上司
淡々と注文を取り始めるフロアマネージャーを眺めながら、私は数分前に起こった事の発端を想起する。
それは「莉羅ちゃん、行こ?」と桃胡さんに呼ばれた後、私がフロアマネージャーの前を通り過ぎようとした時のことだった。
「え……?」
私は突然、フロアマネージャーに手首を掴まれた。
「あ、あああ、あの……?」
「こんにちは」
「こっ………こんにちはぁぁ」
「次の催しについていくつかご相談があります。少しお付き合い願いたいのですが構いませんか?」
「……へ?」
本当にびっくりした。
フロアマネージャーは相変わらず一方的だし、無表情だし。その顔で真っ直ぐ見られると断りにくいと言うか、つい頷いちゃって、今このカフェに付いてきちゃったんだよね。
「付いてきちゃったんだよね、じゃないでしょう……。俺とのデートはどうなったのかな莉羅ちゃん?」
そう桃胡さんは、隣に空いていたテーブルの席に腰掛けながらコードをチラつかせる。
やばい。口調は優しいけれど、目の奥が笑ってない。
ちょっ、ちょっと話聞くだけですよ。きっと、すぐに終わりますって~……ね?
水族館、ほんっと楽しみだなぁ~。
これ以上、無敵状態の桃胡さんを刺激したくない私は、心の中で冷や汗を掻いた。
だって昨夜の“俺からは逃れられない”発言の通り、私は桃胡さんに色々と自由を奪われている。離れようとしてもコードを引っ張られて終わりだったし、今日のデートも、着てきた洋服も、桃胡さんが私にコードを振りかざして要求してきたものだった。
はぁぁ……。
「どこかに出掛ける予定があったのですよね? こちらから頼んでおいてなんですが、待ち合わせの時間とか大丈夫ですか?」
「え? ああ、まぁ水族館に……でも、1人で行こうとしていたので、お気になさらないでください。ありがとうございます」
「……1人で、ですか?」
「え。そ、そうです……変ですか?」
「あ、いえ……ただその、髪型や服装があれでしたので、てっきり男性と……」
フロアマネージャーは言いながら、私の洋服へと視線を滑らせた。
確かに、デート服に見えるか。女性らしいデザインだもんね。胸元のギャザーとか、肩のフリルとか。丈もふくらはぎくらいあって長めだし。
「あはは……ちょっと張り切った格好ですよね、これ。お店で見た時は大人っぽくて可愛いなって思ったんですけれど、いざお家で着てみたら顔が浮いちゃって。だからずっと着てなかったんです」
「そうですか……」
「はい……あはは」
――って「そうですか……」って、何~~!? 失礼なっ。
うん、でもまぁ似合わないよね。自分語りしてすみません。でもわかってるから着ないで、クローゼットの一番端っこで眠らせていたんだし。
「お待たせいたしましたー」
「あ。ありがとうございます」
桃胡さんのフォローだけが沈黙を破る中、待ちに待った注文が届いた。細いグラスに小さい氷がたくさん詰まったアイスティー。
本当はマンゴーラッシーが美味しそうで飲みたかったのだけれど、ほぼ他人のフロアマネージャーの前で我を出すのは違うかなと思って、無難なものを選んだ。フロアマネージャーはアイスコーヒーを頼んでいたし。
取りあえずこれで、気まずい間を埋めることが出来る。
「いただきます……」
でも美味しい。紅茶はストレートに限る。
「その格好で1人、水族館ですか」
「!?」
なっ、何だこの人っ。その話題、引っ張らなくていいのですがぁぁ?
「俺も付き合います」
「……は?」
「1人なんですよね?」
「え。えぇ、まぁそうですけど……な、何でです?」
「そのような格好で1人テーマパークに行かれるのは危険です。あぁいう場所には貴女のような人を狙ってくる輩も居ます。何かあってからでは遅いでしょう。上司である俺……私がお付き合いします」
桃胡さんと似たようなこと言ってる。でも、あまりに一方的だ。
「いえいえ、私なんか誰も狙いませんって。普通に行って帰ってきま――」
「なるほど。貴女はそれを承知で行くのですね? だからそのような服装を」
「へ?」
ななな、何を言っちゃってるの、この人。決めつけてるんですけどー!?
って言うか別に私は、ナンパする人も、されに行く人も居ていいと思うけどなぁ。
「ち、違います。ただ私は、1人で楽しもうって思ったんです。一緒に行く友達も彼氏も居ませんから……」
私は肩を竦めながら、何でこの仏頂面にぼっちを公表しないといけないんだと、腹立たしく思った。その所為なのか、コードの性質のことを忘れていた私は、桃胡さんに目配せして、古のヤンキーのように眉間へ皺を寄せて不満を伝えた。
伝えたわけなのだけれど。
「居ない……」
「え?」
声に反応して視線を戻すと、一瞬だけ見えたフロアマネージャーの表情がこれまでと違った気がした。
一瞬で、そんな感じがしただけだけれど、何と言うか……桃胡さんを彷彿とさせる柔らかさがあった。
「ありがとうございましたー」
颯爽とカフェを出ていくフロアマネージャーに、私は慌てて声を掛ける。
「あのっ、お支払いっ」
「紅茶1杯で遠慮することはありません。それに私は、貴女の上司にあたりますから」
眉一つ動かない表情でピシャリと言われてしまったらもう、私は頷くしかない。
「は、はぁ。で、ではお言葉に甘えさせて頂きます……ごちそうさまですっ」
「いえ……」
顔ごと目ぇ逸らされた。こいつ笑ってるよ、ちゃっかりしてるなぁって思ったのかな。まぁ実際にお金が浮くのってラッキーだから、仕方ないか。
それにしても休日にお仕事の話を持ち掛けたり、直属の上司じゃないのにも拘わらず、部下の、しかもアルバイトの私の身を案じるなんて。
ん~。単純に責任感がすごくある人なのかなぁ?
「ねぇ莉羅ちゃん。何で俺が、あの俺とデートしないといけないわけ?」
こ、事の成り行きですって。フロアマネージャーとはデートじゃありませんし……。
「じゃあ、何?」
え? ……ううんっと、子守り?
いや、トラブルを起こさないように監督して頂くのかも?
「監督、ね。まぁ、後で覚えておいてよ」
そう言い捨てて、桃胡さんは私の手を取る。
怒ってるなぁ。なのに目を細めているのが怖いよぉぉ。
手も、ここへ来た時よりも強く握られている気がするし。
でも変な話だよね。ドッペル……じゃなくて、桃胡さんの本体であるフロアマネージャーの方が、私にとって気の置けない相手だなんて。
まぁそりゃあ普通にフロアマネージャーは、私のアルバイト先のお店を置かせてもらっている駅ビルの偉い人だし、こうして強気で来る桃胡さんは怖いけれどさ。
けれどなんか、フロアマネージャーって何を考えているかがわからないんだもん。
はぁぁ……と内心ため息を吐く私を、桃胡さんは少し不満気に見ていた。




