変形魔術
咀嚼音がする。
何かが血肉を貪っている。
満面の笑みで食らっている子どもの姿を遠目から眺めている。
「違う」
拒絶が真っ先に私を支配する。目をそらしたいのに、逸らせない。体を動かすことができない。
「どうして、拒絶するの?」
小さな少女が深緑色の醜い瞳をこちらに向ける。口と手を真っ赤に染めて、無邪気に笑っている。
恐ろしい。悍ましい。ただひたすらに、嫌悪した。
「私は、あなたなんだよ?」
「違う!」
喉が痺れるほど大きな怒声が口から溢れた。
「いくら拒絶したところで無駄だよ。君が私の眷属であることは変わらない」
重く、響くような、それでいてどこか安心感すら覚えるような声が聞こえた。
「……誰?」
「君は、結局のところ私たちと変わらない。いくら拒絶しようと、君は化け物にしか成れないんだ」
「そんな、わけがない!」
「君の手を見てごらん」
視線が自身の手に向けられる。
鉤爪の伸びる、異様な手。血濡れたそれは、人の体を引き裂いた感触が残っている。
「違う、違う……」
「君は、私と同じ。人では無い、化け物だ」
◆
腐食の魔人の復活。想定した中でも最悪の状況が起こってしまった。地下室の密閉空間は魔人の猛毒の魔力
で汚染され、息を吸い込むだけで激痛が走る。ファングは深い鉤爪の傷を止血しようと抑えるが、傷口がすでに壊死し始めていることに気づいた。
魔力による耐性でなんとか壊死を抑えているが、あと一時間もしないうちに全身が腐敗していくことは想像に容易かった。腐食の魔人モルギドの魔力特性は【腐敗】。細菌のような特性を持つその魔力は周囲の魔力を食らって増殖し、全てを腐敗させていく。
「この世は、なんと不浄に満ちている……生に醜くしがみつく者たちよ……今ここで、救ってやろう。さあ、手を取れ」
魔人の重い声が響く。直接精神に訴えかけるようなその言葉に四人は体が従いそうになった。
しかし、誰一人として手を取るものなどいない。彼らの屈強な精神は、魔人の魔力による精神干渉を断ち切ったのだ。
「そうか、誰も手を取らないか……なんと悲しきことだ……不浄に侵された狂信者どもめ……いま、回帰させてやろう」
モルギドの姿が消えた思えば、疾風の如き速度で目の前まで迫っている。智也は『流盾』で迎え撃つ。紗由理の体を傷つけるわけにはいかないのだ。
深緑色の光が爆ぜ、火花のように舞う。流盾はモルギドの鈎爪を防いでみせた。しかし、次第に流盾の魔力が薄くなっていく。
(こいつの魔力、僕の魔力を食らっている……! それに、周囲の空気に満ちた魔人の魔力を吸い込むだけで、肉体も魔力も削られている……)
倒すだけならば、今の智也ならどうにか出来る。だが、それは紗由理を殺すことになる。
(青い狼の世界で僕は直接モルギドと戦った。その時は、朝霧さんの炎の魔法の力でモルギドだけを焼いて倒すことが出来た。でも、今の朝霧さんは智慧の魔女に力を奪われて魔法が使えない。だから、封印阻止が必須だったのに……くそ!)
苛立つ気持ちを抑え、打開策に思考を巡らせる。そんな思考を遮るように、モルギドは猛攻を続けた。
猛攻のさなか、宇佐寺が智也とモルギドの間に割って入った。激流のような魔力を日本刀に纏わせ、斬撃の軌道に桜の花びらのような魔力が舞い散る。『流刃・散り桜』。花びらのような魔力は鋭い刃物のような切れ味を持つ。流麗な見た目ながら鋭い殺傷力を持つそれは、魔人ですら警戒するものだった。
「智也、あれの体はお前の知り合いなんだよな?」
「はい……家族同然の人です」
「わかった。なら、傷つけはしねえ」
宇佐寺は日本刀を再び構えた。
「流刃・紫水」
宇佐寺の日本刀に淡い紫の魔力が纏わされる。その魔力は独特の波長を持ち、電動ギブスカッターのように人体に触れても斬ることは無い。しかしながら、紫水の斬撃は確実に相手の魔力を削り、刈り取る。
「この体の持ち主がそんなに大事なのか……人外の者を助けようとするなど、変わっているな」
「お前と一緒にするな。紗由理さんは、人として生きようとしているんだ。それを、お前のような化け物が、邪魔するんじゃない……!」
智也は蒼い魔力を迸らせる。周囲に放たれた膨大な魔力の奔流は、モルギドの魔力をも打ち消すほどだった。
(智也の周囲は魔人の魔力が弱まっている。息をしても苦しくねえ。だが、魔人本体に近づけば話は変わる。智也と同等の魔力量をしているアイツに近づくだけで体が腐り落ちる……魔力で全身をガチガチに覆わなければ、即死だな)
宇佐寺は柄を握る力を強めた。
「智也、共闘するのは久しぶりだな!」
「あの時、以来ですね」
智也は月の神と戦った満月の夜を思い起こした。
「乗っ取られた嬢ちゃんも含めて、全員で生きて帰るぞ!」
「ああ、憐れだ……」
モルギドの冷たい眼光が宇佐寺を突き刺す。
「生とは不浄、腐敗とは回帰──そして、骸こそが我らの糧だ。愚かな貴様たちの骸は、死した忠臣の墓標に送るとしよう」
宇佐寺の眼前に巨大な魔術陣が顕現する。旋律のようにも聞こえる不気味な言葉がモルギドの口から唱えられた。
(この魔術は……!)
智也はこの不気味な旋律を知っていた。
「宇佐寺さん、避けて!」
「変形魔術・捻」
魔術陣から無数の魔力の帯が放たれる。それは二条家相伝の魔術、振れたモノを思いのままに変形させる秘匿された魔術だ。
無数の帯は触手のようにうねり、宇佐寺に向かって伸びていく。
宇佐寺は帯を切断しようと刀を振るうが、帯に刀が振れた瞬間、刀身がタオルを絞るように捻じれる。その捻れは止まることが無く、捻れ続けた回転の力で刀は弾け飛んだ──その直後、宇佐寺の体に魔力の帯が突き刺さる。
魔力の帯に刻まれた魔術文字が宇佐寺の全身に拡散していく。そして、一瞬まばゆい閃光を放つと宇佐寺の体は捻れ始めた──
次回は10月になります。




