心に巣くう蜜
七十話目に突入です!!
「もうすぐだな、リフキア殿下がラドファタスに赴任されるのは」
皇太子宮殿は今日も忙しい。その執務の休憩時間、キシュが言った。
「そうだな。正式な決定がされてからあっという間だった」
シウォンは紅茶を片手にそう言った。すると、ナフカがキシュにも紅茶を差し出しながら言う。
「近衛も忙しいんじゃないのか。リフキアがラドファタスに行くとなれば、隊の編成も変わるだろう」
「それはミュンツェル様達の仕事だから、俺は大してやることはない。まぁ、もしかしたらうちの兵が増えるかもしれないくらいだ」
シウォンは紅茶を飲みながらため息をつく。
「…ラドファタスの治安、今はそう悪くないんだろ、ナフカ」
「調べた限りではな。ただ、赴任後となればよからぬ者が現れてもおかしくない。その点はミュンツェル様達も考えていると思うけど」
キシュも頷く。
「…心配はわかるけど安心しろ、シウォン。今ラドファタス近郊の軍配備はイスファターナ一だから」
「…というと?」
「グレンがラドファタス近郊を担当しているんだ」
シウォンはそれを聞いて納得した顔になる。
グレン=コンワート。かつて、キシュが軍にいた頃、キシュの副官を務め、その後はキシュ軍を率いて今現在、ラドファタス近郊の軍配備を任される人物だ。名前のコンワートは、キシュと共に受け取ったもので、二人は今や義兄弟の間だ。
「俺が現役の頃から、俺が攻めに転じたときは常に軍の守備を担ってきた。攻めもできるが守備はそれに勝るだろう。それにグレンの練兵は凄まじいからなぁ。きっと相当な強さをもってリフキア殿下を守ってくれる」
「…そうか。グレンがラドファタスにいたのか。それは心強いな。今でもたまに会うのか?」
「まぁ、なかなか会えてはいないがやり取りはしているよ」
その時、執務室の扉がノックされた。それにナフカが応じる。
「なんだ」
「失礼します。軍部よりグレン=コンワート様が参っております。約束はないとのことですが…」
「殿下、いかがなさいますか」
ナフカはシウォンに問う。シウォンはあまりの間の良さに笑いながら答えた。
「通してくれ。俺も久々に会ってみたいからな。キシュ、良かったじゃないか」
「あ…あの馬鹿は………」
キシュは驚きに満ちた表情でその場に固まっていた。
―――――――――
「突然の来訪、どうかお許しください。現ラドファーナ守備軍将軍のグレン=コンワート。皇太子殿下に拝謁いたします」
グレンはシウォンの前に礼をとった。
「堅苦しい挨拶はいい。久しぶりだな、キシュが軍をやめるとき以来だから、五年ぶりか」
「はい。殿下にはキシュがお世話になっております」
シウォンの中のグレンの印象は五年前に受けたものと大きく変わった。あの頃はまだ若さが滲み出ていたが、今のグレンは風格から何から、軍を率いる将軍のそれだった。
「グレン!お前なぁ、どうして来るなら来ると連絡してこなかったんだ!」
キシュが言う。
「馬鹿いえ。守備軍の将軍が都に帰るなんて普通の手段で連絡できるわけないだろ。非常の手段を私用で使うわけにもいかないんだから。もう忘れたのか?」
グレンにそう言われると、キシュは赤面して大きくため息をついた。
「グレン将軍、どうぞ」
ナフカはグレンに紅茶を出した。
「銀髪…あなたがグリュネール執務官ですね。若き執務官のお噂はかねがね。初めてお会いしたけど、いや、なんともお美しい姿で……」
「…グレン、ナフカは男だぞ」
キシュがじろっと怪訝な顔で見る。
「わかってるって。仕方ないだろ、いつもむさ苦しい男所帯にいるんだから」
「すまんな、ナフカ。悪いやつじゃないんだが」
「なにも謝ることじゃないよ、キシュ。むしろ、お褒めにあずかって光栄だ」
ナフカは営業スマイルをグレンに向けた。
「それで、グレン。何用で都に?」
シウォンが尋ねる。
「リフキア殿下へご挨拶に参ったところです。あとは軍へちょっと用件を済ませに。ずっと文で連絡はしていたんですが、やはり難しくて」
