秘境の視察3
お久しぶりです、お待たせいたしました。
中心部への庁舎へ向かう道、そこから不穏な空気は感じられた。
街道沿いに人が全く見当たらない。
普通、この国を治める帝の後継者が来たとなれば、その際は街の者たちが道の脇から歓迎した。先日までいたラドファタスのときも、到着は夕方だったにも関わらず街の者たちが歓迎してくれたものだ。シウォン達にとってこの状況は異常だった。
シウォン達も人間である。向けられる歓声をたまにはうるさく思うことはあった。なにせ狭い馬車の中に大きな声がわぁわぁと響くのである。しかし、その向けられる声が皇族として背負っていくものなのだと感じていた。しかし、今はどうだろう。馬車の車輪や馬の蹄の音がこの空間に緊張と焦りを助長するかのように聴こえている。
ルオンが大人達の緊張を不安げにじっとしていると、シウォンが大きくため息をついた。
「ずいぶんなことだ…」
だが、それは悲観したものではないようだった。
「まぁなんだ、試されているわけだろ?そういうのも悪くはない」
それを笑顔でいうものだからルオンや隣にいたハクは呆気に取られてしまった。
「楽しんでおられるようですが、本来これは殿下方に対して失礼な行為。理由は問いただすべきでしょう」
ナフカが言うと、シウォンもため息をつく。
「それこそ今回の視察で言ってきたいことなんだろう。帝からはなかなかの曲者と聞くし用心に超したことはない」
ナフカは静かに頷いた。
やがて庁舎に到着すると、外からキシュが馬車の戸をノックした。
「到着いたしました」
そのキシュもこの静かさに眉を寄せてナフカを仰ぎ見た。ナフカはそれにも頷く。
シウォンは馬車から降りて、あとに続くルオンに手を差し出した。
「ルオン、私を見ているといい。ただそれだけでいいんだ」
青い瞳はその奥に輝きを秘めていた。ルオンはその輝きに吸い込まれるかのように返事をした。
「はい」
すると、庁舎から背の高い男がやってきた。焼けた肌を見る限りは、あまり役人というようには見えない。農夫や漁夫といったほうが頷けるだろう。
「皇太子殿下、並びにルオン殿下。アーヴァイン庁舎一同歓迎を申し上げます。長より案内を任せられました、ルーファスです。殿下方のご滞在においてご不便のある際は私にお申し付けください」
「ルーファス殿、早速ですがアーヴァイン長官はいかがなされましたか。皇太子殿下、皇子殿下に対しては迎えて待つのが礼というものでしょう」
ナフカが普段の声色におもりをぶら下げたような低めの声で言う。その視線は鋭くルーファスヘ刺さっていた。
「それにつきましては長よりも謝罪をと申しつかっております。長は足を悪くしておりまして、移動に難を生じます。それゆえに…」
「もうよい。事情はわかった。ルーファスといったか?長官のもとへ案内してくれ」
シウォンがルーファスの言葉を遮って言う。ルーファスは深く頭を下げ、一同を庁舎の中へ案内した。
木を基調とした庁舎はどこかこの空気をやわらげるような温かさがあった。一同は庁舎の奥の部屋へ案内される。
重厚な扉が開けられると、白髪の老人が待っていた。老人は侍従に支えられながら立って頭を下げた。
「アーヴァイン長官ソジン、両殿下にご挨拶申し上げます。この度はようこそお越しくださいました。この通り足を不自由としているゆえ、ご挨拶に向かうことができず申し訳ありませんでした。この無礼、深くお詫び申し上げます」
シウォンはすぐに老人に座るように言った。
「そなたの体のことだ。無理をすることでもないし謝ることでもない」
「感謝申し上げます。ご厚意に甘えて座らせていただきます」
シウォン達一同も席に着くと、侍従がお茶を運んできた。
「随分と香りのいい茶だな。それに、どこか懐かしい気もする」
シウォンは注がれる茶を見ながら言う。
「今回は殿下がいらっしゃるとのことで、ご生母であり私の姪であるシヴァが好んだ茶を用意しました。懐かしいと思われたのは匂袋でしょうか。あの子はこの茶の花の匂袋も持っていたと思います」
「母上の好まれた茶か」
シウォンが茶を口にしようとすると、横からナフカの手が伸びる。
