18.リンガーズ結成
ドンドンとドアを叩く。ポワンとベルがマットに置かれる音がして、足音が近付いて来る。
戸が開き、レイラが顔を出した。が、彼の姿を認めるとすぐ閉めようとする。
「あの……待って下さい」
ドアノブをこちらからも引く。抵抗されるとは思ってもみなかったようで、レイラは驚いて手を放した。
「言ったでしょ」
戸口で対峙してレイラはまっすぐに言う。
「もう来ないで欲しいの」
学はもうその物言いにいちいち傷付くことはなかった。
「入部したいんです」
学はレイラの背後にあるベルに目をやる。レイラはやはり動かない。学は段々苛々して来た。
学はベルからレイラに視線を移すと、
「ずるいですよ」
と口を尖らせた。険しかったレイラの表情から、途端に毒気が抜けて行く。
「ずるい?」
「自分だけハンドベル使って……ずるいです」
学が子供のように頬を膨らませてすねる。それを見て、彼女の敵意が和らいだ。
「あなた、そんなにハンドベルやりたいの?」
学は頷いた。レイラは押し切られるように、はーっと息をついた。
「……入れば」
レイラがのいて、学は足早に中に入った。
「さっきの曲、入学式でもやってましたね」
「聴いてたの」
「はい、その……窓の下で」
レイラは窓際の壁を背にして、じっと彼を観察している。重苦しい空気漂う中、学は尋ねた。
「今日は、コーチはいないんですか」
「月曜は来ないわ。木曜にしか来ないの」
また沈黙。レイラは彼と喋りたくないらしい。
(そう来るなら、ずっと話しかけるさ)
学は諸々あって、強くなっていた。
「他に一年は来ましたか」
「あれから、誰も」
「新歓終わりましたからね。もう新入生は来ないんですかね」
「……」
その時、ぎいと重い扉が開いて、密度の高い剛毛の白髪頭が印象的な、初老の男性が入って来た。学に気付かず、壁にもたれたレイラに
「藤咲部長、楽譜のコピー……あれ?」
今しがた彼に気付いたようだ。
「新一年生」
レイラがぶっきらぼうに言い放った。
「一年の市原です」
「ああどうも、私は顧問の山下富久です。高二、高三の数学担当ね。生徒はほぼ山Pって呼んでるみたいだから、まあ君もそう呼んでくれて構わんよ」
山下はそう言って人が良さそうに笑った。
「そっか、二人か……じゃ早速イースター礼拝で演奏させてみる?」
イースター?学が戸惑っていると、
「今年はイースター、四月三十日なんだ。二週間で仕上がる?」
「何とかします」
後輩の疑問を放置でレイラは言い切った。四月三十日まで、あと十日しか無い。
「今年はどの曲を演奏すればいいの?」
「えっと、〝主よ終りまで仕えまつらん〟」
そう言って山下は楽譜のコピーを手渡した。
「ああ、讃美歌338番ね」
学には何のことだか全く分からない。それを見つけて、レイラは尋ねた。
「主よ終わりまーで、仕ーえまつらーんって歌があるの、知らない?」
歌ってくれたが、まるで分からず首を横に振る。やばいな、と山下が呟いた。
片隅にあるピアノでレイラが簡単に弾いて見せる。ぽかんとする学に、山下が讃美歌を手渡した。
「とりあえず、歌って覚えてみたら」
もはや何クラブか分からない。学が何とか歌って見せたのを、山下は苦笑して見ていた。
「ハイ、次は音階で歌ってみて」
ミミーミレドドーシ……。とりあえず歌う。
「すぐ音階が分かるのね。オッケー」
学の歌い方で、ぼんやりとだが彼の実力を推し量れたようだ。
「なら、十日で何とかなるわ。すぐ練習してみましょう」
山下を含めた三人でベルを並べる。
「はい、ここにGね。Gの♯に……あ、そのベルは今日使いません」
的確な指示でベルが並べられ、教卓にメトロノームが置かれた。目盛りを調整し、二人で並ぶ。山下が持って来た楽譜を広げ、音に合わせて振ろうということのようだ。
「四拍子だから、♩四つで一小節。分かるよね?」
いくらなんでもそれぐらいは分かります、と反論すると、
「じゃあ大した説明はいらないわ。リズムに合わせて振れば、演奏の形は後から付いて来るから。いちに、さんで始めるからね。はい、いちに、さん」
学に割り振られた低音部は二分音符ばかりだ。顔ほどある大きく重いベルを両手に持ち、見よう見真似で鳴らす。持ってみると、結構重い。
ボワンと鳴らしては胸で音を止める。持ち替えて鳴らし、音を止める間にもうひとつを持って……
(あれ。案外難しくない)
レイラの演奏している上段のメロディラインは難しそうだが、低音はそうでもなかった。
(これなら、出来るかも)
「みはーたの元ーに、おらーせたーまえー」
胸でベルを止めた瞬間、山下がおお、と感嘆して拍手した。
「上出来!」
そ、そうですか?と学が頭を掻くと、
「簡単な曲だから、当たり前」
すぐにレイラが否定した。
「この調子ならもう少し音を増やしてもいいかも」
レイラは両手に合計六個のベルを握りながら器用に一音ずつ鳴らしている。間近で見ると、その器用さは迫力を伴う。
(す、すごい……)
「はー、とりあえずまたコーチに編曲してもらおうっと」
練習が一段落したところで山下が立ち上がり、
「この分なら大丈夫そうだね。あ、これ」
と一枚の紙を手渡した。入部届だ。
そこにはこう書いてあった。
1 練習日は毎週月木
2 部費月二百円
3 掃除がない人が早く来てベル並べ
4 欠席は最大の御法度
(そうか、欠席は絶対に出来ないな)
ハンドベル最大の欠点は、自主練をいくら頑張ったところで、決められた人数がいないと演奏にならないところだ。学は肝に命じた。
「男子生徒は色々大変だと思うけど……めげずに来て欲しいなあ」
山下はしみじみとそう言った。
学校のチャイムが鳴る。下校の時間になって、部活はお開きになった。
階段を山下と三人で降り、彼とは職員室前で別れた。自然と、レイラと二人で校門まで歩く流れになる。
(また、二人きりになってしまった……)
学のその思いを理解し合うかのごとく、二人は黙々と歩く。彼の口の乾きが尋常でなくなった頃合いで、夕日差す校門の前でレイラが口を切った。
「私、こっちの道から帰るから」
学はハイと言って頭を下げた。
「木曜にまた会いましょう」
ぼそっと呟いて、彼女は夕日の方へ歩き出す。学は夕日を背に受けて下校した。
ようやく、高校生活が始まった気がする。駅までの道程はいつもと違った輝きに満ちていた。
しかし駅に入りホームへ出ると、向こうのホームにレイラの姿があった。学は冷や水を浴びせられた気分だった。下校の道は同じだったのに、避けて帰られたのだ。
(やっぱりまだ、避けられてるんだ)
学の口の中は、いつまでも乾いて苦い。




