私が向かう先...。
あの日。
地震直後の四国の海岸沿いでは、各地で一斉に警報が鳴り響いていた。
『巨大津波が迫っています。この放送を聞いている方は、ただちに高台へ避難してください――』
避難警告のアナウンスは、崩れかけた街のスピーカーからかすれた声で流れていた。
けれど、海辺にいた人たちは、その声を聞いても動けずにいた。
目の前にそびえ立つのは、海ではなく「壁」だったからだ。
押し寄せる津波は、防波堤をあざ笑うように越え、その数倍の高さで立ち上がっていた。
頭上を見上げなければ、その頂上が見えないほどの水塊。
それが、街そのものを押しつぶそうとしていた。
人々は、ただ膝から力が抜けて、その場に座り込むしかなかった。
恐怖というより、「理解を超えた何か」に対する諦念。
言葉を失い、口を開けたままその光景を見上げることしかできない。
そのとき――。
上空数百メートル。
何もない空間に、ポンッ、と音を立てるようにして、一体のプルゴンが現れた。
続けて、その隣に、もう一体。
さらにその隣に、また一体。
それは連鎖していき、やがて空全体を覆いつくすまでに膨れ上がる。
数えきれない数。
まるで空から降る“灰色の雨”のように、プルゴンが湧き続けた。
彼らは一瞬だけ、巨大な津波を見つめた。
そして――地面へ降り立つと、一斉に津波へ向かって走り出した。
津波の傍らにたどり着いたプルゴンは、勢いよくジャンプして、そのまま黒い水の塊に突っ込んでいく。
何体も、何体も、何体も。
まるで、巨大な怪物に群がる小さな兵隊みたいに。
しばらくすると、津波の勢いが、ほんのわずかに弱まり始めた。
水の表面がざわつき、波の縁が崩れ始める。
プルゴンたちは、その濁った海水を、あり得ない勢いで飲み始めた。
「ギョク、ギョク、ギョク――」
口いっぱいに水を含み、喉を鳴らして飲み干す。
また次の波に飛び込み、飲み続ける。
そして限界が来ると、プルゴンは苦しそうな顔をしながらも、ポンッと消え、
直後に、また上空から新たなプルゴンが降ってくる。
そうやって、延々と交代しながら、彼らは津波と対峙し続けた。
津波の勢いは、目に見えて落ち始める。
それでも、街を覆い尽くすには十分すぎる高さと量だ。
だが、「最悪」は、確かに回避されつつあった。
その異様な光景を見上げていた人々の口から、やがて声が漏れた。
「がんばれ、プルゴン……!」
「お願い……お願い助けて……!」
「いけぇぇぇぇぇぇ!」
やがてそれは、祈りにも似た歓声になっていく。
人々はその隙に、燃え上がる街の中を走り抜け、高台へと駆け上がった。
* * *
同じ頃。
土砂に埋もれた建設会社の敷地の高台では、二つの小さな身体が横たわっていた。
一つは、折れた重機や瓦礫の下で、バラバラに引き裂かれた少女。
もう一つは、上半身を失った少女の下半身。
その上空に、フラフープくらいの大きさの円形の亀裂が、ぽっかりと開く。
内側は完全な漆黒で、中の様子はまったく見えない。
そこから、一体のプルゴンが、ひょい、と出てきた。
プルゴンが外へ出た瞬間、亀裂はしゅるしゅると縮んでいき、すぐに消えた。
プルゴンは、まず下半身だけの少女に近づく。
そっと、その身体に手を触れる。
途端に、ちぎれた断面から、光の閃光がぐにゃぐにゃと走り出した。
光は、ちぎれた肉体の縁をなぞるように、鎖のように絡みつく。
瞬きする間に、失われていた肉体が再生成されていく。
再生された場所には、大きな傷跡だけが残る。
続けて、プルゴンは、ワイヤーを伝って引きちぎられた上半身と下半身を確かめるように見つめ、順番に手を触れていった。
同じように、光が走る。
鎖のような光の筋が、身体を縫い合わせるようにして走り、引き裂かれた肉体を結び直していく。
胸から腰、腰から脚へ。
光が通り過ぎた場所には、鎖模様の傷跡だけが残る。
やがて、少女たちは、完全な形の身体を取り戻した。
ただ、まだ目を覚ますことはない。
プルゴンは小さな腕で二人を抱え上げ、被害の少ない場所まで運んでいく。
