第8話 「誘拐」
街の雰囲気は、7年前から大きく変わっていた。
ハミルが滞在していた約1年、街はずっと終戦を祝う明るい雰囲気に包まれていた。
しかし今はどうか。
人々は皆、どこか暗く、淀んだ表情を浮かべている。通りを走り回る子供たちの数も少ない。
領主であるグレン卿が、流行病によって亡くなり1年近く経ったと聞くが、その影響が色濃く出ているのか。
それだけ、グレン卿が人々から慕われていたという証でもある。しかし同時に、人々はその娘であるエイミィには、それほど信頼を寄せていないのかもしれない。
「黒の令嬢...ですか」
常に黒いドレスを纏い、物憂げな表情を浮かべる現当主を、人々はそう呼んでいた。
7年前も、彼女は黒いドレスを好んで着ていた。しかし、そこに陰気な印象はなかった。いつも穏やかに、そして優しい笑顔を見せていたエイミィは、変わってしまったのか。
不安を胸に、ハミルはゆっくりと、かつて時を過ごした屋敷に足を運んだ。
アローテ邸もまた、7年前とは様相が一変していた。もとより質素な造りで、貴族の豪華な屋敷という印象は薄かった。しかし今は、もはや廃墟に近い、荒れ果てた雰囲気になっていた。
壁には至る所に苔が生え、庭の草木にも手入れがされていない。控えめとはいえ、美しいと感じたあの頃の屋敷の面影は、もうどこにもなかった。
ハミルは屋敷から少し離れた丘の上にいた。ここならば、屋敷の様子を一望できる。
「エイミィさん...」
街で聞いた話によれば、現在屋敷には彼女1人が暮らしているらしい。グレン卿が亡くなった後、屋敷の使用人たちは皆、暇を出されたとか。
さすがに距離があるため、エイミィがどこにいるかまでは分からない。もしかしたら、今は留守にしている可能性もある。
ハミルはここに来て、やはり彼女を訪ねるべきではなかったかもしれないと、怖気付いていた。
仮に会ったとして、何を話せば良いだろう。仮に姿だけ見たとして、何になるというのだろう。
7年という年月は、彼の心を萎縮させていた。
「...帰りましょう」
来るべきではなかったと、ハミルは踵を返そうとした。
その時、屋敷の玄関が開くのが見えた。
「...っ!」
思わず、ハミルは木陰に身を隠してしまう。
そこには、1人の女性として成長した、彼女の姿が見えた。
7年前よりも、一層沈んで見える黒のドレス。滑らかな髪もさらに伸びて、腰に届く長さになっている。
まだ少女のようなあどけなさがあったあの頃とは違う、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
しかし、そこにはどこか、憂いの色が見え隠れしている。ミステリアスとも違う、ただ暗く、重い空気を纏っているようだった。
少し痩せたようにも思えた。食事はしっかり取れているのだろうかと、ハミルは心配してしまった。
エイミィは玄関を出て、門に絡みついた蔦を取り除いていた。あまり慣れた手つきには見えない。それでも懸命に、彼女は手を動かしていた。
この家を、そして彼女を、こんな風にしてしまったのは自分かもしれない。そんな思いが、ハミルの胸に深く突き刺さる。
今度こそ、本当に帰ろうと思い、ハミルは屋敷に背を向けた。
その直後。
「きゃっ…!」
短い、しかしはっきりとした悲鳴。
ハミルが振り返ると、門のところにエイミィの姿はなかった。代わりに、黒いドレスを抱えて走る人影が見えた。
「エイミィ...さん!」
必死の表情で、ハミルは丘を駆け下りる。しかし屋敷の前まで来た頃には、人影はもうどこにも見えなかった。
ふと、門のところに1枚の紙切れが挟まっていることに気づく。
「これは...」
紙を取り、広げて見る。
そこにはたった一文だけ書かれていた。
女を助けたければ、街外れの廃屋まで来い。
誰の仕業か、ハミルにはすぐに分かった。
紙を持つ手が、怒りで大きく震える。しかしそれは、いったい誰に向けた怒りだったか。
ハミルは、日が落ち始めた空の下、街外れに向けて走り出した。




