ちょっと釧路へ 1993年2月5日号掲載
新浜だより(行徳新聞再録) 1993年(平成5年)2月5日号掲載
ちょっと釧路へ
滑走路へ向かってゆっくりと移動していた飛行機が、一点に方向を定め、動きを止めた。エンジン音がぐんぐん高くなる。やがて機は滑走路をぐんぐん走り出し、すぐに離陸して急上昇をはじめた。おもちゃのような飛行機の姿、駐車している車はマッチ箱から点になった。晴れわたった海上のそこここに船が浮いている。高度は千メートルくらいになったろうか。
その時、息もとまるようなものを見た。眼下に広がるのはたしかに東京湾、飛び立ったのは羽田飛行場。そのすぐ前に、海岸付近に工場を並べ、その近くまで山がせまっている木更津の光景があった。海上を動く船舶は大小や型まではっきりと見えているのに、木更津と羽田はまるで川の両岸のような至近距離にある。おまけに房総半島の向こうには、手の届きそうな近さで太平洋がみえるではないか。
よく飛行機を利用される方にはごく当たり前の光景なのだろうが、太平洋と東京湾がこれほど近いとは思ってもみなかった。実は、北海道の阿寒町に設立される阿寒国際タンチョウ保護センターの設立準備委員として、第二回目の会議に出るために羽田から釧路に向ったところだ。前回も飛行機から見る手賀沼や印旛沼のあまりの小ささにびっくりしたのだが、千メートルといえば、鳥たちが渡りの時にごく普通に飛んでいる高さ。やはり鳥ってすごい!
さて、地震後一週間の釧路市街は、そこここで窓がベニヤ板でふさいであるのが目につくくらいで、一見変化がなかった。しかし、地震の揺れ方は「震度6」などという言葉からは想像できないようなものだったらしい。
「どうしたらいいかわからなくて、まず玄関を開けて、後は泊まっていた高校生の子におおいかぶさって体でかばったの。食器はばらばら落ちてこわれるし、そのうち本棚がどさーっと倒れてきてね。でもうちは停電しなかったし、電話が通じたからよかったわ」
「ここはあのガラスが割れたくらい。でもほれ、今朝になって気がついたんだわ。あそこの山肌が雪がないっしょ、地すべりしたんだよ。雪が溶けたら道なんかも地割れしてるのがわかるんでないかな」
そもそも委員会の主催者である阿寒町の公民館の館長さん。疲れた様子もなく長丁場の会議をまとめておられたが、成人式を終えて四時間後に公民館の天井が落ちたとのこと。
どの方もからっと明るくて、「うちはまだよかったよ。誰それさんのところはたいへんだった」と、近所の方や近隣の市町村を気遣っておられるのが印象的だった。
かくありたし。




