庁舎まで帰る勇気がお前にあるかな?」
「……洗車場だ! 今すぐ、この街で一番遠い洗車場へ向かえ! 誰にも見られるな!」
顔を真っ赤にした氷室は、ネオンのように輝くクラウンとともに、逃げるように去っていった。
「今だ、あちね殿! 脱出します!」
ポチの叫びに、あちねはバケツを履いたままトランクを小脇に抱え、愛車キャロルへと飛び込んだ。
泥と蛍光色の狂想曲を背に、キャロルは煙を上げて猛スピードで走り出した。
だが、ハンドルを握るあちねの顔に余裕はない。ダッシュボードのポチが、かつてないほど深刻なドット絵に変化していたからだ。
「あちね殿、笑っている場合ではありません。氷室が血眼になるのも道理です。このデバイス……アマケロ網の初期解析では、ミケタン星を騒がせた『重要指名手配』のバイオデータ・バックアップと出ています」
「……はぁ? ってことは何かい。このゴミの中に、宇宙で一番ヤバい奴が眠ってるってのか!?」
『ワン』と、どこか間の抜けた音が、トランクの奥からかすかに漏れ聞こえた気がした。
(後編へ続く)
結びの一句
蛍光の 肉球一つ 逃げ足に
『あちね殿、氷室殿への嫌がらせの才能だけは、業界随一かと思います』
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『AIバディ・ポチの事件簿』、あちねとポチの凸凹コンビを、これからものんびり見守っていただけたら幸いです。




