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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
九章 国民喚問
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国民喚問(イスファレーテ) 2

お待たせいたしました。

三章 愛する者[新青色はその内に灯をともす]を改稿しております。人物名に間違いがありましたので、申し訳ありませんがそちらの確認をしていただいてから、今回の93話を読んでいただけると幸いです。

結月詩音


 「帝!皇太子殿下はこの国の建国時からの身分体制を変えようとなさっています。それはこの国の根幹を揺るがす大事です。今回のことは皇太子の振る舞いとしてあるまじき事。この国の未来を我々は案じているのです。どうか皇太子殿下の処遇をお考え直しください」

 「どうかお考え直しください!」

 

 その日の夜、帝の宮殿の前で貴族達は帝に抗議し続けた。

 月が中天した頃、この状況をさすがに見かねた近衛長官のミュンツェルが強制退去させたが、貴族たちの主張は明日も続きそうな様子である。

 

 それを宮殿のはずれから見ていたナフカはため息を夜に吐き出して、長い髪をかき上げた。互いの主張に優劣はない。今日の国民喚問では、こちらが法と法の隙間を突いて予想外の主張をすることで相手方に反論させなかっただけである。

 明日、それに対抗する意見が提出されればどのような出方に出るかで今後のイスファターナのあり方が全て変わってくるのだ。今回、主張が通らなければアーヴァインのことだけでなく、帝になったときのシウォンの治世にも影響しかねない。

 『憂いを未然に察知し防ぐのが執務官の役目』

 そう心得るナフカの吐き出したため息は、未来のイスファターナへの展望が重く大気の下の方へと沈んでいった。

 

 すると、ナフカはその切れ長の目に映る視界の端に何者かの影を見た。後方へ鋭い視線を向けると柱の影から一人の男が笑いながら姿を現した。

 

 「久しぶりだな、ナフカ。気配によく気づくのは昔から変わらないのだな」

 「その声は…」

 

 妙に甘ったるい中音の声に、ナフカは聞き覚えがあった。男がナフカの側までやってくると月の明かりに顔が照らされる。

 

 「ルカーシュ…、お前どうしてここに?」

 「久しぶりに放浪から帰ってきたのだ。お前と会うのはお爺様の葬式以来だから十一年ぶりってとこだな」

 

 ナフカが宮殿に入る前、当時のルーフェルベクト家の当主だったハディスに師事していたことがある。ルカーシュはそのハディスの孫で、二人は机を並べて共にハディスの教えを学んだ仲なのだ。

 ルカーシュの方が三つ歳上ではあったが、二人は良きライバルとして学を競ったのである。

 

 「驚いたぞ。帰ってくるなら一言文でもくれればいいものを」

 「そんなことをしてみろ、文伝院(国内の文や電報を司る機関)にはルーフェルベクトの縁者や門下生が何人もいるんだ。本家の奴らに居場所を特定されてしまう。俺はルーフェルベクトの名を捨てたつもりだが、あいつらは俺を当主にしようと躍起だからな」

 「ルーフェルベクトの家とは今でも疎遠なのか?」

 

 ルカーシュはハディスの死後、突然道化のような装束を纏ったり、これまでの次期当主と囁かれた学びへの態度が嘘であったかのように自由に振る舞い始めた。そしてある時、パタリとその姿を消したのだ。旅に出るという一言だけを残して。

 

 「俺のような奴は当主にならない方がいいんだよ。もっと真面目で国に対して忠誠心のある人間が当主になった方がいい。俺はお爺様に次ぐ才を叫ばれはしたが、宮殿務めなんぞしてしまえば自由な考えを持てなくなるだろう。そんな窮屈さを感じて生きるのは御免なんだ」

 

 ハディスの死はルカーシュにとって理解者を失うことに等しかった。今では同等に話せるのはナフカくらいだろう。

 それにしても、とナフカはかつての学友を見つめていた。互いに大人になったからかもしれないが、

 

 「久々の再会なんだから少しくらいお茶でもどうだ?ルカーシュ。いい茶葉が手に入ったとこなんだ」

 「…茶か。思えば都に帰ってからは茶を楽しむということをしていなかった。よし、それでは皇太子殿下の執務官殿の腕前を見させていただこうかな。言っておくが、旅の道中、各地の茶を味わってきた私だ。ちょっとのことではうまいとは言わぬぞ」

