↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/42

アリ、倉沢へ

投票日まで、あと5日。

告示日を迎えた町は、それまでとは明らかに空気が違っていた。

街宣車が候補者の名前を連呼しながら走り回り、駅前では武藤陣営の街頭演説が行われていた。平日の夕方にもかかわらず、それなりの人だかりができている。

応援弁士が何人か話したあと、武藤本人がマイクを握った。

「皆さん、いつもありがとうございます」

拍手が起こる。

武藤はゆっくりと聴衆を見回した。

「私はこの12年間、倉沢町のために働いてまいりました」

現職らしい落ち着いた口調だった。

「人口減少は止まりません。若者も町を出ていきます。これは倉沢だけではなく、日本中の地方が抱えている問題です」

何人かの年配者が頷いていた。

「だからこそ私は、観光を育て、企業を呼び込み、雇用を守ることに力を入れてきました」

「光明神社の世界遺産登録後、観光客は増えました。しかし、それだけでは十分ではありません。商店街の空き店舗対策、高齢者の買い物支援、農業基盤の整備。地味ですが、一つ一つ取り組んできました」

武藤は言葉を区切った。

「派手な約束はしません。しかし、実現できることを確実に進める。それが私の政治です」

再び拍手が起きた。

演説は続いた。

「最近は太陽光発電施設について様々な議論があります」

会場の空気が少し変わる。

「ですが、あの事業は県の許認可によって進められているものです。町長1人の判断でどうこうできる話ではありません」

「また、世界遺産への影響についても関係機関と確認しております。不安を煽るのではなく、事実に基づいて判断していただきたい」

グリフは腕を組みながら聞いていた。

正直、演説はうまかった。

メガソーラー問題についても、完全否定ではなく冷静論に持ち込んでいる。

現職の強みだった。


*


そのときだった。

群衆の向こうにいる男が目に入った。

先日、メガソーラー予定地で見かけた男だった。

スーツ姿。

体格がいい。

演説を聞いているようにも見えるし、周囲を観察しているようにも見える。

――誰だったかな。

どこかで会っている。

それだけは間違いない。

しかし名前が出てこない。

グリフは何度も記憶を探った。

男は武藤の演説がメガソーラーの話題に入ると、一瞬だけ表情を変えたように見えた。

――関係者か。

そう思った。

だが次の瞬間には、また無表情に戻っていた。

「直人」

肩を叩かれた。

振り返ると総一郎だった。

「じいちゃん」

「おう。ちょっと見に来た」

総一郎は演説台の方を見た。

「武藤さんもなかなか話が上手いな」

「まあ、現職だからね」

「敏夫さんも、お前も、最近忙しそうだからな。どんなもんかと思って来てみた」

グリフは苦笑した。

「俺は手伝ってるだけだよ」

そのときだった。

後ろから声がした。

「グリフじゃないか」

聞き覚えのある声だった。

振り向く。

さっきの男が立っていた。

近くで見ると、やはり見覚えがある。

だが誰なのか思い出せない。

男は少し笑った。

「10年以上会ってないんだ。忘れても仕方ないか」

その笑い方で、ようやく記憶が繋がった。

「あ……」

港。

夜の海。

ゲリラ。

密輸船。

そして、いつも飄々としていた若い男。

「アリか!」

男は大きく笑った。

「やっと思い出したな」

「アリ……お前、日本にいたのか」

「仕事でな」

短い返事だった。

だが、その言い方が妙に引っかかった。

グリフは総一郎を振り返った。

「じいちゃん、この人は昔インドネシアで世話になった人だ」

総一郎は軽く会釈した。

だが視線は鋭いままだった。

アリもそれに気付いているようだった。

2人は一瞬だけ視線を交わした。

どちらも笑っている。

しかし互いを値踏みしているようにも見えた。

アリは周囲を見回した。

武藤の演説はまだ続いている。

人も多い。

「ここで話す内容じゃないな」

そう言って駅前広場の端を指さした。

「向こうで少し話せるか」

グリフは頷いた。

10年以上ぶりの再会。

それだけのはずだった。

だが、なぜか胸の奥に嫌な予感が残ったままだった。

アリが先導する形で駅前広場の端にあるベンチへ向かって歩き出した。

グリフと総一郎もその後を追う。

武藤の演説はまだ続いていたが、少し離れるだけで人の声は遠くなった。秋の夜風が吹き抜け、街宣車のスピーカーの音だけがかすかに聞こえてくる。


*

歩きながら総一郎が小声で話しかけた。

「直人」

「ん?」

「向こうでの知り合いが?」

「ああ」

総一郎はアリの背中を見ながら続けた。

「なんか武道やってんな」

グリフは思わず苦笑した。さすが祖父だと思った。後ろ姿を見ただけで、そこまで分かるらしい。

