表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
九章 国民喚問
100/125

医術の源、生きる源


 翌朝、皇太子宮殿には朝から表宮殿から通達が届けられた。通称『国民喚問(イスファレーテ)』。表宮殿でそれぞれの官庁で政治を行う高官らが皇族に意見をする場として、十代帝アレクロイ一世によって正式に設けられたものだ。

 

 「…早いな」

 

 シウォンはナフカから渡された通達を見て、朝から気だるそうに言った。

 

 「おそらく今日のところはイスファルにいる高官達で話を進めそうですが、いずれは各領の領主も呼ばれるかと思われます。それから…リフキア様もお戻りになるのではと噂されています」

 

 リフキアの名前を聞いてシウォンは鋭い目でナフカに問いただす。

 

 「なぜだ?あいつのいるラドファタスは、イスファターナ皇家の直轄領だぞ。今回の問題には関わりのないことだ」

 「…まだ、帝位継承権はお持ちです。この件に関して過激な貴族達がリフキア様を担ぎ上げているようです」

 「あいつにとっても迷惑な話だろうに」

 

 シウォンは昨夜ナフカがまとめていた資料に目を通しながら言った。当人同士の意思よりもその周りが対立の状況を作っているのだ。

 

 「…ナフカ、リフキアにはラドファタスから出るなと書状を書くから送っておけ。それからラドファタス要塞のグレンにもだ。リフキアを直接巻き込むことはしたくない」

 「わかった。確認だが、俺に言うってことは近衛の伝令は使わないんだな。身内のものに伝えさせよう」

 「伝令では記録として残ってしまう。リフキアとの繋がりが見えると余計に面倒を引き起こす可能性がある。…悪いが頼んだぞ」

 

 ナフカは書状を受け取ると、その足で医庁のアイジェスのもとに向かった。この十年でアイジェスはナチ医官の補佐から正式に医官として宮殿で働いていた。

 

 「ナフカ様、いかがなさいましたか」

 

 ナフカが訪れたときアイジェスは薬剤を調合していた。

 

 「すまないな、忙しいときに」

 「いえ、これは予備の薬剤なのでいつでもできますから。何かお話が?」

 「ああ」

 

 ナフカは周囲を確認して誰もいないとわかると、アイジェスの懐に書状をねじ込んだ。それから指文字を見せる。

 

 はじめに親指、人差し指、中指を開く。

 次にすべての指を閉じる。

 そして最後に親指、人差し指を開いた。

 

 意味としては「北へ伝令を向かわせろ」である。

 飛燕の頃から使っていたこの指文字を見たアイジェスは静かに頷いた。

 

 「最近はどうだ。医官としての活躍は知っているが」

 「やっとですかね。医官として仕事をもらい始めて五年になりましたが、やっと自分で動いて判断できるようになってきたところですよ。それでもまだ命を扱うことに怖さはありますけどね」

 

 そうはいいつつも、アイジェスは元々の薬剤の知識と手先の器用さで医官として十分すぎる技術を持っていた。師事を仰いでいたナチ医官は今や医庁の長官職にあり、ゆくゆくはアイジェスがその座につくのではないかとさえ言われている。

 最も、当の本人はそのような気は毛頭ないらしく、今はいかに医術を広めるかを考えているようだ。

 

 「ハクから連絡を受けたが、帝の薬剤の件はどんな様子だ?」

 

 視察の際、ハクがアイジェスからの書状で伝えたのは帝の容態と薬の処方が変わったこと。そしてその処方に皇妃の力が及んだことだった。

 

 「連絡した際には帝はかなり衰弱のご様子でしたので、皇妃様がご心配になられて薬剤を変えるようにと申されたのであれば、わからなくはないのです。医庁は万一があってもおかしくないと混乱を極めていましたから。結果、帝はなんとか食事を取ることができるようになられましたし、今回は皇妃様のご命令に救われたのやもしれません」


 「だが、突然どうしてそうなった。薬に詳しいお前やほかの侍医もいたのなら判断を渋るようなことにならないだろう」

 「帝は御身体の体質上、使える薬剤が決まっているのです。私の薬剤の知識は経験を踏まえた民間療法の域を出ません。イスファターナにおいて治るという実績のないものを、ましてや帝に用いるのは困難だったのです。薬は身体に合わなければ毒ですから。衰弱された御身体に使う薬を迷っていたところ、皇妃様のご命令が下ったのです」

