57.後東先生ですか
文化祭の成功で、部内は活気付いていた。温まった部内の空気に、学とレイラだけどこか馴染めずにいた。学も彼女も、何か考え込むことが多くなっている。
あれから安の母親が学の家にやって来て謝罪があり、治療費だの念書だのと全てが内々に処理された。安は勿論来なかったし、学が出ることもなかった。表出したものを隠すことを、解決と呼ぶらしい。顔の腫れは引いても、学の心の腫れは肥大して行くようだった。
秋が終わろうとしている。
ハンドベル部員の十二月の日曜は、全て教会での出張コンサートの予定で埋まった。練習曲もほぼクリスマスソングとなる。中間試験も終わり、いよいよクリスマスシーズンが幕を開けた。
「クリスマスイブに部活かあ……しかも教会だろ?何とかなんねーかな、これ……」
帰り道にそう呟いた西田を、学と岬は眩しそうに見つめる。
「来週から忙しくなりますね」
「俺、予定ないから忙しくてもいいや」
学が投げやりに言うと、
「今から予定作れるんじゃねえの?」
と西田がからかう。学は無反応だった。
「そういや市さあ、藤咲さんと身長並んだんじゃね?」
そう?と学が呟く。最近ちっともレイラを見ておらず、気付かなかった。
「入学当初より、随分大きくなりましたね」
親戚のおばさんのように岬は微笑んだ。
自分より周りの方が自分を見ているんだなあと学は今更思う。西田と岬は何か買い物をする予定があると言うので、駅の手前で三人は別れた。
いつものように改札に入ってホームに出、向かいのホームを見やる。あっ、と学は声を出しそうになった。
向かいのホームにレイラが立っている。
スマートフォンを取り出している。その画面を見て、彼女の顔があからさまに歪んだ。
辛い、苦しいと声に出せず、胸ポケットに光る板を戻している。今しがた吐いた毒を飲み込むように。
気付けば、学はホームを駆け上がっていた。
向かいのホームに走り込み、レイラの肩を叩く。彼女は驚いてこちらに振り向いた。
「……市原君?」
勢いだけで来てしまった。全力で走ったので、息が上がって二の句が継げない。
(どうしよう)
学は弱ったが、レイラがほっとしたような顔を見せたので構わず問うた。
「先輩、どこで降りますか?」
「予備校があるから、横浜で乗り換えるわ」
「横浜……ですか」
「うん」
電車が冷たい風を伴ってやって来る。
「俺も丁度そっちに用があるんです」
電車の扉が開き、二人は無言で乗り込む。学は今更ながら身の振り方を考えていた。
吊革を掴んで並ぶ二人を、冬の黒々とした景色が映し出した。映し出されている互いを見てしまい、鏡越しに目が合う。その時、レイラのポケットから音が聞こえた。画面がぼんやりと光っている。
「……後東先生ですか?」
学の言葉に、彼女はびくりと体を震わせた。
「図星でしたか」
レイラは学をおっかなびっくり見つめる。
「何で?」
そして、少し泣き出しそうな顔になる。
「だってディスプレイにメアド出るでしょ。見えましたよ、ゴトーって」
「……やっぱり、そっか」
レイラは全てを察したようだった。
横浜駅に着く。ホームに出、時刻表の前で歩みを止めると、レイラが問うた。
「……今から、時間ある?」
学ははい、と一言答えた。レイラは諦めたような顔で学と並んで歩き出した。




