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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
八章 十年の月日
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甘い夢


 「…急にどうしたんだ、レイヴィス」

 

 シウォンに用意された客室で二人きりになったところで、シウォンは落ち着かない様子だった。とりあえず棚から酒を取り出してレイヴィスの分も用意しようとする。

 

 「シウォン、酒はもういい」

 「…じゃあ、紅茶でも飲むか」

 「それもいい。とりあえず座ってくれ」

 

 シウォンが戸惑いながら席に着くと、レイヴィスは深く息を吐いた。

 

 「…そっちは何か変化はあったか。俺も国内が落ち着かなかったから、こうして二人きりになるのは久々だな」

 

 そっちは、と言葉をぼかした表現にシウォンはしばらく考え込んでから答えた。

 

 「お前が聞きたいのは、皇妃様のことか」

 「…それもある」

 「むしろそっちが本題じゃないのか。まぁ、なんだ…依然掴めないといったところだ」

 

 シウォンはそう答えたが、それと同時に自身の無力さを感じることとなった。

 

 「この十年、思いの外動きがなかった。何もなかったわけではない。だがきっと、リフキアの北部の統治がうまくいっていることも理由だと思う」

 「このまま終わると思うか。それならいいんだ」

 

 レイヴィスはまっすぐシウォンの目を見つめてくる。

 

 「少し待ってくれ。お前はリヨルの兄であり国を治める道に立つ同志だが、他国の王子でもある。俺はお前に何を返したらいい」

 

 シウォンは逃げた。レイヴィスが求めてくる答えに答えられる準備がシウォンにはない。

 だがレイヴィスはそれに対して怒るわけでも失望するというわけでもなかった。

 

 「…何もいらない。お前を追い詰めるつもりはなかったが、結果そうなってしまったな。ソウェスフィリナは物事に白黒付けたがる奴が多いんだ。俺も例外じゃない。許せ」

 「…いや、こちらこそすまない」

 「大したことじゃないんだ。反乱が終わり、水道橋も完成した。俺はやっと国内の改革に移れる。お前の方はどうか、と気になったくらいだ。リヨルの兄ではあるが、もう他国に嫁いだんだ。心配もするが、あいつがお前についていくならそれを見守るだけだ」

 

 そう聞いてシウォンは少し息をついた。

 

 「シウォン、リヨルを頼んだぞ」

 「ああ」

 

 レイヴィスは笑った。

 

 「夢があるんだ」

 「…なんだ」

 「ソウェスフィリナとイスファターナ、この二つが同盟国じゃなく友好国になること。それが理想であって夢なんだ」

 「友好国か。それまた大きな夢だな。お前がロマンチストだったとはな」

 「シウォン…俺はっ」

 「だが、悪くない」

 

 シウォンは語気を強めて言った。青い瞳がより深い色に輝いている。レイヴィスは呆気にとられて、そして苦笑いした。

 

 「心臓に悪い」

 「すまん、ちょっと嬉しくて」

 「嬉しい?」

 

 シウォンはレイヴィスを指さした。

 

 「まさか同じことを考えている人間が相手側にいて、しかもそれがお前だった」

 「…運命と言っていいかな」

 「現実問題、俺達は数年前まで互いに血を流しあってきた。未だ、民の間には同盟をよく思わない者も少なくない。途方もない時間を要するまさに夢のような話だ」

 「でも俺達なら出来ると思わないか?その血を流しあってきた国同士が同盟を結んで十年が経つ。あと十年、いや二十年、もっとかかるかもしれない。その同盟が歴史と呼ばれるようにすれば叶う。そう信じる」

 

 シウォンは頷いた。

 

 「意外と俺達は夢見人なのかもしれないな。気分的にはこの喜びに乾杯したいくらいだ」

 「…わからなくもない。だが、今回はやめとこう。乾杯の酒もいいが、俺はこの夢を酒に酔わせたくはないんだ」

 

 二人はそのあともしばらく談笑して、月も中天する頃、レイヴィスは自室へ戻っていった。

 

 「随分と長く話されたのですね」

 

 側近のケイトが言う。

 

 「それにしては足取りもよいご様子。てっきり、またお酒を飲まれたのかと思いましたが」

 「ああ、飲んでないからな。でもまぁ、仮に飲んでいても酔わなかっただろう」

 

 レイヴィスはソファに倒れこんだ。

 

 「そこで眠られてはお風邪を召されますよ。ご成人された方が側近に運ばれるなど恥ずかしいでしょう」

 

 武官のユンハンスが言う。レイヴィスは横目に彼を見て笑った。

 

 「ユン、イスファターナは楽しんだか?」

 「楽しむとは?」

 「時間があればキシュ将軍…いや、キシュ武官と剣を交えていたのだろう。それにお前は誰よりもイスファターナへの思いがあると思うからな」

 