 「詳しく教えてくれ」


 「皇妃様は『強い薬剤に帝がお耐えになるかわからず、かえって悪い影響があるかもしれないのは理解した。だが、それしか打開がないと言うなら、私の権限で使用を許可する。責任は私が取ろう』と仰ったのです。医庁はこの言葉で動いたのです。情けない話、皆自分の命が大事ですから」

 

 ナフカはなるほどと頷いた。

 帝の命を救えなかったとなれば担当した医官はその責任を取らなくてはならない。医官も人である。自分の命を思うのであれば判断を悩むのは考えられることだった。

 それよりもナフカにとっては、皇妃シシルがそのようなことを言うことが驚きだったのだが、そんなことを考えているとアイジェスは言った。

 

 「それにしても、不思議なことは急に病状が悪くなられたことです。夏の暑さでのお疲れというのもあり得なくはないのですが、私は一応、何か別の病があるかもしれないと調査してみようかと思っているのです」


 「わかった。何かわかったら教えてくれ…だが、無理はするなよ。目の下にくまができている。ちゃんと睡眠は取れ」

 「ありがとうございます。ナフカ様も…聞きました。表側との対立は避けられないのでしょう?皇太子殿下の御身も心配です」


 「今度、疲労に効きそうな薬湯でも持ってきてくれないか?」

 「それはもちろん。私にできることでしたらこの身を尽くしますよ」

 

 ナフカは「ありがとう」と言うと、しばらくその場でこちらを気にするでもなく、じっと立ちつくしていた。アイジェスはそれを見てナフカの頬に触れた。

 

 「…アイジェス、何かついていたか?」

 

 我にかえったナフカは尋ねた。

 

 「ナフカ様、少しそこに座ってください」

 

 アイジェスは薬剤を調合するのをやめ、コップの水に何やら入れてナフカに手渡した。

 

 「なんだ?これは」

 「何も言わずに全部飲んでください。全部ですよ」

 

 ナフカは言われたままに飲むと、口の中に甘さと塩っぽさが広がった。最初は予想もしない味に吐き出しそうになったが、やがて不思議と飲めるようになった。

 

 「その水、どう感じました?」

 「変わった味だが、まぁ飲めるかな。悪くはない」


 「悪くなかったらダメなんですよ。普通なら飲めたものじゃありませんよ。今のナフカ様の身体は熱疲労を起こしているんです。朝から忙しくしていてご自分の身体のことをあまり気になさっていなかったのでは?」

 

 ナフカはため息をついた。

 

 「なるほど。確かに朝から忙しかったからな。毎朝のコーヒーと少し食事を摘んで、それきりだった」

 「部屋にいても熱疲労は起こすのですからこまめに気をつけないと。私もナフカ様もある程度いい歳なんですから、身体は気をつけられてください」

 

 アイジェスは打撲用の氷を置く部屋から何やら漬かったものを持ってきた。

 

 「それは?」

 「レモンをはちみつに漬けたものです。はい、これを食べてください」

 

 アイジェスからレモンを輪切りにしたものを数切れ皿に置かれると、ナフカはそれをしぶしぶ食べた。ナフカがレモンを味わう中、アイジェスはナフカの身体にペタペタと触れる。

 

 「熱疲労だけじゃなくお疲れになっていますね。脈が早いし、呼吸も多い…。ふとした時に考え事が尽きなかったりしませんか?」

 

 ナフカはそう言われて苦笑いした。

 

 「本当に優秀な医者だな。俺の身体を見ただけでそこまで思われると隠せたものじゃないな。恥ずかしさすら感じるよ」


 「隠すものじゃないんですよ。無理なときはそう言っていい。そんな空気がないと狭苦しい社会になってしまう。知ってますか?ストレスで髪が抜け落ちてしまった人の話を。私は相変わらず綺麗な銀髪が無くなって、頭皮が丸見えになったナフカ様はあまり見たくありませんね」

 