「何か急ぎの件でも?」
「ラドファタスはイスファターナ第二の商業都市ですから、ならず者達は少なからず存在します。リフキア殿下の赴任が決まってから、ラドファタス城塞の守備も色々と強化していますが、そもそも、皇族の方々が住まうものとして作られていませんから、私の目にはなかなか足りない気がしてならず…。リフキア殿下へのご挨拶も兼ねて軍へ対応を早めるよう圧をかけに」
グレンはにこりとそれを言った。シウォンはそれを聞くと、けらけらと笑い出したのだ。
「なるほどな、圧をかけにか。ハハッ、それは軍部も驚くことだろうな」
「殿下の前で申すのもなんですが、地方の感覚と中央の感覚はあまりに差のあるものです。必要としているからこその要請が、検討に検討を重ねて何ヵ月もあとに実行されたのではもう手遅れなのです」
「そうだな。その点は私も今後改めていきたいと思っている」
「ありがとうございます」
グレンはそう言って出された紅茶を飲み干すと、シウォンに向き直って言った。
「皇太子殿下」
「なんだ?」
「一つ、お聞きしても構いませんか」
「…構わないが」
グレンは一つ呼吸をつくと、シウォンをまっすぐ見て問うた。
「キシュは本当にお役に立てていますか」
「それは、よくやってくれているが…」
「本当ですか?」
「ああ」
グレンはそれを聞いた瞬間、近くにいたナフカの首に剣先を向けた。
「グレン!」
シウォンとキシュが立ち上がって叫ぶ。
「…キシュ、お前は何をやっている。軍を出てから感覚まで鈍ったのか」
「グレン」
「皇太子殿下の御配下に手出しをした上、人事にまで口を出すのは無礼と心得ておりますが、これは皇太子殿下の御ためとご理解ください。何故、このような者をお側に置かれているのですか」
シウォンはナフカをちらりと見て言った。
「…このような、とは?」
「この者には剣術や武術を磨いたとか以上にただならぬ気配を感じます」
「ただならぬとは?どうせならはっきり言ってくれ」
執務室は暖炉の火の温もりも感じられぬほど冷ややかになっていた。
「…人を殺したことがある気を纏っています。これは憶測じゃなく、私の経験から言えること。それも殺めたのは一人や二人じゃない…異様な気配です」
「グレン!」
キシュはグレンの名を呼んだ。グレンの踏み入ろうとするその先は、これまでシウォンもキシュも立ち入ろうとしなかった場所。なぜなら、踏み入って最後、ナフカはもう戻ってこないとどこかで感じていたからである。
「…グレン将軍、さすがですね。さすが、キシュと同い年にして守備軍の将軍を任されるだけあります」
ナフカは首先に当てられた剣からつうっと赤い糸が垂れるのを感じた。
「そこまで警戒なさることでもないですよ。そもそも、私は人を殺したことなんてありませんから。気配が違うのは私の育ちのせいかと思いますよ。私は見た目の通り帝国の出身で、幼い頃に盗賊団に拾われ盗賊まがいの事をして生計を立ててましたから。六年前、養父シュワーム様に捕らわれるまではね」
「盗賊ですか」
「その頃の私は幼くてとても人を殺すなんて出来ませんでしたが、周りの者は人を殺して盗んでいましたから、殺し殺されることは日常だったんです。気配がおかしいのはその辺の感覚が疎いからかもしれませんね」
グレンはナフカをじっとみつめて、やがて剣を下ろした。
「皇太子殿下の御前でご無礼を致しました。処罰は甘んじてお受けするつもりです」
「構わん。その分リフキアを支え、守ってくれ」
シウォンは即答した。
「…寛大なご処置、感謝いたします。それでは殿下、私は都へ来た用件を済ませに参るため本日はこれにて、下がらせていただきます」
「あぁ、ご苦労」
グレンが部屋を出るとキシュはそれを追う。その様子を銀髪の影から覗くナフカにシウォンは一言、言った。
「勘がいいのも問題だな」
まるで、全てわかっているとでも言いたげな様子だ。
「ナフカ」
