入城
「そうか。よくやったな」
家に帰るとオルモンドがまたしても玄関で待っていた。少し違ったのはそこに二人の兄が待っていたことである。どうやら卒業前の研究課題を終わらせてやって来たらしい。二人の顔には濃いくまができていた。
「城に行くに至って準備は済んでいる。安心して二日後を迎えられる」
オルモンドは言った。すると、アレッタはオルモンドに言った。
「一つだけお願いがあるのです」
「願い?」
「靴を、新調させてください」
オルモンドは当然、入城の時に履くための靴を仕立てさせていた。アレッタが言うからには理由があるのだろうが、オルモンドは不思議そうにその理由を尋ねるのであった。
「何か靴に不安があるのか」
「その…今日殿下にお会いしてこの靴を履いたことを少しだけ後悔いたしました」
アレッタが履いていたのは踵に高さのある履き物であった。
「殿下との身長差がこれでは明らかとなります。もちろん私の年頃の貴族の女であれば、この靴を履くことは何の問題もありません。きっと殿下も何もおっしゃらないと思います。ですが、周りの目は違います。きっと公に出るのは新年の宴と思いますが、その時までに踵のない靴を作って頂きたいのです」
オルモンドはアルヴィンにすぐに靴の仕立て屋を呼ぶように言った。
「…ありがとうございます、父上」
「いや、このくらいは何てこともない。お前がものをねだるのも珍しいことだからな。それにお前が言うことも最もだ。きっと殿下の動向はこれから注目される。その隣に立つのであればお前が目立つのは少し問題だ。殿下も成長される年頃だからあっという間のことだろうがな」
「申し訳ありません。せっかくご準備いただいたのに、私は今日の日まで気づきませんでした」
「私も考え足らずだったのだ。気にせんでいい。それに、作った靴を作り直させれば新しく作るよりも早くできるだろう」
夕食をたべようと、オルモンドはアレッタに言った。するとイシュフォードが恭しくアレッタに手を差し出した。
「親愛なる我が妹アレッタ。今夜のエスコートは俺にさせてくれないか。明日は兄貴が譲ってくれないだろうから」
イシュフォードはいかにも紳士を気取ってそう言った。
「お兄様らしくありませんね。でも受け取っておきます」
アレッタはイシュフォードのエスコートで食事をとる部屋へと向かった。すると、靴の仕立て屋を呼んでいたアルヴィンもすでに着席している。
「なんだ、イシュフォード。急に紳士気取りか?」
「明日は兄貴がアレッタにベッタリだろ?今日くらいは俺に譲ってくれ」
「まあいい。今日だけだぞ」
その日の食事はやたらと豪勢だった。料理長がアレッタの好きな鶏肉のトマト煮込みやらタルトケーキを作ってくれていた。彼の料理がこれから食べられなくなると思うとどこか寂しくもなる。
そんなわけで、食後に料理長が挨拶に来たときアレッタはこれまでの感謝を伝えた。
「これまでありがとう。あなたの食事を口にできないと思うととても寂しくなるわ」
「何をおっしゃいますか。宮殿には私より腕のたつ料理人はたくさんおりましょう」
「そういうことではないわ。私は生まれたときからあなたの作ったものを食べて生きてきたの。いわば家の味とはあなたの作るもののことだもの。どんなに宮殿のものが美味しくても、あなたの味を忘れることはないわ。これからは父上やお兄様達をよろしく頼みますね」
気がつけば料理長はアレッタの言葉に涙を流していた。
「そう言っていただけるととても嬉しゅうございます。料理人としてこれほどに光栄なことはございません。明日はお嬢様がお望みのものをお作りいたしましょう。何かご要望はございますか」
「…ではお兄様と父上のお好きなものを逸品ずつと、デザートにはワインゼリーがいいわ」
「かしこまりました。またご要望があれば何なりとお申し付けください」
「ええ」
料理長が下がると、オルモンドは執事のキースに何やら持ってこさせる。キースの手には布に巻かれたものがあった。
「アレッタ、これをお前に渡そうと思う」
オルモンドは布を解いて中身をあらわにした。そこには皇家を表す青色と銀で装飾された短剣があった。
「これは父上…」
アレッタはもちろん、アルヴィンもイシュフォードもこの剣がどういうものかを知っていた。
先々代のダナフォート家の当主の妻は当時の帝の妹であった。皇女であったときの名前はソラン=イスファターナ。アレッタ達にとっては曾祖母にあたる。
当時のダナフォート家はまさに皇家の剣として守護の役目を果たしていた。戦乱の時代。いつ互いに死が訪れてもおかしくない時代だったという。帝はたとえ皇族を離れて二度と会えなくなったとしても、皇族の誇りと守護のダナフォート家で生きる誇りを持ってほしいとこの剣を持たせたという。
これまで家宝としてきたその剣をアレッタに渡すという。兄妹はオルモンドの思いを胸に刻んだ。
「この剣は皇族とダナフォート家を繋いでいる。百年の年を経て再びその時を迎えたのだ。まして、これからイスファターナは新たな時代を迎える。その進化の過程に一番近く交わるのはリフキア殿下とアレッタ、お前だろう。だからこの剣をお前に持たせる。ダナフォート家は常に皇家の守護者。アルヴィンもイシュフォードもお前の手足となって支えてくれるだろう。そうだな、お前達」
オルモンドに視線を向けられたアルヴィンとイシュフォードは「もちろんです」と返事をした。
「皇立学校の研究課題も終わったのでイシュフォード、そろそろ話してもいいんじゃないか」
「そうだな、兄貴」
アルヴィンはひとつ咳払いをして言った。
