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第40話「存外、結婚する日も近いかも!?」

 重低音のような声が、大広間へ静かに響き渡った瞬間、それまで感情と怒気で満ちていた空気が、まるで冬の湖へ氷を落としたみたいに一瞬で凍りついた。


 貴族たちが一斉に息を呑み、反射的に玉座側へ視線を向ける。


 そこに立っていたのは、一人の男だった。


 白銀の髪。


 鋭利な刃物みたいに冷えた眼光。


 「お、おい……まさか……」


 「竜王国騎士団総長……クロード・アルシェリアだ……!」

 

「嘘だろ、!? なんでこんな場に……」


 貴族たちの顔色が変わる。中には青ざめたまま視線を逸らす者までいた。

 

 王国騎士団総長——クロード・アルシェリア。


 “王国最強”。

 

 “戦場を終わらせる男”。


 “白銀の断罪者”。

 

 数々の異名を持つ英雄にして、北方戦線で単騎のまま魔物災害を鎮圧した怪物。


 かつて暴走した上位魔竜を、一晩で討ち落としたという噂すら存在する。

 

 「聞いたことあるぞ……北方要塞が崩壊しかけた時、一人で魔物の群れを止めたって……」


 「いや、あれは噂じゃない。本当だ.......うちの父が当時現地にいたんだ」


 「ば、化け物じゃないか……」


 その圧倒的な実力と冷徹な性格から、貴族たちですら迂闊に逆らえない存在だった。


 そして同時に——。


 セレフィーナが、唯一心から信頼している実兄でもある。


 普段はもの静かで感情を滅多に表へ出さないセレフィーナが、クロードの前では僅かに年相応の表情を見せることがあると、学園内では密かに有名だった。

 

「そういえば、王女殿下が唯一頭の上がらない相手って……」


 「クロード様だけらしいな……」

 

 「いや逆だろ。あの人、妹だけには甘いって話だぞ」


 「でも........怒らせたら終わる……」


 ひそひそと囁かれる声。

 

 だが......そんなざわめきすら切り裂くように、クロードは静かに視線を上げた。


 その瞬間、大広間から音が消える。


 セレフィーナの実兄にして、この国最強とまで謳われる英雄は、ただそこへ立っているだけだというのに、大広間そのものの支配権を塗り替えてしまったみたいな圧を放っていた。


 さっきまで怒声を張り上げていたアルヴェインでさえ、その姿を見た瞬間、喉元を掴まれたみたいに言葉を止めてしまっている。


 クロードはゆっくりと視線を巡らせ、それから氷のように冷え切った目をアルヴェインへ向けた。


 「見苦しいぞ、第一王子」


 低い声音だった。


 だが、その一言だけで空気が軋む。


 「既に婚約は正式に解消されている。それを今さら蒸し返した挙句、公衆の面前で我が妹へ恥をかかせようとしたのは、お前の方だ」


 アルヴェインの顔色が変わる。


 「なっ……! しかし私は——!」


 「さらに」


 クロードは一切遮らずに切り捨てた。


 その態度には、もはや王子への敬意すら存在していない。


 「最近のお前の周囲では、違法な魔導具の流通、貴族派閥との不正取引、そして“外部勢力”との接触まで確認されている」


 その瞬間、大広間のざわめきが一気に爆発した。


 貴族たちの顔色が変わる。


 動揺、恐怖、疑念........


 様々な感情が波みたいに広がっていく。


 アルヴェインは目を見開いたまま絶句していた。その反応だけで、もう答え合わせは終了しているようなものだ。


 俺は静かに目を細める。


 ——外部勢力。


 その単語を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは地下水路で出会った“あの男”だった。


 朱雀門を閉じた存在。


 俺を知っていた、あの化け物。


 胸の奥で、冥境の門印が嫌な脈動を刻む。


 だが今は、それ以上に——隣に立つセレフィーナの方が気になった。


 彼女は黙ったまま前を見ている。


 けれど、袖越しに伝わってくる指先の感触が、少しだけ震えている。


 長かったんだろう。


 ずっと.......


 王女として、婚約者として、完璧であることを求められ続けてきた。


 感情より責務を優先して、誰にも弱さを見せずに立ち続けてきた。


 だからこそ。


 今この瞬間、ようやく終わるのだと理解しても、簡単には整理できないのかもしれない。


 クロードはそんな妹を一瞥すると、静かに告げた。


 「王族会議の決定により、アルヴェイン・ルクセリア第一王子は、本日をもって王位継承権を剥奪。全権限を停止し、王都外への監視付き謹慎処分とする」


 静寂。


 次の瞬間、大広間が揺れるほどのどよめきが巻き起こった。


 王位継承権剥奪


 それは実質的な追放と言っても過言ではない。


 アルヴェインの顔から血の気が引いていく。


 「ま、待て……! そんな馬鹿な話が——!」


 「馬鹿なのはお前だ」


 クロードの声音は、あまりにも冷たかった。


 「己の立場に酔い、自分だけは何をしても許されると勘違いした。その結果がこれだ」


 アルヴェインが後ずさる。


 周囲の貴族たちは、もう誰も彼を見ようとしない。ついさっきまで媚びるように周囲へ集まっていた連中が、今は露骨に距離を取っている。


 その光景は、どこか滑稽だった。


 王子という肩書きが消えた瞬間、人はこんなにも簡単に離れていく。


 けれど.......その中でただ一人だけ。


 セレフィーナだけは、静かに前を見据えていた。


 憎しみもない、嘲笑もない.......


