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第27話「さあ、仲直りへと洒落込むとするか」

 扉が閉まってから、どれくらい時間が経ったのだろう。俺はまだ、図書室の椅子に座ったままだった。


 机の上には、セレフィーナが置いていった本が残っている。乱暴に閉じられたせいで、ページの端が少し折れていた。その小さな折れ目が、さっきの言葉の傷跡みたいに見えて、胸の奥をじわじわと鈍く痛ませる。


 窓の外では、雨が降っていた。


 昼までは晴れていた空は、今では灰色の雲に覆われている。雨粒が窓ガラスを滑り落ちるたび、図書室の空気まで冷えていく気がした。


 「……お前、終わったな」


 向かいに腰を下ろしながら、エリクが静かに言った。

 

 俺は返事をすることができずに呆然としていた。


 「否定しねえのかよ」


 「……できるわけねえだろ、セレフィーナにあんなことまでさせて、俺......何やってんだろうな」


 「そうか」


 エリクがため息をつく。


 周囲の生徒たちは、すでに視線を本へ戻していた。でも、空気はどこか張り詰めていた。ページをめくる音さえ遠慮がちで、さっきの口論の余韻だけが、まだ図書室の中に残っている。


 「エリク……俺、そんなに変なこと言ったか? 本当にわからないだけなんだ。正直な感想を教えてくれ」


 「変だよ.........明らかに変だった」


 「どこがだ......?」


 「全部だよ、お前がさっきセレフィーナさんに返した言葉は全部変で........セレフィーナさんを傷つけるものだったよ」


 即答だった。


 「誰にでも同じ、って……お前、あれ本気で言ったのか」


 「事実だと思ったからな」


 「事実でも、言っていい場面と悪い場面があるってことをそろそろ理解しろ」


 「……そういうものか」


 「そういうもんだ」


 エリクは椅子にもたれながら、じっと俺を見た。


 「お前さ、自分で思ってる以上に、セレフィーナ殿下にとって特別なんだよ」


 胸が、少しだけ重くなる。


 俺は窓の外を見ると、石畳が黒く濡れている。街路樹の葉から雫が落ち、水たまりに波紋が広がっていた。


 「……特別だと思ってた、って言ってたよな」


 「言ってたな」


 「俺は……」


 そこで言葉が止まる。


 セレフィーナの顔が浮かんだからだ。


 怒っていた顔、傷ついていた顔、最後に見せた泣きそうな顔.......


