58.失望
町を展望出来る、コーヒーショップの量販店。二人は小さな席にコーヒーだけ持って横に並んで座る。腰を落ち着ける暇もなく、レイラは言った。
「私、市原君に……ううん、皆に謝らなきゃならないことがあるの」
レイラは堂々と机の上にスマートフォンを差し出した。
「……何ですか?」
「後東先生とのトーク内容よ。好きに見ていいわ」
学は恐る恐る手を伸ばし、人様のスマートフォンを見た。確認すると、後東とのトーク履歴が大量に出て来る。学は内容は見ず、とにかく履歴の日時を確認した。スクロールを繰り返し、十月、九月とさかのぼり、四月、三月。
「こんなにずっと、連絡取ってたんですか」
五月に明日菜が連絡を取り合っている噂を指摘し、レイラは否定している。
合宿の時、学にもう別れたのだと話したことも、全て嘘だった。
学は何も言わない。その顔は呆れている。
「返信は十月以降してないわ」
再び画面を見る。確かに十月以降、レイラは後東には返信していなかった。
「これ、履歴って消せましたっけ?」
学は疑っている。
「そう疑われるも覚悟の上で、私、あなたとここにいるの」
まっすぐ目を見て、レイラは宣言した。
「あなたは私を、変になったと言ったわ。それは本当にそうだと思う。合宿を機に、私は変わったみたい」
そう語る瞳には力がある。
「……私、変になったんじゃない。きっと、昔の……元の私に戻っただけなの」
学は画面から顔を上げる。
「あなたと出会った時期、私は頑固で意地っ張りで、他人を寄せ付けずひとり学校でやって行くことが一番良いと思っていたわ。そうすることで、後東先生と繋がっていることを意識していたの。いじめられても愛を貫く自分、て感じに酔ってた。でも途中で気付いた。〝私が学校で苦行に耐えていても、先生は直接助けてはくれない〟」
「……それに気付いたのが合宿後、ですか」
学は合宿の日々を思い出した。数ヶ月を経て、今は良い思い出のひとつになっている。
「あなたは私の過去がどうあれ、それをあえて知りたいって言ってくれた」
そうでしたっけ、と学はとぼける。
「それを知った上で、皆が私にいつも通りに接して来てくれたことが決定的だったわ。私はもうあの学校でひとりでいる意味を失ったの。助けもせず都合のいいことばかり言って引き止めようとする男の人を、好きではなくなってしまった」
学とレイラの目が合った。四月に彼に向けたような眼差しは、もうそこにはない。
「私、後東先生と別れたい」
学は探るような視線を彼女に向けた。
「……それで?」
レイラは言葉に詰まった。
「早く別れればいいじゃないですか」
学の率直な意見だった。レイラは息をついて、コーヒーを飲み干した。
「それはそうなんだけど……」
どこか煮え切らない彼女に学は苛立ちを隠せない。ぬるくなったコーヒーに冴えない顔が映る。
「会わないと、別れてくれないって」
「なら、会って別れればいいでしょう」
「私、怖くて。後東先生は凄く強引で、口も上手くていつも言いくるめられてしまうの。会わないと別れないとあの人は言うけれど、私は会いたくないから今は無視するのがやっとで」
「……俺にどうして欲しいんですか?」
学が怪訝な顔で尋ね、コーヒーを飲み干した。レイラは青ざめる。事前に考えた流れに学が乗って来ないことに、レイラは気付き始めたようだった。
「藤咲さん。保健室でのこと、覚えてます?」
あっ……と彼女から声が出た。学はレイラに真っすぐな視線をぶつけた。
「あの質問、今後絶対答える気はありませんから」
語気が強くなった学にレイラの身がすくんでいる。学はコーヒーの紙カップを握り潰した。
「今日話した内容も保健室での質問も、まるで誘導尋問ですよ。人に判断を委ねて、自分がなるべく傷付かないでいられる方法をねだったりして。こちらの気持ちなんてお構いなしじゃないですか」
レイラの表情から、ショックの大きさが伝わって来る。
「先輩は、人の気持ちを操りたいだけなんだ。会わないと別れないだなんてごねる後東先生と大差ないです。お似合いですよ」
学は立ち上がった。レイラは怯えたような目で彼を見上げている。学はそんな顔を見るのは辛かった。けれど、一度気持ちをぶつけておかないと気が済まなかった。
「藤咲さんの具合が悪そうなわけが分かったので、もういいです。帰りましょう」
突き放したレイラに背を向け、歩き出す。学は紙くずを乱暴にゴミ箱に捨て、外へ出た。
慌ててレイラも付いて来る。彼女はもう、好きだの嫌いだのと聞いて来なかった。学はそんな彼女の顔を見続けたらおかしくなりそうだった。見ない振りで、改札へと急ぐ。
改札手前まで来て、レイラはぽつりと
「ごめん」
と言い置き、走り去って行った。
追ってたまるか。学は意地になって振り返らず改札を入った。電車の中でも無心になって寝た振りをする。
(心配して、聞いた自分が馬鹿だった……)
こちらの好意を知っていて、恋人と別れられないなどとのたまいつつ、悲劇のヒロインを演じて寄りかかって来る。
(俺にどうしろっていうんだよ)
別れの口実に学が必要だったというわけなのだろうか。レイラが詳しく話し出さなかったので、彼女の狙いの核心は分からずじまいだった。ただ、レイラは男と二人きりになった途端弱々しく変質してしまう女子だったという事実に、学はひどく動揺していた。
(芯があって、曲がったことが嫌いで、自分を持っている人を好きになったはずだったんだけどな)
四月に出会ったレイラは、後東あってのレイラだったのだ。
皆を騙しておいてぬけぬけと学に今の男と別れる方法を尋ねるという彼女の無神経さに、学は心底失望していた。何事か叫びながら、胸を掻きむしりたい気分だった。