 ただ、本当に終わったのだと受け入れるような、穏やかな瞳だった。


 アルヴェインは震える目で彼女を見つめる。


 けれど.......


 彼女はもう、彼を見ていなかった。


 代わりに——。


 そっと、俺の隣へ寄る。


 肩が触れるその小さな距離に、大広間の空気が再びざわついた。


 だが、セレフィーナは気にしない。


 むしろ少しだけ安心したみたいに、小さく息を吐いていた。


 その姿を見た瞬間、アルヴェインの顔が絶望に歪む。


 ーーーそして最後に、俺を睨みつけた。


 憎悪、悔恨、焦燥


 様々な感情が入り混じった目だった。けれど俺は、ただ肩を竦めて笑う。


 「悪いな、元王子様」


 わざと軽く言う。


 「もうセレフィーナは、お前のところには戻らねえよ」


 痛恨の一撃。


 アルヴェインは何か言い返そうとして——結局、何も言えないまま騎士たちに連行されていった。


 大広間に残ったのは、重たい静寂だけ。


 そして.........その静寂の中で、セレフィーナが、そっと俺の袖を握る。


 「……レイン」


 振り向けば、彼女は少しだけ困ったみたいに笑っていた。けれどその瞳はどこまでも穏やかで、長い間、自分を縛っていた鎖が、ようやく外れたみたいに........


 「……終わりましたね」


 ぽつり、と。


 どこか夢を見るみたいな声だった。


 俺は少しだけ笑う。


 「案外終わりってのはあっさりしてるもんだな」


 「全然あっさりじゃありませんよ」


 セレフィーナが小さく睨んでくる。


 けれど、その頬はほんのり赤い。


 さっきの告白まがいのやり取りを思い出したんだろう。


 俺が笑うと、彼女は視線を逸らしながら、さらに小さな声で呟いた。


 「……あんなこと、人前で言うなんて反則です」


 「本音だったんでな」


 即答すると、セレフィーナの肩がびくっと揺れた。周囲の貴族たちがまたざわめく。


 アイラなんかは遠くで顔を真っ赤にして机を叩いていた。


 エリクは完全に呆れ顔である。


 だが........


 そんな周囲を無視するみたいに、セレフィーナは少しだけ袖を強く掴んだ。


 「……本当に」


 彼女が小さく笑う。


 「あなたって、ずるい人です」


 その笑顔があまりにも綺麗で、思わず見惚れそうになる。


 するとセレフィーナは、ふいに身体を寄せるように近づいてきた。


 銀糸みたいな髪が肩へ触れる。


 甘い花の香りが、微かに鼻をくすぐった。


 「でも.......」


 彼女は誰にも聞こえないくらい小さな声で囁く。


 「……そういうところも、大好きです」


 心臓が跳ねた。


 俺が固まると、セレフィーナはくすっと笑う。


 さっきまで泣きそうだったくせに、今度は完全に俺で遊んでいる。


 「……お返しです」


 「性格が悪いな、ほんとに」


 「誰のせいですか」


 そんなやり取りをしていると、クロードがわざとらしく咳払いをした。


 「いちゃつくのは後にしろ」


 「……兄様」


 セレフィーナの顔が一気に赤くなる。


 その反応が可愛すぎて、危うく吹き出しそうになった。


 だが.......次の瞬間だった。


 クロードの表情が、わずかに険しくなる。


 「……レイン」


 低い声。


 さっきまでとは違う、騎士団総長としての声音だった。俺は目を細める。


 「なんでしょうか」


 「地下水路の件だ」


 その瞬間.......


 胸の奥で、冥境の門印がドクン、と脈打った。


 クロードは静かに続ける。


 「王都の外れで、また“門”の反応が観測された」


 空気が変わる。


 セレフィーナの表情も引き締まった。


 そして、クロードは俺を真っ直ぐ見据えながら低く告げる。


 「……しかも今回は、“竜の紋章”が確認されている」


 その言葉を聞いた瞬間.......


 脳裏に、一人の少女の姿が過った。


 銀色の髪、紅い瞳、遠い記憶の中で、泣きそうに笑っていた少女。


 ——“見つけて”。


 誰かの声が、耳の奥で響いた気がした。

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