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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
八章 十年の月日
86/125

憧れとそれから


 「叔父様、少しよろしいですか」

 

 夜も更けた頃、リフキアの執務室に一人の来客があった。

 

 「ルオン殿下。夜遅くにいかがなさいましたか。眠れませんか?ホットミルクでも用意をさせて…」

 「叔父様」

 

 リフキアはルオンに呼び止められた。その声色にどこか不安を覚えたリフキアはルオンを振り返る。そのルオンにリフキアはふと兄シウォンを見たような気がした。だが、シウォンと同じ深い青色の瞳は、どこか迷いを秘めている。

 

 「いかが致しましたか、殿下」

 

 リフキアはルオンの目線に膝をついた。するとルオンは言った。

 

 「叔父様は私がお嫌いですか?」

 「…なぜそうお思いに?」

 「叔父様も叔母様も私のせいで我慢をされているのでしょう」

 「我慢?」

 「どうか私を嫌いだとおっしゃってください!」

 

 ルオンはリフキアの胸を打った。

 

 「叔父様と叔母様は、父上の後継者が決まるまで結婚せず、しかも後継者が決まったらお持ちの権利を帝に返上されるのでしょう。私は皇子です。いずれは父上の跡を継ぐ存在にならなくてはならない。でも、そうすれば叔父様は帝位の権利を失う。反対に私が怠ければ叔父様と叔母様はいつまでも式を挙げることが出来ない。私の存在は叔父様達にとってよくない存在なのでしょう!」

 「…っ、何を馬鹿なことを!」

 

 リフキアはルオンに向かって言った。ルオンは普段温厚なリフキアの叫びに体を震わせる。リフキアはしばらくルオンを見つめていたが、やがて冷静になったのか立ち上がって棚から何やら選び始めた。

 

 「ルオン、そこに座りなさい」

 

 ルオンはリフキアの言うままに、執務室の応接ソファに座った。リフキアは何やらカチャカチャと作業をしているようだが、ルオンには全く検討もつかなかった。

 やがてリフキアはルオンの前にティーカップを置いた。

 

 「…飲んでみるといい」

 

 リフキアがそう言うと、ルオンはゆっくりとカップに口をつける。その瞬間、爽やかな香りがスッとからだに染み渡っていった。

 

 「たまには昔話もいいだろう。あの頃の自分を思うと、たまに苛立つのだがな」

 

 リフキアはそう言って、話を始める。

 

 「私はかつて、国の貴族にすら覚えのない皇子だった。まだアイゼンとヨルナにも出会う前、初めて得た側近が私の身代わりになって死んだ。それ以来、私の存在は人の命を左右すると思うと外に出られなくてな。公務はもちろん、母以外に会うことが出来なかった」

 「叔父様がですか」

 「…ああ。幻滅したか?」

 「幻滅なんてそんな!」

 

 リフキアはここでようやくその顔に笑みを浮かべた。

 

 「それでも母違いの兄上の功績は耳に入ってくる。若い頃から兄上は天才だった。誰もに慕われ、次の帝と期待され…そんな兄上の目に入りたいというのが夢だった」

 

 リフキアは苦々しそうな顔をしながら紅茶を口にした。

 

 「その夢が現実になったのがソウェスフィリナとの同盟だ。帝の命令で私は宮殿を出されて、兄上の側で働くこととなった。政治はおろか、公務すらろくにやったこともない私が何ができるか。何もできやしない。兄上は私にナフカの代わりを務めろと言い、私はそのときナフカに紅茶を習った。旨いだろう?」

 「…はい。とても」

 「あの時何を学んだのか、正直いうとついていくのにやっとでよく覚えちゃいない。だけど、兄上や帝を中心に国が動く。その意味の大きさ、重さに気づいた。でも、帝や兄上には出来ないことがある。国を背負う立場ゆえに手が届かないところへ手を伸ばす…それが私なんだ」

 

 リフキアはルオンをじっと見つめた。

 

 「でも私の立場はこの国ではいささか微妙だ。私の夢は兄上の目に入ることから、支えることに変わった。でもこの国の制度上、兄上に近づこうとすれば、かえって兄上の邪魔になりかねない。だから与えられたものを手放すことを決めた。それが結婚であったり継承権であったりと、人が羨むものだったとしても、私にはそれらには変えられないものがある。アレッタも同じだ」

 

 リフキアは話に疲れたかのようにソファに深く背をもたれた。その瞬間、リフキアの口元がわずかに上へ動く。

 

 「わかるか?私が未だ結婚しないことも、継承権を返上することも、全ては私のためだ。そこに一ミリもお前の存在は含まれていない」

 「…っ」

 「つまり、お前が危惧するようなことは何もないわけだ」

 

 ルオンは目の前にいるリフキアが全くの別人のように思えた。いつも温かみのあった言葉はどこか無機質でそっけない。むしろ、突き放すようにさえ感じられる。

 でも、不思議とリフキアに対して嫌悪や反感を感じはしなかった。それはきっとこれまでに見てきたリフキアへの全面的な信頼と、ずっと知らなかった今のリフキアを作った核の部分を知ったせいかもしれない。

 

 「私のようにはなるな、ルオン」

 

 リフキアはそう一言告げた。

 

 「どういうことですか」

 「お前はいずれ国を背負う人間で、支える側じゃないんだ。私から学べることは一つだってない」

 「…」

 「ルオン。私から言えることはたくさんのものを目にして、たくさんの言葉を聞き、与えられたものを選択できる力をつけろということだ。私はそこに行き着くのに時間をかけすぎた」

