国民喚問(イスファレーテ) 1
お待たせいたしました。
「それで…。国民喚問でシウォンを追い詰める計画はできているの?」
国民喚問の前夜。
皇妃シシルの宮殿の地下において、宮殿の主の声は妖しく響いた。
一体、いつからこのような場所があったのか。しかし、造りからすれば百年以上の月日は経っていると思われる。
地下にいたのはシシルの兄、ヒジェール=カトレシアともう一人。深く顔を覆う外套を纏い、室内で唯一の光である蝋燭がその口元をなんとか映し出していた。
「いつもながらこの者の筋書きは見事なものですよ、皇妃様」
「そう…それは楽しみです。この十年、お前がリフキアのために裏で動いてくれていたこと、私は感謝していますよ」
すると男は微笑し、シシルの手を取ってキスをした。
「全ては我らの太陽であられる皇妃様のため…。相手にする皇太子はその側近までもが手強い。以前のように毒殺などの事件を起こすだけでは埒があきません。人は、恩や義理には弱い…今回はそれを利用しようと思います」
「ラドファタスでのリフキアの人気ぶりは聞き及んでいるわ。しかも、水路計画の件からリフキアは都の民にも慕われている。民心を手に入れるのは確かに上策ね」
シシルは上機嫌にそう言って、紅茶を啜った。
「カトレシア卿、あとはあなたの舌戦にかかっています。おそらく帝は出席なさらないとのことでしたから、存分に戦われませ」
「あぁ。それでは皇妃様。私は明日に備えましてこの辺で失礼いたします」
「ええ、兄上。楽しみにしています」
ヒジェールがその場を去ると、シシルは扇で風を送りながら言った。
「さて、私にも今回の話を聞かせてちょうだい、ゼルド。…やはりこちらの名前には華がないわね」
ゼルドと呼ばれた男は、シシルに招かれると外套を脱いでその隣に座る。色白の肌に金色の髪、イスファターナ貴族に多く見られる緑色の瞳が、闇の中に現れた光のように皇妃の目に入る。
「私の名を呼ぶことができるのはこの世界にたった三人だけ。この広い世界であなたにこの名を呼んでもらえなかったら、私はどこを止まり木として羽ばたけばよいのだろうか。まさか、休むなとは言わないだろう?」
それを聞くとシシルは嬉しそうに男に擦り寄った。
「ルカーシュ…ルカーシュ=ルーフェルベクト!何度でも名前を呼んであげるわ。私にとってはもう、貴方しかいないのだから」
「ククッ、悪いお方だ。仮にもこの国の皇妃であるというのに」
シシルは表情に影を落とした。
「帝のことは愛してる。だけどあの人の目に私は映らない。私のものにもならず、帝位まであの女の息子が得るのなら、私はこの世界のどこにも居場所がなくなる…」
「随分と怖い顔をなさる…それも貴女の魅力ではあるのだが」
「これが私よ。いつも自分の居場所を求めて彷徨ってる。シウォン…私のリフキアまで奪った憎いやつ!ルカーシュ、シウォンを葬り去ることはできないの?」
ルカーシュはシシルの結ばれた髪を解きながら言った。
「この世には死ぬよりも辛い、生き地獄というものがあるのですよ…今のあなたのように。どんなに才があったとしてもそれを発揮する場所と、動かせる手足がなければただの人形だ」
白く冷たい指がシシルの唇の上を滑る。
「だがその前に。地獄にも咲く花はある。そして地獄に生きる蝶を待つ花がここにいる…」
ルカーシュはその指を自分の唇に滑らせると、やがて二人の陰は重なり合った。
雲一つない夜闇に、怪しい風が吹いていた。月の光を浴びた花に惹かれた蝶は、その妖しい美しさに囚われ夜を捧げる――
▽▽▽▽▽
政務を司る官庁が並ぶ表宮殿と皇族の住まいの間に建てられた講堂にて『国民喚問』は行われた。そして各官庁の大臣達の席とそれを見下ろすように作られた皇族が座る席が前方に設けられている。
「皇太子殿下のご入場です」
その声とともに講堂の扉が開かれると、高官達の視線は一斉にシウォンに向けられた。シウォンとそれを補佐するナフカとキシュが前方へと向かう中、それは痛いほど感じられた。
シウォンは席につくと高官達を見回した。
(そうか、これが帝の立つ景色なのだな…)
ここにいる全ての者の関心や視線はシウォンに向かっている。まるで突き刺されるような痛い視線にナフカは苦笑いした。
「私は守られてたのだな、今日という日まで」
シウォンのその言葉にナフカとキシュは互いに顔を見合わせた。見えている景色はほとんど同じだが、受け取る感覚にはきっと大きな差がある。