「父上、私は今度の任用試験を受けるつもりです。父上と同じく文官を目指そうと思います」
「私は軍部へ。すでに推薦状をいくつかいただいています。おそらくはラズベガー将軍の麾下につくことになると思います」
イシュフォードが言った。
「それぞれ違うものを目指すか」
「はい。これからは外交の時代と思っています。任用試験は一通り受けるつもりですが、総務か父上のおられる法務を目指すつもりです」
「法務は私でよい。総務へ行け。あそこはこれから大変だろう」
大変な場所へ行けというのもなかなかなものだが、父からそう言われてアルヴィンは考えを固めたようである。
総務とは簡単に言えば帝が采配を決めたあと、実際に実行する場所のことである。総務の長はいわゆる国の宰相となるが、今のイスファターナはこの席が空席となっている。
「それで、お前はラズベガー将軍のもとか。推薦したのはどちらだった?」
「モルテリオ大将軍様です」
それを聞いてオルモンドは笑った。
「将軍もしつこいな。まだ先代がおられた頃は私もラズベガー将軍に推薦された。文官を選んだことを根に持っていたようだが。まあ、しごかれて来るといい。若君の力となってこい」
「はい」
ラズベガー家はダナフォートと同じく長くこの国の軍部を支えてきた国である。そしてラズベガー家といえば当主モルテリオは六年前のウィジュグラードの大戦で右軍の総指揮を、甥のラファエルはキシュの元同僚であり、ソウェスフィリナの本陣を叩く貢献をした人物である。
六年経った今もラファエルはモルテリオの補佐として働き、ゆくゆくはラズベガー家の当主、そして伯父の軍を引き継ぐこととなっている。
「まあ二人のことはそれぞれに任せるとしてだ。アレッタ、覚悟はいいな。妃になるというのは甘い世界ではない」
「はい、できています。殿下にもその旨を問われてお答えしてきました」
「そうか」
オルモンドはそれ以上何も言うことはなかった。
出発の日、支度をしていたアレッタの元にアルヴィンがやって来た。
「アレッタ、これを」
アルヴィンが手にしていた箱を開くとそこには踵を低くした靴があった。
「…完成したのですか。こんなに早くに」
「父上がそうするように計らったからね」
アルヴィンはアレッタの頭にポンと手を乗せた。
「こんなことがもうできないと思うと少し寂しいな」
「私はいつまでもお兄様の妹ですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、これからお前が一番に考えるのは殿下だ。アレッタ、お前は俺達兄妹の誇りだよ」
「お兄様…」
アルヴィンは言った。
「アレッタ、さっきも言ったがこれからお前が一番に考えるのは殿下だ。ダナフォート家のことは心配ない。父上に俺やイシュフォードもいる。俺達はお前を一番に考えている。それは変わらない。だから後ろを向かず、殿下の支えとして生きることを考えろ」
そう言ってくれることがきっとどれだけ重みのある言葉であるか、ありがたい言葉であるかと思うと、アレッタは今にも泣き出しそうである。
貴族の生まれであれば家とのしがらみは消えようもないものなのに、自由にしろと言ってくれる優しさが心に染み渡る。
「…いつか文官としてお前の力に、ひいては殿下の力となれるよう俺も頑張るよ。その日まで城で待っていてくれ」
「お待ちしています、お兄様」
すると、アレッタの部屋の扉がノックされた。
「失礼致します。お嬢様、ご出発のお時間です」
執事のキースが呼びに来た。アレッタは頷いてアルヴィンと部屋を出る。アレッタはふと、もう戻ることのない部屋なのだと思うと、扉の外から部屋に頭を下げた。 これまでの感謝をこめて。
玄関を出ると、イスファターナ皇家の紋が入った白い馬車が迎えに来ていた。馬車の前には一人の女近衛兵が立っている。女が騎士の礼をとると周りの護衛達も一同に礼をとった。
「アレッタ=ダナフォート=イスファターナ様。第二皇子リフキア殿下のご命令によりお迎えに上がりました。これから城までの間の警護を任せられました、ヨルナ=シュライン武官です。どうぞお見知りおきください」
「リフキア殿下の近衛の方々ですね。こちらこそよろしくお願いします」
アレッタはヨルナはもちろん、周りの兵にも挨拶をした。アレッタが誰もによい印象を与えたのは言うまでもなかった。
「それでは父上、お兄様、そしてみんな、これまでお世話になりました」
アレッタは深く頭を下げた。オルモンドは無言で頷き、アルヴィンはにこりと微笑む。その隣でイシュフォードは今にも大泣きしそうな様子であった。
「では、行ってまいります」
アレッタは馬車に乗り込む。ヨルナの「出発」の合図で馬車と護衛の兵達は動き出した。
この日、アレッタ=ダナフォートはダナフォート家を去った。その行列がすべて家から出たあと、イシュフォードのみならず皆が涙を流していたという。それは滅多に感情を見せないオルモンドも同様であった。
アレッタは馬車に乗りながら都の風景を見つめていた。いつも見ている、同じ光景も今日は何やら違うように思えた。それはこれまでのアレッタとの別れでもあるからで、その一方で夢を生きることへの一歩を踏み出した喜ばしいことでもある。
指にはめられた青い宝石の指輪をアレッタは反対の手で包むように握った。少しだけ励まされる気がするのである。
まもなく皇族が出入りする門へと到着する。アレッタは深く息を吐ききり、一新した気持ちで門をくぐった。
この日、アレッタはリフキアの妃となるべく入城を果たした。
愛されて育てられたアレッタは、やがてイスファターナ皇国にとって大きな存在となっていくのであった。