そっと地面に寝かせ、数秒だけじっと見つめたあと、ふたたび空間の亀裂を開いて、その中へ消えた。
彼女たちの身体に、じわじわと血の色が戻っていく。
胸が上下し、かすかな呼吸の気配が生まれる。
眉間には、何かを必死に耐えるような皺が寄っていた。
* * *
その後の海岸沿いは、まさに「世にも奇妙な光景」だった。
数時間後、巨大だった津波は、ほとんどのエネルギーを失い、
やがて普通の津波より少し大きい程度の波として、街をなぞっていった。
多くの人が亡くなった。
けれど、本来なら「全て」が飲み込まれていたはずの街に、たくさんの「生き残り」がいた。
高知と徳島の南側の海岸線は、巨大地震によって壊滅的な被害を受けた。
数十メートル級の津波が街を飲み込み、歴史上最大の死者を出す大災害となる。
しかしそれでも――。
あの日の光景は、人々の中で「プルゴンの軌跡」と呼ばれるようになった。
プルゴンたちが残した“傷跡”であり、“奇跡”だった。
それ以来、あの地域の人々のプルゴンを見る目は、一変した。
恐怖や不気味さではなく、慈愛と敬意を。
プルゴンは、あの日を境に四国を中心に「ただの謎の生物」ではなく「恩人」「守り神」として扱われるようになっていった。
* * *
私が目を覚ましたときには、すでに二年が経っていた。
私たち家族は、故郷の土地を離れ、都市部へ移住していた。
実家の酒屋は被害を受けながらも、奇跡的に建物だけは残っていたらしい。
お父さんとおじいちゃんは、都市部で新しく酒屋を始め、居酒屋などに酒を卸している。
母は――震災のあと、精神的に大きく傷つき、療養生活に入っていた。
私が大学病院で眠り続けていた二年間、
お父さんとおじいちゃんは仕事の合間を縫って、交代で私の見舞いに来ていたらしい。
あとで聞いた話だった。
震災が落ち着いたあと、私とちーちゃんは、プルゴンたちに守られていたという。
あの日から数日のあいだ、暑い日も雨の日も、プルゴンたちはずっと私たちのそばにいて、救助隊が来るまで見守り続けていたらしい。
同級生の何人かも、同じように大怪我をして病院に運ばれた。
けれど、彼らの身体には大きな傷跡が残り、
意識を取り戻すことのないまま、眠り続けている子も多くいた。
その中で、目を覚ましているのは、私だけだった。
私の故郷では、その出来事をきっかけに、プルゴンを「土地神」として祀る動きが広がった。
やがて全国にも波及し、プルゴン愛護活動を行う人たちが増え、
やがて「プルゴン愛護団体」が設立される。
当時の町の区長は、その団体の会長を務め、
私の母も、その活動に深く関わるようになっていった。
……そして、私たち家族のもとを離れた。
* * *
退院してしばらくしてから、私は一度、故郷に戻ったことがある。
そこには、私の知る「四万十町」は、ほとんど残っていなかった。
海岸沿いは、不毛の土地と化し、
小さな集落が、ぽつぽつと残るだけ。
その中で、一つだけやけに立派な建物があった。
私たちが昔よく遊んでいた高台の公園の近くに、
プルゴンを祀る神社が建っていたのだ。
新しい木材で丁寧に作られた社殿。
境内には、木彫りのプルゴンがいくつも祀られている。
拝殿の奥には、聖櫃のようなものが置かれていて、その中には何か「特別なもの」が納められているらしい。
神社の管理人ですら、開けることを禁じられているという。
その神社の前で、母は祈っていた。
「お母さん。みんな待ってるよ。帰ろうよ」
私は、震える声でそう呼びかけた。
母は祈りの手を解かず、静かに答える。
「凜ちゃん、ごめんね。
私は、やることがあるから、帰ることはできないの」
「私、寂しいよ。みんなでまた一緒に暮らそうよ……」
母は、私の方を見ずに続ける。
「凜ちゃん。あなたみたいな“次の世代”の子どもたちのためにね、
私たち大人が成し遂げなければいけない“宿命”があるの」
「……宿命?」
「プルゴンと、私たち人類との共存と調和。
