第三章 前編『AIバディ・ポチの事件簿 〜エリートを捨てた男と柴犬ポチ、AIキャロルのドブ板正義〜』
まえがき
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第三章:庭の手入れと不要品の回収(前編)
「……ポチよ。俺の掲げた『正義』は、雑草の根っこに埋もれちまったのかい?」
深海市の片隅。亜那あちねは、モデルのような美貌を絶望に歪ませ、天を仰いだ。
かつては警視庁のホープ、超名門「亜那家」の貴公子。それが今や、泥だらけの作業着に身を包み、蚊取り線香を腰にぶら下げている。
「あちね殿、寝言はシャワーを浴びてからにしてください。事業継承以来、あなたの実績は『迷子猫』と『ドブさらい』が大半です。今日の『草むしりと不要品回収』を完璧にこなしてこそ、次の大きなヤマが舞い込むという論理です」
近くのアマケロ端末から、ポチが事務的に、しかし容赦なく告げる。
「てやんでえ……わかっちゃいるんだが、せめてシャネルのエゴイストを振らせてくれ……」
「蚊が寄ってくるだけです。早く手を動かしてください、依頼主のトメさんが見ていますよ」
依頼主は、スマートシティ化を「横文字ばかりでけったいな」と嫌う、頑固一徹なトメ婆さんだ。縁側で茶を啜りながら、あちねの不慣れな手つきをジロジロと監視している。
あちねが軍手をはめ、ジャングルのように荒れ果てた裏庭へ一歩足を踏み入れた、その時だった。
「……ッ!? な、なんだ、この気配は!」
あちねの鼻が、異様な「パクチーを凝縮して腐らせたような悪臭」を捉えた。
生い茂った雑草の影から、もぞもぞと這い出してきたのは、光沢のある緑色の集団。――カメムシである。それも、ミケタン星のバイオ肥料を吸ったのか、妙にデカくてツヤが良い。
「ひ、ひぃぃぃ! 虫! 虫だポチ! それも臭い方の奴だ!!」
あちねは、イギリス紳士のような気品を瞬時にかなぐり捨て、バケツを振り回して逃げ惑う。だが、カメムシ軍団はあちねの放つ「ミルクの匂い」に引き寄せられたのか(あるいは単に嫌がらせか)、羽をブーンと鳴らして一斉に飛び立った。
「あー! 来るな! 俺の清潔な領域を侵すな!」
尻もちをつき、情けなく後ずさりするあちね。あまりの醜態に、塀の上の監視カメラ「アマケロ」が大きくレンズを回した。
「ゲコ……。虫一匹にこの騒ぎ……。見てるこっちが恥ずかしくて、レンズが結露するケロ」
アマケロは深いため息をつくと、その「ため息」の排出機構を応用した『アマケロ空気砲』をカメムシ群に向けてブッ放した。
パシュッ! という音とともに、圧縮された空気の塊がカメムシたちを庭の隅へと押し流す。
「……はぁ。情けないですね、あちね殿」ポチが冷たく言い放つ。
「……最近の若いもんは、根性がありゃあせんね」トメ婆さんも茶を啜りながらため息をつく。
「……助かったぜ、アマケロ。だがなポチ、江戸っ子は繊細なんだよ!」
真っ赤な顔で立ち上がったあちねが、気を取り直して古い物置の不要品を運び出し始めた時、ポチのセンサーが異常な反応を示した。
ガラクタの山の一番奥。埃を被った古いトランクの中から、現代の地球には存在しないはずの「不規則に明滅する幾何学的な金属体」が顔を出していたのだ。
「あちね殿、止まってください。それは……ただの粗大ゴミではありません」
『ブオオオオオオン……』
遠く、深海市の地下――「世界のヘソ」あたりから、間の抜けた重低音が響いた。まるで、大きな生き物の寝息、あるいはくしゃみを堪えているような音だった。
「……なんだ、今の間抜けな音は」
「解析中です、あちね殿。ですが、緊急性の高い異常波形ではなさそうです」
(中編へ続く)
結びの一句
草も虫も 逃げてくばかりの 現場かな
『あちね殿、俳句より先に、その泥だらけの軍手、洗濯してください』
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『AIバディ・ポチの事件簿』、あちねとポチの凸凹コンビを、これからものんびり見守っていただけたら幸いです。




