第9話 「再会」
その廃墟は、街外れの丘にあった。
戦時中に捨てられた民家で、壁は一部崩れ、周囲には雑草が生い茂っている。
肩で息をしながら、ハミルは廃墟を見据えた。半ば朽ちた石造りの塀に、その男は腰掛けていた。
「よう...来たか」
捻れた短剣を手で弄びながら、ハザードは口を大きく歪める。まるで恋人でも待ちわびていたような雰囲気だ。
「彼女は...どこです?」
ハミルは拳を固く握りしめ、鋭い視線をかつての傭兵仲間に向けた。エイミィの姿はどこにも見えない。
「...安心しろ、女には傷一つ付けちゃいない」
急に、ハザードの表情から悦びの色が消える。代わりに浮かんだのは、失望の色。ハミルの第一声が、女性の安否を気遣うものだったことに、ハザードは苛立ちすら覚えた。
だから、もっと彼を揺さぶりたいと思った。
「お前の態度次第で、あの女は親父のところに行くことになるだろうがな」
「なぜ...なぜこんなことをする...!」
ハミルの言葉に、一段と怒気が混ざる。こんなことをしでかして、いったい何の意味があるのか、理解できなかった。
「言っただろ? お前と殺り合いたいってな」
ハザードはただ純粋に、ハミルとの死合いを望んでいた。戦時中の、一切の容赦がない剣の技。ただ敵を殺すために特化した動作のひとつひとつに、彼は情欲にも近い憧れを抱いた。
最強と謳われた「紅の剣鬼」を殺す。なんなら殺されても良い。そんな異常な執着心が、彼を突き動かしていた。
「だから、早く昔に戻れよぉっ!」
座っていた姿勢から一転、ハザードは跳躍。一瞬でハミルの目前に迫る。
「...っ!」
右手で腰の長剣を抜き、ギリギリのところで捻れた凶刃を防いだ。
「なんだ、完全に腑抜けたわけじゃないんだな」
その動作だけで、ハミルの腕前を見抜いたハザード。流れるような動きで、二撃目、三撃目を放つ。ハミルはそれに、なんとか着いていくのがやっとだった。
見えない攻撃ではない。しかし、見えるだけでは意味がない。実戦から長く離れた身体は、思うように動いてくれなかった。
「どうしたぁ! そんなんじゃなかったろ、お前はぁっ!」
ハザードの怒号が響く。ハミルはふとそこに、どこか物悲しさを感じた。
「そんな剣じゃなかったはずだろぉっ!」
ハミルは気づいた。ハザードは未だに、あの戦場から戻れていない。かつての自分と同じなのだと。
不思議と怒りは消え、ただ哀れみだけが浮かび上がる。エイミィに出会えなかったら、自分もこんな風になっていたかもしれない。
しかし、彼を退けなければ、エイミィを救うことはできない。
ハミルは、右手に持っていた長剣を《《左手に持ち替えた》》。
本来の利き手。かつての戦場で、多くの命を奪った左手。もはや「紅の剣鬼」でなければ、ハザードを倒すことはできない。ハミルはそう判断した。
振るのは一太刀。首を刎ねて、それで終わり。
ゆっくりと、ハミルはその目から感情の光を消していく。
その時だった。
「ハミルさん!」
その声で、ハミルの瞳に光が差す。目前にはハザードの刃が迫っていた。
甲高い金属音。次いで、捻れた刀身が宙を舞い、地面に突き刺さる。ハザードの短剣は、根元から断ち折られていた。
「なっ...!?」
瞬間、ハミルの剣は神速でハザードを捉え、その柄頭が、彼の鳩尾に叩き込まれた。
力なく、その場に崩れ落ちる狂人。ハミルは大きく息を吐き出し、肩を上下させた。
ふた呼吸ほどして、落ち着きを取り戻したハミルは、剣をゆっくりと収め、その視線を巡らせる。
果たして、そこには廃墟の前に佇む、黒の令嬢の姿があった。
言葉が出ない。
こんな形で会うことになるなど、想像もしていなかった。息が苦しい。短い呼吸を繰り返し、ハミルは胸を押さえた。
「エイミィ...さん」
ようやく絞り出したのは、彼女の名前。しかし、それ以上は続かない。
「お久しぶり...ですね」
代わりにエイミィが口を開いた。彼女は7年前と同じ、否、少し哀しみを帯びた笑顔を浮かべていた。
落ちていく夕日が、2人の横顔を照らす。
ハミルの表情が変化する。苦しそうに、そして悲しそうに。
エイミィの表情も変わる。喜び、そして悲しみに。
しばらく後、2人は共に笑顔を浮かべていた。
「私は、「何者か」になれたでしょうか...」
未だ、自分自身でその答えを出せずにいた。だから、彼女にそう問いかけるしかなかった。
エイミィは一瞬、その目を見開いた。そして、その瞳を揺らめかせながら、昔と変わらぬ眩しい笑顔を浮かべた。
そして、しばしの沈黙の後、こう答えた。
「貴方は、「ハミルさん」ですよ」
その答えに、全てが詰まっていた。
「紅の剣鬼」など、とうの昔に消えていた。ここにいるのは、7年前のあの日から「ハミル」だったのだ。
ゆっくりと、ハミルは足を進める。
エイミィもまた、前に進む。
そして...。
夕日が作る2人の影が、1つに重なった──。




