師と弟子
黄昏が訪れる。西の空は黄金に燃え、雲の縁は赤く染まり、その美しい景色とは対照的に、地上では二人の大魔術師による戦いが繰り広げられていた。
灼熱の熱線が一直線に大気を裂く。
それを迎え撃つように、闇を纏った黒鉄の茨が無数にうねり、獲物へ食らいつく蛇の群れのように襲いかかる。
閃光と闇がぶつかった瞬間、耳をつんざくような音が世界を震わせた。
衝撃波は屋敷を瓦解させ、その瓦礫を宙高く巻き上げる。熱線がかすめた大地は赤熱をあげ、茨が通った場所には裂け目が刻まれる。
まるで二つの天災が、互いを滅ぼそうと激突しているかのようだった。
その戦場から少し離れた場所で、智也は片膝をついたまま荒い息を吐く。
肺は焼けつくように熱く、心臓が暴れるたびに黒い毒が血流に乗って全身へ広がっていく感覚があった。
魔力そのものを侵食し、術者を内側から崩壊させる魔術毒の影響だ。
指先は震え、視界は霞み、立ち上がることすら困難になっている。
それでも、彼の視線だけは、決して戦場から逸れなかった。
朝霧は熱線を放つ。
その一撃を二ゾルデは茨でかき消す。
互いに一歩も譲らない攻防を見つめながら、智也は静かに目を閉じる。
(世界が終わった、あの日)
脳裏に蘇るのは、静寂な黄昏。
そして、その中でボロボロになった朝霧の姿。
(あの時、貴方は世界を救うための鍵を僕に託した......貴方がいなければ、僕はここにすらいなかった)
拳を握る。
震えていた。
毒のせいか。
あるいは、自分の無力さへの悔しさか。
(ずっと助けられてきた)
月の神の時も、グリフィンとの戦いでも、朝霧は智也を助けた。
(でも、もう違う。助けられてばかりは、もう終わりだ)
智也は歯を食いしばる。
全身の筋肉が悲鳴を上げる中、ゆっくりと立ち上がった。
足は震え、視界は揺れている。
今にも倒れそうだった。
しかし、倒れることはない。
そのまま両目を閉じ、全神経を自身の魔力へ集中させた。
自身の膨大な魔力、その奥で、魔力へ絡みつく異物の存在をはっきりと感じ取った。
魔力を侵食する魔術毒、その性質を逆に利用できないか、智也は思考を巡らせる。
魔力の圧縮、自身の魔力特性を使うことを思考した。
(密度を高めれば、濃度勾配が生まれる。水へ一滴の墨を落とせば広がる。でも、その逆をすれば......毒だけを、一箇所へ集められる)
魔力が収束していく。
全身へ散っていた魔力が、一本の川となって流れ始める。しかし、その流れに逆らうように魔術毒が暴れた。
吐血してなお、魔力操作を止めることはない。
水に完全に溶け切った絵の具だけを掬い上げるような、不可能に近い魔力操作は、常人ではならばあり得ない。
失敗する度に、毒は逆流し、そのたびに身体の内側を焼く。
それでも彼は諦めなかった。
彩島智也は知っている。
不可能を可能にするということは、諦めなかった者だけが最後に掴み取れるものなのだと。
◇
二人の魔術師の激突はなおも続く。熱線が大気を焼き、黒鉄の茨が空を裂く。
灼熱と常闇、相反する二つの力が衝突するたび、爆音が重なり、衝撃波が地面を削り取っていく。砕けた岩塊は空高く舞い上がり、蒸発した土砂が白煙となって宙を舞う。
互いの攻撃は、一撃でも直撃すれば終わりだった。
だからこそ、一度のミスも許されない。
朝霧は熱線を放つ。
琥珀色の熱は一直線に大地を薙ぎ払い、目の前の景色を飲み込んでいく。
しかし、その光を迎え撃つように闇が蠢いた。
無数の茨が絡み合い、一つの巨大な壁となって熱線を食い止める。
次の瞬間、二ゾルデの姿が消えた。
姿かたちだけでない。
気配も、魔力も、音も、匂いも。
まるで、この世界から存在そのものが切り取られたかのようだった。
朝霧は即座に結界を展開する。
直後、金属のぶつかるような鋭い衝撃が結界を震わせた。
結界の表面に火花が散り、魔力が削り取られていく。
(速い......!)
朝霧は横へ跳ぶ。着地すると同時に結界を解除し、刹那の間に熱線を撃ち放つ。
(相手の居場所がわからない分、攻撃範囲を広げないといけない......魔力の消耗が激しいな......)
しかし、撃ち終えた瞬間には再び結界を張り直す。その一連の動作は、呼吸よりも自然だった。
一瞬の静寂。
その静寂を破るように、闇の中から合成音声のような曖昧な声が響く。
「流石ですね、ミスティファさん」
闇が揺らぐ。
そこに立っていたのは、人の輪郭だけを残した黒い闇だった。
(攻撃する度に完全な認識阻害を解除している......なぜだ?)
