第六章 前編『AIバディ・ポチの事件簿 〜エリートを捨てた男と柴犬ポチ、AIキャロルのドブ板正義〜』
まえがき
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第六章 前編(:依頼段階):『つぶらな瞳と、消えたサンタの首飾り』
【あらすじ】
一族は政財界に名を連ねる名家。亜那あちねはエリートの座を蹴り飛ばし、自らドブ板の便利屋へと身を落とした。
相棒は、亡き愛犬の魂が宿る愛車、SAI・ポチC。
高級香水『エゴイスト』を纏いながら、脳が痺れるほどの練乳を愛し、下町の涙を拾う男。
「理屈じゃねえんだよ。……現場の意地、見せてやる!」
1. やってられねえ平和
「あーあ、やってられねえや! どいつもこいつも、ジェリタン軍団が大人しくなった途端に平和ボケしやがって!」
あちねは事務所のソファに深々とふんぞり返り、脳が痺れるほど甘い特製練乳コーヒーをストローでチュウチュウとすすりながら、盛大なため息をついた。右足にすっぽり嵌った洗車バケツが、フローリングの床でガタガタと情けない音を立てる。
桃福での大決戦の後、ジェリ大帝やジェリタン少佐たちは宇宙母船へと引き揚げ、深海市には一時の静寂が戻っていた。ライバルの氷室零警視も公務が忙しいのか顔を見せない。
「あちね殿、贅沢を言ってはいけません」
ポチのドット絵が、液晶画面の中からジト目で突っ込みを入れる。
「敵が退いた今こそ、溜まった事務所の家賃の計算をする論理的チャンスです。現場の意地で家賃は払えませんよ」
「うるせえや! 俺はもっとこう、現場の熱い血が滾るような事件を……」
あちねが言いかけた、その時だった。
トントン、と、ドアの非常に低い位置から、消え入りそうな小さなノックの音が響いた。
2. つぶらな瞳の依頼人
「……ごめん、ください」
ガラリと開いたドアの向こうに立っていたのは、小さな、本当につぶらな瞳をした下町の女の子だった。
長身のあちねを見上げるその瞳は、今にも溢れそうな涙で潤んでいる。
あちねは慌ててソファから飛び起き、長い体を折り曲げるようにして女の子の目線に合わせ、着流しの袖を払った。首筋から『エゴイスト』の渋い香りが優しく漂う。
「お、お嬢ちゃん。一体どうしちまったんだい? このロロロのあ兄きに言ってみな」
女の子は小さな手をぎゅっと握りしめ、震える声で言った。
「あのね……おじさん。わたしの一番お気に入りの首飾りが、なくなっちゃったの」
「首飾りぃ?」
「うん。おととしのクリスマスに、サンタさんからもらったの。すごく大事にしていたのに……さっき、お部屋の隅から、変なネズミさんたちがワラワラって出てきて、ハサミで紐を切って持っていっちゃったの。白い服を着た怖いネズミさんが『部下たちへのお土産にするちゅう』って……」
3. あちね、ショックで震える
「な……なんだって……!?」
それを聞いた瞬間、あちねは雷に打たれたように硬直した。
「サンタさんからもらった首飾り……それを、ネズミどもが……」
ガタガタガタガタガタガタ!!
あちねの右足の洗車バケツが、凄まじい勢いで震え始めた。ショックと怒りのあまり、全身の震えが止まらないのだ。
「またか! またあのネズミどもか!! 宇宙へ退散したと思ったら、深海市にまだ少し残党が残ってやがったのか!!」
あちねは真っ赤な鼻をこすり、悔し涙をボロリとこぼしながら、事務所の隅の竹箒を凄まじい力でひったくった。
「あちね殿、落ち着きなさい! バケツの振動でキャロルの通信機器にノイズが入ります!」
ポチのドット絵が慌てて画面を明滅させる。
「ですが、確かに許しがたい非論理的行為です。ジェリタン軍団の残党め、厨房の次は子供の純真な夢を略奪するとは。……ただちに深海市全域の残党の波長を検索します!」
「がってんだお嬢ちゃん! 誰がなんと言おうと、サンタさんの首飾りは、この俺が命に代えても奪い返してやる!」
あちねは竹箒をバシッと構え、怒りの炎をその目に宿した。
大人しくなったはずの街の裏で、コソコソと動く小さな影。女の子の涙を笑顔に変えるため、便利屋あちねの、一番泥臭くて一番熱い捜索戦が幕を開けた。
(第二話・調査段階へ続く)
【結びの一句】
春の日に 少女の涙 バケツ鳴る




