嘘は良くない
え、えぇ―――――――っ!?
もしかしてフロアマネージャー、桃胡さんのことが視えちゃってます!?
「まぁ、そんなわけないよな」
「え」
「ほら。この様子だと、俺の気配すら感じていないでしょ」
確かにフロアマネージャーは、辺りを警戒するばかりで、安堵したようにため息を吐く桃胡さんを、気に留める様子がなかった。
でも私の方といえば、ピンチに変わりない。
だって独り言を喋りながら、おかしな声を出していたんだから……。
「って、ちょっとお前っ。いつまで莉羅ちゃんとくっついているんだよっ。返して!」
私以外だと身体がすり抜けてしまう桃胡さんには、フロアマネージャーが居ようが居まいが関係ない。桃胡さんは後ろから私を抱き寄せようとした。
けれどフロアマネージャーの腕は力強く、びくともしなかった。
そうだ。今、私。フロアマネージャーの腕の中に居るんだ……。
「莉羅ちゃん⋯⋯。こいつ……! 返せって!」
桃胡さんっ。この状況ってつまり、私の異変が目に見えない何かの所為だって、フロアマネージャーが思っているってことですよね?
「う、うん、まぁそうだと思うけど……。それよりも莉羅ちゃん、早くそいつから離れてよ」
わかってます。と、私は心の中で平静を装いながら答えた。
装っている分、いくらか鼓動は落ち着いているような気もするけれど、けっして穏やかではなかったし、独占欲の強い桃胡さんの力にも微動だにしないところとか、柔らかさのない胸に喉仏とか。自分とも桃胡さんとも違う、異性なのだと意識させられて、私も早くフロアマネージャーから離れたかった。
この胸のドキドキを、これ以上フロアマネージャーに聞かれないように、桃胡さんにも悟られないように、私は平静を装って呼び掛けた。
「あの、フロアマネージャー?」
けれどそれも、すぐに崩れてしまう。
私の呼びかけに、はっとしたフロアマネージャーがこちらを向いた時。お互いの鼓動が重なるように響いた。
「莉羅ちゃん!」
「わっっ」
瞬きも忘れ見つめ合っていると、再び背後から桃胡さんに引っ張られた。けれど、フロアマネージャーが咄嗟に私を抱き寄せる。
「やっぱり誰か居るんですね!?」
「えぇ、えっと……」
「信じられませんが……今のは、あきらかに不自然でした……説明がつきません」
「そ、それは……」
と、桃胡さん……どうして待っていてくれなかったんですか……。
「だって!」と、桃胡さんは私に苛々を露わにした。
桃胡さん、黙っちゃった……。
ここからだと桃胡さんは見えないけれど、どういう顔をしているのかくらい想像が出来る。
私はつい責めてしまったことを後悔した。でもそう思ってしまうことが正しいのかも、わからなかった。
「莉羅ちゃん……」
「常盤さん。私が離れている間、目に見えないそいつから何かされていましたよね。話してくれませんか? 他人には言えないこと……ですか?」
ど、どうしよう。どう答えれば……。
「え? あ、あのフロアマネ……」
「キス……とか、それ以上のこととかもされましたか……?」
ドキッとした。フロアマネージャーが、私の唇を指で撫でた。
そのフロアマネージャーの表情は、きっとさっきまで桃胡さんがしていた顔と一緒だ。
私は自分の胸の鼓動と、桃胡さんの視線に板挟みになりながらも言う。
「そ、そんなに責任を感じないでください」
「責任……?」
「え?」
「あ……いえ……そうですよっ、責任……。私は、貴女の上司ですから」
駅ビル内に置かせてもらっている店舗のアルバイトだとはいえ、私はフロアマネージャーの管理下である。そんな私が超常現象に晒されていると知れば、責任感の塊であるフロアマネージャーは居た堪れなかっただろう。
唇へ触れられたのには驚いたけれど、こんなに力強く抱きしめるくらい心配させてしまったんだ。
フロアマネージャーは調子を取り戻しつつあるようだけれど、もっとちゃんと安心させてあげなければ。
だから桃胡さん? 癪かもしれませんが、この状況から脱して欲しいなら、休憩が終わるまでは私に絡むのを少し待っていてくれませんか?
「わ、わかった。ごめんね、莉羅ちゃん」
いいえ。桃胡さんの性質の問題でしょうから、謝らなくていいですよ。約束です。
背後で何か言いたげな雰囲気を感じたけれど、気にせず私はフロアマネージャーに話し掛ける。
「あの、もう大丈夫ですよ。フロアマネージャーの気迫に圧されて逃げてくれました」
「ほ、本当ですか……?」
「はい。あの、フロアマネージャー?」
約束しましたからね。桃胡さんにそう念を押してから、私はフロアマネージャーの腰に腕を回した。
「その……変なことなのに、信じてくださりありがとうございます。何かあったら頼りますから、今はどうか安心してください」
何て言うか……フロアマネージャーの腕の中は窮屈だけれど、温もりを感じた。
「……っ常盤さん。私からご提案があります」
「え」
「ちょっと莉羅ちゃんっ、これどういうことなの!? あの状況から脱するんじゃなかったの!?」
え、えっと……そのはずだったんですけど……。でも意外でした。フロアマネージャーが、桃胡さんのような存在を信じるなんて。
「もうっ、話すり替えないでってばっ」
お昼休憩も終わり、しばらくして店長が休憩に入ると、1人店頭に立つ私の元へフロアマネージャーがやって来た。
というわけで私は今。桃胡さんだけでなく、フロアマネージャーと並んでお店に立っている。
つまりフロアマネージャーが言う提案とは、このこと。私が言った、桃胡さんは既に逃げたから大丈夫は、信じてもらえなかったのである。
「あらぁ。フロアマネージャーも、ご一緒なんですねぇ? 御執心ですことぉ~」
「仁亜さん……誤解ですって」
「……あの。お訊ねしたいのですが、貴方はこのお店の隣で働いていて、常盤さんの様子で気になることはありませんでしたか? 例えば突然、ひとりでに顔を赤らめながら、熱っぽく息を乱すとか……」
「えっ」
が、ががががーん!
なんでそんなこと、話しちゃうんですかぁぁああ~! 桃胡さんのばかー!
「いっ、今のは俺の所為じゃないでしょうよ。まぁたぶん、ここに立っている正当性を示したかったんじゃないかな……莉羅ちゃんを犠牲にして」
そ、そんなぁ~……。
「い、いやぁ~この子って、フロアマネージャーが思うよりも真面目ですし……さすがに無かったと思いますけどぉ……ん?」
「何か思い当たることでもありましたか? 全部話してください」
「ひとりでにってことは、もしかして霊的な話だったりします?」
「ええ」
仁亜さんは食い気味に返事をするフロアマネージャーから視線を外すと、神妙な顔で私を心配してくれた。そして、はっと何かを思い出した。
「これ、友達から聞いた話なんですけど……」
仁亜さんにそう切り出された話が、この後の私たちの運命を左右することになるとは、この時はこれっぽちも思わなかったのである。