「向こうの武術だよ。シラットっていう」

「ほう」

総一郎は感心したように頷いた。

「歩ぎ方が違う。重心がぶれねぇ」

アリの足元をしばらく眺めてから、ぼそりと言った。

「今のおめぇじゃ、太刀打ぢできねぇべな」

グリフは苦笑した。

ルンザットにいた頃であれば違ったかもしれない。毎日のように動き回り、剣道の経験もまだ身体に残っていた。

だが日本に戻ってからは違う。店を始めてからは仕込みや経理ばかりで、運動らしい運動もしていない。

「ああ、たぶん無理だな」

「んだが」

総一郎はどこか嬉しそうだった。孫が正直に認めたのが気に入ったらしい。

「まあ、今の日本で物騒なごどにはならねぇべげどな」

そう言いながらも、総一郎の視線はアリから離れなかった。

グリフは歩きながら、ルンザットでの出来事をかいつまんで説明した。

ゲリラ。武器の運搬。政府軍との小競り合い。そして、アリが情報を流してくれたこと。

総一郎は黙って聞いていた。

話が終わると、

「面白そうだな」

と呟いた。

「そこかよ」

「わしも若けりゃ、行ってみだがったな」

本気で言っているようだった。

グリフはため息をついた。

前を歩いていたアリが振り返る。どうやら総一郎が同席していることを気にしているらしく、日本語で話し始めた。

昔より流暢だった。


*


「本当に久しぶりだな」

アリが笑った。

「元気そうで安心した」

「お前もな」

「日本人とのハーフとは聞いていたから、日本にいるのは不思議じゃない。だが、まさかこんな場所で会うとは思わなかった」

「俺も同じだよ」

グリフは肩をすくめた。

「今は何してるんだ」

「会社員だ」

アリはあっさり答えた。

「今回は仕事で日本に来ている」

「そうなのか」

「お前は?」

「食堂をやってる」

アリは少し驚いた顔をした。

「もしかして参道のエスニック料理店か」

「知ってるのか」

「昼に前を通った」

アリは笑った。

「結構客が入っていたぞ」

「まあ、最近はな」

グリフも笑った。

そこで思い出したように総一郎を見た。

「ああ、紹介が遅れた。この人は俺の母方の祖父だ」

総一郎が軽く頭を下げた。

「どうも。直人がお世話になっております」

穏やかな口調だった。

だが名前までは名乗らない。

相手が何者か分からない以上、それが総一郎なりの礼儀だった。

アリもそれ以上は聞かなかった。

代わりにグリフへ視線を向ける。

「直人」

「ん?」

「日本名は直人なのか」

「そうだ」

「苗字は?」

「田辺」

アリの表情が少しだけ変わった。

「そうか」

そしてどこか懐かしそうに笑った。

「グリフはこちらでは田辺直人か」

少し間を置いて、

「俺と似ているな」

と言った。

「どういう意味だ」

「俺も名前が2つある」

アリは肩をすくめる。

「華僑の家系だからな」

そして静かに続けた。

「中国名は劉志遠という」

「そうだったのか」

グリフは少し驚いた。

「それでか」

「何がだ」

「お前の名前がホジャンのシラット道場の名簿に無かった」

アリが吹き出した。

「調べたのか」

「一応な」

「お前らしい」

アリは苦笑した。

「たしかに名簿は中国名だったかもしれない」

ベンチの近くまで来ていた。

グリフはふと思い出した。

「あの後どうしたんだ」

アリは少し考えてから答えた。

「州都に出た」

「それから?」

「中国系の会社というか、組織というか」

曖昧な言い方だった。

「別に自慢できるようなところじゃない」

「マフィアか?」

グリフが冗談めかして言う。

アリは笑った。

「違う」

そう言いながらも否定の仕方が妙だった。

「華僑のつながりは昔から色々あるんだ」

「表もあれば裏もある」

「俺がいるのは表のほうだ」

「本当かね」

「少なくとも俺が知る限りはな」

アリはそう言って笑った。

グリフも笑った。

だが、その笑いは半分だけだった。

ふと、先日の光景が頭をよぎる。

熊田。

メガソーラー予定地。

敷地内に立っていた男。

あれは間違いなくアリだった。

グリフは歩調を少し緩めた。

「そういえば」

アリが視線を向ける。

「少し前、お前を別の場所で見かけた」

「ほう」

「そのときは思い出せなかったから声をかけなかったけどな」

「どこで」

グリフはアリの目を見た。

「熊田のメガソーラー予定地だ」

アリの表情は変わらなかった。

だが、返事もすぐには返ってこなかった。

3人はベンチの前で立ち止まる。

そして2人の間に、ほんの一瞬だけ沈黙が流れた。


*


「なるほど、それでか」

アリは腕を組み、小さく頷いた。

「俺も、あの場所で藤田議員がいたのは知っていた。メガソーラー反対派の議員だからな。連れが気付いて教えてくれたよ。新聞報道が出た、その日のことだったからよく覚えている」