 「……わかってるだろ、自分でも」


 エリクの声が静かに響く。


 「…………はい」


 「だったら行け」


 俺は顔を上げた。


 「今から行くのか、もうセレフィーナはいないんじゃ........」


 「今じゃなきゃ意味がないだろ!」


 「でも雨が——」


 「お前さ」


 エリクが少し前に身を乗り出した。


 「雨を理由に動けない男が、セレフィーナ殿下の隣に立てると思うか?」


 その言葉に、喉が詰まる。しばらく黙ったあと、俺は小さく息を吐いた。


 「……そんなの、思うわけねえよ」


 「なら行け! 傘くらい貸してやる」


 俺は立ち上がった。机の上に残されたセレフィーナの本を手に取る。


 「それ、持っていくのか」


 「返しに行く口実になるからな」


 エリクが少し笑った。


 「そういう事には頭が回るんだな」


---


 図書室を出ると、廊下の壁にアイラがもたれていた。腕を組み、じっとこちらを見ている。


 「……聞こえてた」


 「そうか」


 「........レイン、最低だったよ」


 まっすぐと言われたが、不思議と反論する気にはならなかった。


 「今の俺ならわかる」


 アイラが少しだけ目を丸くする。


 「反省してる?」


 「してるに決まってんだろ」


 「どこが悪かったかわかってる?」


 「ーーーー全部だ」


 「正解」


 アイラはため息をついた。


 怒っている。でも、それ以上に心配している顔だった。


 「……セレフィーナ、めちゃくちゃ傷ついてた」


 「........」


 「ずっと我慢してたんだよ、あの子。レインが鈍いから、自分の気持ち飲み込んで、ずっと隣にいて——」


 「アイラ」


 「なんだ?」


 「探しに行きたいが、俺はあいつがどこにいるかわからないんだ........わかったりしないか」


 アイラが少し黙る。


 それから、小さく頷いた。


 「……東門から出ていったと思う。落ち込んだ時、セレフィーナはいつも川沿い行くから」


 「なんで知ってるかっていう疑問は、野暮か」


 「そうだな........“友達”だからだ」


 即答だった。


 その言葉が、妙に胸に残る。


 「……ありがとな!」


 「ちゃんと謝れよ」


 アイラが俺の背中をかなり強く叩いた。あまりの強さに思わず一歩前に出る。


 「アイラさんや......流石にやりすぎじゃないですかね」


 「私の友達を傷つけられたってのと.......さっさと行けよってこと!!」


 「……俺はいい友人を持ったな」


---


 東門を出ると、雨はさらに強くなっていた。


 傘を差しても意味がないくらいの横殴りだ。石畳が濡れて光っている。街灯のオレンジ色が、水たまりの中で滲んで揺れていた。


 人通りは少ない。


 みんな雨を避けて、建物の軒先へ逃げ込んでいる。


 俺は川沿いの道を歩きながら、さっきの言葉を何度も思い返していた。


 ――誰にでも同じ。


 俺は、平等に接しているつもりだった。


 困っていたら助けるし、大事だと思ったら守る。それを特定の誰かだけに変えるつもりはなかった。


 それに、それが最善だと思っていた。


 しかし.......


 「特別な人間からしたら、一番苦しいじゃないですか」


 セレフィーナの声が、頭の中で何度も響く。


 ああ、そうか。


 俺は“平等”のつもりだった。でもセレフィーナにとっては、“自分だけじゃなかった”って意味になってしまった。


 胸の奥が、また鈍く痛む。


 「……今日で、鈍感男は卒業しなきゃだな」


 呟きは、雨音に飲み込まれた。


 その時だった......


 前方の路地から、聞き覚えのある声が聞こえた。


 「……離してください!!」


 低く抑えた声。


 でも、間違えるはずがない。


 俺は反射的に走り出した。


---


 路地裏の奥。


 セレフィーナが、三人の男に囲まれていた。


 男たちはそれなりに身なりが整っていたが、目つきが悪い。酔っているのか、薄笑いを浮かべながらじりじり距離を詰めている。


 「お嬢ちゃん、そんな怖い顔しなくてもいいじゃん」


 「送ってやるって言ってるだけだろ?」


 「離してください!!」


 セレフィーナは依然とした態度を撮り続けている。だが、今の俺ならわかる。今のセレフィーナの頭の中は“恐怖”で埋まっている。それの証拠に指先は今もなお小さく震えている。


 「実力行使だっていいんですよ。私はこれでも有名な学園の中で最もーーー」


 「はは、嬢ちゃん随分と面白い冗談を言うじゃねえか。三対一でそんなのが意味をなすとでも?」


 男の一人が、彼女の腕を掴もうとした。


 瞬間......


 「——〈天翼・初陣〉」


 淡い銀光が咲いた。


 半透明の光壁が展開され、男の腕を弾き飛ばす。


 「っ!?」


 男たちの顔色が変わる。空気は一気に険悪になっり、セレフィーナへの敵意をむき出しにし始める。


「この女!! お前みたいな顔がいいだけのメスは、おとなしく大人のおもちゃになっときゃいいんだよ!!」


 (ああ、怖い、どうにかしてでも逃げたい。私はここで傷物にされてしまうんですかね。)


 「そんなに、戦いたいならやってやろうじゃねえか!!」


 そう言って、男たちは同時に拳を振りかぶる。


 (私ったらダメな女ですね。さっき、あんな事があったのにレノンに助けてもらえるんじゃないかって期待してる.......)


 「......っ!!! 助けて......レノン!!!」


 そして——


 「お前ら、俺の姫様に何してくれようとしちゃってる訳?」

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