第十七章 第3話 深海市・昭和仕様書と地下迷宮の謎
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第十七章 深海市・昭和仕様書と地下迷宮の謎
第3話 ゼウス乱入、論理のバトロワイヤル
ドォォォン!
地下道の壁が、内側へ弾け飛んだ。コンクリートの破片が雨のように降り、粉塵の向こうから、黒い車体が突っ込んでくる。覆面のクラウンである。ヘッドライトが、闇を白く切り裂いた。
「警察だ! 全員動くな!」
運転席から降り立ったのは、氷室零警視だった。コートの裾が、粉塵の中でひるがえる。
「違法侵入、および通信法違反。深海市の地下回線は、本時刻をもって警察が管理下に置く」
氷室がダッシュボードの端末に手をかざした。
「起動。アイ・オブ・ゼウス」
車内で、青白い光が立ち上がった。
「全回線を強制押収する。ジュリタン少佐、貴様の通信機器もだ」
「ぬ、ぬおおお! 警察ごときに!」
少佐が腰のスイッチを叩く。バリアが唸りを上げた。
その瞬間、地下道は戦場になった。
少佐の超高周波が、空気を震わせる。ゼウスの極冷量子演算が、空間そのものを凍らせていく。配管に霜が走り、天井の電球が、ひとつ、またひとつ、弾けて消えた。どこかで基板が火花を散らす。壁際のブレーカーが、勝手にガチャガチャと上下した。
「回線番号、照合不能!」
「不明な信号を検知! 再演算!」
「ええい、バリア出力、最大!」
「出力を上回る、演算開始!」
超高周波と量子演算が、狭い地下でぶつかり合う。誰が勝っているのか、誰も分からない。分かっているのは、周囲の電子機器が、軒並み狂い始めたことだけだった。氷室のネクタイピンが、勝手に回転し始める。
「……警視。あなたの腕時計、逆に回ってます」
「構わん。事件は時計では解決しない」
「そこは構ってください」
あちねは、そのただなかに突っ立っていた。
バリアは、まだ消えていない。ポチCは、まだ沈黙している。バケツの足で、あちねは頭を抱えた。
その時、背後の石段で、軽やかな靴音がした。
「そこまでです」
凛とした声が、轟音の中を通り抜けた。
階段の途中に、女が立っていた。野口靜。手には、光る板のようなものを持っている。板が空中に像を結んだ。ホログラムの条文が、青く浮かび上がる。
「『深海市地下埋設物保護条例』。第三条に、こう記されています」
靜は、一歩、また一歩と、戦場へ降りてきた。
「地下に敷設された配線、配管は、市民の生活の糧を支えるもの。何人も、その機能を損なう行為を行ってはならない」
氷室が、眉をひそめた。
「野口。これは警察の捜査だ」
「ええ、存じています。ですが氷室警視、ゼウスの出力が、いま、条例の保護対象に及んでいます」
靜が、ホログラムの一点を指した。赤い光が点滅している。
「法は、力でねじ伏せるためのものではありません。市民の生活の糧を守るためにあります。少佐も、警視も、それを損なうなら、等しく止まっていただきます」
一刀両断だった。
氷室は、ゼウスに目をやった。一拍、置く。
「……出力を、三割に落とせ」
少佐も、歯ぎしりしながら、スイッチをひとつだけ戻した。
地下道に、ようやく、わずかな静けさが戻った。
その静けさの底から、小さな声が聞こえた。
「……ちね、さん」
あちねは、はっとして、ダッシュボードを見た。
赤い光が、ちかちかと、瞬いている。
「ポチ!」
「バリアの出力が下がって……再接続、できました……」
ポチCの声は、かすれていた。それでも、確かにいつもの相棒の声だった。あちねは、思わず、ダッシュボードを両手で叩いた。
「待たせやがって。ひとりで喋ってると、お前の声が恋しくなるじゃねえか」
「それは、褒め言葉と受け取ります」
ポチCは、すぐに仕事の声に戻った。
「あちねさん。先ほどから、ひとつ気になっていました。あの配線盤です。スキャンさせてください」
「ああ。俺もずっと引っかかってた。あの盤、時代が違う」
ポチCのセンサーが、古い配線盤を、静かに撫でていく。ピ、ピ、と電子音が鳴る。氷室も少佐も、争いを忘れて、その様子を見つめていた。
その時、天井の換気口から、のんびりした声が降ってきた。
「あらまぁ、にぎやかだねぇ。お客さんかい」
トメさんである。地上の厨房から、声だけが届いていた。
「あのね、そこの線ね、薫さんが昔いじってたとこだからね。乱暴にしなさんな。毛布が冷たくなっちまうよ」
全員の動きが止まった。
あちねが、ゆっくりと天井を見上げる。
「……トメさん、いま、なんて」
「え? 毛布が冷たくなるよって」
「その前だ」
「薫さんが、昔いじってたって。ほら、寒い冬にね、あたしの毛布が効かないって言ったら、薫さんが、ちょちょっと線を繋ぎ直してくれたのよ」
夢枕の声が、あちねの頭の中で響いた。辻褄が合わねえ時は、過去の仕様変更。
「あちねさん」
ポチCの声が、緊張していた。
「この回線、データの信号パターンがおかしいです。機密通信の暗号ではありません。もっと、単純で、もっと……」
一拍、置いた。
「……もっと、微弱です」
あちねの口元が、ゆっくりと、吊り上がった。
「親父、あんた、また余計な仕事してやがったな」
地下道の誰もが、まだ、その意味を知らなかった。
結びの一句
「閃光の 散る地下道や 秋時雨」
ポチのツッコミ
「バトロワの火花を秋時雨でまとめないでください! 謎が解けそうですよ!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。『AIバディ・ポチの事件簿』、あちねとポチの凸凹コンビを、これからものんびり見守っていただけたら幸いです。




