第5話 「父親」
その日、ハミルの姿はグレン卿の部屋にあった。
時刻は夜。燭台に灯された火が、アローテ家現当主の顔に大きく影を落としていた。
「グレン卿...お話というのは?」
エイミィも交えた3人での夕食後、ハミルはグレン卿から密かに呼び出された。その時も、酷く深刻な表情をしていたと思う。
「ハミル君...娘を、どう思うかね?」
低く重い声。少しずつ言葉を選ぶように、グレン卿は口を開いた。白いものが混じっているが、その黒髪は、エイミィによく似ていた。
「...おっしゃる意味が、よく分かりません...」
ハミルは正直な返答をした。変に穿った答えは無用。1年足らず生活を共にしてきたのだ、相手がどのような人物かは自ずと理解している。
「あの子は...エイミィには、友人と呼べる者がほとんどいなかった」
目を伏せながら、グレン卿はゆっくりと語り始めた。
アローテ家は、貴族とはいえその位は低く、領地と呼べるのも、この小さな街がひとつだけの弱小の家だった。
エイミィは幼い頃に母親を亡くしていたが、その代わりに父からたくさんの愛情を受けて育てられた。果たして、彼女は優しく慈愛に満ちた娘に成長した。
しかし社交界において、弱小貴族の娘に価値はない。彼女と親交を結ぼうという者は、1人も現れなかった。
街の人々も、優しい彼女を慕ってはいたが、どこか遠慮がちに接していた。やはり、友になろうとする者はいない。
「あの子はいつも穏やかにしているが、時々、とても寂しそうな顔をしていたよ」
ずっと見守ってきた娘のことを想い、そこでグレン卿は大きく息をついた。
「そんなあの子が、あの雨の日に君を連れてきた時は、さすがに驚いたがね」
ようやく、グレン卿がハミルと視線を合わせてくれた。その瞳が、微かに揺らめいて見えたのは、ハミルの勘違いだろうか。
「でもそれから、あの子は本当によく笑うようになった」
グレン卿が背を向ける。娘のことを語る父の姿というのを、ハミルは知らない。しかし、その背中には何か哀しみのようなものを感じた。
しばしの沈黙の後、グレン卿はぽつりと呟いた。
「知ってるかい? あの子はいつも私に、君の話ばかりをするんだよ」
微かに、本当に微かに、その肩が震えている。しかし、ハミルにはグレン卿の真意は見えなかった。
「すみません、グレン卿...話が見えないのですが...」
「あぁ...すまない、やはり回りくどいのは性に合わないな...」
自分に言い聞かせるように言いながら、グレン卿は再びハミルと目を合わせる。今度は真正面から、真っ直ぐとした瞳で。
そして、一言だけ放った。
「この街から、出ていってくれないか」
空気が凍りつく。
そんな感覚を、ハミルは戦場以外で初めて味わった。
ほんの一瞬、グレン卿が何を言ったのか、頭が理解を拒んだ。しかし、続く言葉で、ようやくその真意を察することができた。
「先日、街でこんな噂を耳にしたんだ...アローテ家に雇われた護衛は、「紅の剣鬼」ではないかというね...」
久しく聞かなかった異名。一瞬、ハミルは自分がそう呼ばれていたことを忘れていた。そうだ、自分は剣鬼。数え切れない命を奪った殺戮者なのだと。
「今更だが、君のことを少し調べさせてもらった...恐かったよ...」
果たして、それはどういう意味の「恐かった」なのか。
「私は、君がどういう人間であれ、娘にとって大切な人だということは理解している」
少しずつ、グレン卿の声が上ずっていくのを感じた。何かを誤魔化すかのように、口調も早くなっていく。
「君のおかげで、あの子の人生は明るくなった...そこに感謝もしている」
ハミルは自然と、奥歯を噛み締めていた。グレン卿からの感謝の言葉に隠れた思いに、少しずつ気が付き始めたからだ。
「しかし、しかしだ...あの子に危険が及ぶようになったら...私はきっと耐えられない...!」
この小さな街で、「紅の剣鬼」のことが噂になっているなら、それはいずれ他の街、そして都にまで伝わるだろう。そうなれば──。
「だから...」
今にも泣き出してしまいそうな声で、グレン卿は絞り出すように言う。
そして、再び大きな深呼吸をすると、アローテ家当主として顔を作り、ハミルの目を真っ直ぐと見つめた。
そして数秒の沈黙の後、静かに言葉を放つ。
「この街を、離れてくれ」
その口調に厳しさなどなく、むしろどこか優しさを感じた。それでも、一切の反論を許さない毅然とした力が秘められていた。
間違いなく、彼はエイミィの父親だった。