 

 そうしてナフカとルカーシュはナフカの居室へと向かったのであった。

 

 ナフカが茶を注ぐ間、ルカーシュは手持ちの細い笛をひょろひょろと鳴らしていた。夜中ではあったが、ナフカの部屋は他の誰の部屋からも遠いところにあるため、ナフカはその音に耳を傾けることにした。最も誰の部屋からも遠いのは、ハクの招待を悟られないためだったのだが、ハクがルオンの側近になったことからその意味もあまり無くなった。

 

 「なかなかの腕前だな」

 

 ナフカが茶を注ぎ終わり、運んでくるとルカーシュは笛を吹くのをやめた。

 

 「これは放浪中にお世話になった人の遺品なんだ。笛師だったんだ」

 「遺品ということはその人は…」

 「亡くなったよ。出会ったときにはもう病に侵されていた。山奥でなかなか医者も呼べない場所で、看取ってやることしかできなかった」

 「…一人だったのか、その人は」

 「…あぁ」

 

 ルカーシュはまた笛を吹き始めた。ナフカは茶を飲みながらその音に耳を澄ませる。どこか寂しげで、それでいて夜の空気に溶けていくような音色。それは夜に光を照らす月のような温かさを感じさせる。ルカーシュがお世話になった人という笛師は、よい笛の作り手でもあったのだろう。

 

 「…待ち人のうた、と勝手に名付けた。その人はずっと恋人が帰ってくるのを待っていたらしい。たぶん…ウィジュグラードの戦争で恋人を亡くしたんだろうが、そう信じてはいないようだった」

 「そうか」

 

 ルカーシュは目の前に注がれたお茶に気づくと、そのお茶の色に笑みを浮かべて口にした。

 

 「ブールーグリーンティーか」

 「あぁ。綺麗な色だろう。青い空の色だ」

 「…うん。おいしい」

 「それは良かった」

 

 ルカーシュはお茶を片手にナフカを見た。

 

 「お前、皇太子殿下の側で働くことに何か価値を見出したのか?」

 「突然どうしたんだ?」

 「お前ほどの才があれば、側近などよりむしろ一国の王にだってなれるだろうに」

 「おい、ルカーシュ…」

 「政治がしたいなら側近なんて道を選ぶより、宰相になればいい。お前の実力なら簡単だろう。常々不思議だったんだが、何か殿下にこだわる理由でもあるのか」

 

 ルカーシュの質問にナフカは困惑を隠せないまま答える。

 

 「…殿下の理想とする世界をみたい。そのためなら俺は何だってできる」

 「それは、殿下に依存しているだけじゃないのか。お前自身が何をしたいのか全く見えてこない」

 「ルカーシュ…どうしたんだ」

 

 ルカーシュはお茶の横に添えられていた檸檬を茶に浮かべ、青色から深い紫に変わったお茶を月明かりに透かして眺めた。

 

 「昔からお前はそうだったな。手に入れられるものを手にせずに傍観者であろうとする。お前の実力はそんなものではないはずなのに、それを使って何かを得ようとすることは決してない。たとえば…権力」

 「お前…」

 

 ナフカは鋭い視線をルカーシュに向けた。

 

 「…俺は今の俺であることに満足している。それをお前が理解できないというならそれでも構わない。だが、皇太子殿下やイスファターナ皇家を侮辱するような発言は許されない。今回は見逃してやるが二度目はない」

 

 ルカーシュは茶を飲み干し、立ち上がる。

 

 「俺なら欲しい物は手に入れる。それが何であっても…何かを失うことになっても」

 

 外套を深く被ったルカーシュは言った。

 

 「ゼルドという名を知っているか?」

 「ゼルド?」

 

 皇太子毒殺未遂事件、ヨルナ=シュラインを襲った都での事件でもその組織に指示を出していた男。そしてその男は皇妃シシルと繋がりがあると報告された。それについて知っているのは事件に関わった者のみである。

 

 「なぜお前がその名を知っている」

 「知っているも何もゼルドとは俺自身だからな」

 「!?」

 