「不安ですか、殿下」
キシュが言った。
「もしそうなら…、ここにはあなたの剣にも盾にもなれる優秀な人間が二人もいるのです。そして私やナフカ、それに皇太子宮殿の人間はあなたを信じている」
「支えますよ、我々が。決して一人にはしませんから」
キシュの言葉にナフカも重ねてそう言うと、シウォンはピンと張り詰めていた空気に春の日差しのような温かさを見つけて、ほっとため息をついた。
「これほどに頼もしいものはないな」
シウォンの次には帝が入場するかと思われたが、そこには代理が立てられた。そしてその人物は颯爽と歩いて壇上に上がると言う。
「本来、国民喚問においては帝が議論を進められますが、医官の判断によりこの場に立つことは厳しいという判断に至りました。よって、帝付き執務官である私、シュワーム=グリュネールが帝の代理となりこの場に立たせていただきます」
シュワームがそう挨拶すると、講堂は大きくざわついた。それを見たシュワームはもう一声、声を張って言った。
「今回の国民喚問は皇太子殿下に対して設けられたもの。よって、帝は今回のことに関し中立の立場を取られるおつもりでした。この私もそれに習い、議論はあくまで中立に進めていくつもりです。そしてこの場で見聞きしたことは、帝もお知りになることであると皆様心にお留めください」
講堂は帝の名前に急に熱が冷めたように静かになった。シュワームはその様子を見て咳払いをした。
「それでは、これより国民喚問を始める。まずは国民側より今回の喚問の目的を聞くこととする」
立ち上がったのは総務省長官職にあるヒジェール=カトレシア。皇妃シシルの兄に当たる人物であった。その総務省には
「それでは、この場を代表して私から答えさせていただく」
ヒジェールは一呼吸間をおいてシウォンに語りかけた。
「すでにご存知のことと思いますが、先日皇太子殿下は、帝の代理として東方自治区に赴かれた際、次期長官職の世襲ができない件について自治区が推薦する者を据えることを約束されました。イスファターナ皇国の慣例では、世襲ができなくなった各領主長官職は審議の上、貴族の中から新たに決めることとなっています。我々は、帝の代理で視察に行かれた皇太子殿下がそれを無視なさったことを告発します。皇太子殿下におかれては説明をなさる責務がお有りかと思われます」
シュワームはそれを聞き届けた上でシウォンの方を見た。
「殿下、今の内容についてご説明いただいてもよろしいですか」
「ああ」
シウォンは言った。
「まず、今回の視察において私は帝に全権を委ねられていた。それは皆も承知のことだと思う」
確認を取るように間をおいてシウォンは話を続ける。
「東方自治区長官より世襲の件が議題に上がった際、その場で即答しなければ我が国とかつてのアーヴァインで交した約定を破棄するとの答えが返ってきた。この国の今の状況を思えば、帝国の脅威を逃れているのは自治区の存在あってこそである。そう考え、先にカトレシア卿が言ったような運びとなった。当然、そなたらからの反発があるのは覚悟の上だ。だが、他に方法はない。この件に関しては理解を求めるばかりだ」
ヒジェールは言った。
「この国を支える高官の一人として発言させていただきますが、これは国家の根底を揺るがす行為です。なぜなら法に反している。法に関わることは法務庁の審査の後、会議にて話し合われるべきことです。もし自治区がこれを理解できないというのであれば、皇太子殿下への強要も含め、それは国に対しての罪を犯したことになる。違いますかな、ダナフォート卿」
「…ダナフォート卿、発言を求める」
シュワームに言われて、オルモンドは重たい腰を上げた。
「カトレシア卿の問に答えれば、確かに今回のことはイスファターナ皇国の慣例に背く行為。しかし、聞くところによると皇太子殿下の対応は理解できないものではありません。同盟をここまで保てているのは東側に憂いがないことに他なりません。今後のためにも、自治区との関係は切れるものではないでしょう」
ヒジェールは挙手をする。
「カトレシア卿、発言を許可する」
「自治区との関係は必要だが、これは看過できないことだと思われる。自治区へは然るべき措置を取り、後任に関しては改めて協議し、貴族の中から選ぶのが良いでしょう。皇太子殿下」
すると講堂には様々な高官の声がシウォンに向けられた。
