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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
八章 十年の月日
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秘境の視察1


 「やっと着いたな。それにしても夏だというのにここまで涼しいとはな」

 

 キルアにとってある宿屋の前に降り立ったシウォンは、涼やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。肺の奥深くまで、透き通った冷気が満ちていく。

 

 「これも魔の森の影響なんでしょうかね」

 

 キシュが言う。

 このアーヴァイン自治区は深い森に囲まれている。それが長い間イスファターナ皇国とカルデミナ帝国の支配から逃れ、独立した組織であった所以でもある。

 霧が深く立ち込め、土地勘のない者は森に入れば生きて帰ることはなかった。そんな昔の言い伝えから、この森はイスファターナに住む者達から『魔の森』と呼ばれているのである。

 

 しかしその全ては、魔の森を流れる川が原因であった。カタンダ川と呼ばれる大きな川は、朝と夕に霧をもたらす。森に囲まれているため、霧は昼になってもその場にとどまり、日差しを遮る。それが魔の森の霧の正体だった。

 このカタンダ川はイスファターナの方へ流れを向けている。豊かな水は、田畑や水産資源の生みの母であった。

 イスファターナ帝アドロフ三世は、この水資源の安定供給を望んで、およそ三十年前アーヴァイン自治区を自国のものとした。ただし、自治区の統治権は未だ自治区の長に与えられている。イスファターナ国内の者が行き来できるように法の改正はあったものの、それ以外はほとんど変わっていない。

 そして現在アーヴァイン自治区を治める長の姪がシウォンの母シヴァである。アドロフ三世と前長の間に協定が結ばれ、その証としてシヴァがイスファターナ皇家に嫁いできたのである。

 

 宿に入り、部屋に着いたシウォン達は服装を軽いものに着替え直した。

 

 「シウォン様、お茶の用意でもいたしましょうか」

 

 ナフカが言う。

 

 「ああ、頼む」

 

 シウォンは部屋に着いてからもしきりに外を眺めていた。

 

 「シウォン様、あまり窓側にお近づきにならないでください。ここは宮殿とは違うのですから」

 

 キシュがカーテンを閉め直す。シウォンはしぶしぶソファに座ったが、どこか落ち着かないらしい。

 

 「外が気になるのですか?」

 「いや、まぁな。母上の故郷だと思うとどういうところなのか気になってな」

 「左様ですか」

 「……」

 

 すると、シーラがソファに座ったシウォンの横にやってきて、シウォンに身を任せてきた。

 

 「眠たいのか、シーラ」

 「…ん」

 「今日は長いこと馬車に乗っていたから疲れたろう。ルオン、お前は?眠くないのか」

 「私はまだ大丈夫です」

 

 ルオンは答える。

 

 「そうか、無理はするなよ」

 「はい」

 「では、シーラを寝かせに行って参りますわ」

 

 そうして、リヨルとシーラの二人は寝室へと去っていった。

 

 「ルオン、こっちへおいで」

 「はい、父上」

 

 ルオンが対面のソファからシウォンの方へやってくると、シウォンはルオンを抱き上げた。

 

 「ち、父上!」

 

 ルオンは驚いて声をあげた。

 

 「ハハッ、大きくなったなぁ。…なんだ、私が抱き上げては不服か?」

 「いえ、そう言うわけではないのですが…」

 

 普段、妹のシーラが抱き上げられる姿をよく目にするが自分が去れるとなるとどこか恥ずかしさのようなものを感じる。

 

 「だったらいいだろう。どうせすぐに背も高く、体重も重くなって抱えられなくなるんだから」

 

 ナフカはそれを見ると、静かに紅茶を二人分用意して机に置き、去っていった。シウォンは二つのカップに淹れられた紅茶が牛乳入りであるのを見てクスッと笑った。

 

 「そういえばルオン、寝る前はいつも温かいミルクが用意されていたりするのか?」

 「…はい。不思議とそれがよく眠れるのです」

 「そうか」

 