「殿下、まずは」
「…」
シウォンは途端、不機嫌になった。毒味だなんてさせたくない。だが、相手がこちらを試している以上、ナフカは信頼を置けないと判断したのだろう。自分の立場や身分がそうさせてしまう。それが何より嫌いだ。
「…長官殿、失礼をいたしました。大変素晴らしい茶でございます」
そうして、シウォンに改めて注がれた茶を受け取り、ようやくその茶を堪能できた。口から鼻へいっぱいの甘くほのかに酸味を感じる香りが広がった。
「これはうまい。何という茶だ?」
「ロカ茶といいます。しかしすぐに傷んでしまうため、この茶はアーヴァインでしか飲むことはできません」
「そうなのか。懐かしい思いをすることができた。ありがとう」
「お気に召していただけたようで何よりです」
茶の効能のせいか、どこか不快な気分は少し晴れたようである。シウォンは茶を飲み終えるといよいよ本題に入った。
「さて、ソジン」
「はい、今回は殿下にアーヴァインの今後についてお話したいのです」
「今後?」
ソジンは頷くとルーファスを招き寄せた。
「私もこの通り歳を取りました。私は妻を早くに亡くし、子はおりません。しかしながら、イスファターナの法では各領地の長官職は代々世襲することになっております。つまり、次代長官を決めなくてはならないのです」
シウォンは話を聞きつつその視線はルーファスに向いていた。
「それで、その者を次代にと考えているわけか」
「はい」
シウォンは大きなため息をついた。
リフキアが諸国の外交に回ってからシウォンは帝と共に内政に携わるようになっていた。その中でも特に力を入れていたのが法の改正である。貴族ばかり優遇されるこれまでの法の改正として、教育に力を注いだ。専門的知識を誰でも教育を受けられるよう、幼い頃から学校に通えるような体制を整えること、望む者には皇立学校へ通えるようにすること、各種試験を平民にも受けられるようにすることなど、様々な反対を受けながらも確立させてきた。
しかし、制度が整ってまだ数年である。皇宮で未だ要職に就くのは貴族であるし、領主もそれに然り。しかも領主にいたっては世襲制という根深い問題が残っている。
ソジンが次代にと提案してきたのはおそらく平民であろうルーファスである。仮にソジンの養子となっていても、イスファルの貴族や他領の貴族の中には反対する者も少なくないだろう。
「皇太子殿下、このルーファスを次代にと望むのは私だけではありません。これは、アーヴァインに住まう全ての者の総意です」
「総意…」
「法によれば世襲できなくなった家の代わりに新たに貴族がイスファルから派遣されることになっています。しかしこれはアーヴァインの未来に関わることです。どうして見ず知らずの人間に任せられましょうか」
ソジンは力強くそう言った。
「私はルーファスについて何一つ知らない。この者の何をそなたは推挙するのだ」
シウォンは表情を厳しくルーファスを見ていた。
「このルーファスは誰もに慕われております。加えて、文武の才も持ち合わせております。そして一番の理由はここに住む誰よりも先代を慕い、その志を胸にこれまで多くの大事の際には尽しております。それを皆が知っているため推挙するのでございます。この者ほどアーヴァインを愛している者はおらぬでしょう」
「なるほど」
「私共はルーファスをお認めいただけない場合、イスファターナ皇国と結んだ約定を破棄する覚悟です。殿下、どうかお認めください」
約定の破棄という言葉に、一同は息を飲む。
約定を結んだことによって、イスファターナは東のカルデミナ帝国への警戒を緩め、ソウェスフィリナ王国との外交に集中できるのである。約定の破棄はもってのほかだった。
「受けるしかないのはわかった」
シウォンが頭を重そうにして言う。
「しかし私が認めても貴族連中は納得しないだろう。その矛先は私とルーファス、お前に向くわけだ」
「私はどのようなことにも堪えましょう。この場所を守るためなら命を懸ける思いです」
ルーファスは熱く答えたがシウォンは首を振った。