芯のある呼び掛けにナフカはハッとした。深い青色の瞳がナフカを捉えている。
「俺はお前の過去がどうであろうと別に構わない。むしろそれが今のお前の執務官としての実力に起因するならなんの問題もないと思っている」
「…」
「それに、お前は俺のために死んでくれそうな奴だからな。そんな奴に出会えたことは俺の幸せだよ」
ナフカは首から流れる血を拭いながら言った。
「…すまん、シウォン。少しだけ休ませてくれないか」
その様子は普段のナフカそのものである。
「それは構わんが…」
「ありがとう。何かあったらハクを呼んでくれ」
「…わかった」
ナフカは執務室を出ると自室へ急ぎ、勢いのままに部屋の扉を閉めた。部屋に入ったナフカは膝から崩れるように床に座り込んだ。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。こんなに自分は脆かったのだろうか。
ナフカは何を思ったか、少しの荷物を手にして夕方、宮殿を出た。
▽▽▽▽▽
「おい、グレン!なぜ突然あんなことを言ったんだ!」
グレンを追いかけたキシュは、人目のつかないところまで来るとグレンに掴みかかった。だが、そのグレンに掴みかかった腕を強く握られた。
「…っ!」
「なぜ…か。お前も気づいてるんだろ!気づいてて…知らぬ顔をしている!別に最初は、彼のことなどどうでもよかった。だけど、今後俺以外にそれを問われて、一体お前達はどうするつもりだったんだ!」
「それは…」
「隙を見せるな!隙を見せた者から戦場じゃ死んでいく。あの場で主導権を俺に握らせたのはなぜだ!お前は無礼といってでも止めるべきだっただろう。あの場に俺以外の人間がいたらどうする?今頃、宮殿中に話しは広まっているぞ!」
キシュはグレンの迫力に負けた。何も言うことが出来なかったのである。
「殿下は傍目には完璧だ。だけど今回のラドファタスの件でのリフキア殿下のはたらき次第では権力の方向が変わってもおかしくないのだぞ!皇太子殿下の弱みがあの執務官となるようなことはあってはならない!今の場所が大切なら、死力を尽くしてそれを守れ。昔のお前ならそのために剣を振るったはずだ」
仲間と共に、それぞれの大切なものを守るために戦ったあの日々を、キシュは思い出していた。
「…確かに、甘かったかもしれないな。俺は」
キシュはグレンの胸ぐらから手を離した。
「わかったならいい。じゃあ、俺はもう行く」
「今度はいつ帰ってくるんだ?」
「さぁな。機会があれば、またな」
グレンはキシュと別れると深くため息をつきながら、リフキアの宮殿へ向かった。
「お疲れですね、将軍」
「将軍呼びはやめろって言ってるだろ、ロゲール=ハンマー」
「だったら、グレンもフルネームで呼ぶのはやめて下さいよ。それで?久々にキシュ将軍と会ってきたんでしょ。お元気そうですか?」
まるで子犬のように笑うグレン軍の第一部隊長ロゲールだが、戦うときの彼の容赦なさは敵を恐怖に陥れる。そのロゲールもかつてはキシュ軍の人間だった。
「元気だったよ。ちょっと喝を入れてやったけど」
「何かあったんです?」
「甘い考えをしてたからな。近衛が楽だとかそんなこと言うつもりは無いけど、常に血を流すことを覚悟する軍部とはやはり剣の重さは違うさ。それより、軍はなんだって?予算申請を受理してくれたか」
ロゲールは満面の笑みである。
「お偉方に目をつけられないようにしろよ?」
「えっ…ちょっ、まさか自分が目をつけられないように俺に行かせたんですか!」
「さぁて、どうだかな」
グレンは口笛を吹きながら先へ歩く。
「酷いですよ、将軍!!」
皆様、お久しぶりです。
イスファターナ戦記『心に巣くう蜜(七十話)』読んでくださりありがとうございます。気づけば七十話となりました。読者の皆様もここまでお付き合いありがとうございます。
突然の急展開。
リフキアのラドファタス赴任を前に、皇太子宮殿では一騒動ありそうですね。
次話も気長にお待ち下さい。結月詩音