 

 リフキアは立ち上がってルオンの隣に座る。

 

 「だが、私やアレッタのことを案じてくれたのは嬉しい。ルオン、私はいつでもこの国の味方だ。お前や兄上にどんな困難がやってこようと常に隣を歩いてやる。お前が一生懸命この道に向かってくれば、私はこの身の全てをもってお前を支えよう」

 「…叔父様」

 

 ルオンはリフキアの手に触れた。

 

 「さぁ、もう遅い。どうやら迎えがきているようだ。子どものうちはしっかり寝ることも大事だ」

 

 すると部屋のドアが開いてナフカとキシュが入ってきた。

 

 「妃殿下がお探しですよ、ルオン殿下」

 

 キシュがルオンに手を差し出す。

 

 「キシュ、姉上に伝えてくれ。ルオンを引き留めたのは私だと。もし叱るようなら共に叱られましょうと」

 

 冗談めかして笑うリフキアにつられてキシュもくすりと笑う。

 

 「わかりました、必ずお伝え致しましょう」

 

 キシュに手をひかれて部屋を出ていくルオンを目で追いながら、リフキアはため息をついた。

 

 「なにかあったのですか」

 

 ナフカは机に並んだカップを見ながらこの部屋で起きたことを考えているようだった。

 

 「少し、昔話をした」

 「昔話ですか」

 

 リフキアは一瞬遠くを見るような表情をして言う。

 

 「なぁ、ナフカ。私や兄上はもしかすると間違ったのかもしれない」

 「…間違いですか」

 

 間違いという一言に、執務室に不穏な空気が流れ始めた。

 

 「こうは考えられないか。私はまだ兄上に遠く及ばないけど、兄上の治世を支える者のなかで唯一血の繋がりがある。血の繋がりで事を決めるのは馬鹿馬鹿しいと思う。だけど影響し合う存在というのは必要ではないだろうか」

 「ルオン殿下には影響し合う相手がいないということですか」

 

 リフキアは頷いた。

 

 「兄上達は元々円満な夫婦だ。同盟を守るためにも、兄上は今後も側室を選ぶことはないだろう。兄妹といっても皇女では帝位につけない。私が結婚し、子どもを得ていたら面倒もあるがルオン殿下のためにはなったと思う。私達は政治面でのリスクを無くすために、将来帝となる子どもの機会を奪ってしまったのかもしれない。あの子の周りには大人ばかりだ。それが少し気がかりなんだ」

 

 リフキアのその言葉はナフカにも思いのよらぬことだった。

 

 「…ご自分を卑下されずとも、シウォン様は殿下あっての今があります。それは紛れもない事実です」

 「そう思うか?」

 「はい。誰よりもシウォン様の側にいる私が言うのですから。殿下のおっしゃることにも一理あると思います。しかし、間違いと否定してしまうのはもったいないでしょう。世の中、両極端な答えしかないというのは視野が狭くなります。せっかく気付き得たことですから、落ち込むのではなく改善へ動かなくては」

 

 ナフカがそう言うと、リフキアは笑った。

 

 「しばらく会わなかったがだんだん似てきたな」

 「似てきたとは」

 「兄上にだ。もとより兄上もそなたも天才だからな。思考の通う部分があるのだろうが、今のはまるで兄上を見ているようだった」

 「…シウォン様に似ているとは恐れ多いことです。それに殿下に対して失礼にもなるかと。申し訳ございません」

 「何を謝ることがある。わかった。私ももう言わない。だが、この件兄上にも一つ話をしていてくれ」

 「承知致しました」

 

 ナフカも去った執務室で、リフキアは紅茶にブランデーを混ぜて飲んでいた。

 思えばラドファタスにやってきて十年。あの頃には飲めなかった酒も飲めるようになったし、反対にあの頃に持っていた何かを忘れているような気がする。

 

 「リフキア様」

 

 寝間着をまとったアレッタがやってくる。

 

 「お一人でお酒を飲まれるなんて珍しいですね」

 「なんだかそんな気分だ」

 「左様ですか」

 「…ルオンが私を好いていてくれるのは嬉しい。でも私はこの十年、色々なことをしてきたんだ。あの子が知る綺麗な面だけじゃない」

 

 アレッタはリフキアの肩にもたれながら言った。

 

 「きっと、もう気づいていますよ。子どもは大人の動きに敏感です。それでも憧れてくれるならよいではありませんか。私はリフキア様が国に生きていらっしゃるお姿をとても美しいと思いますよ」

 

 リフキアは肩から伝わる温もりをしばらく感じて、しばらくするとぎゅっとアレッタを抱きしめた。

 

 「…今日はまだ眠れなさそうだ。もうしばらく付き合ってくれるか」

 「もちろんです」

 

 静かな夜はゆっくり明日へと時間を流し、一羽のフクロウが月に向かって一声鳴いた。

 

 『集まる思いが交錯し、それが実となり国となる』

 

 これはジルサ=シュタートの著書にある建国史の一説である。同盟を結んで十年がたった今、イスファターナもまた新たな時代へ踏み込もうとしている。

 今宵、そんな彼らを守護する月は満月を迎えていた。

※ジルサ=シュタート

ナフカ(ヒュバル)の祖父。有名な歴史家で、多くの著書を残す。

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