嘘は良くないし、上司の車で寝るのも違う
フロアマネージャーの手……熱い……。
「ひゃっ」
「っ、大丈夫ですか……?」
「は、はい。ありがとうございます……」
私は、コードを引っ張られ仰け反った背中をフロアマネージャーに抱き留められながら、桃胡さんに意識を向けた。
話さなくてもわかる。桃胡さん、怒っているんだ。
「俺は……莉羅ちゃんに怒っているんじゃないから……」
桃胡さん……。
「でもごめん……今回だけは、そいつに譲る……だから莉羅ちゃん――」
「今のをご覧になりましたか!?」
桃胡さんの声が聞こえないフロアマネージャーは、話を遮る形で数歩先の住職に訊ねる。すると住職は、そろりと振り返って、ゆっくり首を傾げた。
「はいぃ……?」
「み、見ていませんか……」
「えぇ……ですが視えますよぉ……常盤さんに絡みつく淫猥な霊がねぇ……」
いんわい? 桃胡さん、いんわいですって。
「莉羅ちゃん……絶対意味わかってないでしょ?」
私の軽口で、桃胡さんは少し調子を取り戻したようだった。
「俺たちのコード、切れちゃうかもね。でもまた付けるから」
寂しげに言う桃胡さんを見て、私は複雑な気持ちになる。
桃胡さんに憑りつかれたままの状態が良くないことくらい、私は身をもって知っている。けれど桃胡さんは、自我を持ってしまっているから……。
って、はぁ……私がこんなんだから、いけないんだよね……。
「あぁ貴方……付き添いの貴方はぁ、もう帰られていいですよぉ……」
「えっ」
「なっ、なぜですかっ? 彼女を1人に出来ません!」
「時間がかかりますからぁ、また明日にでも迎えに来てくださいねぇ……さぁさぁ、夜深くなりますと危険ですぅ。お引き取りくださいぃ……」
「い、いえ、待てます! 付き添わせてくださいっ」
「フロアマネージャー……」
私はすがるように、指を絡めたフロアマネージャーの手を握り返した。
「大丈夫です。貴女を置いていくなんて絶対にしませんから……」
「は、はい」
「仕方がありませんねぇ……では隣の部屋で待っていただきましょうかぁ。まぁ……眠られていても構いませんからぁ……」
「起きて待たせていただきます! ですがあの、隣で……ですか?」
「えぇ……神聖なお祓いになりますのでぇ、付き添いはお断りしているんですよぉ……」
「そ、そうですか……」
フロアマネージャーは意気消沈しながらも、肩を竦める私の頭にそっと手を置いてくれた。
手水舎に寄らなくていいのかなと気にしつつ少し歩いて、私たちはお堂から離れて建つ庫裡にお邪魔した。お線香の匂いがする。
「常盤さん、何かあったら呼んでください」
「はい。たくさんありがとうございます。あの、フロアマネージャー……ここ寒くないですか……?」
「……大丈夫ですよ」
私が小声で訊くと、フロアマネージャーは同じように声を潜めて返してくれた。耳元に息がかかって、少しドキドキした。でも今は、恐怖に似た緊張の方が勝っている。
「ではぁ、私たちはこれでぇ……」と、住職が襖をゆっくり閉めていく。これ以上フロアマネージャーに不安を見せたくない私は、閉まり切る前に軽く拳を握って、それから笑った。
「ではこちらに着替えてくださいねぇ……」
「あ、はい」
受け取ったのは、浴衣の下に着る肌襦袢のようなもの。白装束って言うんだっけ。よく、滝に打たれている人が着ているやつだと思う。
それにしても、この住職。本当に桃胡さんのことが視えているのかな?
だってさっき、私に“絡みついている霊”って言っていた。あの時、桃胡さんとは距離があったのに……って、もしかして別の幽霊が憑いてるってこと!?
コードを切ってもらうだけでなく、結界的な何かで、桃胡さんからむやみに近寄られなくなるかもしれないという淡い期待があった。とはいえ桃胡さんは逃げてしまったし、今からフロアマネージャーを巻き込んで、私は何のためにお祓いをするのだろうと思っていた。
けれどそういう話なら、ちゃんと意味はあったのかも?
「あぁ服の上からではありませんよぉ……」
「え」
「隣で付き添いの方がお待ちですぅ……着替えはぁ、お困りの霊障についてお伺いしながらにしましょうかぁ……」
そう言って、住職は私の前に正座した。
「あ、あの」
「お電話ではぁ……色情霊ではないかとお聞きしましたぁ。身体に触れられる感覚があったということでしょうかぁ……」
「は、はい、まぁ……」
「そうですかぁ……それはさぞや、お困りでしょうねぇ……」
淡々と話を進める住職に、私は失礼なことばかり考えていたなと反省した。
そうだよ、時間外に訪ねているのはこっちなんだから。少しでも早く終えられるように着替えよう。
私は後ろを向いて、白装束に腕を通したままスカートを下ろした。簡単に畳んで脇へ置き、上を脱ぐために一旦袖を取ろうとした。
「あぁそうです、これを銜えておいてくださぁい……」
「えちょっと、んんっ」
住職が私のすぐ後ろに立ったかと思ったら、しめ飾りのような縄に付いた鈴を口に銜えさせてきた。縄を後頭部にぎゅっと固く結ばれてしまい、口が閉じられない。頬に縄のささくれが当たって痛い。
あれ? なんかもしかして、様子がおかしい?
それともお祓いって、こんなものなの?
「どうかしましたかぁ、手が止まっていますよぉ。付き添いの方がお待ちですのでお手伝いしましょうねぇ……?」
「んんっ……」
「こちらも脱いでくださいねぇ……この後、御神酒の入った湯船で禊ぎをいたしますのでぇ……」
「んんっ、んんっっ」
と、桃胡さん助けて! 私っ、住職に、脱がされそうになってます!