 ナフカは思わず自分の髪に触れた。

 

 「…それは私も想像したくない」

 

 アイジェスは何やら紙に今のレモンのはちみつ漬けの仕込み方法を書く。

 

 「これを、バルトレイン殿に渡してください。皇太子宮殿の方々にたまにお出ししてほしいとお伝えを。最近は近衛兵の宿舎にも置いてもらうようにしているのです。訓練後の疲労の回復度は段違いですよ」

 「わかった。それでは、もう戻るよ」

 「ええ。ナフカ様こそ、ご無理はなさいませんよう」

 「あぁ」

 

 ナフカは医庁を去り、皇太子宮殿へと向かった。心なしか、肩にのしかかっていた何かが消えたような気がする。

 

 「だれか、来ていたのか?話し声が聞こえたが」

 

 奥の部屋からナチ医官が出てきた。

 

 「ええ、皇太子宮殿のナフカ執務官が来ていました。帝の処方の件で皇太子殿下の代理で話しに来られたのですが、軽い熱疲労とお疲れのご様子だったので少し処置をいたしました」

 「そうか。表方は誰が生き残るかのまさに戦場と化しているからな」

 「戦場ですか」

 「己の保身が大事な貴族達と、その社会を変えようとする皇太子殿下が対立するのは無理のないことだが、今回の決着が今後のイスファターナを左右するだろう」

 

 ナチはアイジェスの作ったレモンのはちみつ漬けをつまみ食いすると言った。

 

 「アイジェス、医官らに触れを出せ。医庁は今回のことに一切関与しない。もしそれを破った者がいれば即刻免職だと」

 「!」


 「この私も国民喚問には欠席する。そもそも、医術を行う我らと政治は交わってはいけないのだ。怪我や病気をした者に適切な医術を行う。それを使命とする我らに権力などは本来無価値なものだ。反論する者がいたらそう伝えよ」

 「はい。私は今の師匠のお言葉に感銘いたしました。私の医術の道にもそのお言葉を刻みたいと思います」

 

 アイジェスがあまりにも真っ直ぐに自分を見返して来たのでナチは笑った。

 

 「感銘を受けたところで悪いが、私とて受け売りなのだ。『医食同源』―それすなわち、病気を治療するのも日常の食事をするのも、ともに生命を養い健康を保つためには欠くことができないもので、源は同じだという考えだ。規則正しい食事を取り、健康を保てば薬などいらないという考えからそう言われる」


 「どなたの言葉なのですか?あるいは書物ですか?」


 「私は先代の帝の厨房を任されていたデューイ料理長から教わった。三国に分裂する前の時代の国で言われていた言葉らしい。書物もあるらしいが、大陸古代文字で書かれているため、読める者は少ない。料理長はその言葉を説明なさる際に、医術と食事は人の生きる源であるから、決してそれを政治的に利用したりまして悪用するようなことがあってはならないと仰った。私は医庁の長官を任されたときから、料理長の言葉に倣うつもりでいたのだ」

 

 アイジェスは頷くと言った。

 

 「わかりました。他の医官や補佐職の者達にもそのお言葉と考えをよく伝えましょう」

 「表方からの取り次ぎはすべて断れ。なんなら追い返してもいい」

 「お任せください。師匠のお手を煩わせはいたしません」

 

 国民喚問はその日の午後から始まる予定である。争う姿勢を見せる者もいれば、保守的な者も中立的な立場の者もいる。国中の誰もがその様子を熱く見守っていた。

 運命はどちらに勝利の旗を掲げるのか。

 国民喚問の会場に表宮殿の諸高官達とシウォンが対峙する。戦いは今始まりを迎えた。

今回、試験的に少し会話文の間に空間を設けてみました(あまりにも一人一人の会話が多かったので)。

少し見やすさが改善されたらいいなと考えた次第ですが、前の方がいいな!等のご意見があれば教えていただけたら幸いです。


さて、今後の話は少しゆっくりの投稿になるかと思います。実生活のほうが忙しくなりそうでして…(汗)

合間に書いていけたらと思っていますが、気長にお待ちください。

それでは今後もイスファターナ戦記をよろしくお願いします。


結月詩音


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