第47話「婚約を破棄してきたあいつが!?」
男が最後に残した言葉が会議室の中で消えていった直後、王城の地下深くにいるはずだというのに足元の石床が大きく揺れ、まるで地中で巨大な獣が寝返りを打ったかのような重低音が空気を震わせた。
次の瞬間、壁面へ刻まれていた古代文字が一斉に赤黒く発光し始め、魔導師たちの顔色がみるみる青ざめていく。
その光景を見た俺は、本能的に理解していた。
これはただの結界異常ではない。
何かが目覚めようとしている。
それも、この国が長い年月をかけて封じ続けてきた何かが。
クロードはすぐに剣を抜き放つと、騎士団幹部たちへ鋭く指示を飛ばした。
「全戦力を北方へ集結させろ。宮廷魔導師団は封印の補強を最優先だ。避難が終わっていない区域があるなら即座に封鎖しろ」
その声に全員が動き出す。
さすが王国最強と言われる男だ。
混乱しかけていた空気が一瞬で引き締まる。
しかし.......俺の右手に刻まれた冥境の門印だけは、警告するように熱を増し続けていた。
まるで急げと言っているみたいに。
すると隣にいたセレフィーナが小さく俺の袖を掴む。その力は弱かったが、俺を落ち着かせるには十分だった。
「大丈夫ですか......?」
彼女は心配そうな目でこちらを見上げていた。
こんな状況だというのに、まず自分の心配ではなく俺を気遣うところが実にセレフィーナらしい。
だから俺は苦笑しながら答えた。
「正直、大丈夫じゃねえな」
「そうでしょうね」
「でも、逃げる気はねえよ」
そう言うと、彼女は少しだけ安心したように微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、不思議と胸の奥のざわつきが小さくなる。
守りたい。
そんな感情が以前よりずっと自然に心へ根付いていることを自覚しながら、俺たちはクロードと共に王城を飛び出した。
ーーー
王都北方・旧封印遺跡
そこへ近づくにつれて景色は異様なものへ変わっていった。
本来なら青々とした草原が広がっているはずの大地には黒い亀裂が幾重にも走り、その裂け目の奥からは紫色の霧が噴き出している。
空では雲が渦を巻きながら回転し続けており、その中心には巨大な穴のような暗黒が浮かんでいた。
まるで世界そのものへ傷がついている。
そんな光景だった。
周囲には既に騎士団が展開していたが、その表情に余裕はない。
なぜなら、遺跡から次々と現れているのだ。
異形たちが、四足の魔獣、人型に近い怪物、骨だけで構成された巨人、そして........見たこともない黒い化け物たちが。
それらは魔物というより、何か別の存在だった。
この世界にいるべきではないもの。
そんな感覚を覚える。
「冥獣か……!」
クロードが険しい顔で呟く。
その名前を聞いた宮廷魔導師の一人が顔を強張らせた。
「伝承だけの存在ではなかったのか……!?」
「本来なら存在するなんてことはあり得ない」
クロードは剣を構えながら答える。
「だが.........あの素性が全くと言っていいほど不明の門とかいうやつが開き始めれば話は別だ」
その瞬間..........巨大な咆哮が響いた。
遺跡中央から現れたのは、十数メートルを超える黒い竜だった。全身を漆黒の鱗に覆われた異形。
その瞳には知性も感情も存在せず、ただ破壊衝動だけが渦巻いている。
周囲の騎士たちが息を呑む。
だが........クロードは笑った。
「少しは戦い甲斐のありそうなやつもいるじゃないか」
次に俺が彼の方を見た時には、王国最強の騎士が地面をとてつもない威力で蹴っていた。
爆発したような衝撃と共にクロードの姿が消え、気付いた時には黒竜の懐へ潜り込む。
そして振り抜かれた一閃。白銀の軌跡が夜空を裂き、黒竜の首が宙を舞う。
ーーーー刹那の斬撃
遅れて轟音が響き渡った。
周囲の騎士たちから歓声が上がる。
やはり化け物だ。
王国最強の名は伊達ではない。
しかし、それでは終わらなかった。
黒竜の死体が完全に崩れ落ちる前に、その背後からさらに何十体という冥獣が現れたのである
そのまさに絶望とも言える、その状況下に置かれて、諦める者さえいた。
「キリがねえな……!」
そんな中、何とか打開する手はないかと、思考を巡らせながら、俺が皮肉混じりにそう軽口を叩いたその時だった。
大地を揺らすような轟音が、戦場全体へ響き渡る。最初は冥獣の咆哮かと思った。
だが違う........音は一つではなかった。
何百、何千という蹄の音、重なり合う金属音、そして――戦旗が風を裂く音。
全員が反射的に振り返る。
次の瞬間........地平線の向こうから現れた光景に、その場の誰もが目を見開いた。
夜の平原を埋め尽くすほどの軍勢。
掲げられているのは王国軍の旗ではない。
各地方貴族の紋章。
王都防衛軍。
辺境騎士団。
そして、かつて王都の派閥争いで対立していたはずの家門の旗までもが並んでいる。
あり得ない。
本来なら決して一つにならないはずの勢力だった。しかし今、その全てが一つの方向へ向かって進軍している。
まるで一人の人間に率いられるように.......
軍勢の先頭。
白馬の上に立つ一人の少女を見た瞬間、俺は思わず目を見開いた。
「……は?」
あり得ない。
なぜ、ここにいる。
金色の髪を夜風になびかせながら、堂々と先頭を駆けていたのは――
ーーー“リリアーナ”
俺を婚約破棄した元婚約者。
能力がないと切り捨てた張本人。
その本人が、数万の軍勢を率いて現れたのである。
アイラが口を開けたまま固まる。
エリクですら言葉を失っていた。
セレフィーナが驚き、口をポカーンと開け、言葉を失ったまま立ち尽くしている。
当然だった。
この場にいる全員が予想だにしていなかったことが、現実として目の前で起こっているのだから。
そして.........誰よりも驚いていたのは、おそらくリリアーナ自身だった。
――本当に来てしまった。
馬を駆りながら、彼女は小さく自嘲する。
「待ったかしら? まあ.......お礼はいらないわ、私はあんなことをしてしまったわけですし」
少し前の自分なら絶対にあり得なかった。
レインのために命を懸けるなど、そんな選択をする女ではなかった。
昔の自分は愚かだったのだ。周囲の言葉ばかり信じていた。
才能、家格、名誉........
そんなものばかり見ていた。
だからこそ、本当に大切な者を見落とした。
誰より優しくて、誰より真っ直ぐで、誰より傷つきながらも立ち上がり続けていた少年を........
あの頃は気付かなかった、いや........気付けなかったのだ。
でも、婚約ががなくなった今、他人になって、遠くから見るようになって、ようやく理解してしまった。
自分はきっと.........レイン・ノクスという人間が好きだったのだと。
「私って実は結構なところのお嬢様なのよ!!」
だからこそ苦笑する。
遅すぎる.........本当に遅すぎる。
今のあいつの隣には、もう別の女性がいる。
そして、その女性が誰よりあいつを大切にしていることも知っている。
だから――。
せめて最後くらいは、自分の間違いを償いたかった。
甲高く、リリアーナの声が響く。
「ここから先へは一歩たりとも通すな!!」