桃胡さんを祓ってもらうために誘き寄せる嘘じゃありません!
お願いです信じてっ、助けて――!
「莉羅ちゃん!?」
住職に生暖かい息をかけられながら、気持ち悪い手つきで裾をたくし上げられ焦っていた時。心の声が届いたのか、桃胡さんが駆けつけて来てくれた。
さらに桃胡さんが通りすぎた襖を開いて現れたのは、慌てた様子のフロアマネージャーだった。口に銜えた鈴がリンリン鳴り響く。
「大変です! ここって紹介してもらった場所とは……――ちょっと何やってるんですか!!」
「んっ、んっ!」
力の差は歴然。後が無くなった住職に、下着越しに触られたり胸を揉まれたりしたし、フロアマネージャーに恥ずかしい姿も見られてしまったわけだけれど、2人のお陰で私は最悪な状況を免れたのだった。
その後は怒り心頭に発したフロアマネージャーが警察を呼んでくれ、住職はあれよあれよと逮捕された。
そして車に戻った私たちは、同時に大きくため息を吐くのだった。
「で、でも、これでもう被害に遭われる方は居なくなりますし、良かったですっ」
「何が良かったんですか」
「え」
いつになく冷たいフロアマネージャーの声に、私は怯えた。
「おいっ、何だよその言い方! 莉羅ちゃんは被害者なんだぞ!」
と、桃胡さん……。
「あ、いえ……私もすぐに気付けなかったので、責めているわけではありませんから。怖い思いをさせてしまって、本当に申し訳ありません……」
「い、いいえっ。こちらの方こそ気付かなかったのは同じです。すみません、色々と……助けていただき、ありがとうございます」
「ったく」
「いえ、何とお返事したらいいか……。しかしまさか読み方が一緒で、漢字違いの場所に来てしまったとは」
「はい……ここのお寺の名前に使用されている漢字、床に坂ではなく、事解寺。調べましたが、神様のお名前に由来しているみたいですね。しかもそのお寺がある場所は」
「島根……でしたよね?」
「はい……」
本来、私たちが行くべき事解寺は、石見銀山や出雲大社で知られる島根県に在った。めちゃくちゃ遠い。
「私にも落ち度がありますが、はぁ。あの店員には、きちんと話をしなければなりませんね」
「そ、そんなっ。きっと仁亜さんは、間違っていることにも気付いていないでしょうから……お、お寺の名前を平仮名で調べていましたし。仁亜さんとは事務的な話をしたことがなかったので、親身になって聞いてくださって嬉しかったです」
「それが仇になったんですけどね。立ち話で案内された名前と電話番号を鵜吞みにした自分が馬鹿でした。貴女を救うために来たのに、危険な目に遭わせてしまうなんて、本当に後悔でいっぱいです……」
「い、いいえ……」
「やっぱりもう、この方法しかありませんね……!」
「え?」
何か決意したようにハンドルを力強く握ったフロアマネージャーを、私は不思議に思った。
「あっ、そうですっ。フロアマネージャーが宜しければ、今から一緒に食事でもどうですか? って、運転していただいておいてあれですけれど」
「は? よく食べられる気になりますね。まずはシャワーを浴びられた方がいいのではありませんか? 貴女はやつに首筋や耳元を、その……」
フロアマネージャーのその言葉に、考えないようにしていたことが僅かにフラッシュバックした。
耳元に聞こえてくる住職の舌が這う音や、身体に残る感触。怖くて怖くて、気持ち悪くて、私はスカートをぎゅっと握った。
「莉羅ちゃん……。くそ、あいつ……!」
「わ、忘れてください。それに、手水舎でハンカチを濡らして拭いましたから、全然大丈夫ですっ」
「どこか近くのホテルや温泉施設に寄らなくて、本当に良いのですか?」
「も、もちろんですっ」
「……わかりました。ではまず、家に向かいます」
「はいっ。ありがとうございますっ」
「ん……」
息が小さく漏れ、私は胸で呼吸した。身体が脱力している。
そっか私、寝ちゃってたんだ……。
まだ意識がはっきりしないまま寝返りを打ち、ぼぉーっとした調子で目を開けると、眼前に頬杖をつく桃胡さんの顔があった。
慈しむように目を細め、私を見つめている……。
その表情は何度も見ているはずなのに、どこか私は違和感を抱いた。
「……?」
「あっ……」
桃胡さんは私と目が合うと、はっとしたように近くにあった顔を離した。
口を結んで視線を横に逸らすその姿は、まるでフロアマネージャーを彷彿とさせる。
「そうだ私、車に……あれ? これってシートじゃなくて……」
シーツ?
「莉羅ちゃんっ、俺はこっち!」
「へ?」
背後から桃胡さんの声がすると思ったら抱き付かれた。
え。っていうことは、目の前に居る人は……
「ふ、フロアマネージャー?」
「よく眠れましたか? 今、紅茶を淹れてきます」
すくっと立ち上がるフロアマネージャーを追い掛けるように、私が慌てて上体を起こすと、肌触りの良いグレーのブランケットが手元に剥がれ落ち、ベッドの軋む音が小さく響いた。
「あ、あの、ここは……?」
私が訊くと、フロアマネージャーは立ち止まって振り返った。
相変わらず私が桃胡さんに抱き付かれているとも知らずに、フロアマネージャーは普段通りの冷淡な顔で答えるのだった。
「私の部屋です」
「……へ。フロアマネージャーの」
部屋って……えええええええ~~っ!?




