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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
九章 国民喚問
99/125

星降る夜に


 イスファルに帰城したその日の夜、ナフカは自分の部屋で集めていた情報を整理していた。

 

 「ヒュバル」

 

 テラスの窓が軽く叩かれるとそこにはセシルの姿があった。飛燕にいた頃から絶賛された美貌は歳を重ねても健在である。

 

 「セシル自ら来てくれるなんて珍しいな」

 「あんた、私を何歳だと思ってるんだい。もうすぐ三十七。何をするにも体が重くてしょうがない」

 「それでも宮殿の兵の目を潜ってここに来れるってことは昔の潜入の技術は衰えてないんだろう」

 「衰えたさ。すぐに疲れると言っただろう。珍しいのもそのせいだ」

 「悪かったな、呼びつけることになって。久々にセシルとも話をしたかったし、本当は私から出向きたかったんだが」

 

 セシルは気にするなと笑って答えた。

 

 「あんたが大変なときなのは知ってるよ。都の大きな商店は騒ぎを聞きつけて大騒ぎだ。どの貴族に品を卸すか、誰に媚を売るか、くだらない話だけど下々の暮らしには大きな影響が出るだろうね」

 「早いところケリがつけばいいんだがな」

 

 ナフカは資料に目を落としながら言う。

 

 「心配はないと思うけど、リフキア殿下は都の平民達に人気だからあまりシウォン様の心象が悪くなるような状況にはしたくない」

 「十年前の川の整備か。あれは後世まで語られるよ、間違いない」

 「あぁ。だから今は少しでも情報が欲しくてお前達に頼んだんだ。シウォン様がすることに少しの穴もないように」

 

 セシルは机に向かうナフカを、幼い頃のナフカを重ねながら見ていた。本を読むときもちょっと声をかけたくらいでは気づきもしない。それでジュランに怒られているのを目にしたっけ。

 それからナフカは全く話さなくなり、セシルは寝台に座りながらナフカが仕事を終えるのを待った。やがて夜も深い時間になった頃、ナフカは突如ペンを置いて伸びをした。

 

 「まとめるのは終わったのかい?」

 「…!!」

 「この私を随分と待たせてくれたじゃないか。こんな美女を部屋に一人待ちぼうけにするなんて、あんたもなかなか薄情なやつだねぇ」

 「セシル」

 「うん?」

 「…すまない」

 

 ナフカは深く頭を下げた。

 

 「まぁ、いいんだけどねぇ。あんたのその一つのことに集中してしまうのは今に始まったことじゃないし、むしろまだ健在で変わってないんだなと嬉しかったよ」

 「…こちらから呼び出していたのに面目ないよ」

 「それで、私に話があったってことは何かしてほしいことがあるからかい?それとも別の用事?」

 「別の用だ」

 

 ナフカは部屋でお湯を沸かし始めた。せめてもの償いではないが、長時間待たせたセシルにお茶すら出していなかったのである。

 

 「セシル、目に見えない力の存在を信じるか?」

 「…ふむ。まぁ、世の中で言われる謎とか不思議ってのはそういう見えない力がはたらいていると考えることもできるんだろうけど。私はどちらかといえば信じないね。今はまだ説明できないことだと思っている…なんだい、急に。あんたが一番信じなさそうじゃないか」

 「俺はその不思議とか謎とかっていうものに関わっているらしいんだよ」

 

 ナフカは山犬のマナが言っていたことをセシルに話した。セシルは初め信じられないというような顔をしていたが、ナフカは嘘を言うような様子でもなく真剣であったので、それをどうにか飲み込むことにした。

 

 「…その山犬が言う通りなら、あんたは龍の力を受けているってことだろう?」

 「俺は山犬の言葉を借りれば時を見送る役目にあるらしいんだ。そして俺の生まれは帝国だ。いつかは帝国に戻らなくてはいけない日が来るとも言っていた」

 「帝国へ?」

 「あぁ。そこでやることがあるんだと」

 

 ナフカはセシルに紅茶を出した。少し甘めに、ミルクも入れてある。セシルはしばらく考えていたようだが、ゆっくり紅茶を飲みながら言った。

 

 「あんたは、今の帝国をどう思ってる?もっと言えば、あの皇帝をさ」

 

