たとえ力が無くても
変形魔術を喰らった宇佐寺の体は捻れ始める。捻れて弾け飛び、血と臓物を巻き散らかして死ぬことなど火を見るよりも明らかだった。腐食の魔人モルギドは冷酷に確信の笑みを浮かべる。しかし、それは宇佐寺も同様だった──捻じきれているはずの体は、繋がっていた。
殺したことをほぼ確信していたモルギドは苛立ちからか僅かに宇佐寺を睨んだ。
「残念だが、俺を殺すには少しばかり相性が悪かったな!」
地面を強く踏み込み、モルギドとの間合いを詰める。ほんの一瞬、反応が遅れたモルギドの意識の隙間を縫うように、宇佐寺の淡い紫の魔力を纏った斬撃が振るわれた。その剣撃は一呼吸の間に三度、魔人を斬りつけ、その斬撃は魔人の体を傷つけること無く魔力を大きく削っていく。
「変身する魔法か……見たのは初めてだな。だが、強がりは良くないぞ」
宇佐寺の口から血が溢れ出た。息は荒く、刀を持つ手が震えている。
「一度は防げてもかなりの魔力を失った。加えて反撃するために近づき至近距離で私の魔力を浴びた。魔力の保護力が弱まっている状態では得策では無かったな」
モルギドの背後から無数の魔力の帯が飛び出す。宇佐寺の一撃で削れた魔力も、魔人の魔力の送料に比べれば氷山の一角に過ぎない。変形魔術の帯により、触れようとすることすら不可能なモルギドを前に、勝機など無い──本来ならば。
宇佐寺の削った氷山の一角、しかしそれは対等な魔力を持つものがいる戦場の中では大きな深手となった。
「蒼星の時雨」
智也の周囲に蒼い光の粒が現れる。無数の蒼い魔力、これはその雨滴のような大きさとは裏腹に高密度の魔力を含有していた。智也が手を前に掲げた瞬間、小さな雨滴のような魔力が時雨のように放たれる。無数の魔力の雨は鉄の壁すらも貫く威力を誇り、銃弾のような速度で迫る。
それを直感的に理解したモルギドは変形魔術の魔力帯で自身の周囲を覆い防御した。魔力の帯に触れて雫が捻じれて弾け、対消滅していく。その魔力消費度はほぼ互角だった。しかし、宇佐寺の削った魔力の差がこの泥試合において明確な勝敗を分ける要因となっていたのだ。
(このままでは押し負ける。だとすれば……)
モルギドは変形魔術を解除した。その次の瞬間、姿が消えた。
垂直に跳躍したモルギドは人間を遥かにこえた身体能力を駆使して巨大な地下室の天井に足を着き、強靭な足のバネで強く踏み込む。
智也は姿が消えてから僅かに遅れて、意識を上に移す。その時にはすでに遅かった。智也の眼球の寸前までモルギドの鉤爪が迫っていたのだ。人として智也の反応速度ですら対応できないほどの速度、意識では気づいたとしても、体への命令にはタイムラグが生じる。体が動かなかった。
──黒い槍がモルギドの側面に衝突する。
鉤爪の軌道が僅かにそれ、智也の頬が切り裂かれた。
「はあ……なんと烏滸がましい」
モルギドの冷めた視線の先には、純也の姿があった。肩で息をしながら魔術陣を構えるその腕は震えていた。
「ダチは、殺させねえよ……!」
「純也……!」
純也の目から赤い涙が溢れる。
神経系を魔力で強化する彼の魔術は智也以上の反応速度を持つものの、その不可はかなりのものなのだ。
「なら、君から救ってあげよう」
モルギドが目にも留められない速度で純也に迫る。その姿を捉えることが出来る純也は『黒魔槍』を放った。顔に向けて放たれた黒い槍をモルギドは噛み砕き、純也の腹めがけて腕を突き刺した。
直後、モルギドに突き刺されたのは純也を庇ったファングであった。
横脇腹を抉られ、血が滝のように溢れ出す。それでもファングの目は狩人の目そのものだった。もう紗由理を救えないと判断したファングは災禍の種を絶つべく、剣を持つ手に力を込め、一部の乱れもない綺麗な方で剣を振るう。
「空割り」
渾身の一振り、それは空間ごと魔人を断つ一撃。明哲の魔人すらも葬ったこの魔術は魔物狩りとして鍛え抜かれたファングにとっての奥義。相手を一撃で苦痛無く絶命させる一撃必殺の太刀だ。
──ファングの動きがピタリと止まった。小刻みに痙攣し、振るいかけた剣をはたりと落とす。
モルギドはニタリと笑みを浮かべる。
「私の魔力の侵食の方がわずかに早かったようだね」
初手の一撃、そして脇腹を抉られたことによりモルギドの腐食の魔力の影響が強まりそれが全身を蝕んだ。
体組織が壊死し、神経系もまともに機能しない。ファングは力なく倒れた。
「次は、君だね」
純也にモルギドの視線が向けられる。