「魔術毒は解毒できたようですが......『魔法阻害』までは治せていないようですね」
確かに、朝霧は現状魔法は使えない。
切り札は封じられた。だが、まだ終わってはいない。
「魔法が使えなくても魔術は使える」
朝霧は口元を吊り上げた。
「それに――」
金色の瞳が真っ直ぐ二ゾルデを射抜く。
「お前の弱点は、もう分かった」
二ゾルデにはこの言葉が嘘か否か判別する術は無い。
しかし、彼にただ一つわかることは、それを言った人物が最強の魔術師であるということだ。
「............」
二ゾルデは何も答えない。代わりに闇が一瞬蠢いた。
世界から再び姿が消える。完全な認識阻害だ。五感も、魔力も、朝霧が知覚するものは、二ゾルデを認識できない。
朝霧は静かに魔術陣を展開した。
その瞬間、朝霧の周囲の石や瓦礫が浮き上がる。
朝霧は魔術を発動し、浮遊させた石を全方位へ向けて放つ。
石弾は慣性のまま直進する。
突然、前方の石が一部分だけ空中で砕けた。
「そこだな」
熱線が石の砕けた場所へ即座に放たれる。
二ゾルデは再び完全な認識阻害を解き、朝霧の攻撃を凌いだ。
(なぜ、完全な認識阻害を解いた? 居場所がばれたとはいえ、いま解除する必要はなかったはずだ)
常闇の神は暗黒物質から発生した神格。
その存在が発見されたことはないが、確かに存在するという奇妙な性質を持った未知なる神。
彼の神の闇は、世界からの観測を赦さない。
ならば、逆はどうだろうか。彼の神の闇の中からは、こちらを観測できているのだろうか?
(おそらく二ゾルデの狙いは、私に魔力をより多く消耗させることだ。魔術の腕ではほぼ互角で、さらに向こうには魔法もある以上、私の唯一のアドバンテージは魔力量。今のままなら、私の方が先に魔力切れで削り倒される。なら........)
朝霧は次の一手を打つ。
朝霧は周囲瓦礫を再び集めた。集めらたそれらは明確な形を持っていた、それを人の形だ。
しかし、特に繊細な顔や表情も無く、ただの瓦礫の寄せ集めで、おとりにしようにも一瞬で見破ることが出来る。
だが、二ゾルデにはわからない。
こちらから二ゾルデが曖昧な人型に見えているように、二ゾルデにもこちらが曖昧な人型に見えているのだ。
(これは、おとり......? だが、全ての囮に魔力も感じる......まずい、本物が見破れない)
黒鉄の茨は散らばって配置された全ての人型を、見境なしに薙ぎ払った。
(私の攻撃の軌道は読めない。このまま全て薙ぎ払えば......)
その瞬間、二ゾルデの脳裏に朝霧の言葉が蘇る。
『弱点がわかった』と──
(そうか、気づいているのか......ならば......)
二ゾルデは全身に纏った闇を解除する。
その背後に、朝霧は立っていた。
その存在に気づき、二ゾルデは即座に背後に向けて黒鉄の茨を突き刺す。
しかし、それは服をかすめただけだった。
「人型の配置を工夫して、一箇所だけ攻撃の当たらないであろう場所をつくりだした。お前は最小限の動きで敵を仕留めるタイプだから、裏をかかせてもらったよ」
朝霧は腕に緋色の炎を纏わせ、それを二ゾルデの腹に叩き込んだ。
防御魔術が容易く砕け、二ゾルデのあばら骨を砕く。
衝撃で吹き飛ばされ、水切り石のように地面をはねながら二ゾルデは吹き飛ぶ。
口から鮮血を吐き、痛む腹を抑えて二ゾルデはゆらゆらと立ち上がった。
「貴方は、本当に規格外だ......」
「二ゾルデ、もう終わりにしよう。厄災を止めたいのは、私も一緒だ。それに、前兆である智也くんだっている。第三の厄災は乗り越えられる」
「今回は乗り越えられるかもしれません、だが、その次は......? 5つの厄災は、多くの悲劇を生む。かつてのアルファスが体験したように......私は、その全てを終わらせる方法を知ってしまった。だから、もう止まるわけにはいかないのです」
二ゾルデは懐から一輪の黒いバラを取り出す。薔薇は生きているかのように茨をうねらせていた。
「まさか......やめろ........!」
制止を聞かず、二ゾルデは黒薔薇を首元に刺した。
黒薔薇の根が二ゾルデの肉体に根づき、茨が血管のように張り巡る。
全身からとめどなく溢れるように鮮血を纏った茨が飛び出す。
「妻の死体に咲いた黒薔薇を、私に刺しました。膨大な魔力と生命力を得られる代償に、茨が暴れますがね......しかし、私は誓ったのですよ。この世界を、邪悪なる神から救うと!」
「二ゾルデ......どうして、そこまでする......」