その懸け橋になるのが、私たちの役目なの。
そのために、私はすべてを捧げるつもりよ。
あなたを守るためにもね」
母の言葉は、私にはまるで理解できなかった。
「立派」なことを言っているのはわかる。
でも、それ以上にその時の私は母を見て、壊れかけたガラスみたいに見えた。
私はただ、昔のように、家族三人で食卓を囲みたかった。
それだけなのに。
私が、家族が、どれだけ説得しても、母の決意は変わらなかった。
結局、彼女は団体の人とともに、どこかへ行ってしまい――
それから現在に至るまで、再び会うことはできていない。
* * *
神社をあとにしようとしたとき、近くの茂みから、ごそごそと音がした。
あの、聞き慣れた気配だった。
「なにしてるのー?」
振り返ると、そこに一匹のプルゴンが立っていた。
声も、姿も――あの、高台の公園でよく遊んでいたプルゴンだった。
「あ、プルゴン!」
私が駆け寄ると、プルゴンはにこっと笑って、手を振る。
一瞬後、プルゴンの身体がびりびりと体を震わせた。
軽い失神みたいに身体をびくびくさせて、すぐにおさまる。
そのあとで、表情をすっと消し、無表情で私を見上げた。
「あなたとプルゴンは、心理を通してつながった。
あなたが、私たちを救ってくれることを信じている」
そう言って、プルゴンは「ポンッ」と音を立てるように消えた。
その日は風が強かった。
風だけが残る。
何がなんだかわからない。
でも、その言葉だけは、胸奥の心に深く刺さった。
バス停へ向かう途中、何匹かのプルゴンとすれ違った。
彼らは、私を見ると、不思議な歌を歌い出した。
「ピーナッツ〜は恋をした〜、あなたに恋をした〜
シンデレラ シンデレラ シンデレラッラッラ〜
ピッピッピッピ ピーナッツ〜
ピッピッピッピ ピーナッツ〜
シンデレラ シンデレラ シンデレラッラッラ〜」
「……なにその歌?」
「わからな〜い」
別のプルゴンも、同じようなメロディで歌を変えて口ずさむ。
「ピーナッツは夢を見た〜、あなたの夢を見た〜
シンデレラ シンデレラ シンデレラッラッラ〜
ピッピッピッピ ピーナッツ〜
ピッピッピッピ ピーナッツ〜
シンデレラ シンデレラ シンデレラッラッラ〜」
「どういう意味なの?」
「わからな〜い」
プルゴンらしい、としか言いようのない歌。
そのときは、深く考えなかった。
けれど、あの歌は、そのあと二度と聞くことはなかった。
* * *
病院に戻ると、私はいつものように、ちーちゃんの病室へ向かった。
その病棟には、あの事件で意識を失ったクラスメイトたちが九人、同じような状態で眠っていた。
小さな地域だから、全校生徒を合わせても三十二人しかいなかった。
そのうちの三分の一近くが、今も眠り続けている。
「もう...かなり泳げるようになったんだけどね」
私は、ベッドの脇に腰かけながら、眠る男の子に話しかける。
彼の何気ない挑発が、あの日の「25メートル挑戦」のきっかけだった。
「またね、ちーちゃん」
最後にそう囁いて、私は彼女の手を握る。
その瞬間、視界がふっと揺れた。
くらくらと、頭の中が回り始める。
意識が遠くなっていく。
――そして。
たくさんの声が、一気に雪崩れ込んできた。
「私はここから出られないの」
「この道の先には何があるの」
「どうしてお姉さんは凜ちゃんをここで待ち続けているの」
「※ちゃん、助けて」
「これがあなたの言う“救いの手”?」
「お前たちはいったい誰なんだ」
「これが人類の進むべき道なのか?」
「誰でもいい、供物となってくれ」
「この本を※※ちゃんに渡してほしいの」
「ティーファはどこ?」
「お前はいったい誰なんだ!」
「この本には、これからのことが記される」
「どこ?」
「君なら変えられる」
「彼らを止めておくれ。私からのお願いだ」
「俺を、また思い出してくれ。さようなら」
「ティーファを見つけて」
「真実を知らなければいけない」
「私たちはプルゴンを知らなければいけない。ティーファを探して」