 ユンハンスはそれを聞いてしばらく黙っていたが、やがて微笑み返した。

 

 「先の戦いの件はもう全く私には関係ありませんよ。もちろん、亡くした仲間は今でも忘れませんが…。私が剣を振るう理由はあなた様が与えてくださった。私はそれに忠実に生きる。それだけです。キシュ武官と剣を交えられたのは、本国ではなかなか本気でぶつかれる相手がいませんから…そうですね、楽しかったですよ」

 「そうか」

 「なぜそれをお聞きに?」

 

 レイヴィスは黙りきったまま立ち上がった。その足で窓の外を見る。

 

 「特に理由はない。実はシウォンと話していて嬉しいことがあった。いつか二つの国が友好国となれたら…という果てしなく気の遠くなる夢の話だ。俺は、変事のあとから密かにそんなことを思っていた」

 「友好国…本当に果てしない夢ですね」

 

 ケイトが言う。

 

 「同じことをシウォンも思っていた。こんなに嬉しいことはあるか?俺とシウォンがいれば叶えられるかもしれない。いや、きっと叶うと思う!」

 

 レイヴィスはケイトとユンハンスを見た。その顔は今の声色に込められた期待とは正反対の表情をしていた。

 

 「今日ほど自分の身分を呪うことはない。いくら友人と言っても俺達は国というものを背負う以上、語れないことが多すぎる。所詮は名ばかりのような気がしてな。喜んだ反面、心に素直になれないもどかしさのようなものを感じる。王族でなければ、ソウェスフィリナの人間でなければ…言っても無駄なことだが、友と語るのにあいつとの壁がいくつもある気がする」

 

 ユンハンスはそれを聞いてなんと返すべきか考えていたが、するとその隣で、小さなため息をつきながらケイトが口を開いた。

 

 「私のお仕えするお方はなんともお人好しですね。それがあなたの良さなのでしょうけど」

 

 半分呆れた口調だ。

 

 「おい、ケイト…」

 

 ユンハンスが止めるもケイトはそれを無視した。

 

 「壁などあって当たり前でしょう。言えない機密事項などいちいち数えていたら日が暮れるどころか年も明けますよ。

 ですが…シウォン殿下は人を惹き付けるなにかをお持ちです。あの方の側近方と同じく、あなたもまた殿下に魅せられたお一人なのでしょう。お二人は普通の友人とは少し違うでしょうね。でも、だからこその『友好国』という夢なのでしょう?違いますか、レイヴィス様。あなたにしか出来ないことは山のようにあるかと思いますが」

 

 レイヴィスはただ静かにケイトの話を聞いていた。その表情は何も語らない。

 しばらく部屋は静けさに包まれていた。ユンハンスは静止する二人を見守っていた。その静かな空間で、先に動いたのはレイヴィスだった。

 

 「ケイト。やれると思うか、この夢は」

 「やれないからと夢にするのすら諦めるなら、さっさと忘れてしまった方がよいかと思われますよ」

 

 レイヴィスはそれを聞くと力強くケイトに抱きついた。その勢いは胸ぐらを掴むようにさえ見えた。

 

 「お前はっ!いつも一言二言余計なのだ!」

 「…っ。苦しいですよ…あなたはよく悩みますけど、どうせいつもやってしまうでしょう。悩むだけ時間の無駄なんですよ」

 「それを余計な言葉と言うんだ!」

 

 レイヴィスはケイトから離れると髪をくしゃくしゃと掻き回した。

 

 「俺はあいつら…ナフカやキシュ、もっと言えばリヨルに嫉妬してるんだろうな」

 「嫉妬ですか」

 

 ユンハンスが尋ねる。

 

 「俺が王子ではなかったら、シウォンに仕えることを夢見ていたかもしれん。魅せられた、というよりは惚れたに近い感覚だ。あいつといると退屈しない。ぞくぞくさせられる」

 「そのお歳になって初恋のような目をされても困りますよ」

 

 ケイトがより一層呆れた様子で言った。確かに今のレイヴィスは夢見る少女のように頬を染め、いつもの力強い目は嘘であったかのように蕩けている。

 

 「初恋か。悪くない表現だ」

 「冗談じゃないですよ、王子妃様とラナサス様がいらっしゃるというのに」

 「半分は冗談だ。俺はミシェルもラナサスも愛している」

 

 後世に書かれたソウェスフィリナ王家の記録によれば、レイヴィスは愛妻家であり、その息子ラナサスを大切にしていたと記されている。

 

 「さて…これからどうするかな。イスファターナはこれから怖いぞ」

 

 そう言ったレイヴィスの目には、先程の恋に酔ったような甘さは欠片も残っていなかった。

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