「貴方にはわからないでしょう......私は、何もかも失って良い。それでも、私の見ることすらできない、未来の人々が、厄災の脅威にさらされぬように、理不尽に、命を奪われることのないように......私は、壊さなければならないのです......!」
黒薔薇は、既に二ゾルデの精神までも蝕み始めていた。
二ゾルデは雄叫び声を発しながら、『黒薔薇』の魔術を発動する。
魔術毒を帯びた黒鉄の茨が二ゾルデの全身から肉を抉りながら飛び出し、血飛沫を浴びた黒薔薇が咲き誇る。
無数の黒薔薇が朝霧に向かって伸び、亜音速に迫る勢いで自在に伸縮してうねっては、変幻自在に軌道を変える。この軌道は朝霧を追跡し、ホーミングするかのごとく伸び続ける。
(今の二ゾルデの魔力量は私以上......! しかも異常な再生能力まで備えている.......だが限界は近いはずだ。しばらく持ちこたえれば、やつの方がさきに尽きる)
朝霧は問いかける。
「二ゾルデ、お前は守るために戦っているはずだ! 壊そうとしている自分の矛盾に気づけ!」
「 は、常にこちらを覗いている! から解放するためには、 自身の力が
必要なのです!」
周囲の魔力を貪り食らった黒薔薇は花を咲かせ、黒い花弁が吹雪のように吹きすさぶ。
地面に落ちた黒薔薇は大地に根を張り新たな茨を生み出す。一瞬にして周辺全てが黒薔薇に覆われ、朝霧は自身を結界で覆うが、その結界すら一瞬で崩壊する。
魔力を込めて熱線を放つが、それすらも容易く飲み込まれる。
視界一面に映るのは蠢く黒い茨、
死神のごとき黒は朝霧の方へと迫り、ドロリとした赤を纏った。
しかし、その赤は朝霧のものでは無かった。
蒼い閃光が黒を焼き払う。
「今度は、僕が助ける番です!」
智也の左腕が貫かれ、流血していた。
「智也くん、見ていろと、言ったはずだ......!」
かつて失った弟子と重なり、喪失が脳裏によぎる。
「大丈夫です。僕は絶対に、死んだりしません......! だって、貴方に託されたんですから」
朝霧がグレイストから託され、世界が終わる直前に託した想いが、今の彼の覚悟となった。
「託した......? 私が......?」
朝霧の脳裏に静寂な黄昏時に智也と出会った光景が映る。
(なんだ、これは......?)
「さあ、ミスティファさん、死んでください.....!」
二ゾルデの黒鉄の茨が波のように迫る。
智也は『蒼星の雫』で吹き飛ばすが、魔力を吸収する性質を持つ黒鉄の茨により、威力が減衰した。
それでもなお、二ゾルデの左肩を吹き飛ばす。しかし、超再生により傷は修復された。
朝霧も智也も満身創痍。
智也は『蒼星の雫』を使えるのは残り一度が限界だった。
だが、一人ではない。
「力を合わせよう、智也くん」
「もちろんですよ」
「いまの二ゾルデは、私の最高火力でも倒せるか怪しい。だから、あるモノを使う」
二人は崩れた屋敷の方へ後退しながら二ゾルデの猛攻を回避し続けた。
何か企んでいると睨んだ二ゾルデは茨を二人の後方に回し、退路を断った。
「智也くん、頼む」
智也は『蒼星の雫』で後方の茨を吹き飛ばし、朝霧は生じた退路を走ってある部屋の前にたどりついいた。
その部屋は、朝霧の部屋だった。
朝霧は部屋の封印を解き、部屋の中へと入る。
師を守るため、智也は残りの魔力を慎重に操作してなるべく少ない魔力で二ゾルデの猛攻を耐え抜く。
猛攻を耐えてからすぐ、朝霧は部屋の中からあるモノを持って外へ出た。
それは炎の入ったガラス瓶。
【炎輪の神】イズァールの原初の炎を封じたシャール家の秘宝だ。
「私の魔法が使えなくても、イズァールとの契約者である私なら、この炎を操れる......!」
朝霧はガラス瓶を二ゾルデに向かって投げつける。
ガラス瓶は黒鉄の茨に触れると割れ、封じられていた原初の炎が解放される。
夜闇に染まった世界に、解放された炎は太陽の如き光を放って顕現する。
膨大な熱を伴ったこの炎は、二ゾルデの再生力をも軽く凌駕し、焼き払った。
炎が収まり、原初の炎をなんとか抑え込んだ。
二ゾルデの体は身体の大部分が炭化していたが、まだかろううじて息があった。
「倒したんですね......」
気が抜けた智也は、地面に崩れ落ちる。
無理に解毒を行い、魔力を大量に消耗した反動が遅れてやってきたのだ。
「だが、まだ終わりじゃない.......」
朝霧は二ゾルデに近づく。
「二ゾルデ、お前の知っていることを全て話せ」
お久しぶりです。今回は少しだけ早かった気がする。
最近暑くなりましたね。十分くらい自転車こいでるだけで汗の量が凄いです。
熱中症警戒アラートがほぼ毎回最高値なので、みなさまもお体に気をつけてください。