 ナフカは驚きに目を見開いた。

 

 「どういうつもりだ…?皇太子殿下の命を狙ったとなると反逆罪になる。それ以前に人の命を奪おうと考えるなど、どうかしている!」

 「俺を捕まえるか、ナフカ?証拠不十分で、十年経った今でも未解決のところをみると誰も俺の正体には気づいていないのだろうが」

 「ルカーシュ!お前!」

 

 ナフカはルカーシュの胸ぐらを掴んだ。ナフカに自制心が無ければ、未遂とはいえシウォンを殺そうとしたことに怒り狂い何をしていたかわからない。火を起こすことのできない殺意がナフカの心の内から這い出そうとしていた。

 

 「お前がそんな顔をするなんて、よほど皇太子殿下に情を向けているんだな」

 

 部屋の鏡に映ったナフカの表情は、怒りに満ちていた。しかし、そんなことはナフカにはどうでもよかった。

 

 「…なぜ、今夜俺に会いに来た」

 「友に会いに来た。それ自体に嘘はない。だが、しばらく見ないうちに中身の無い奴になってしまったようだが」

 「何?」

 「…ナフカ、俺はお前とは違う。手にできるものを手にする。たとえそれが世の理から外れたものでも、たった一度の人生を妥協と諦めで終えたくはないのでね」

 

 ルカーシュはそう言うとナフカの手を払って部屋を出ていった。

 

 ナフカはその扉の先を未だ困惑と怒りの感情が残ったまま睨んでいた。何がルカーシュをそうさせたのか。共に学んだあの頃、権力への執着を誰よりも嫌って官吏任用試験を受けないと言うような人間だったはずなのに。

 巷で道化と言われていようと、ルカーシュは自由に学びを受け入れる心があった。ナフカと懇意にしていたことから幾度とルカーシュについて尋ねられもしたが、友を信じてすべて無視していた。権力や力に溺れるような奴ではなかったのだ。それが、どうして―。

 

 「あれは…誰だ」

 

 ナフカは椅子に乱暴に座った。机に置いてある茶器が目に入ると途端怒りが沸き上がってきた。

 

 ――ガシャン

 

 「ナフカ?何かあったの?ご友人、帰られたみたいだけど…」

 

 宿直で起きていたシハルがナフカの部屋の扉を開けた。床に転がる茶器と椅子に座って頭を抱えるナフカを見て、シハルはナフカに駆け寄った。

 

 「ナフカ、これはどういうこと?一体、何があったの!」

 

 ナフカはそれに答えなかった。口を開いてしまえば飲み込むことも吐き出すこともできない感情をシハルにぶつけてしまいそうで。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 「今日は遅かったのね。どこか違う所へ寄り道?」

 

 シシルは部屋の奥の椅子に座ってルカーシュを見上げると妖艶な口を開く。

 

 「寄り道には寄り道に咲く花に出会えるという良さがあるのですよ、皇妃様。まぁ、言ってしまえばナフカ=グリュネールの元へ」

 「ナフカ?なぜ」

 

 眉をひそめるシシルの顔にルカーシュはそっと触れた。

 

 「あいつとは腐れ縁でしてね。友との別れ…でしょうか。本当に得たいものを得るためには、自分の手にあるものを捨てることも必要ですから」

 「裏切ったわけではないのね」

 「まさか」

 

 ルカーシュは高らかに笑った。

 

 「帝は今回の件を無視できなくなるでしょう。アーヴァインのことなど正直どうでもいいが、皇太子殿下にはこれまでの名声を失墜してもらわなくては…」

 「えぇ。期待しているわ、ルカーシュ」

 

 明日は国民喚問二日目。それを前にしてのこの事件は、ナフカの心を大きく乱すことになった。

 そして明朝、宮殿の城門の前にはたくさんの学士が皇太子の在り方についての声を上げ、それは瞬く間に都の民に動揺を与えた。一日目の国民喚問での半ば有利な状況とは反対に、人の心は疑心や不安に駆られ始めることとなったのであった。

 イスファターナの空は無情にも青々と雲一つなく広がっている。

次話はまたしばらくお待たせすることになると思います。

今後もよろしくお願いします。

結月詩音

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