第2話「普通だと思うんだけどなー、」
中庭の空気が、再度凍りついた。
「……は?」俺は間抜けな声を出した。
「急な話ではありますが、竜族の番というものをご存じですか?」そう問いかけた後、セレフィーナは続けた。声は落ち着いていたが、頬がじわじわと赤くなっていくのは隠せていない。
「一生に一度だけ、魂で決まる伴侶のことです。三年前、あなたに助けていただいた瞬間——まるで、もともとそうだったかのように、決まりました」
「ちょ、待って、話が——」
「先ほど婚約が解消されるのを聞いて、今しかないと思い、割り込まさせていただきました」彼女は少し目をそらす。
「……本当は、もう少し落ち着いた場でお話しするつもりだったのですが」
「じゃあそっちにしてください」
「気づいたら歩いてきていたんです!」
「……それは計画性がないのでは」
「否定できないのが悲しいところです.....」
なんだか少し、正直な人だな、と思った。
「……あのですね」俺は慎重に言葉を選びながら話し始める。
「俺と結婚したいとか言ってますけど、三年前にちょっと会っただけの相手ですよ。かの有名な王女が、そんなので婚約相手を決めていいものなのか......」
「歴とした理由はあります!実はあの時、私が捕まっていた罠は、神聖封印術式だったんです」セレフィーナは静かに言う。
「竜族の魔力を完全に封じる古代の術具で、現代にあの術式を完全に解き切ることができる人はいないと言われています。あのまま放置されていれば三日以内に絶命していました。——このような理由から、私からしたら全然ちょっとではありません!」
「……そうなのかな、?」
「そうなんです!」
全然知らなかったや。ただのでっかい罠だと思って弄ってたら、なんか解けただけなんだけどな......
「それを、素手で?」後ろからカイル殿下が震えた声を出した。
「神聖封印術式というのは、神聖な力の反対にある、邪悪の力が必要になってくる。それを持っている人間は、今この世界中どこを探しても、一人たりともいないはずだ!」
「えっ、素手ではないですよ。岩で叩いて壊しました。その邪悪の力?というのがどんなものかはわかりませんが.....」
「岩で!?」
「もともと古そうだったし、ちょっと力入れたら割れましたよ」
殿下の顔がみるみる青くなっていくのはなぜだろうか?
「神聖封印術式は竜族以外には視認すらできないはずだ……」殿下がぶつぶつ言っている。
「それを岩で叩いて割るというのはおかしい。しかも、魔力を1ミリたりとも持ってすらいないこの男が——」
「一応、見えてはいましたよ、?黒っぽい光が出てたし......」
「"黒っぽい光"が視えているのか……!?」
「なにか問題でしたか」
「大問題だ!!」
だんだんカイル殿下の言うことがわからなくなってきた。俺がぽかんとしていると、セレフィーナが俺の腕をそっと掴んだ。
「——話を、続けてもいいですか」
「まあいいけど、結婚してほしいって話でしょ」
「そうです」今度は声が少し小さかった。
「……改めて言うとなると恥ずかしいものですね」
「さっきはそんな様子すら見せなかったが」
「必死だったので」
「……はあ」
「あのですね」俺は困り顔で言った。
「竜王国の第一王女と俺みたいな平民が結婚するのは、国際的にいろいろまずくないですか」
「竜族の番は、種族も身分も関係ありません。神が定めた伴侶に、人間の格式は意味を持ちません」セレフィーナは落ち着いた声で続けた。「父上も必ず認めます。——実は昨日、手紙を」
「……昨日?」
「実は、あなたが番だとわかったのが入学初日でしたので.......約三ヶ月前です」
「なんで三ヶ月も黙ってたんですか」
「……声をかけるきっかけが、なかなか」彼女は少し視線を下げた。
「あなたはいつも一人でいて、話しかけられることを好まない様子でしたから。踏み込むのが、躊躇われました」
「今日は踏み込んできたのに?」
