↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/10

第6話 「別離」

 まだ朝日も上りきらない時刻。

 朝霧の漂う中、ハミルは小さな荷物を手に、アローテ邸の門に手をかけた。


「どちらに...行くのですか?」


 背後からの声に、ハミルは目を見開いて振り返る。どうして、彼女はいつも自分に気配を感じさせずに近づいてくるのか。


「エイミィ...さん...」


 こんな時刻だというのに、彼女はいつもの黒いドレスに身をつつみ、凛とした様子でそこに立っている。


「ハミルさん、貴方は...」

「あなたには感謝しています」


 彼女の言葉を遮り、ハミルは語り始めた。


「何も知らなかった私に、あなたは多くのことを教えてくれました」


 どこかから鳥のさえずりが聴こえる。完全な静寂ではないことが、今のハミルには救いと思えた。


「あなたは私に、《《人であること》》を教えてくれたのです」


 エイミィはすでに察している。その目に光るものが浮かんでいるのが、その証拠だ。


「でも私は、数え切れないほどの罪を犯してきました...そこに、言い訳はしません...」


 傭兵として戦地に赴き、数多の人間を葬ってきた。背中を向けて逃げる者もいた。年端もいかない少年兵もいたはずだ。それらにも等しく剣を振り下ろしてきた。


「私は...あなたと共に生きていく資格がない」


 誰かと共に生きたい。そんな感情が自分の中に芽生えていたことを、ハミルはついに自覚した。孤独で、剣という生き方しか知らなかった自分に、新しい道を示してくれたエイミィ。しかし、彼女はハミルにとって眩しすぎた。


「だから...」

「私《わたくし》も...!」


 今度はハミルの言葉を、エイミィが遮った。


「私《わたくし》も、貴方に救われました!」


 グレン卿が話していたことを思い出す。孤独だったのは、彼女も同じだ。


「貴方と出会ってから、私《わたくし》の世界が、とても広がったのです」


 そこでハミルはハッとした。世界が広がったのは、自分だけだと思っていた。彼女もまた、自分と出会ったことで、新しい何かを見つけたのか。


「貴方が何者だったか...それはもう、関係ない...」


 肩を震わせ、涙を零すエイミィ。しかし、その言葉には一切の淀みはない。父と同じように、大きく息をつく。

 一呼吸置いて、彼女は口を開いた。


「大事なのは、何者になるか...でしょう?」


 ハミルは目を伏せ、険しい表情になる。胸が締め付けられるような感覚に、息が詰まった。

 何者になるか。果たして、自分は「何者か」になることなどできるのか。

 この時の彼には、その答えは出せなかった。


「私には...」


 唇を噛み締める。


「分かりません...」


 ハミルは背を向け、門をゆっくり開く。エイミィの足は動かない。否、動けなかった。1枚の門が、2人の心を大きく隔てていた。


 膝から崩れ落ち、慟哭する黒髪の令嬢。


 ハミルは振り返ることなく、その足を進ませ続けた。

 今すぐ、彼女のもとに戻りたい。その想いが強く、彼の胸を焦がす。それはもう、痛いほどに強い想い。

 それでも、彼の足は止まらない。もう、引き返すことはできない。


 ただ、一つだけ思うのは。


 もし自分が「人」になることができたら、彼女の隣に立つことができるのだろうか。

 罪の意識と、小さな願いが、胸の中でせめぎ合う。


 それから彼はずっと、自らに問いかけ続けていた。

「人」になれたか、と──。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。