「よくも、ファングさんを……!」
純也は黒い槍を至近距離で速射し続ける。
しかし、それは全て当たる前に朽ちて砕けた。魔力の絶対量の差、身体能力の差、埋まらない壁が純也を襲う。魔力が段々と枯渇していく。それでも、純也は槍を放つのを止めなかった。
魔力が底を尽きる。魔術によって魔力を失ったものは魔物と化す。残り一撃、それを放てば純也の魔力は尽きてしまう。それをわかってなお、純也は魔術を放つ。
その寸前、智也が純也を殴る。
軽く吹き飛ばされた純也はモルギドから引き剥がされ床を転がった。
「なにすんだよ!」
純也から怒声を浴びせらてなお、智也は強く彼のことを見つめた。
「……馬鹿野郎!」
それは智也が久しく発した罵声の言葉だった。
「まだファングさんはかろうじて生きてる。モルギドさえ倒せれば、腐食のの力だって解ける。だから、まだ命を張るときじゃない。もう、僕は誰にも死んでほしくない」
純也がはっとしたような表情で智也を見る。その表情はどこか悲しかった。
青の世界で智也は暴走した純也を殺した。
純也は誰かを失うことが怖かった。無力の自身が嫌いだった。そんな弱さに漬け込み、深淵の魔女は純也を魔物へと変貌させた。守るための力を与えると言って近づき、渡したのは誰かを壊すための力だった。そんな純也を、智也は殺した。
「ファングさんだけだったら、今ので終わっていた。でも、俺を庇ったせいで……俺が、弱いせいで……! いつもそうだ、守られたばっかで役に立てねえ。弱いせいで、誰も守れねえ! なあ、命かける以外、俺に何が出来るんだよ!」
「……純也、お前は強いよ。でも、弱さがあるとすれば、簡単に命かけるところだ……生きてくれ。誰も悲しませないように」
純也は呆然とした表情でいた。胸のうちから何かが込み上げ、目から水滴となって溢れ出した。気取られぬように純也はそれを拭く。
モルギドはそんなことは気にせず、ファングにトドメを刺しにいった。
『空風』により瞬間移動した智也はモルギドに蹴りをいれてファングと距離を取らせる。
純也に回復魔道具を渡し、ファングと宇佐寺と共に回復を始める。
温かな光に包まれて傷が癒えていく。そのさまをみてモルギドは吐き気を催していた。
「醜い、醜い、醜い、醜い、傷とは聖痕だ。癒してなどならない……ああ、悍ましい」
(価値観が違いすぎて交渉なんて出来ない。魔力切れを狙って粘ればモルギドを紗由理さんから引きはがせるか? でも、それにも限界がある……援軍を呼ぶしかない。でも、大勢呼んだところでモルギドの魔力の糧になるだけだ。とびきりの奴を連れてくるしか……)
──その時、さらなる絶望が訪れた。
重く、冷たいプレッシャーがその場にいた全員にのしかかった。
なにか得体の知れないものが来た気配。しかし、智也はその正体を知っていた。
「戻って来たのか……」
地響きがし始める。何かが落ちてきているような気配がした。
天井が鋭角に湾曲し、波打つ。空間全体が波打つように脈動する。
空洞が開き、地上から光が降り注いだ。
ゆっくりと降り立つその男は、【神の目】ゾルデイラ・ヒューラーだった。
「ゾルデイラ・ヒューラー……」
弟であるグリフィンを殺している智也にとって、その男は因縁のある者だ。
ゾルデイラは智也とモルギドを一瞥する。
「神となる資格がある者は二人か……」
ゾルデイラ・ヒューラー、この男が使徒の目として叶えた望みは『神を作る力を得ること』だが、その素体となり得る者は強い魂が必要だ。そうでなければ魂が砕けて神もどきの醜い異形と成り果てる。過去に一度その力を使ったことでゾルデイラの左目に宿っていた力は消失し、今は右目にのみ力が宿っている。
つまり、力を使えるのは残り一度。それゆえに、魔人という素体を揃えたのだ。
(青の世界線では、こいつがモルギドを神格へと昇華させたせいで誰も手が付けられない存在と化してしまった。これだけは、絶対に阻止しないと……!)
絶体絶命の窮地、しかしながら、智也の目にはまだ希望が残っていた。
ゾルデイラが開けた穴の上にゲートが生成される。
その直後、一人の青年が飛び出した。
ロングソードを携えた騎士のような風貌の青年は、白いマントをはためかせ智也に微笑みかける。
「援軍に来ましたよ」
その青年は第一の前兆の子孫にして救世団の長、ノックス・ドームだった──
なるべく視点をころころ変えないようにしたいと思ってはいる。




