秘境の視察2
朝食を終えたシウォンは、居室でハクの話を聞いていた。
「まずはハク。長くに及ぶ帝国での調査、ご苦労だった」
「詳しい調査内容はイスファルにてご確認いただきますが、先にお話をしておきたいことがあります」
「そうらしいな」
ハクは帝国での調査を簡単に話し始めた。
国境兵備、治安、国政状況などに触れたあと、最後に皇室について話した。
「…それでお話ししたいことなのですが、帝位交代が起こるかもしれません」
「なんだと?」
それを聞いたシウォンは椅子から立ち上がった。ナフカもその動揺を表情に出していた。
「ハク、起こるかもしれないというのはどういうことだ。曖昧な答えに聞こえるが」
キシュが問う。
「ごもっともだと思います。正確にはわからないというのが答えです。帝国内では皇室の情報は閉ざされていますから」
「…それはお前の考えということか」
シウォンが尋ねる。
「はい。ですがあり得ることかと思います。皇帝ヴィクタート三世は長らく城から出ていません。式典や祭事も宰相代理や皇太子によって行われているようです」
「ハク、お前は既に皇帝はいないと考えているのではないか」
ナフカが言うとシウォンとキシュがハクに視線を向けた。
「…どうなんだ、ハク」
「その通りです。その可能性は大いにあると思います。対外的に…もしくは国内でさえ皇帝崩御を隠していることが充分に考えられるのです。 調査でわかったことですが、数年前から帝国の軍事や治安が持ち直していることを思えば、あり得る話です」
ナフカは深く息をついた。
長いこと忘れたことはない。兄と慕ったジュランと同じ顔をした…それでいて冷徹な目をした皇帝の姿を。
『皇帝を止めてくれ』
『皇帝のことは忘れろ』
ジュランが最期に言った言葉。
どちらもジュランの望みだったと思う。ナフカはそのどちらにも答えを出せなかった。結局兄の仇ともいえる帝国皇帝は、寿命という逆らえない時の支配のうちに消えていったのか。
「あくまで私の考えです。しかし、もし帝国が新しい時代を向かえたのなら目を離すべきではないかと思います」
ハクがそう言うと、シウォンは頷いた。
「先を考えるのは間違いじゃない。人間、寿命には逆らえないからな。あり得ないことじゃない。この件はイスファルに戻ってより精査しよう。ハク、本当にご苦労だった」
「いえ。私でお役に立てるのでしたらいくらでもこの足を走らせるだけです。次のお役目は本当に私で良いのか心配ですが」
ハクの言う次の役目とはルオンの側近に選ばれたことである。
シウォンは笑った。
「驚いたろう。だが、今の報告を聞いてよりお前を人選して良かったと思う。ルオンは十歳になった。加えてリフキアもいよいよ結婚となればルオンへの視線が集まるのは必然。お前にルオンを守ってほしい」
「…そうでしたか、リフキア殿下が」
ハクはこの時、リフキアとアレッタが帝から結婚の儀の勅命を受けていたことを知らなかったが、おおよその成り行きを理解した。それによって今後どのようなリスクが挙げられるのかということも。
ハクはシウォンの前に片膝をついて答えた。
「必ずやいただいたこの名に誓って殿下をお守りいたします」
「頼んだぞ」
「はっ」
「何かあれば俺を頼れよ、後輩」
キシュはニカッと笑ってハクの肩を持つ。
「キシュ様が先輩ですか。なんだか不安だなぁ」
「何?」
「私の配置ですが、皇太子宮殿副近衛隊長とのことらしいです。キシュ隊長、いつものおサボりは出来ませんからね。隊務の順調な遂行を期待しています」
「…な!」
キシュはシウォンを見た。シウォンは欠伸をしながら言う。
「私に助けを求めるのか、キシュ。それこそ無駄だとは思わないか?」
「間違いないな」
ナフカも同調する。
「サボりにもちゃんと意味があってだなぁ…っ!ここには俺の味方はいないのか!」
キシュのサボりがただのサボりではないことは、ここにいる人間にはわかることだった。キシュは隊の兵の様子や宮殿周辺の異常はないかどうかなどを見ているのだ。かつてキシュが将軍であった頃、兵を率いて常に前線で戦った。一見、隊の兵の報告を待てば良いように思える内容でもキシュは自分からそれを見に行くことにこだわっている。
そのせいで時に書類の提出に追われることになるのだが、今後はその補佐にハクがつくとなれば隊務はより順調に進むだろう。
キシュがハクの横で嘆く中、ハクは何かを思い出して胸元から紙を取り出した。
「ナフカ様、これを。アイジェスから受け取って参りました。中身はナフカ様しか読めない文字のようです」
「俺だけ?」
ナフカはその書状を預かって目を通した。中身は確かに大陸古代文字で書かれている。今では使われない、使う者も少なく難しいこの文字をナフカはシュワームから教わり、アイジェスは昔の医学書を読むために覚えたらしい。
渡された紙の内容を確認したナフカは、キシュに付近に誰もいないかを確認させた。
「…ナフカ、問題はない」
「そうか」
「ナフカ、中身はなんと?」
シウォンが尋ねると、ナフカは小声で内容を読み上げた。
『報告 このところ城内の医局にて不穏な影。
一つ、帝の薬剤に変更あり。
(追加:キエフ、ルダンナ)
二つ、帝のご容態芳しからず。