 ナフカはかつて、シウォンの身長を危惧して毎日のように牛乳を飲ませていた。結果的にシウォンの背はイスファターナでは一般的な身長となった。さすがに今では寝る前の牛乳はないが、子のルオンに継承されているらしい。

 二人は紅茶を飲みながら話を始めた。

 

 「父上、ここは父上のお母上の故郷なのですよね、私のおばあさまの」

 「そうだ。地理はもう習ったのか」

 

 ルオンはそれにハキハキと答えた。

 

 「地理はよく学ぶといい。それと同時にその地域の歴史もだ。なぜかは、自分で考えてみるんだな」

 

 ルオンの知るシウォンの姿としては、時間があるときはしばしばナフカと一緒に歴史書を読んでいた。ナフカは歴史が好きだと聞いたこともある。この二人が大切だと思っているなら、きっと大事なことなのだろう。

 

 「そう、それでここは私の母上の故郷だ」

 「おばあさまはどのような方だったのですか?」

 「…もう、あまり覚えていないというのが現実だ。でもとても明るい陽気な人だったように思う。私やお前と同じ、青い瞳をした人だった」

 

 ルオンはシウォンと同じく深青色の瞳の持ち主だった。それも相まって成長するにつれ、ルオンの容姿はシウォンに似てきている。

 

 「今回、なぜ帝が私をここに行かせることにしたのかわかるか?」

 

 青い瞳は意味深い笑みを含んでいるように見えた。

 

 「…申し訳ありません。私にはわかりません」

 

 するとシウォンは隣に座るルオンをぎゅっと引き寄せてた。

 

 「帝が皇太子時代、当時のアーヴァイン自治区との交渉をを任されたんだ。それから毎年、帝はここを訪れている。帝にとっても思い入れの深い場所だということだ。いずれは私が、そしてお前がここを訪れることとなる。体調不良というのもあるのだろうが、先を見据えての今回の視察というわけだ」

 

 途端、ルオンの肩に乗せられた手がとても重たく偉大に感じた。いずれはそれを受け継ぐのだという重さだろうか。

 シウォンの顔をうかがうと、どうやら同じことを思っているらしい。

 

 「わかるか、ルオン。私は今、これでも緊張しているんだよ」

 「…父上はそれでもご立派に見えます」

 「そう見せるように生きてきたからなぁ」

 

 シウォンはルオンの顔をまじっと見つめると笑みを浮かべた。

 

 「ラドファタスでのこと、正直に嬉しかったぞ」

 「えっ?」

 「この国のために生きると言ってくれたことだ。あれは、そういう意味だろう?」

 

 ルオンはリフキアとアレッタの前で精進することを誓った。シウォンはその事を言っているのだろう。

 

 「…はい」

 「お前には未来を選ぶ道を与えてやれないからな。親としてはそこだけがお前にすまないと思っているよ」

 「選ぶ…道ですか」

 「私もお前も生まれながらこの国に生きる定めを持ってしまったからな。シーラは皇女だからいずれはどこかに嫁ぎ、その先はある程度皇族としての責務を感じず生きていけるだろう。

 だが、お前は帝となってもらうしかない。お前がこの国に生きると言ってくれたことは同じ道を行く仲間ができたということだ。だから嬉しかった」

 

 シウォンの言葉にルオンは急に父を近くに感じた。

 

 「お前に側近をつけようと思う」

 「側近…ですか」

 「安心しろ、お前も見知った人間だ。明日には到着するだろう」

 「明日ですか!」

 

 突然のことにルオンは驚きを隠せない。

 

 「側近とはいえ、これまでの彼の任務にお前の警護が加わっただけだ。キシュやナフカのよつな四六時中付きまとうわけじゃない。だが、いい勉強になると思ってな」

 「わかりました」

 「明日を楽しみにしているんだな」

 「楽しみというより緊張が勝ります」

 「ハハッ、そうか。さあ、もう眠らなくてはな。明日は視察が控えている」

 「はい」

 

 そうして寝室に入ったものの、ルオンはその夜明日やってくると言う側近が気になってなかなか眠りにつくことが出来なかった。

 

 

 ▽▽▽▽▽

 

