第七章 前編2話『AIバディ・ポチの事件簿 〜エリートを捨てた男と柴犬ポチ、AIキャロルのドブ板正義〜』
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第七章 前編 2話:『マタタビ湖の睨み合いと、マリモ式ハイテク生簀』
【あらすじ】
一族は政財界に名を連ねる名家。亜那あちねはエリートの座を蹴り飛ばし、自らドブ板の便利屋へと身を落とした。
相棒は、亡き愛犬の魂が宿る愛車、SAI・ポチC。
高級香水『エゴイスト』を纏いながら、脳が痺れるほどの練乳を愛し、下町の涙を拾う男。
「理屈じゃねえんだよ。……現場の意地、見せてやる!」
宇宙のキャットファイト
「おいおいおい、こいつは想像以上に修羅場じゃねえか!」
宇宙仕様に変形したポチキャロルのフロントガラス越しに、あちねは顔をしかめた。
アマケロ星の国境に広がる美しい大気圏内、エメラルドグリーンに輝く「マタタビ湖」の上空。そこには、三毛猫の毛並みを模した優美な宇宙戦艦『ミケタン号』と、漆黒のボディに鋭い爪跡が描かれた『クロタン号』が、目と鼻の先で大気圏を震わせながら睨み合っていた。
両軍の艦橋に設置された巨大スピーカーからは、
「シャーッ!!!」「ウニャーッ!!! 巨大シャケは我らのものだケロ……じゃなかった、ニャーッ!!」
と、鼓膜が破れんばかりの大音量の威嚇の鳴き声が響き渡り、互いに主砲のレーザーを照準し合っている。
「あちね殿、両軍ともに興奮状態で血圧が通常の1.8倍に上昇しています。論理的な対話は不可能な状態です」
ポチのドット絵が、液晶画面の中でマイクを握った管制官風のグラフィックに切り替わり、警告の赤ランプをピコピコと明滅させた。
「へっ、上等だ。かつてジュリタン少佐の野郎とジェリタン軍団を一緒に追い払った戦友が、なんで身内同士で牙を剥き合ってやがるんだ。猫のケンカは現場で止めるのが筋ってもんだろ!」
あちねは真っ赤な鼻をこすり、着流しの袖をまくって、いつもの竹箒をバシッと助手席からひったくった。
竹箒一本、戦艦の間へ
ドゴォォォン! とキャロルのハッチを開け、あちねは洗車バケツの嵌まった右足を器用に使い、大気圏の風を切り裂きながら両戦艦のド真ん中へと躍り出た。
首筋から漂う『エゴイスト』の渋い香りが、マタタビ湖の風に乗ってふわりと広がる。
「てやんでえ! どいつもこいつも、毛並みが違うだけで可愛い顔しやがって、神聖な湖の上でゴロゴロ威嚇し合ってんじゃねえや!」
あちねは空中を蹴り、竹箒をバシッと両軍の戦艦の主砲に向けて突き付けた。
「にゃ、にゃんだあいつはちゅう!?」「いや、ネズミじゃなくて人間ニャ!」
両軍の猫戦士たちが、艦橋の窓から丸い目をさらに丸くしてあちねを見下ろす。
その瞬間、ミケタン軍もクロタン軍も、あちねの顔と、その首筋から漂うエゴイストの香りにハッと息を呑んだ。
「あ、あのお兄ちゃんは……! かつて俺たちと共にジェリタン軍団を叩きのめした、伝説の便利屋あちね殿ニャ!!」
かつて肩を並べて戦った戦友の突然の登場に、両軍の肉球が歓喜と動揺で激しく震え始める。
(オイラは便利屋じゃあねえんだけどなぁ〜。探偵なんだけど……)
あちねは心の中でそっと苦笑いしながら、すぐに表情を引き締めた。
「いいか、お前ら! 魚の奪い合いは今日で終わりだ! これからこの湖を、世界一美味いおやつの天国にしてやるから、その物騒なオモチャを引っ込めやがれ!」
あちねの熱い怒声に、両軍が「あちね殿が言うなら……でも、シャケの分配はどうするニャ?」とざわめき立った。
マリモ式ハイテク生簀、始動!
「ポチ! 現場のプレゼン、始めな!」
「了解です、あちね殿。システム、ホログラム投影モード、起動!」
ポチの通信機能が作動し、マタタビ湖の全域に巨大な3Dホログラムが映し出された。
画面に現れたのは、地球の養殖技術と、アマケロ星の特産品を融合させた見事な設計図だ。
「両国の戦友の皆さん、お聞きください」
ポチの声が、涼やかに宇宙空間に響く。
「このマタタビ湖の底に、アマケロ星特産の『宇宙マリモ』の繊維を特殊加工した、超高強度の『ハイテクマリモ生簀』を設置します。これにより、銀河巨大シャケの稚魚を外敵から守り、地球の高速養殖サイクルを導入することで、漁獲量は従来の5倍、つまり『無限』になります!」
さらに画面は、すり潰されたシャケが次々とパウチに詰まり、黄金に輝く液体おやつへと姿を変える、あちね考案の『特製チュルチュルfoods工場』の完成予想図へと切り替わった。
無限に湧き出る、とろっとろのチュルチュルおやつ――。
それを想像した瞬間、ミケタン軍もクロタン軍も、戦意などどこかへ消し飛んでしまった。
「ペ、ペロペロし放題ニャ……?」「もう骨が喉に刺さる心配もないニャ……!」
両国の猫兵士たちは、コクピットのレバーを握る手を緩め、だらしなく舌を突き出して生唾をゴクリと飲み込んだ。湖を包んでいた一触即発の殺気が、戦友への信頼と、おやつへの期待を込めた平和な「ゴロゴロ音」へと変わっていく。
「へへっ、話が早くて助かるぜ」
あちねは竹箒をくるりと回して肩に担ぎ、キャロルの中へと戻ってきた。
「よし、ポチ! 和解のムードが冷めねえうちに、さっさと湖畔にチュルチュル工場の建設を開始しちまおうぜ!」
「了解です、あちね殿。論理的かつキャットフード的な勝利です」
こうして、猫たちの全面戦争は回避され、平和な工場建設へと動き出した。だが、美味い匂いのする場所には、決まってあの「ずる賢い影」が宇宙母船から忍び寄るものであることを、あちねたちはまだ知る由もなかった。
(第3話・中編へ続く)
【結びの一句】
春風に 髭も緩むや おやつの絵
後書き
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『AIバディ・ポチの事件簿』、あちねとポチの凸凹コンビを、これからものんびり見守っていただけたら幸いです。




