第6話 「別離」
まだ朝日も上りきらない時刻。
朝霧の漂う中、ハミルは小さな荷物を手に、アローテ邸の門に手をかけた。
「どちらに...行くのですか?」
背後からの声に、ハミルは目を見開いて振り返る。どうして、彼女はいつも自分に気配を感じさせずに近づいてくるのか。
「エイミィ...さん...」
こんな時刻だというのに、彼女はいつもの黒いドレスに身をつつみ、凛とした様子でそこに立っている。
「ハミルさん、貴方は...」
「あなたには感謝しています」
彼女の言葉を遮り、ハミルは語り始めた。
「何も知らなかった私に、あなたは多くのことを教えてくれました」
どこかから鳥のさえずりが聴こえる。完全な静寂ではないことが、今のハミルには救いと思えた。
「あなたは私に、《《人であること》》を教えてくれたのです」
エイミィはすでに察している。その目に光るものが浮かんでいるのが、その証拠だ。
「でも私は、数え切れないほどの罪を犯してきました...そこに、言い訳はしません...」
傭兵として戦地に赴き、数多の人間を葬ってきた。背中を向けて逃げる者もいた。年端もいかない少年兵もいたはずだ。それらにも等しく剣を振り下ろしてきた。
「私は...あなたと共に生きていく資格がない」
誰かと共に生きたい。そんな感情が自分の中に芽生えていたことを、ハミルはついに自覚した。孤独で、剣という生き方しか知らなかった自分に、新しい道を示してくれたエイミィ。しかし、彼女はハミルにとって眩しすぎた。
「だから...」
「私も...!」
今度はハミルの言葉を、エイミィが遮った。
「私も、貴方に救われました!」
グレン卿が話していたことを思い出す。孤独だったのは、彼女も同じだ。
「貴方と出会ってから、私の世界が、とても広がったのです」
そこでハミルはハッとした。世界が広がったのは、自分だけだと思っていた。彼女もまた、自分と出会ったことで、新しい何かを見つけたのか。
「貴方が何者だったか...それはもう、関係ない...」
肩を震わせ、涙を零すエイミィ。しかし、その言葉には一切の淀みはない。父と同じように、大きく息をつく。
一呼吸置いて、彼女は口を開いた。
「大事なのは、何者になるか...でしょう?」
ハミルは目を伏せ、険しい表情になる。胸が締め付けられるような感覚に、息が詰まった。
何者になるか。果たして、自分は「何者か」になることなどできるのか。
この時の彼には、その答えは出せなかった。
「私には...」
唇を噛み締める。
「分かりません...」
ハミルは背を向け、門をゆっくり開く。エイミィの足は動かない。否、動けなかった。1枚の門が、2人の心を大きく隔てていた。
膝から崩れ落ち、慟哭する黒髪の令嬢。
ハミルは振り返ることなく、その足を進ませ続けた。
今すぐ、彼女のもとに戻りたい。その想いが強く、彼の胸を焦がす。それはもう、痛いほどに強い想い。
それでも、彼の足は止まらない。もう、引き返すことはできない。
ただ、一つだけ思うのは。
もし自分が「人」になることができたら、彼女の隣に立つことができるのだろうか。
罪の意識と、小さな願いが、胸の中でせめぎ合う。
それから彼はずっと、自らに問いかけ続けていた。
「人」になれたか、と──。




