本当に好き?
「お、お疲れ様です」
私は言った後、いや、いらっしゃいませかなと、心の中で呟く。
翌朝、食品フロアが開店して10分ほど過ぎた頃だった。早番で働く私の元にフロアマネージャーがやって来た。
こうして面と向かい合うのは、全体朝礼で一方的に眺めているのとはわけが違い、一緒に水族館を回ったりしちゃった分、なんだか気まずい。
とは言え、昨日は心を通わせられたかなって思ったけれど、全然そんなことなかったな。久しぶりに朝礼に参加して、フロアマネージャーは、こーんなに広い売り場を統括する上司なんだって、改めて認識したから……。
瞳を潤ませながら見ている女性従業員も何人か居たし、フロアマネージャーって女性からの人気が高いんだろうなぁ。
あと私はこうも思っている。もしかしたら桃胡さんのような存在が、その女性たちの前にも現れているのかもしれないって。
そこで私は、勤務開始までに時間があったものだから、更衣室でスマホを取り出し、気になっていた生霊の生態について調べてみた。
そして、わかったことがある。
生霊に憑りつかれると、その人のことばかり考えてしまうらしいということを。
私のように視えたりしなくても、片時も離れず傍に居たり、身体や脳の中に入られているわけなのだから、飛ばして来る相手を意識してしまうのは自然なことのよう。
私は彼を認識したから考えずに済んでいるけれど、実際は一昨日、自分の身体の中から桃胡さんというその存在が出てくるまで、かなり頭の中を支配していたと思う。だから私としても、その話に信憑性があるかどうかに関係なく、それはそうとしか言えないのである。
……まぁフロアマネージャーは責任ある立場に就くほどの人材だし、あの容姿だから好かれているのかもしれないけれど。
それから桃胡さんについては、フロアマネージャーと別人のように性格が違うし、行動だって本体と共にしていないから、きっと感情の一端が飛んで私のもとで新しく人格が形成されたのだろう。
って、分析が止まらないや。あ。コードが繋がっているから、帰ったら桃胡さんに咎められるかもしれないな……はぁ。
「ふわ……ここにあるプリンを1つずつ」
あ。いらっしゃいませの方だったみたい。
もしかして昨日相談してもらった、来月の催しイベント。父の日ギフトの特集記事のために買いに来てくれたのかな?
「あっ。は、はい。いらっしゃいませ。ふわとろプリンを各お味一つずつですね。お持ち帰り時間はどのくらいでしょうか?」
「え?」
真顔でキョトンとするフロアマネージャーに、私もちょっとだけ戸惑った。
「えっと……プリンは生菓子ですので、冷蔵庫に仕舞って頂くまでの間、悪くならないように保冷剤をお付けするようにしているんです……いかがなさいますか?」
私の説明にはっとしたのか、フロアマネージャーは微かながらたじろぐように目を泳がせた。
「事務所に冷蔵庫がありますので結構です」
そっか。来月の特集記事のためだと思ったけれど、事務所の方やご家族のためかもしれないよね。
「かしこまりました。お土産ですか? お優しいですね」
「いえ。私が食べます」
「あぁそうだったんで……え。フロアマネージャーが……ですか? 昨日は甘いものが苦手だって……」
「!?」
しかも4つも。どういうこと?
と思ったけれど、いけない。一アルバイトの私が出過ぎた口をきいてしまった。
「す、すみません。かしこまりました。以上でよろしかったですか? パウンドケーキもお勧めで……あ、あの?」
「これは大丈夫なんです……」
「え? あ、あぁプリンのことですね。確かに、そういうのってありますよね。トマトとかチーズが苦手だって仰る方も、そのままだと食べられないけれど、スパゲティーとかピザだと食べられるって、よく聞きますって、あれ? ちょっと違うかな?」
なんか自分で言っていることがわからなくなっちゃって思わず笑うと、フロアマネージャーはいつもの如く、私から視線を逸らし咳ばらいをした。
でもなんだか様子が違う。額とか鼻の頭に汗を掻いている。顔だって赤い気がするし、もしかしてフロアマネージャー、体調でも悪いのかな?
「あの……無理しないでくださいね?」
「むっ――」
「む?」と、私が小首を傾げた時だった。
「好きなんです!!」
「!?」
朝礼ですら聞いたことがないくらい大きな声だった。
逸らされてばかりの視線も真っ直ぐで、私の心臓は理解するよりも先。ドキンと大きく跳ねていた。
「つまりその……これからも買いにきますので……」
「……へ? あっ、は、はい。ぜひ……でっ、ではお会計ですねっ」
「カードで」
「は、はい。領収書はご用意しますか?」
「いいえ結構です」
「かしこまりました。4つセットですので、1,300円になりますっ、カードお預かりします……」
私は精一杯、笑顔で通常通りの接客をするも、一度加速し始めた鼓動が収まることは無かった。
ななな何だろう。この、全身に忙しなく熱が行き渡る感じ……。
私は震える指でレジを打ちながら、フロアマネージャーを盗み見た。けれど当の本人は、汗も顔の赤みも引いていて涼しげだった。
ちょちょちょちょっと、何1人でスンってしてるんです!?