 

 翌朝のことである。

 

 「ルオン殿下、ご起床の時刻でございます」

 

 昨夜なかなか眠れなかったから、ルオンは起きる度に重たい目が閉じそうになる。

 

 「ルオン殿下、朝でございます」

 

 二度目に耳に聞こえてきた声にルオンははっとなって寝台から飛び出すように起きた。

 

 「…そ、そなたもしや」

 

 いつもの侍女の声ではなかった。ルオンの様子にその人物は不思議そうに首をかしげる。

 

 「おや、お聞きになっていらっしゃいませんか?では、改めまして…」

 

 その人物はルオンに向かって片膝をつくと挨拶をした。

 

 「本日よりルオン殿下の側近を勤めさせていただきます、ハク=レイオールです。よろしくお願いいたします」

 「えっ、えーっ!」

 

 

 朝食の時間、食堂にはたくさんの料理が並んでいた。

 

 「ほう、これがこの地方の料理か。美味しそうだな、なぁルオン」

 「父上、ハクが来るなら教えてくださってもよかったでしょう」

 「驚いたか?」

 「当たり前です!」

 「それにしても随分な驚き様だったみたいだな」

 

 シウォンは愉快そうに笑う。ルオンの叫び声は宿に響き渡っていたらしい。何事かと驚いた兵士達が駆けつけたほどだ。

 

 「ハクはいつ戻ってきたんですか」

 「イスファルを発つ前だったかな」

 「だったら一言くらい…」

 

 その様子を見て部屋の脇に控えているナフカはハクに尋ねた。

 

 「ルオン殿下はご機嫌が良くなさそうだが何があった?」

 「殿下は私が来ることをご存じなかったようで」

 「…なるほどな。お前が帰ってきてることも知らなかったからご立腹なわけか」

 「ええ、私も帰城報告等でなかなかご挨拶に行けませんでしたから」

 

 ハクは一年前から帝国に潜伏していた。それは帝国のより詳しい状況把握のためだった。ソウェスフィリナ王国との同盟が成立して早くも十年。この先帝国とのあり方を模索するためにハクは帝国へ向かったのである。

 

 「仕方がないさ。殿下はお前を気に入っていらっしゃったから」

 「それにしても私で良いのですか?執務官の資格もないのに。一応名目は武官ですけど」

 「その辺はまぁどうにでもなる」

 「どうにでもってねぇ…私も帰ってくるなり側近と聞いて驚いているんですからね。私の歳はルオン殿下とかなり離れていますし、それに、これまで表に出てこなかったわけですから、その辺も殿下にご迷惑など…」

 

 ナフカは首を振った。

 

 「側近に必要なものは信頼と実力。歳が近いほうがいいのは当然だが、今の状況を見てお前を推挙した」

 「…何か動きがあると?」

 「勘かな。嫌な空気なんだ…満たされたようでそれは崩壊の音を奏でていそうな、兄さんを亡くす前のあの時と同じだ」

 

 ナフカはふと我に返って表情に笑みを浮かべた。

 

 「悪い、考えすぎかもしれない。俺の勘なんてもう今となっては廃れたものだから」

 「そんなことはありませんよ。主はいつもいろんな所に目を向けている。あの頃と変わりません」

 

 ハクは近衛の武官服の首もとを苦しそうに動かした。

 

 「主、とは公には呼ばない方がいいのでしょうね。ナフカ様ですか」

 「むず痒い呼び方だな。今は耐えるしかないか。ルオン様を頼んだぞ、ハク」

 「はい。それからナフカ様、この後シウォン殿下にお会いする時間をいただきたいのですが」

 

 振り向いたときのハクの表情に、ナフカのキリリとした眉はぴくりと動いた。

 

 「…わかった。あまり時間はとれないがお伝えしておく」

 「構いません。よろしくお願いします」

 

 ナフカは朝食を摂るシウォンにこそっと耳打ちした。シウォンは横目にハクを見て頷く。

 その様子をルオンはただ事でない様子で見つめているのであった。

明日0時に次話を投稿いたします。

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