「婚約解消の話を、中庭を通りかかった時に聞いてしまったんです」セレフィーナはわずかに眉を寄せた。
「……今しかないと思ったら、足が勝手に動いていました。我ながら少し、みっともなかったかもしれませんが」
みっともなくはないな、と思った。むしろ——なんか、すごく、健気な気すらした。
三ヶ月間、ずっと待っていて、たまたま通りかかったその場で決意して歩いてきた。
「ちょっと待ってください!」
リリアーナがここで声を上げた。ずっと黙っていたが、ぷるぷると震えている。
「なんでしょう」とセレフィーナが振り返った。表情は穏やかだった。ただ——その目が、少しも揺れていない。
「あなたはレインのなんなんですか! 突然現れて結婚などと——。それにこの男は無能で、魔力もなくて、剣もまともに扱えないーーーー」
リリアーナは次々と、俺の悪いところを並べていく。元とは言え、婚約者だったやつによくそこまで言えるなとは思いつつも、どこか的外れなことを言っている気がした。
「ーーー勉学だって平均以下、加えて、あの不運の権化と呼ばれている、死神の紋章を持っているんですよ!なぜ、そんなこいつに貴方なんかが......」
「竜族の番です。先ほど申し上げましたはずですが」
「そんな話、信じられません!」
「信じていただかなくて結構です。事実ですので」セレフィーナは静かに続けた。
「ただ——あなたは今日、この方との婚約を解消しました。であれば、この方の今後についてあなたが口を挟まれる理由はないかと思いますが」
リリアーナが、何も言えないといった様子で固まった。
「それよりも」彼女は少し首を傾けた。
「一つ、お聞きしていいですか。この方が三年間、何をしてきたか——あなたはご存じでしたか?」
「……何をって、そんな大それたことをこいつができるはずないでしょう!さっきも言った通りこいつは無能でーーーーー」
「学園の東側に小さな泉があります。三年前は枯れかかっていましたが、今は水量が回復しています」
セレフィーナは彼女の言葉を遮り、いきなりそんなことを言い出した。
「それが、なぜだか知っていますか?」
「……知らない」
「この方が入学してすぐに、泉の周りの地脈を直したからです」
「ちょっと待て」俺は慌てて口を挟んだ。
「そんな大層なことしてないはずだ。なんか詰まってるのが気になっただけで、ちょっと土いじりしたら水が出てきた——」
「地脈の修復は本来、大陸規模の大魔術師が何年もかけて行う作業です」セレフィーナは静かに、しかし明確に説明し始める。
「あなたの中では〝ちょっと土いじり〟の感覚で合っているのかもしれません。ーーーー他の人間には不可能なだけであって」
「……え」
もしかして俺、知らず知らずのうちにすごいことをしていたのか......?てっきり誰でもできるものだと思ってたんだが。
「では......」カイル殿下が震えた声で続けた。
「二年前に学園の魔力炉が暴走しかかった時、一晩で安定させたのも——」
「一応、俺ですけど」
「なぜ黙ってた!?」
「言う必要なかったし、勝手に直したら怒られそうだったから、」
「怒るわけがないだろ! なぜ怒る!?」
「なんか昔、余計なことするなって言われたことがあって……」
「それは別の話だ!!」
どうやら違ったらしい。複雑で難しいものだな....
「去年の大雨で川が氾濫しかけた時も、上流の土砂が一晩で動いて流れが変わっていました。あれも?」
「それも俺ですね。寝てる時に夢見が悪くて、うなされながら川のそばを歩いてたら、なんか土が流れた感じがしてて——それでって感じ」
「まさか……寝ながら?」
「気づいたら夜明けだったので、多分.....?なんか土まみれになってたし、川が静かになってたから、よかったなって」
「寝ながら、大規模な治水工事を」
「そんな、大げさな反応を……」
「大げさでは、ないんです」彼女は俺の両肩にそっと手を置いた。
「あなたは本当に、とんでもない方です。なのに——全然、ご自分では気づいていない」
「普通だと思うんだけどなー、」