 ナフカは頭を抱えた。イスファターナに来てからというもの、皇帝のことはずっと思い出したくない存在だったのだ。ナフカは重たい口を開く。

 

 「昔は殺したいほど憎かったよ。でももはや、帝国に何の未練もない。俺はイスファターナの人間だから。たとえ今皇帝が目の前に現れたとしても、俺はシウォンの側にいるために私利私欲で剣を向けることはない」

 「…そう。あんたの自制心は強いんだね。いや、大事なものを見つけたってことか」

 「セシル?」

 

 セシルは長い息を吐いて目を閉じた。そして自虐の笑みを浮かべる。

 

 「私はわからないよ。今皇帝がここに現れたとしたらたぶん、剣を抜く。そんなことをあの方が望んでいるわけではないとわかっていてもね」

 「その気持ちは理解している」

 「フフッ、あんたにはもう剣よりも勝る武器がある」

 

 セシルは言った。

 

 「あんたはその頭脳で、言葉で、功績で正しさを証明できる。剣は破壊し尽くすだけだ。人の心に残るのは人がその手で生み出し、積み上げたものだけだというのに、一体いつから争いなんて始めてしまったんだろうね。そう分っちゃあいるんだけど…私はもうどうにもならない。どれだけ芸の道を極めても、本当の私はそこにはいないんだ」

 「セシル…」

 

 ナフカがその先の言葉を紡ぎだせずにいると、セシルは突如笑った。

 

 「ごめんな、ヒュバル。暗い話になってしまった。実は最近、銀華団の上客に嫁に来ないかって言われてたんだよ。私もその客を悪くは思っていなかったから妙に悩んでしまってね。でもまぁ、そういう仲にはなれない。断りを入れようと思っている。相手はそれでもいいと…側にいるだけでいいと言ってくれるんだけど」

 「なぁ、セシル。やっぱり今でも兄さんのことを…」

 「うん。愛している。あの人は私にとって唯一無二の存在だから」

 

 ナフカは頷いた。

 おそらくジュランも心のどこかでセシルを想っていた。飛燕に入った同期であるという関係性以上の何かを、ナフカもまた感じていた。しかし、それを先行する互いの立場や役目が妨げたのだ。

 

 「それで、帝国に行くことをどう思っているんだい?」

 「ハクが、近頃皇帝は公の場に出てこないと報告で言っていた。寿命なのか、病なのか。何はともあれ、帝国に新しい時代が来るのは間違いなさそうだ。だけど俺はこの場所から離れたくない。そのためにもしもの時は全力で抗うよ」

 「…宿命に抗うのか。いいじゃないか、面白そうだ」

 

 愉快そうにセシルが笑い、その後も談笑していると部屋のドアがノックされた。

 

 「声が大きすぎたかい?私がここにいてはまずいね」

 

 セシルがテラスから外に出ようとすると、ナフカはそれを止めた。そしてドアに近づき、客人を招く。

 

 「ナフカ、おかえりなさい。部屋の明かりがついていたから来てみたのだけど、忙しかった?」

 

 ドアを開けると寝間着を着たシハルが立っていた。シハルは部屋の中の人物を見ると驚いて声をあげそうになった。

 ナフカは慌ててシハルの口を塞ぐ。

 

 「とにかく中に入って、シハル。会わせたい人だったんだ」


 シハルは勝手知った部屋にも関わらず、恐る恐る部屋に入る。ナフカはシハルの席を用意すると、改めて言った。

 

 「シハル、彼女の名はセシル。都で銀華団という一座を取り仕切っている」

 

 するとセシルは目を丸くして言った。

 

 「銀華団って、それにセシルって!あぁっ!なんてこと、すぐに気づかないなんて!私、休日時間があったら銀華団に通い詰めるくらい大好きなの!」

 

 顔を火照らせ嬉しがるシハルの予想外の反応に、ナフカは言葉を失った。セシルはそれを面白がって、シハルの前に膝をついてそっとその手をとる。

 

 「姫、私の名を覚えていてくださったのですね。今宵の再会は星々の導き。術をかけられ変わってしまったこの姿でも、私を愛しているだと言ってくれますか?」

 

 そう言って、シハルの手に軽く口づけをする。

 セシルは銀華団では男役を演じている。その美貌、卓越された剣技に舞は、男女の別なく愛されている。シハルもその一人だった。

 