「これが私たちの役割というのか、ティーファ」
「愛してるよ、※ちゃん」
「あの時も、この時も、どの時代も、そうだった」
「あの人と私は約束を交わした。それが、私が彼を守る役目の存在」
「助けて」
「この世界は、何なの」
「俺は必ず君に会いに行く。そして、ここから救い出してやる」
「※※※。次は君かもしれない」
「私はここで待っているわ。必ず迎えに来てね。愛しているわ」
それは、私の記憶ではなかった。
誰か別の人たちの記憶、別々の時間と場所の叫びが、ごちゃ混ぜになって流れ込んでくる。
その中には、確かにちーちゃんの声もあった。
ただ一つだけ、はっきりわかることがある。
――あの声たちは、あの「本の世界」から聞こえていた。
そして私は、その世界に、もう一度行かなければならないのだと、直感した。
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「要約するとだな」
現在。居酒屋の座敷。
俺――じゃなくて、「渡」の声が、今の話を雑にまとめる。
「夢みたいな、あの謎空間を知るために、あるいは行くために、プルゴンが関係している。
そのためにティーファーを探しているってことで、いいんだな?」
「はい、そんな感じですよ!」
凜ちゃん――二神凛は、どこか誇らしげに胸を張る。
「すごくないですか?私! いっかい死んで、生き返ってんの!」
「なんだよそれ、そんなデタラメみたいな出来事。あの世界は実在するってか?」
「なによ!信じてくれないの?こんなに私が勇気ふりしぼって話したってのに!」
「信じるさ。俺はただ、“ありえねぇことがありえねぇスケールで起きてる”って言っただけだよ。……俺も、いろいろあったしな」
「そうだな。プルゴンが絡んでいる以上、“常識”のほうが間違いってこともある」
田島先輩が、静かにグラスを傾ける。
「別に疑ってなんかいないさ。なぁ、渡」
「……はぁ」
俺がそうため息まじりに答えると、二神は、じわっと目を潤ませた。
「なんだよ〜……いいやつじゃないか〜お前ら〜」
「先輩にそんな口きくな」
一ノ瀬がツッコミを入れるが、当の本人も先輩に対して口が悪いので説得力はない。
「あー、うるっさい! 死ね!!」
「……」
場が一瞬凍る。
「すいません、お会計お願いしまーす」
田島先輩が、店員に声をかける。
こうして、嵐のような飲み会は、ひとまず幕を閉じた。
途中、天使の悪魔化で何度も修羅場になりかけたが、
とりあえずみんな、須藤に対するストレスは吐き出しきったようだった。
問題は、ここからだ。
どうやって、“次の特集”で結果を出すか。
どうやって、狂乱のプルゴン事件にケリをつけるか。
そして――どうやって、“あの世界観”と向き合うのか。
山積みの問題は、何一つ片付いていない。
「ごちそうさまでした〜、先輩〜」
店を出るとき、二神がふらふらしながら頭を下げる。
「そんじゃ、明日からまた気合い入れて頑張るように」
田島先輩が店先で一言そう告げ、それぞれの帰路についた。
天使は完全にスリープ状態に入ってしまったので、一ノ瀬と田島先輩が送っていく。
俺と二神は、方向が同じなので、一緒に帰ることになった。
(はぁ……帰り道も、疲れることだけは確定だな)
案の定、二神はすでに俺に絡み始めていた。
* * *
一方その頃。
「あの先輩、俺、話があるんすけど」
天使を送る帰り道、一ノ瀬が田島に声をかける。
「ん?どうした」
「あの……次回の特集で、みんなでちゃんと結果を出したあと……
俺、やめようと思ってます」
田島は歩みを止める。
「……何か、気が変わったのか?お前の“目標”に」
「違うっす。
そこで、ちょっと先輩に話したいことがあるんすけど――」
街灯に照らされた夜道で、一ノ瀬の横顔は、いつになく真剣だった。
物語は、静かに、しかし確実に、次の局面へ転がり始めていた。
一ノ瀬。
暑いっすね~俺アイス食べたいっす!
みんなゴリゴリ君梨味コンビニで食べませんか?