「承認というのはな、治めていく上で必要不可欠なことだ。お前を長官に据えることがアーヴァインの総意であるからこの話は進んでいる。お前を認めない者がいるのならアーヴァインを統治するに際し、お前を置く意味がない。ルーファス、思いだけでは統治できないのだ。アーヴァインに万一のことがあったとき、救いを出してくれる領主、貴族がいなければ国も動けない。国が命じることはできるが不満が先行する。私が今後治める国がそんな国家であってはならない」
「では、どのようにすれば私は認めてもらえるのでしょうか」
「おそらく無理だ。固定化された考えというのはなかなか変わるものじゃない。中央にはその辺りに関して柔軟な者もいるが、そうでない者の方が多いからな」
シウォンは淡々と語ったが、頭のうちは解決の策を固めつつあった。そこで隣に座るルオンを見ると、やはり同じ顔をして何かを考えているらしい。
「ルオン、何を今考えている?」
「父上、私は別に…その…」
「構わぬ。何か思うところでもあったのだろう」
ルオンは膝の上で手をぎゅっと固く握りしめながら言った。
「問題となっているのは長官の次代がいないことで、本来それは血縁でなくてはならないのですよね。でしたら、父上が適任なのではないかなどと思っていました。申し訳ありません。私などが口を…」
「いや、間違っていないぞ、ルオン」
「え?」
「そうですね。それしかなさそうです」
ナフカがさらに同意したのでルオンの頭は混乱した。
「殿下、私にはさっぱりわからぬのでございますが、お教えいただけますか」
ソジンも驚きを隠せないようで尋ねる。
「わかってはいるのだろう、ソジン。この案が奇抜なだけで」
「…しかし」
「ルーファスを私の臣下として派遣すれば良いのだ。いずれは帝の臣下からという形にすればいい。そもそも長官職の世襲という法を改正してしまいたいところだがな」
するとずっと様子をうかがっていたキシュが口を開いた。
「殿下、一平民が殿下の臣下になるというのもこれまた物議を起こすのではありませんか」
「そこに関しては前例があるからな」
「前例…!」
キシュは隣の銀髪の麗人を見た。
「私は元々平民だからな。殿下、つまりルーファスに国家官吏試験を受けさせるおつもりですか」
シウォンは頷いた。
「ルーファス、状況はわかったか?」
「官吏の試験を受け、殿下の臣下という形で長官職につくということかと」
「そうだ。二度目はない。それに、受かったところで非難は付きものだ。実力で貴族を黙らせるくらいの気持ち無しには生きていけずに潰されるだろう。それでも厳しいものだろうが、お前の言う志は簡単に折れてしまうものではないのだろう?」
「はい。厳しさは初めからわかっていたことです。必ずや一度で合格しましょう」
シウォンは深くため息をついて、茶を催促した。
「これで、この問題は解決だな」
「…はい、殿下」
ソジンはまだ驚きを隠せないようで声色低くそう答えた。シウォンは再び注がれた茶を飲みながらその先の困難を苦い思いで見つめていた。すると、シウォンは頭が痛くなるような予測が頭をよぎった。
「…聞いてもいいか、ソジン」
「は、はい」
「この件、前に父上が訪問されたときにも話たか」
「……!」
ソジンの反応を見てシウォンの頭痛は酷くなった。
「なるほど、そういうことか」
ナフカもキシュもハクも、それがどういうことかを察したらしい。
「来たるべき時を待てとの仰せにより、本日改めて殿下にお話した次第です」
「満足な答えは得られたか?」
「それはもう!」
「そうか」
シウォンはソジンに手を差し出した。
「アーヴァインは私の母上の故郷でもある。そなたやルーファスには及ばぬかもしれぬが格別の想いを寄せている。アーヴァインにとってもこの話は厳しく難しいものとなるが必ずよいものにすると約束しよう」
「感謝申し上げます、殿下。私共は今後もアーヴァインの役目を果たしていくつもりです」
「ああ、期待している」
シウォンはルーファスの手を取った。その手は厚く固い。
「そなたは普段何をしているのだ?剣の修業ではこのような手にはならぬだろう。これは働く者の手だ」
そう言うと、ルーファスは少し照れた様子で答えた。