(以前より食欲低下がみられます)
三つ、この件を知るのはナチ医官と私のみ。
薬剤の変更は確かではありませんが皇妃様のご命令という噂も聞いております。特に害のある薬剤ではありませんが、ナチ医官と話した結果、ハクに託し、ご報告申し上げます-アイジェス』
「帝の様子が芳しくないとは御身が案じられるな」
キシュが言うとナフカやハクも頷いた。
「…最悪を想定するべきなのかもしれないな」
シウォンがそう呟くと三人の表情は変わった。
「まさか、考えすぎでは?」
ハクが言う。キシュも同調した。
「そうだぞ。帝はまだ五十にもなっておられない」
「だが元々体が弱くていらっしゃった。幼い頃はよく寝台で過ごされることも多かったという。毎年のアーヴァインへの視察だけは欠かさなかった帝が、なぜ今年は俺に任せたのか。考えたくはないがいろいろ辻褄があってしまうじゃないか!」
シウォンは目の前の机を思い切り叩いた。木製の机は鈍い音を立てたがびくともせず、代わりにシウォンの腕は衝撃で痺れが走った。
「…っ」
心の葛藤と腕の痛みに表情を歪ませるシウォンの腕に、ナフカが触れた。
「物に当たってどうするつもりだ、馬鹿」
「ナフカ」
呆れた口調でナフカは救急箱の中にある打撲の薬を塗って、包帯を巻き始めた。一国の皇太子に馬鹿と言えるのはナフカくらいかもしれない。ナフカより長い付き合いのキシュでも、キシュを慕う気持ちから口にはしないだろう。
シウォンは薬のひんやりとした冷たさが皮膚に伝わってくるのを感じながら、自分の幼い行動を反省した。
「帝のことは心配だ」
ナフカはたんたんと慣れた手付きで手当てを進める。
「お前の言うように最悪を想定するべきなのかもしれない。だけど、そのいっぱいになった頭で乗りきれるほど、この後会う御仁は優しくないぞ」
ナフカは終いにぎゅっと結び目を結んだ。それがしっかりしろ、と言うようにさえ思えた。
「…そうだな。今は視察だ。状態が良くなくても城内から正式に呼びに来ないあたり、緊急性はないらしいからな。だがそういう意味でここに俺を送ったんなら、帰ったら文句を言いつけなくちゃな。リフキアの結婚式も見ずに去るつもりなのかってな!」
「そうとなれば支度するぞ。会談の後、昼食会だ」
「ああ」
ナフカは支度のために一度部屋を出た。ハクは部屋のドアの方をじっと見つめる。
「…ナフカは大丈夫だろうか?」
キシュがハクに声をかける。
「大丈夫とは?」
「皇帝は…あいつの兄の仇みたいなものだろう?報告聞いてたときのあいつは動揺していたようだし」
ハクは少し考え込んでから言った。
「複雑でしょうね。復讐しようと思えば主の実力ならいくらでも可能だったでしょうし、組織にはそれに賛同する仲間も多かったでしょうから」
「…」
「でも、殺すことに意味があるかどうか、主なりに考えてイスファターナに来たのです。キシュ様はお分かりでしょう。私利私欲に走る剣に勝ちはないことを。歴史もそれを多く語っています。たとえ、皇帝を倒せたとしてもあの御方は還ってこない。皇帝を倒せばあの御方が守ろうとした帝国も瓦解する。皇帝という存在一人を手にかけるには失うものが多すぎるのです」
するとそこにナフカが礼服を手に戻ってきた。一同がナフカを見つめているのを感じて、ナフカは状況を察したのか軽く息をついた。
「俺の話でもしていたのか。皇帝の死に関して俺がどう思っているのか、大方その辺りか?」
「あぁ、まぁそんなところだ」
シウォンが答える。ナフカはシウォンに礼服を渡しながら口を動かす。
「…動揺していないといえば嘘になる。でも今の俺にあの人を殺したい気持ちがあるかといえばそれはない。手を血に染めて得られるものは不幸だけ。兄さんの夢見ていた誰もが苦しまなくていい世界を作る…それが俺の皇帝への復讐。あの人が生きていようといまいと関係ない」
ナフカは礼服のボタンを止め終えると立ち上がった。
「これで答えは出たか?」
まるで冷気を纏ったかのように淡々と述べられたそれは、ナフカのジュランへの深い想いを感じさせた。
「ああ、充分だよナフカ」
キシュが答える。
「誰もが苦しまなくていい世界…それは俺が望む世の形でもある。そのためにもまずはこの視察を成功してイスファルへ帰る」
シウォンはそう言ってナフカ、キシュ、ハクにそれぞれ視線を向けた。
「お前達は俺の剣であり盾であり弓でもある。俺の道にはどれも欠けてはならないことを改めて知ってくれ。お前達の活躍に助けられてばかりだが、それに見合う人間でありたいと思う」
後世に書かれたイスファターナについての書物には、ナフカ、キシュ、ハクはシウォンの臣下の中でも特に信頼を置いていたと書かれている。
この記録が成されるより前にハクに関する記述はどこにもない。ゆえに、出自に関しては不詳とする説とアーヴァインとイスファターナの友好のためにシウォンが臣下に迎えたアーヴァイン生まれの者とする説もある。
後世の書物でシウォンの三器と呼ばれたこの三人は、シウォンの言葉を受けて片膝をついて深く礼をとった。
ナフカ「共に望む世界を歩きましょう」
キシュ「この持てる力の限り尽くしましょう」
ハク「どんな場所でもあなたの目となって世界を見て参りましょう」




