神の証明
今でも夢に見る。故郷の村が影に呑まれたあの日のことを。
目の前で私に手を伸ばし、掴み損ねた友の手を。
私を逃がすため、命をかけてくれた家族のことを。
私の決心は揺るがない。
この世の理不尽を全て斬り裂く剣となる。たとえ、それが神であっても。
ノックス・ドームは長剣の柄を強く握りしめる。指が白くなるほどの強固な力は、彼の確固たる意思の表れである。かつて理不尽に奪われたかけがえのない命の重みを背負い、誰も理不尽に命を奪われないよう剣を振るう。その信念の重さが、彼の手にする剣の重みだ。
「次で、終わらせましょう」
静かに、鋭い目を向けたノックスの言葉に【神の目】ゾルデイラ・ヒューラーは瞼をピクピクと動かす。
「たとえ、貴様が俺の魔力を打ち消すことが出来たとしても、そんなものこちらが魔力性質を少し弄ってしまえば関係ない」
ゾルデイラの体内から膨大な魔力が爆発的に放たれる。その圧迫感によって周囲の視界は陽炎のようにゆらゆらと揺らめき、大気そのものが波打つように歪んでいく。【角度】の魔力特性、それは空間の位相をずらし、ベクトルを自在に操る。
男が身にまとう魔力は自身に害なす魔力を反射し、藍色の魔力は触れたものを分子レベルで崩壊させる。天より恵まれた魔力量、常人を遥かに超える身体能力、そして感覚的に高度な魔術を扱える才。あらゆる才能に恵まれ、人としての極地に至っていると錯覚していた男は、常に強く渇望していた。それは、未知。自身の想像を遥かに超えた、神の存在。神を求めた男は今、目の前で顕現し得る神の姿を脳裏に描き、奇しくも弟のように狂信的な執着を燃やしていた。
空中に、巨大な魔術陣が幾重も展開される。暗い藍色の禍々しい光が周囲を満たし、その波長はノックスが展開していた反属性の魔力すらも強制的に書き換え、一瞬で打ち消してしまった。
(私の魔力を打ち消すとは、厄介な魔術ですね……)
「ノックス・ドーム、貴様のことはよく知っている。俺の儀式の邪魔をしたことがあるからな」
「なんのことだかわかりませんね」
「……十一年前のあの夜、もう少しで、俺は神に逢えた、だというのに、貴様が、神の資格を持つものを殺した! もう少し、もう少しだったんだ……!」
狂気を孕んだその叫びに、ノックスの瞳が僅かに揺れた。脳裏に過ぎるのは、影に呑み込まれる村の光景だった。
「十一年、前……?」
十一年前、ノックスの故郷である村が、【原初の夜】と呼ばれる神もどきに呑み込まれた、まさにその時であった。
「まさか、お前が、あれの封印を解いたのか……?」
「そうだ。片目の力を使い、入念な準備を重ね、神への昇格をもう少しで果たされるところだったというのに、貴様が、あの忌々しい短剣で貫いたせいで、失敗した!!」
ゾルデイラは己の頭髪を荒々しく手でむしり取り、苛立たしげに歯をと食いしばる。男の生まれ持った濁った瞳は焦点が合わず、虚空を見つめて怨嗟の言葉を吐き出す。
「神殺し……? そんなもの、この世にいて良いわけが無い!! 神とは、絶対の存在で無ければならない! それを消す存在が、この世にいて良いわけがない!」
怒りと狂気に満ちたその妄言に対し、ノックスは何も答えず、ただ静かに剣に込める力を強めた。
激流のように荒れ狂う魔力が、ゾルデイラの体から津波のように溢れ出す。無尽蔵に湧き上がるそれは通常の魔力のようでありながら、少し異なっている。
ゾルデイラが展開したのは、古代魔術の一つ『空間支配』。この魔術は周囲の空間を自身の魔力で上書きし、擬似的に自らの世界へと塗り替える。己の世界である魂を外空間へと拡張するこの魔術は、発動中は常に膨大な魔力を消耗し続ける反面、その支配下に置かれた空間内に漂う魔力を掌握し、自身の意のままに魔術を行使できる。
通常、巨大な魔力を帯びたモノの周囲では反発作用が起こるため、他者が魔術陣を生み出すことは不可能に近いが、『空間支配』によって支配下に置かれた領域内では、あらゆる場所で反発を起こすことなく、幾重にも重なる魔術陣を一瞬で展開することが可能となる。
ゆえに、放たれる魔術は絶対的な即死の一撃となる。
「界壊の玉」
──それは、まさに一瞬の出来事であった。
ノックスの体の内側から、暗い藍色の光が炸裂するように放たれる。外側からの攻撃ではないため回避も防御も一切不可能な即死の一撃、直撃を受けたノックスの体は弾け跳び、消し飛ばされた腹部には、臓物がこぼれ落ちるほど巨大な穴がポカリと開いて消えていた――はずだった。
「本来ならば、貴方が勝利していたでしょう」
静かな声が響いた瞬間、ゾルデイラの首は宙を舞っていた。
(……は?)
視界が不自然に傾き、首が地面へと転げ落ちる。グラグラと乱れる視界の端で、ゾルデイラの目は、刃についた血を静かに振り払うノックスの姿を捉えていた。
(なぜ、俺が、斬られている……? 魔術を発動する前に、やられたのか……?)
血を振り払い、ノックスは静かに剣を鞘へと収めた。白いマントがはためき、激戦の後だというのに返り血ひとつ浴びていないその気高い佇まいに、首だけとなったゾルデイラは恐怖ではなく、なぜか敬意すら感じていた。
「私の魔法『神の証明』は精神時間に干渉します。数秒先の思考を読み取り、そして精神時間を数秒だけ止めることが出来る。貴方の魔術を防ぐ術は私にはありませんでしたが、発動される前に倒してしまえば問題は無い……仇は、取らせて貰いましたよ」
首から上が消え去ったゾルデイラの胴体が、糸の切れた人形のようにドサリと地面に崩れ落ちる。
そして、地面に転がったゾルデイラの頭の目から、どろりと血の涙が流れた。
(なんだ、この感情は、奇妙だ、今まで感じたことが無い)
胸を占めるのは敗北の悔しさではなく、奇妙な高揚、次第に死という終幕が迫り来る中、男の中で激しい怨みが渦巻いていた。
(退屈な時間が、終わりを迎える…………だが、俺を殺したのが人間なのはダメだ! 俺は、神に殺されたい。神でなければダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ! お前が、神でなければ!)
ゾルデイラの残された片目が、暗い不気味な光を発する。禍々しく冒涜的なその光には、強い執着と深い狂気が籠もっていた。
【神の目】が、ノックスの魂を捉える。死の瀬戸際、残された力を使い、ノックスに対して無理やり「神への昇格」を試みた。本来、ノックスは神となるには不十分な資質しか持ち合わせておらず、神格へと昇華する確率は低い。しかし、命が潰える瞬間、望みを叶えることを諦めない男は、その僅かな可能性に賭けて力を注ぎ込んだのだ。
──次の瞬間、ゾルデイラの片目が弾け、焼け焦げた。それは力の使いすぎによる反動ではなかった。
ノックスの魂の奥深くに潜んでいた『何か』が、外からの干渉を弾き返し、不遜な試みに対して即座に罰を与えたのだ。
(嘘だ、ありえない……お前が、神の証明者足りうるなんて、認められない……神に、選ばれた、なんて……)
ゾルデイラの意識は、抗う術もなく永遠の暗がりへと落ちていく。
狂信の果て、神を追い求めた男の死に顔は怒りによって醜く歪んでいた──
次回は11月です。