「私はじっとしているのが苦手なのです。畑に問題があれば飛んでいって手伝いますし、大工の頭領が腰をやった時なんかは、それこそアーヴァイン中の男衆を集めて手伝いました。そんな毎日を過ごしていますから、この通り手は傷だらけです。行ったところでやれることは少ないですが」
「なるほど。お前が次代の長に望まれるのはそういうところにあるのだろうな。相わかった」
シウォン達は会談のあと、ルーファスの案内で庁舎の奥へ案内された。すると、突然現れた大きな扉の先に青色の部屋、いやその先まで長く続く廊下があった。
「ここは…随分、表とは雰囲気の変わるところだな」
「昔の考え方で、王とそれに近しい者のみ入ることのできる長い廊下を作ったそうです。帝国の宮殿にもあるらしいですよ。もっとも、帝国にあるのは壁画のようですが」
ナフカの脳裏には、かつて兄と慕った帝国皇帝の隠し子ジュランと通ったあの陰湿な廊下が鮮明に思い出されていた。争いを描いた壁画、その塗料は獣の血であるとジュランは言っていた。確かその先に続いた飛氷の間は、ここの廊下と同じく青を基調とした部屋だった気がする。
少なくとも今、ここに広がる青い部屋はあのとき身震いさえ覚えた寒さは感じない。
「青はイスファターナでも神聖視されている色でしょう。帝国は海の神を第一神とする国。帝国人は血統が正しいとされる者は海と同じ青い瞳をしています。それゆえに、高貴とされました。アーヴァインはその一部の高貴な者たちが帝国の支配から逃れて作った場所。青色への神聖視はここでも変わらなかったようです」
ルーファスは一つの肖像画を指した。
「こちらはこのアーヴァインの初代長、ヴィンセント=カーデンクラウ殿です。アーヴァインの長は代々カーデンクラウ家の方々が務めてきました」
「私にとって御先祖というわけだな。なるほど、私とルオンの瞳の色はこうして長く受け継がれているらしい」
「はい、父上」
「そしてこちらが先代長のオジン様です」
その並びにあるもう一つの肖像画を指す。その肖像画を見たシウォンはその絵にそっと触れた。
「私のお祖父様か」
「はい」
その絵には母、シヴァの面影を感じた。シヴァにとって父に当たる人なのだから当然なのだが、シウォンは数十年来の再会を果たしたかのような喜びを感じていた。
「お会いしたかった…。会ってたくさん話をしたかった。そうだ、ルーファス。そなたはお祖父様の志を継いでいると先程聞いたが、教えてくれないか。どのようなお方であったのか私は知りたい」
ルーファスは深く頷いた。
「オジン様はそれはそれは厳しく、そしてそれ以上に温かいお方でございました。私はソジン様の養子という形でカーデンクラウ家のお世話になっておりましたが、オジン様もソジン様と同様、父と仰ぐお方です。オジン様はよく仰せでした。『苦しみには寄り添い、喜びは分かち合え』と」
「そうか、それで農夫や大工として働くのか?」
「…はい。目で見るは聞くよりも確かと言いますでしょう。少なくとも私はそう考えております」
シウォンはそれを聞いて決心がついた。
「それなら、心配なさそうだな」
「…?」
「お前に本当にアーヴァインを任せてよいのか、そして私が今後宮殿の貴族達と争うにお前が値するかどうか。改めて決心がついた。お前とは気が合いそうな気がする」
「もったいないお言葉でございます」
「心配するな、ルーファス。私はやるといったことは何がなんでも果たす。お前はこのアーヴァインを正しく治めることで私に尽してくれ」
「はっ」
後ろに控えていたナフカやキシュは互いに顔を見合わせた。意図するところは今後の危機への対処。シウォンの意見にに反対する者はきっと多い。下手をすれば今後の帝位着任に疑念を持たれる可能性すらある。そのために手を回すのはナフカやキシュの仕事だ。
イスファターナに新たな風が吹こうとしている。その風向きはどちらへ向くか。それはまだ誰も知ることはない。
次話投稿もしばらくお待ちいただきます。
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