「皇太子殿下、自治区への然るべき措置を!」
「これはイスファターナ法を揺るがすことになります」
「静かに!」
シュワームの声はその中のどの声よりもよく通った。
「発言の際は挙手を求める。皇太子殿下、お答えをいただけますか」
「…あぁ」
シウォンは資料を配るようナフカに命じる。
「自治区への対応が国法に反するという意見、最もだと思う。だが、実際に視察して真に自治区という名の意味を考えたとき、私は長官の意思を汲みたいと考えた。
旧アーヴァインはイスファターナに統合されたわけではない。イスファターナとの約定によって国の一部に数えているのだ。元々作られてきた文化やそこに生きる人々の心を守るためにも、イスファターナの貴族を派遣するより、その地に生きる者が認める人間を長官に据えるべきだと私は考える」
ナフカが配り終えてシウォンの側に戻ってきた。
「今配った資料に示したのが、今回の件に関する私の答えだ。自治区が長官と認める者に国の官吏任用試験を受けさせる。そして、私の臣下として自治区の長官を務めてもらおうと思っている」
「皇太子殿下、これは…正気ですか?」
ヒジェールは尋ねた。
「皇太子に正気を尋ねるのもなかなかだと思うが、流石にこの場で冗談を言うような性格はしていない」
「これは、到底認められたものではありません。私だけでなくここにいる皆が、そう思っていることでしょう」
シウォンは講堂をぐるりと見回した。貴族達の反応はヒジェールと近しいものという印象を受けた。
「…なぜなのか、聞いてみてもいいか?」
「平民を長官と認めてしまえば、他の領地においても長官職の地位に疑念が生まれ揺らぎが起こってしまいます。建国時代からの身分制の…貴族体制の根本を崩壊させるおつもりですか」
シウォンはざわつく講堂に向かって言った。
「自治区は私の母である前皇妃の故郷だ。そして私はその一人息子。今や自治区長官の血筋は私の家系にしかない。従来通り血統を重んじるなら、その考えは当然のことだと思う。しかしながら、いずれ帝位に就く身の上では、一領地だけに目を向けてはいられない。そこで私の認める者を据えたいと考えた」
「しかし…」
シウォンはヒジェールにその先を言わせる前に口を開いた。
「この国では平民であっても、官吏任用試験を受けられる体制を整えている。その体制に関する法において、長官職は例外ではなかったと認識しているが…それが貴族体制の崩壊とは不思議なものだ。貴族とは国と平民を守るために皇族を補佐する立場であって、決して平民を見下す立場ではないはずだ。そのようなことが口にされるとは、実際に見下す行為が行われているということなのか?」
講堂は物音せず静かになった。
シウォンが言ったことはこの国のあり様を問うものだった。主に取り締まる側につく貴族達、そしてこの国の基盤となる平民達。構図としては取り締まる側の方が強くなるのは仕方ない。それが四百年の間、当然とされてきたのだからなおのことだ。
「むろん、自治区が推薦した者には試験を受けさせる。その成績が芳しくなければ代案を考えることになるだろう。私は平民を多用したいのではなく、過去に倣った結果、当然の権利が果たされない現状を変えたい。皆にはこの国の未来のために何が最善なのかを考えてほしい」
シウォンがそこまで言うと、中央にいたシュワームが本日の国民喚問の終わりを告げる木槌を打った。
「これにて今日は閉廷とする」
それを聞くとシウォンは椅子に座り、大きなため息をついた。
「お疲れ様でございます、殿下」
ナフカとキシュが言った。ナフカはハンカチをシウォンに渡す。シウォンは頬を伝う汗を拭った。
「今回の国民喚問、どう思った?」
「まずまずではないでしょうか」
「…だといいが」
シウォンは立ち上がると、皇太子宮殿への帰路についた。
講堂のある表宮殿側から皇太子宮殿を目指していると、帝と宮殿の方向からやってくる人物がいた。
「…これはシウォン殿下」
「皇妃様」
シウォンは頭を下げ挨拶をした。
「視察から戻った途端、お忙しそうね」
「えぇ。帝も御身体を大事にされるべき時ですから…。視察の間、帝を献身的に支えてくださったとか。感謝いたします」
「私は当然のことをしたまでですよ。あなたも無理をして倒れないように、お気をつけなさい」
不思議なものだが、皇妃シシルとシウォンでは身長も体格も当然ながらシウォンが上回っている。しかし、皇妃シシルの纏う空気がそれを微塵も感じさせなかった。
