第十七章 第2話 深海市・昭和仕様書と地下迷宮の謎
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第十七章 深海市・昭和仕様書と地下迷宮の謎
第2話 予算のない少佐とトトト後ずさり
福まる食堂の裏手、古い鉄の蓋の下に、地下への階段があった。
ガポ、ガポ、ガポ。
あちねの足音は、石段にいやによく響いた。両足には、まだ洗車バケツがはまっている。
「あちねさん、そろそろ抜きましょう。音で位置が敵に筒抜けです」
「抜けねえんだよ。親父の夢に気を取られてるうちに、ぴったり嵌まっちまった」
「ぴったり嵌まる仕様ではないはずですが」
ポチCの声が、湿った闇に溶けていく。配管が壁を這い、どこかで水が滴っていた。そして空気の底に、かすかな唸りがある。ブーン、という低い音。みっちゃんの言っていた、あのノイズだ。
通路の奥に、小さな灯りが見えた。
タコ足配線、という言葉がある。目の前のそれは、タコ足の域を超えていた。何十本ものケーブルが床を這い、一本の古い配線盤へ、乱暴に束ねられている。その前で、小柄な人影が工具を握っていた。軍服はほつれ、肩章は片方ちぎれ、靴底は剥がれかけている。
「ええい、入らん! なぜ入らんのだ、この昭和の差し込み口は!」
ジュリタン少佐である。
「……あの、少佐」
ポチCが恐る恐る声をかけると、少佐は飛び上がった。工具が床を転がる。
「き、貴様ら、いつから!」
「ずっといました。あなた、ひとりごとが大きいです」
少佐は一瞬たじろいだが、すぐに胸を張り直した。いや、張ろうとして、ほつれた肩章がぶらりと垂れた。
「聞け、地球人。我々は好きでこんなことをしているのではない」
声が、急に湿った。
「新しく着任した所長がな、前任のカータン所長より、さらに予算に厳しいのだ! 遠征費すら出ん! 出張旅費は全額自腹、宇宙船の燃料は自前、おやつは持参だ!」
「おやつまで」
「背に腹は代えられんのだ! だから我々は、この深海市の地下回線を、ジュリタン星の通信回線に、こっそり、タコ足で、不正に……」
少佐は言いかけて、はっと口をつぐんだ。目に涙がたまっている。
あちねは、バケツの足でゆっくり一歩踏み出した。
「少佐さんよ。事情はわかった。わかったが、他人様の回線に勝手に足を突っ込むのは、筋が通らねえ」
「うるさい! 中間管理職の苦しみが貴様にわかるか!」
「わからねえ。が、バケツに足突っ込む苦しみなら、いまわかってる」
少佐が、悲しげな目でバケツを見た。
「……それは苦しそうだな」
「ああ、苦しい」
一瞬、妙な共感が地下に流れた。だが少佐は、すぐに頭をぶんぶん振った。
「いかん、流されるところだった! ええい、こうなれば!」
少佐が、腰のスイッチを叩いた。
キィィィィン。
耳の奥が痛くなるような高音が、地下道を満たした。空気が震え、目に見えない壁が、少佐とあちねの間に立ち上がる。
「超高周波バリアだ! 貴様の電子頭脳も、これで黙る!」
「あちねさん、外部通信が……遮断され……」
ポチCの声が、ぶつりと途切れた。
ダッシュボードの赤い光が消えた。いつも耳元で喋り続けていた相棒が、何も言わない。地下道に残ったのは、水の滴る音と、バリアの唸りと、自分の呼吸だけだった。
あちねは、バケツの足で立ったまま、ひとり闇の中にいた。
「……ポチ?」
返事はない。
舌打ちが、ひとつ出た。親父なら、こういうときどうする。夢枕の台詞が、ふと頭をよぎる。辻褄が合わねえ時は、過去の仕様変更。だが、それが何を指すのか、まだ見えない。目の前の配線盤は、少佐の最新機材とは明らかに時代が違う。そんな古い盤に、なぜ宇宙の通信が繋がるのか。
その違和感の尻尾を、あちねはまだ掴めずにいた。
「ふははは! どうだ、手も足も出まい! バケツには足が出ているがな!」
少佐が、涙を拭いながら高笑いした。
そのとき、少佐の背後で、ひとつの影がすっと動いた。
ジュリタン一等兵である。
緊迫した空気の中、一等兵はまるで勅使を迎えるような顔つきになった。両手を太ももにそっと添える。膝を曲げ、腰を落とし、深く、深く、頭を下げる。
揖。
古い礼の作法である。あちねも少佐も、思わず固まった。
そして一等兵は、その中腰の姿勢を保ったまま、足元だけを動かし始めた。
トトトトトトト……
サカナの尾ひれのように、小刻みに、細かく、足が床を叩く。体は一切上下せず、ただ水平に、すーっと後ろへ滑っていく。
トトトトトトト……
背中から、闇に消えていく。一等兵は、一度も顔を上げなかった。
バリアの唸りだけが、残っていた。
誰も、何も言わなかった。
「…………あいつ、いまの何だ」
「…………一等兵の、得意技だ」
少佐が、ぼそりと答えた。
あちねは、笑っていいのか迷って、結局、笑った。ひとり笑いだった。つられて少佐も、肩を震わせた。
その笑いの背後で、配線盤が、ひそかに低く唸っていた。
結びの一句
「暗闇や 尾ひれのごとき 後ずさり」
ポチのツッコミ
「あの動きのキレだけは超一流ですね……って、感心してる場合じゃないです!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。『AIバディ・ポチの事件簿』、あちねとポチの凸凹コンビを、これからものんびり見守っていただけたら幸いです。