「そうか」

グリフも短く返す。

「2人組で来ていたと聞いていたが、そのもう1人がグリフとは思わなかった」

「俺とは限らないだろ」

「いや」

アリは首を横に振った。

「あの日、俺が現地へ行ったのは一度だけだ。その時に見たなら、おそらくグリフだ」

グリフは苦笑した。

――あの時は他にも見物人が何組かいた。

――ここで『別人だ』と言い張ることもできる。

しかし、アリの目は確信に近かった。

ここでごまかしても、互いに無駄な警戒心を残すだけだ。

「さすがだな」

肩をすくめる。

「確かにあの日、藤田議員と一緒だった」

「藤田議員とはどういう関係なんだ」

「伯父と甥さ。母の姉の旦那だ」

「なるほど」

アリはゆっくり頷いた。

「こちらで言えば懐刀ということか」

少し間を置いて続ける。

「今回の太陽光発電反対運動、その絵を描いているのは君なんだろう」

グリフは思わず吹き出した。

「買いかぶりすぎだよ」

両手を軽く広げる。

「多少手伝ってはいるけど、パソコンの設定をしたり資料を作ったり、その程度だ。あの人、デジタルは苦手だからさ」

アリは薄く笑った。

「どうだかな」

その目だけは笑っていない。

「これでもルンザットのことは調べたんだ。当時は話題だったし、俺も関わっていたからな。グリフという男が何をしたかも聞いている」

少し身を乗り出す。

「その男がここにいて、反対派議員の親戚だ」

「雑用だけ、というのは少し無理がある」

グリフは頭を掻いた。

「何言ってるんだ」

照れ隠しのように笑う。

「昔の話だろ。若い頃は怖いもの知らずだったし、尖ってもいた」

そう言うと帽子を外し、前髪をかき上げた。

少し後退した額が街灯に照らされる。

「この通り」

苦笑しながら言った。

「もう、おっさんだよ」

アリは一瞬だけ表情を止めた。

笑っていいものか迷った。

日本では、自虐に対して笑うのも礼儀だと覚えた。

しかし笑いすぎれば失礼になる。

ほんの一瞬迷ってから、小さく吹き出した。

「はは……」

「確かにな」

肩の力を抜く。

「雰囲気はずいぶん変わった」

その言葉にグリフも笑った。

「お前だって同じだ」

「皺も増えたし、少し太ったというか、ずいぶん体が出来た」

アリは自分の腹を軽く叩いた。

「まあ、今はちゃんと食えてるからな」

「当時は本当に貧乏だった」

2人は顔を見合わせて笑った。

さっきまで互いの腹を探っていた空気が、少しずつほどけていく。

それを黙って見ていた総一郎は、小さく息を吐いた。

――よかった。

どうやら敵同士というわけではなさそうだ。

それでもなお、アリという男から目を離すことはなかった。

長年の勘が告げていた。

この男は、笑っていても油断してはいけない相手だ。


***


武藤の演説は、なおも駅前広場に響いていた。

街宣車のスピーカー越しに、拍手が混じる。

アリはそちらへ一度だけ目を向け、小さく肩をすくめた。

「それにしても、この選挙じゃ太陽光発電がずいぶん話題になってるな」

苦笑する。

「この町では、どうやら嫌われ役らしい」

グリフもつられて笑った。

「まあ、話題にはなってるな」

「お前は、あのメガソーラー運営会社の社員なのか」

「いや」

アリは首を振る。

「俺は発電パネルを売る側だよ」

胸ポケットから名刺入れを軽く叩く。

「中国メーカーと、日本の運営会社をつなぐ商社にいる。今の日本のメガソーラーは中国製が多い。性能の割に値段が安いからな」

少し間を置いた。

