デートからキス
昼食を摂りに一度、館内のレストランに来た私たち。ショーケースに並ぶ料理の種類に感激しながらも、観てきた生き物たちが材料に使用されているのには複雑な気分になるのであった。
「こういう時だけ、罪悪感を覚えるのはただのエゴですよね」
「ええ。感謝して食べましょう」
「はい」
「いただきます」と、私たちは声を重ねた。
「ん。このシーフードドリア美味しい……フロアマネージャーのカレーはどうですか?」
「甘い……」
たった一言で確実に感情を伝えて来るフロアマネージャーに、思わず吹き出してしまいそうになった。しかも私のドリアもそうだけれど、カレーライスのお米にはイルカやアザラシのイラストが描かれたピックが刺さっている。おまけに野菜の形も星だし。
そんなファンシーな料理を、こんな表情の硬いフロアマネージャーがっ……ぷぷ。
「今日って俺とデートしに来たんじゃなかったっけ?」
「!?」
隣の席から届く殺伐とした声のトーンに、ビクッと肩が跳ねた。
桃胡さんのこと、完全に意識から外れていた。
「どうかしましたか?」
「へ? い、いいえっ。な、なんて言うかあまりの美味しさに、ちょっとびっくりしちゃったんだと思いますっ。えへへ……って、あ、あの?」
急に片手を使って顔を覆い隠すフロアマネージャーに、私は小首を傾げつつも様子を窺う。
何だかさっきよりもちょっと耳が赤いし、小刻みに震えているようにも見えるけれど……まさか笑ってます?
こちらを見ないのをいいことに観察していると、フロアマネージャーは顔を覆ったまま話し始めた。
「確かに見た目に反して、ちゃんとした味付けがされていて意外ではあります……けど美味しいからって、時差で肩跳ねるなんて人を俺……初めて見ました……っ」
「え」
がっ、ががーん!
桃胡さんの所為で私、フロアマネージャーにおかしな人だって思われちゃったじゃないですかっ!
「だから? 別に良くない?」
え。で、でも、恥ずかしいですよっ。
「ふーん……」
桃胡さんはカフェの時と同じように、退屈そうに頬杖をついている……。
そんな風に眇めた目で見るくらいなら、自分の好きに過ごせばいいのに。
でも桃胡さんは離れない。やっぱり自分の存在を認識してもらえる私のような存在って、生霊の彼にとって重要なことなのだろうか。
「莉羅ちゃん。俺には君の心の声が全部聞こえるってことを忘れたの?」
わ、忘れていませんけれど……。
「帰る」
えっ。
「どうせこいつは何も出来っこない。だから俺が在るんだし……」
桃胡さん……?
「コードがあることを忘れないでよ、莉羅ちゃん。例え離れた場所に居ても、いつでも俺には君の感情が流れてくるんだから」
桃胡さんは私が頷いたのを確認すると、少しだけ目を細め消えていった。その、ただ静かに空気へと溶けていく姿が儚げに見えて、私の胸には罪悪感のような痛みだけが残されたのだった。
ふと左手を見ると、コードの繋がっている部分は視えなくなっているけれど、小指にはしっかり赤い紐が結ばれていた。
「……食事、進みませんか?」
「あっ、いえ……美味しいですねっ」
言い終わる前に掬ったドリアを、私は口へと運ぶ。うんうんと頷きながら咀嚼して、ふた口目を掬って食べようとした。
けれどまだひと口目が喉を通っていかなくて、私は小さくため息を吐きながらスプーンを下ろしていた。
「……私で良ければ話してください」
「へ……何をです?」
「……昨日、退勤時間を超過していませんでしたか?」
鳥肌が立った。昨日の晩、桃胡さんに話したことだったから。
「何でそれを知っているんですか?」
「そ、それは……」
まるで私の視線に怯んだかのように、フロアマネージャーは目を逸らして言葉を詰まらせた。
まさか生霊を介して、私生活が筒抜けってことはないよね?