「リフキアに会って参りました。皇妃様の身を案じておりました」
「そう…。あの子ももう時期式を挙げてようやく落ち着くのですから、あまり親にばかり心を割いてはアレッタ殿が寂しがるでしょうに…」
「皇妃様…、私の取り越し苦労であればよいのですが」
シシルは眉間をぴくりと動かしてシウォンを見た。
「リフキアを今回の国民喚問で利用しようとお考えなら、お止めいただきたい。一部の貴族達がリフキアを私と対立させようとしていると報告がありました。もし皇妃様がそれに関与されたら…」
「皇太子殿下?」
シウォンはそう呼ばれて一瞬、恐怖を感じるような震えが全身に走った。
「…この国の皇太子とは次期帝と定められた者にが呼ばれる名前です。もっとその名前に見合うよう堂々となさい。私が関与していたら、それは帝の御意志に背いた重罪ですね。なぜその様な恐ろしいことを口になさるかはわからないけれど、貴方もお疲れなのでしょうから今回は見逃して差し上げます。二度目は…無礼と受け取りますよ?」
シウォンは深く頭を下げて謝罪した。
「失礼をいたしました。どうか、お許しを」
「明日も国民喚問は続くのでしょう。今日はゆっくりおやすみなさい。側に仕える貴方達も、殿下の御身に気を配るように」
「…はっ」
シシルはそう言うとシウォンの横を通り過ぎていった。
「…淡々と表情を変えず、重罪を犯せるその器量は見上げたものだよな、本当に」
「シウォン、今のは皇妃様が見逃されたから良かったものの、ことと次第によっては大変なことになっていたぞ。もっとそういうのはだなぁ…」
キシュが諌める。
「わかってる。軽率だったことは認めるさ。今回のことにどれだけ関わっているのか知りたかったが、上手くはいかないな」
シウォンは天井に向かって腕をぐっと伸ばした。
「バルトレインに何か美味いものを作ってもらおう。腹が減った今は何を考えても頭が回らない」
「それがいいさ。帰り次第、食事を用意をするように伝えよう」
「ああ」
国民喚問一日目。それは相手の様子を探るような形で終えた。おそらく本当に火蓋が上がるのは明日以降だろう。
その前の腹ごなしは重要だ。
バルトレインは連絡を聞くや、豚肉をトマトで煮込んだイスファターナ南方の料理を用意した。さっぱりしたトマトの味付けに、疲労回復をうたわれる豚肉がとろりと柔らかく煮込まれている。
デザートには蜂蜜とレモンのゼリーが添えられた。これは先日、医局のアイジェスがナフカに託したレシピをアレンジしたものである。
「さすがだな、バルトレイン」
「お口に合ったようで、何よりでございます」
その後の執務は、帝の仕事を請け負ったものを片付け、そしてオルモンドが息子たちに用意させた資料をもとに明日の国民喚問に備えることとなった。
「よくここまでまとめたものだ…本当に」
「手数を増やしてくれたダナフォート卿とそのご子息には感謝しなくてはいけないな」
ナフカは言う。
「ああ。さて、やることはやった。明日のために今日は早めに休む」
「わかった。寝る前にはミルクティーを用意しようか?」
「そうしてくれ」
やることはやった。それでも明日への不安を完全に除けたわけではない。早く休むと言ったものの、安らげるかは怪しいものだ。
ナフカが用意したミルクティーはその心の焦りを和らげてくれた。いつもよりミルクの甘みが引き立っている。それは不思議と昔、ホットミルクが出されていた頃を思い出させた。
飲みきった頃には体がほかほかと温まっていた。こうしてナフカやキシュに与えられたものに少しでも自分は返せているのか。それを考えるのを二人は望まないだろう。
その日の夜はとても穏やかに休むことができた。
※ゼルド…四章にて登場。毒殺計画の計画を立てたとされる人物だが、正体は不明だった。今回の話によって、ルーフェルベクト家(二章 温かい家参照)の人間だとわかる。
随分前に出てきた人物をここに持ってくるのは、正直、「やっと…!!」という気持ちと、「どんな人物だったかな」という迷いの気持ちがありますね(汗)
イスファターナ戦記もそろそろ百話目が近づいてきたところで、登場人物も多くなってまいりました。たまにこのような形で注釈をつけていこうかと思います。
さて、今月はまたしばらくゆっくり投稿してまいります。次話もお楽しみに。
結月詩音