「もちろんパネルだけじゃない。架台や周辺機器なんかも扱ってる」

――なるほど。

――いわゆるブローカーか。

表の仕事ではある。

だが、その向こう側には様々な利害関係が絡んでいるのだろう。

グリフはそう感じた。

「日本に来て何年になる」

「もう10年くらいかな」

アリは空を見上げる。

「北海道から九州まで、日本中を飛び回ってる」

「日本にグリフがいると聞いた時は、そのうちどこかで会うだろうとは思ってた」

少し笑う。

「まさか東京じゃなく、こんな田舎町で再会するとは思わなかったけどな」

「俺もだよ」

グリフは肩をすくめる。

「あのアリが、日本で太陽光パネルを売って歩いてるなんて想像もしなかった」

「人生、分からんもんだ」

2人は小さく笑い合った。

少し間を置いて、アリが真顔になる。

「グリフは、この町に太陽光発電所ができるのは反対なんだな」

「藤田議員の親戚じゃ、当然そうなるか」

「まあ、その立場ではある」

グリフは素直に認めた。

「それに、俺は観光で飯を食ってる」

「町の景色が変われば、自分の店にも影響する」

「でも」

アリは駅前で演説を続ける武藤を見た。

「町長は、世界遺産にはほとんど影響ないって言ってた」

「一度許可が出たものを止めるのは簡単じゃないぞ」

「だからこそ選挙なんだ」

グリフは静かに答えた。

「町の人に判断してもらう」

「メガソーラーのことが知られるまでは無風選挙だった」

「今は違う」

「この町の将来を考える選挙になった」

アリは首を横に振った。

「逆だ」

「逆?」

「選挙を始めるため」

「つまり権力闘争のために、太陽光発電が利用された」

「道具としてな」

グリフは少し考えた。

「……道具、か」

苦笑する。

「お前の立場から見れば、そう映るのかもしれない」

「お互い、自分の仕事からしか物事は見えない」

アリも笑った。

「まあ、そういうことだ」

「俺もビジネスだからな」

「選挙結果がどう転んでも成果だけは出す」

肩をすくめる。

「うちの上司は、おっかないんだ」

「数字しか見ない」

「まあ、それは当然だろ」

グリフも笑う。

「俺がお前でも、そうする」

アリはふっと口元を緩めた。

「今日は時間を取らせて悪かった」

「同僚を待たせてる」

「そろそろ行くよ」

「わかった」

グリフは頷く。

「店にも来てくれ」

「もちろん」

「今度は仕事抜きでな」

「懐かしい味を楽しみにしてる」

そう言うと、アリは総一郎へ向き直り、丁寧に一礼した。

総一郎も軽く会釈を返す。

アリは人混みの中へ消えていった。

その後ろ姿を見送りながら、総一郎がぽつりと言った。

「……直人」

「ん?」

「さっきの薄毛の話じゃがな」

グリフは苦笑した。

「そこ、気にする?」

総一郎は真顔のまま頷いた。

「安心せい」

「わしも、お前くらいの歳から始まった」

「最初は気になる」

「そのうち、風通しが良くなって夏は涼しいと思うようになる」

「慰めになってないよ、それ」

「それとな」

総一郎は孫の頭をぽんと軽く叩いた。

「髪は減っても、人望は増やせる」

「そっちのほうが、よっぽど難しい」

グリフは思わず吹き出した。

「じいちゃん、それ、自分で言う?」

「事実じゃ」

総一郎は平然と答える。

2人は顔を見合わせ、小さく笑った。

駅前では、なお武藤の演説が続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。