そんなことがありつつ、午後1時。私は今、駅ビルの内部にある事務所へと向かっている。お店に飾るPOPのコピーを取ってくるように、遅番で来た店長に頼まれたからである。
進んでいく廊下は殺風景だ。私たちが働く表の商業施設とは打って変わって、とても静かで、照明も控えめだった。なんだか緊張してしまう。
「失礼し……」
事務所に辿り着くと、ドアが全開しているため、事務所の中の様子が一目で把握出来た。
学校の教室よりも狭いのではないかという広さで、それこそ職員室のようにパソコンが置かれたデスクが整然と並んでいた。
もっと慌ただしい景色を想像していたけれど、意外とその場に居る職員は少なく、3人だけ。そしてその内の1人が、フロアマネージャーだった。
あ……フロアマネージャー、うちのプリン食べながら仕事してる……。
フロアマネージャーはパソコンを凝視しながらキーボードを打ち、時折プリンを口に運ぶ。
でもプリンを食べる度に時が止まるというか、顔が絶望しているように見えた。
ちゃんとブラックコーヒーも傍にセッティングしているし、やっぱりフロアマネージャーって、甘いのが苦手だよね……?
私は任された仕事をそっちのけで、フロアマネージャーの様子を窺ってしまっていると、こちらに気付いた男性が興味深そうに微笑みながら近付いてきた。
やばい、挨拶しないと。
「お、お疲れ様です」
「お疲れ様ぁ。逢川マネージャー、彼女来ましたよ」
「集中してる、してる。聞こえてない。ん? もしかしてこれコピーしに来たの? いいよ、やってあげる。何枚?」
いつの間にかもう1人の男性も来て、あれよあれよと私の持っていたPOPの原紙をさらっていった。何だか学生時代を思い出してしまう。他のクラスや先輩のクラスに行った時のようで。
「あ、ありがとうございます。1枚で。すみませんっ」
「いえいえ~」
「そうだ、莉羅ちゃん」
……え? 何で名前知ってる?
初対面だよね。この人と。
「おいーお前ぇ、名前で呼ぶなよ。ハラスメントだぞ」
「あ、あはは……」
割と大きな声でやり取りしているというのに、フロアマネージャーはプリンの甘みと格闘している所為なのか、私たちの会話が耳に届いていないようだ。
「んで、今さぁ逢川マネージャーなんだけど、君んとこの店を打ち出すために色々と頑張ってんのよ。だから声掛けてやって?」
「えっ?」
もしかして来月の特集記事のこと?
あれってフロアマネージャーが直々に書いてくれるんだっ。知らなかった……。
「じゃ、邪魔じゃあないですか……?」
「うん、全然」
「は、はぁ、それなら……」
お礼を伝えに行くか。
ちょっと気が引けたけれど、私はフロアマネージャーに声を掛ける事にした。
「あ、あのぅ……」
背後からだとフロアマネージャーを驚かせてしまうと思って、私は横からそろりと猫のように近付いて顔を覗かせてみた。急に私の顔があっても怖いだろうから、ある程度、距離も取った。
「え……?」
「お疲れ様です。来月の記事を書いていただいているみたいで、どうもありがとうございます」
フロアマネージャーは横目で私を捉えると、そのまま固まった。後、キャスター付き椅子をくるん。私に向き直ったかと思ったら、椅子からずり落ちそうになっていた。
でもガシリと肘置きを掴み、足でも止めたりで大丈夫だった。
背後で男性職員2人の、笑い声と手を叩く音が聞こえる。
「ほらっ、コピー取れたよっ」
「あっ、はいっ。ありがとうございますっ。で、ではフロアマネージャー、私もお仕事に戻りますね」
「失礼します」と、私はフロアマネージャーに深々とお辞儀をする。驚かせてしまったお詫びも込めて。それからドア付近に居る男性職員2人にも立ち止まって頭を下げて、私は事務所を出る前に、もう一度フロアマネージャーへと声を掛けた。
「プリン、良かったら皆さんで食べてくださいねっ」
そうして私は、無表情でポカンとするフロアマネージャーに背を向け廊下へと出た。すぐに事務所から男性職員2人の歓声が聞こえてくる。
良かった。2人は、甘いの好きみたいだ。
きっとフロアマネージャーは、今回の特集でお客様に味を伝えるために、無理して苦手なプリンを食べているのだろう。
フロアマネージャーは仕事熱心で、真面目だから……。それにさっき――
『好きなんです!!』
そのプリンを売る私に嫌な思いをさせないために、あんなことを言ってくれたのだろう。
フロアマネージャーは優しいから……。
ん~でも、フロアマネージャーは真面目だから、記事を書き終わるまではプリンを買いに来てくれそうだよねぇ……。
「あ! いいこと思いついたっ」