私はそんな自分の発想に震える。けれど返ってきたのは、フロアマネージャーらしい答えだった。
「これでも私は、貴女が働くフロアを統括する役職なので……貴女が店頭に立っている時間くらい把握しています。ですからその……もし貴女が無理させられていたりでもするなら、私に――」
そっか……そうだよね、良かった。さすがに私生活が筒抜けになるなんてことあるわけないか。アニメに登場する能力者でもあるまいし。でも。
「本当フロアマネージャーって、責任感の塊なんですね」
「えっ」
「だってそうじゃないですか。休日なのにお仕事についてお話したり、こうして一アルバイトの私なんかを心配して水族館にまで付いて来てくれて……大丈夫ですよ、勤務時間については」
笑って話す私を、フロアマネージャーは驚いたような表情で見ていた。
「昨日は仕方がなかったんです。シフトに入るはずの方が突然、体調不良になっちゃいましたから。そもそもうちのお店で働いている人数って少ないですし、休みが突然出ると昨日みたいなことになってしまう時もあるのだと、私は承知の上で働いています……もちろん他の方に来てもらうことも出来ますけれど、昨日はちょっと時間的に無理だったんです」
「そ……うですか……」
「はいっ。ご心配ありがとうございますって、すみません。冷めてしまいますね。食べましょう?」
「んー美味しいっ」と私は続けて笑った。
真面目なフロアマネージャーの肩の荷を少しでも軽くするようにしたかったからだ。
そして食べ終わった後は、もちろん見学へと戻った私たち。フロアマネージャーはどう感じていたかはわからないけれど、私はとても楽しめていた。
レストランに居る時も会話に花が咲くなんてことは無かったし、館内を回っている時だって周りの人たちに比べて節度のあると言うか、よそよそしかったと思う。それでも私は子どもの頃のように、純粋に心地良く今を楽しんでいた。
そんな風に過ごせたのも、きっと桃胡さんの存在を忘れられたからだろう。左手の小指にも気を取られないで居られた。
単に、職場の上司に迷惑をかける無神経なやつになれていた。
でも私、桃胡さんの存在に気付かなかったら、どうだったんだろう。菊花さんと一緒に、かっこいい~なんて言って、はしゃいだりしたのかな。
今となってはもう、わからないや……。
ガラス張りの水族館のドームに夕日が射し込む。とても綺麗なその背景の前で、私は二、三歩先に進むフロアマネージャーへと声を掛けた。
「今日はありがとうございました。何だか私ばかり楽しんでしまって……結局この子まで買ってもらっちゃいましたし」
私は胸に抱きしめたエイのぬいぐるみに視線を落として言った。
「いえ……その」
「?」
フロアマネージャーは言葉を詰まらせると、私を見てくれていた視線を逸らしてしまう。
これまで何度も見てきたその立ち姿さえも、夕日を浴びた所為なのか、すごく魅力的に映った。
「その……私も楽しかったですから、気にされないでください……」
「フロアマネージャー……」
カフェでお茶しながらお仕事について喋ったり、こうして長い時間、一緒に館内を回ったからだろう。
ほんの少し、フロアマネージャーと心を通わせられた気がした。
「ありがとうございます。私……今日のこと忘れません……!」
はぁぁ……気持ち悪いこと言っちゃったかなぁ……と、私は心の中で買ってもらったエイのぬいぐるみに話し掛けながら玄関のドアを開けると、たった今別れたばかりのフロアマネージャーと同じ容姿をした男性が立っていた。
「あ……」
顔を見て、その存在を思い出した途端、コードが再び現れ始め結ばれた。
「おかえり、莉羅ちゃん。俺が居ないのに、ずいぶん楽しかったみたいだね……」
「え……その……」
じりじりと距離を詰められ、私は背後にある玄関のドアを開けようとした。
「ひゃっ」
でも叶わなかった。私はそのドアについた桃胡さんの両手に阻まれてしまう。
「じゃあこのフラストレーション……晴らさせてもらうから……」
そう言って桃胡さんは、強引に私の唇を塞いだのだった。