 「今のは今季の演目「星降る夜に」のタナトの台詞…!ナフカ、私どうしたらいいの!ああっ、セシル様が眩しすぎて!」

 

 ナフカは唖然としていて、もはやこの空気に気圧されていた。

 

 「ナフカ、私に彼女を紹介してくれるか?」

 

 妙に男役ぶってセシルは言った。

 

 「あぁ。彼女はシハル。私のその…大切な人だ」

 

 ナフカが照れながら言うと、今度はセシルが目を丸くして言った。

 

 「ナフカ、あんたいつの間にこんな可愛らしいお嬢さんを見つけてきたんだい?」

 「ちょっと前からな。彼女はこの宮殿の女官長をしている。仕事の同僚だ。いつか二人でセシルに会いに行こうと思ってたんだ。セシルは俺の姉のような人だから」

 

 シハルはナフカに尋ねる。

 

 「ナフカ、セシル様とはどんなご関係なの?」

 「昔からの…。帝国にいたときに、組織でお世話になった、俺にとっては姉のような人」

 「それでは飛燕の…。舞台での白熱した見事な剣さばきも納得だわ」

 

 セシルは笑った。

 

 「私は別に何もしちゃいないんだけどね。それに、飛燕のことも話しているのか。その上で関係を築いているんだね。お嬢さん、あの団は他にも何人か飛燕の人間がいるんだけど、このことは内緒で頼む」

 「ええ、もちろん」

 「ありがとう」

 

 セシルは紅茶を飲み終えると立ち上がった。

 

 「私はそろそろ帰るよ、ヒュバル。久しぶりの再会に水を差したくはないからね」

 「ああ」

 

 セシルはシハルの方を向くと言った。

 

 「ナフカは私にとって弟のような存在だ。私達の境遇であなたのような素敵な人と出会えたことは、ナフカにとっても、私にとっても嬉しいことだよ。姉として、どうかナフカを頼みます。これからも銀華団をご贔屓に」

 「はい」

 

 セシルはそう言うと、テラスから颯爽と夜の闇に紛れて消えた。

 

 「かっこよかったぁ…」

 

 シハルが余韻に浸っていると、ナフカはシハルを後ろからぎゅっと抱きしめた。

 

 「…なぁに?嫉妬した?」

 「久しぶりだから」

 「フフッ、そうね。それより、殿下方に知られてしまったのね。就寝前に妃殿下から声をかけられたわ」

 「首にかけてたロケットを王女殿下に見つけられてしまってな。すまない」

 

 シハルはナフカの腕にそっと触れると笑う。

 

 「構わないわよ。別に仕事に支障が出ることもないでしょう?今までと変わらないわ。それに、視察の間ずっとロケットをつけていてくれたのね」

 「もちろんだ」

 

 短い返答しか返ってこなかったが、シハルはナフカの腕の中でその温もりを感じながら幸せを感じていた。

 

 「…これから忙しくなりそうね。帰ってきたばかりだというのに、机の上が書類でたくさんだわ」

 「忙しくなるから、シハルとこうしてゆっくり過ごすのも簡単じゃなくなるな…」

 「皇太子殿下が事が落ち着いたら部屋を用意すると言っていたわよ。喜ばれているのでしょうけど、どちらかというと、私達の関係を楽しまれている気もするわ」

 「間違いなく後者の方だろう」

 

 二人はベッドに腰掛けると、互いにもたれて視察での出来事や宮殿でのことを話した。


 「ねぇ、ナフカ。忙しいかもしれないけどたまには少しだけこうやって話をする時間がほしい」 

 「そうだな。俺も、こうしていると安心する。時間は作るよ」

 「うん」

 

 今はこの関係以上のことを求めたいとは思わない。結婚とか夫婦みたいな形に収めなくても、ただ側にいる、それだけでこんなにも温かくて幸せなんだ。

 夏の夜風が窓を叩く。

 明日からはきっと忙しい。だからせめて今だけは―

 

 ナフカとシハルは二人で過ごすの時間をゆっくりと大切に過ごしたのだった。

 

第八章となりました。

これから宮殿は忙しくなるそうなので、その前にナフカとシハルのやり取り書きたかったんですよね笑

今後も頻度はきままに進みますがお楽しみに!

結月詩音

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